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死後(デッドイン)  作者: 糞袋
第四章・断罪
112/113

コーヒーって飲み過ぎると本当に眠れなくなる。あと動悸も激しくなる。

 失踪すると見せかけて(以下略)

 私生活が忙しかったんです許して下さい何でも(以下略)

 空は藍と黒の中間に染まり、地には満遍無く仄暗い影が膜を張り。そんな夜の道をとぼとぼと、ダイゴは歩いていた。その手にはスーパーのレジ袋が一つ。肉屋の印が付いた袋は無い。レンに紹介された『ミート・ハンニバル』という肉屋は、彼が行った頃には閉まっていたのである。

 せめて、どれぐらい安いか確認しておきたかった。そんな下らないことを考えながら、ダイゴは弁当箱が四つ入った袋をがさりと揺らす。そのうち三つはタイムセールで半額になっており、賞味期限は今日で切れる代物である。今夜のダイゴとレアの食事であり、明日のダイゴの朝食である。レアの朝食は、賞味期限が明日の昼になっている弁当だ。これは半額ではないが、元の値段も大したことなかったので、さして問題ではなかった。

「おかえりなさい」

 アパートの扉を開けると、レアが出迎えてくれた。そこまでは普通であったのだが、しかしダイゴはおかしな点に気が付いた。部屋の奥から、何やら良い匂いがしてきたのである。

 はて、とダイゴは考える。現在冷蔵庫の中に入っているものは缶コーヒーのみである筈だ。しかし、この匂いからあの香ばしさは感じられない。一体何だろう、ダイゴは疑問に思い、レアに尋ねた。

「レアちゃん。何か良い匂いがすんだけど、何だこれ」

「ああ、この匂いですか」

 まあ、取りあえず入って下さい。言われるがまま、ダイゴは靴を脱いで部屋に上がる。ぱたぱたとレアはその先を走って、バロックが置いていった折り畳み式の机の上を、掌で示した。そこには、

「さっき、上の階に住んでいる方がいらっしゃって、お近づきの印にとこれを頂いたんです。何でも、『肉じゃが』っていう料理みたいですよ」

 ジャガイモと肉とその他諸々が入ったタッパーが、良い匂いのする湯気を立てながら佇んでいた。

「うおおっ! 美味そう! え、これ上の人がくれたの!?」

 ありがたやありがたやと、両掌をすり合わせて天井一枚向こうに居るであろう住人に、感謝の念を届けようとするダイゴ。そんな彼に対して特に突っ込むこともせずに、レアはフォークとスプーンを二組、椀と皿も二組、机の上に置いた。

「ご飯も一緒に頂いたんで、それと一緒に食べましょうか」

「白米と肉じゃが!? うわあ、もう最強じゃねえか! 弁当なんて目じゃねえよ!」

 取りあえず、今晩は心優しい上の階の住人のお陰で、食事にありつくことが出来そうだ。この三つの半額弁当は自分の明日の朝昼晩に、普通の弁当はレアの明日の朝食に回せばいい。ダイゴはそう思い、一先ずレジ袋を冷蔵庫の方に持っていき、中身を収めた。

「「いただきます」」

 食事にありつける感謝を述べてから、ダイゴとレアは肉じゃがと白米を食べ始めた。スプーンとフォークで肉じゃがなど食べたことの無い平均的日本人なダイゴと異なり、レアは慣れた手つきで晩御飯を口に運んでいる。小さな異文化を感じながらも、彼は肉と米を口に頬張り、幸せを嚙み締めた。

「ところでよ、レアちゃん」

「? 何ですか」

 口の中にあるものを飲み込んでから聞き返すレアに、ダイゴはもごもごと食べながら言葉を続ける。

「上の階の人、ええと、確かマコトさんだっけか。どんな人だった」

「眼鏡を掛けた、優しそうな女の人でしたよ」

 え、そうなの。ダイゴは少しばかり目を丸くする。マコト、という名前に対して男性的な印象を抱いていたから、その名前の主が女性であったことを意外に思ったのである。

 まあ、何にしても礼を言わねばならぬだろう。明日の朝にでも挨拶にでもいこうか。そんなことを考えながらも、坊主頭に包まれた脳細胞は口に運ばれてくる旨みに意識を取られっきりで、スプーンが止まらない。あっという間に、タッパーの中は空になってしまった。

