第一話 噴水事件前編
「あ、あのう。アルバート・レイさまですよね?」
勇気を出してシャロンが声をかけると、アルバートはゆっくり振り返った。きれいな瞳に見つめられ、緊張する。
「ええと、あなたは・・・第3王女さまで、よろしいでしょうか」
アルバートは自信がなかったらしく、恐る恐る、といったふうに答えた。ただ、覚えてもらってはいたようで、私はこころなしか緊張がとけた。
「はい、そうです。えと、アルバートさまは噴水へ・・・?」
「はい。どうかなさいましたか?」
私はなんと言ったらいいものか、と考えつつ、ゆっくり話し出す。そのせいか、媚びるような上目遣いになってしまう。
「ええっとですね、アルバートさまはご存じないかと思いますが、噴水では怪事件が3回も起きていて、ですねそのたびに人が昏倒してしまうのです。だから、危険なので行かれないほうがよろしいかと」
私がそう言い終えると、アルバートは困ったような顔をしていた。
「ああ、そのことだったのですね。実は、その件なら、もう聞き及んでおります。噴水ではとある人と待ち合わせをしているのですが、その怪事件の影響で人が少ないからゆっくり話すことができる、と言われまして。ご忠告はありがたいのですが、ご心配には及びません。私も一応は騎士ですし、万が一のことがあれば自分の身は自分で守れます。ご安心ください」
そう言ってお辞儀をし、アーノルドは去ろうとする。
違う、そういう問題じゃない! 剣では片付けられないのだ、相手は。・・・幽霊だから。
「アーノルドさまっ」
私は焦りから必死の表情で彼の服の裾を掴んでしまった。アーノルドは驚いたような顔をする。
「行かれないほうが、絶対いいです! だってそこには、幽霊が・・・」
「幽霊? ですが、その事件で亡くなった方はいらっしゃらないのでは?」
「・・・・・・」
私がなんと言ったらいいかと頭を悩ませていると、アーノルドは怪訝そうな顔をしながらも、私が黙っているのでその場を去ろうとする。そこで、私は焦りからとんでもない失態を犯してしまった。
「待ってください!」
そう言って勢い余ってアーノルドの背中に顔から突っ込み、ついでに足を捻った。
やってしまった・・・。痛さに思わずうずくまる。
「痛あ・・・」
「王女殿下? 大丈夫ですか?」
アーノルドはかがみ込んで、私の顔を覗き込む。
「すみません。・・・っ、捻ってしまったかもしれません」
申し訳無さにうつむきながら言うと、アーノルドは白い包帯を取り出して、私の足首に巻き始めた。痛さと申し訳無さと焦り、そして男性に足首を触られているという恥ずかしさから、顔が徐々に赤くなる。
と、そこに誰かの足音が迫ってくるのを感じた。
音のした方を振り返ってみれば、そこにはシャルロッタがいた。私達を見て、目を見開いている。それはそうだ。私達は傍から見ればまあ、恋人のように見えるのだから。ただ、どうすればいいかわからず黙っていた。
それはアーノルドにしても同じようで、まあ、突然王女さまが現れたのだから当然である。顔を赤らめて、シャルロッタを見つめている。
すると、シャルロッタはもと来た方へと去っていった。なにか用事でもあったのだろうか。
それを受け、アーノルドは我に返ったように包帯を巻き、こころなしか雑になったような気がする、さっと一礼するとシャルロッタを追いかけるように去っていった。
私は何が何だか分からないまま呆然としていたが、まあ、アーノルドが噴水に行くのは防げたから、一件落着・・・?