「ああ、喰った喰った。幸せだあ」

 満腹感と幸福感に顔を綻ばせながら、ダイゴはごろりと寝転がろうとする。しかし、レアの手前であることが少し気になったので、背中が床に着く直前に、腹筋を使って起き上がる。

「あ、えと。そんなに気を遣われなくて大丈夫ですよ」

 その不自然な腹筋運動を見て、レアは彼の一瞬の迷いのようなものを看破したようだ。少し苦笑いをしながら、続ける。

「これから、暫く一緒に暮らすんですから。そんな風にしてると、肩が凝ってしまいますよ」

 成る程、それもそうだ。ダイゴは納得しながら、しかし目の前の少女もまた、今自分に気を遣ってくれたのだろうと思い、少し恥ずかしくなった。だから、ぽりぽりと自らの頬を掻いて、

「いや、気を遣った訳じゃ無くてな。ほら、喰ってすぐ寝たら牛になるっていうか」

「え、ダイゴさんの心象って、そんな効果もあるんですか?」

「その反応は予想外だったわ」

 真顔でそんなことをレアが返してくるものだから、可笑しくなって噴き出してしまった。と同時に、本当に肩の力も抜ける。笑うことが精神に前向きな影響を及ぼすことを再確認しつつ、ダイゴは天井を見上げる。その向こうには肉じゃがをくれたマコトという女性がいるらしい。

 優しい人々だ。ダイゴはそう思う。まだこの世界に来てから一週間経つか経たぬか、その程度の期間しかいないが、自分の周りには優しい人が沢山いる。それが有り難い。それが幸せだ。ダイゴはそう考える。

 勿論、そればかりではない。恐ろしい人物にも、何回か出会った。それは時に犯罪者であり、時に職場の先輩であった。

 アッシュ。

 考えてもみれば、明日でダイゴが死んでから一週間経つ。と同時に獄犬の研修期間も終わる。それはまた、アッシュの獄犬でのこれからが決定することも示していた。

 サレム曰く、アッシュがこれから獄番に残るか否かは、彼女に殺されたダイゴの裁量次第とのことらしい。そして、彼の腹積もりは色々なことがあった今も、変わっていない。

ダイゴは、アッシュを許すつもりであった。

 現在、ダイゴは死んだ当初よりも気張っていない。父から教わった信念を貫くことに対して、必要以上に気負ってはいない。それでも尚、ダイゴはアッシュから逃げる気はなかった。というより、彼は単にあの銀髪の少女の事を、もっと知ってみたいと思ったのだ。

 相手の事を知り、その印象が変わった経験を、ダイゴは一つ持っている。それはゼインとのものだ。彼にとって、自分が最初に戦った緑の髪の少年は、既に大切な友人になっていた。

 単純なものである。しかし、それが大山大悟という男なのだ。

 そして、そんな単純な男は。あのアッシュという少女に対しても、そういった希望の余地を捨てていなかった。というより、それを捨てることはあまりにも悲観的であると思ったのだ。同時に、それを諦めてこれから生きていくことは、何だか空しい気がしたのだ。

 それだけである。ただそれだけである。ただそれだけの単純な理由で、彼はアッシュを許すことにしたのだ。自らを殺した少女と、一緒に仕事をしようと決めたのだ。

 しかし、実際に彼女と会って仕事をしたならば、それはそれで精神的に参ってしまうこともあるだろう。そもそもの信念が違うのだ。片や犯罪者すら殺せない甘ちゃん、片や見方すら殺してしまう冷徹人間。属性の違いが精神の摩耗に繋がることは必至だ。

 そして、その時は――。

「レアちゃん。そのうち、ミディーんとこ行こうか」

 時に拳を交え、時に掌を握り合った、あの檻の中の気の良い連中に会いに行こう。そう思った。

「はい、行きましょう」

 レアは言った。とても嬉しそうにそう言って、笑った。

 檻の中の彼らと、家の中の彼女。これならば、何があっても、何とかなりそうだ。少女の笑顔を見て、ダイゴは心の底からそう思った。




 目が覚めてしまった。ダイゴは体の節々が痛むのを感じながら、己の開眼に落胆した。

 この家に布団は一つしかない。その事実を前に、ダイゴはレアに寝床を譲り、自分は適当に床にでも寝ることにした。そして、実際に寝た。それはもう、スムーズに眠った。そこまでは良かったのだが、彼が八時間もの間、夢の中に留まるのには、些かこの部屋の床は硬かったらしい。

 いでで、と濁った声で腰を叩きながら、立ち上がる。ぼやけた視界の中に、赤いシルエット。目が慣れればそれはレアの頭で、すうすうと寝息を立てている。

 驚いたのは、彼女の布団から大幅に飛び出て、部屋の隅にあったことぐらいか。どうやらこの少女は、寝相がすこぶる悪いらしい。もしも近くの床に寝ていたならば、自分は彼女に蹴飛ばされていたかもしれない。だから寝場所として、布団から少し離れた台所の床を選択したことは、結果的に良いことだったのだ。ダイゴはぼんやりとそう思った。

 しかしこれならば、自分が布団を貰っても良かったのではないか。痛む腰にじくじくとそんなことを考えながら、視線をレアから壁にかかっている時計に移す。時刻は夜の十一時半。どうやら自分は、三十分しか寝られなかったらしい。

 それでも、今のダイゴの頭の中に、寝直すという選択肢はなかった。体の中にある鈍痛の塊と、はっきりと感じられる筋肉の凝固が、彼にじんわりとした不快感を与えていたのだ。これでは眠る気も起きない。そもそも、自分が寝る場所は変わらずに床なのだ。どうせ数十分と経たぬうちに、目が覚めてしまうに決まっている。

 疲れるまで、スクワットでもしていようか。そんな脳味噌筋肉な思考回路を構築しながら、ダイゴは何とはなしに冷蔵庫を開ける。そこには夜に買った弁当と、レンから貰った缶コーヒーが存在していた。

 何だか、喉が渇いたな。そう思い、冷えている円柱形を掴む。ここで飲む気も起らなかったので、ベランダへ出ることにした。

「あれ、ダイゴ」

 がらがらと透明な引き戸を開け、夜風に迎えられるダイゴに対し、横から声が聞こえてきた。見れば、そこにはレンの姿があった。腰ほどの高さの柵で遮られてはいるが、手が届くくらいの距離に彼は居た。このアパートは、ベランダ越しの談笑がしやすいように出来ているらしい。

「眠れないのかい」

「いや、起きちゃったんスよ」

 だから眠くなるまでスクワットしようと思ったんスけど、その前に水分補給しようと思って。そう言って缶コーヒーを見せるダイゴに、その飲み物はこの時間に水分として補給するのに適切なのかな、とレンが苦笑いする。そう言う彼の手にも、同じような缶コーヒーが握られているのだが。

「夜っスねえ」

 ぼんやりと言う。その視界には黒い空と、明かりに彩られた白い街。この世界はまだ眠っていないのだな、と思う。

 この街の路地裏で、ゼインと戦ったのだっけ。

 あの街の廃ビルで、ラムドレーと戦ったのだっけ。

 あそこにある廃工場で、ミディーと戦ったのだっけ。

 この街の路地裏で、ゴッツに首を絞められたのだっけ。

 あの街の路地で、アッシュに心臓を撃ち抜かれたのだっけ。

 そして、あの獄牢の中で――。

「何だか」

 プルタブをプシリと開けて、言葉を溢す。レンがこちらを向く。その視線を横顔に感じながら、夜の街を見下ろす。

「随分と、遠回りした気がします」

 信念に燃え、信念に囚われ、信念を拾い上げ、信念を糧にして。結局、最初と最後の位置はあまり変わっていない。その癖、随分と傷を拵えてきたような。

「良いんじゃないかな、それで」

 レンの声が耳に届き、そちらを向く。彼の目はダイゴから、空へと向き直っていた。その先に、月が煌めいている。

「最短距離を行くことばかりが、最善じゃないでしょ」

 寄り道も近道と同じくらい、大事だよ。そう言って笑い、レンもまたコーヒーのプルタブを開け、口を付けた。

 そんな彼に少し救われた気がして、ダイゴはこっそり照れるように笑ってから、真似するようにコーヒーを飲む。

 それは、苦かった。


 では皆様良いお年を。

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