そんなわけがなかった。
私はその場でしばらく捻挫の様子を見てから帰ることにした。なんだか今日はろくなことがない。恥ずかしさと焦りからアーノルドにはよくわからないことをしでかしてしまった。失態である。
私はゆっくりと立ち上がってみる。ひねったのは左足である。そっと体重を預けると鈍い痛みが走って顔をしかめる。
ゆっくり歩こう・・・。
そうして、夜の庭園を歩いていると茂みの向こう側から誰かの話し声が聞こえた。
「それで? シャルロッタさまには会えたのか?」
「いや、それが、第3王女さまが・・・」
「第3王女? 名はなんと言ったっけ? シャロン?」
私はその声にピタリと足を止めた。なぜ私の名前が? そして姉の名前が?
「ああ、待ち合わせは噴水のところだったが・・・。怪事件のことがあるからと忠告されたんだ」
「そうか、例の。噴水を待ち合わせ場所にしたのか」
「シャルロッタは人目につきやすいから。それで、引き止められて、まあ、噴水へ行こうとしたわけだが・・・。そうしたら第3王女さまがこう、背中に顔をうずめてきたんだ」
なんてこと!さすがに私も気づいてしまった。この声の主はアーノルドと、まあ、誰かさんなわけで、さっき起こったことを説明しているのだ。それにしても完全な誤解である。背中に顔をうずめたのではなく、背中に顔から突っ込んだっつーの!
そう否定できたら楽だったが人見知りの私には、茂み越しの相手に大声で叫ぶ度胸はなかった。それに、そうかアーノルドが待ち合わせしていたのはシャルロッタだったのか、呼び捨てってことはかなり仲がいい?
「そして、その拍子に捻挫をなさったから、手当をしていたら折り悪くシャルロッタがやってきて、それで、第3王女は顔を赤らめていたから逢瀬だとでも誤解され・・・」
「それで去っていったのか」
「ああ、慌てて追いかけたが、彼女はもう会場で人々に囲まれていたよ。ただでさえ彼女は人気で、抜け出すのが大変だというのに・・・、失敗した。残念だ。しかも誤解されたまま。・・・で、アル、どうだと思う、第3王女のこと」
ああ、そういうことだったのか・・・! それで全て説明がつく。そして私に対する敬称がどんどん消えていく。そんな扱いだってことはわかってたけども。そして今アーノルドは話し相手のことをアル、と呼んだ。ということはアルバート・サラドール? 確か二人は幼馴染だと聞いた。
「好きなんだろ、ノルのことが。どう考えても今の話からはそうとしか思えない」
でしょうね、私も同感です。
「そうか・・・、困ったな」
「・・・・・・なら俺がどうにかしよう。俺が言い寄って、なびかせればいい。女嫌いのお前が好きになった人だからな。応援しないと」
「本当か? 助かる。ただくれぐれも無茶はするなよ、女慣れしているからと言って」
「別に、大丈夫だよ。・・・それより明日は噴水で待ち合わせるのはやめておけ。事件はもう半年前だというのにまだほとぼりが冷めていなかったんだな王女は。いや、まあノルを引き止める口実か。まさかあの人付き合いの悪いツンツンした王女がお前を好きだとはな。初めて舞踏会で踊ったときも踊り終わったあと、挨拶も済まないうちにそっぽ向いて帰っていたし。それ以外に誰かと一緒にいるところも踊っているところも見たことがない。そんな王女に好きな奴がいたとは。しかもノル。心底驚いた」
なんて言いよう! 私が初めて踊ったときは、あまりのダンスの拙さに自分が恥ずかしくなって逃げ出しただけで、一応私からは挨拶を済ませたし、人付き合いが悪いというか人見知りなだけですが、なにか。
「まあまあ、わかった。明日は別の場所で会って誤解を解くよ。色々ありがとう」
アーノルドがそう言って二人が立ち上がり、去っていく気配がした。
私は一人、盛大なため息をつく。人生17年目にしてまさかこんな事があるとは思わなかった。ああ、もうどうなってんの、これ?
と、いうわけで今日の舞踏会、外に抜け出してなんとなく予感がして噴水前の小道に昨日と同様行ってみれば、案の定アルバート・サラドールがいた。待ち構えたようにやってきて私の手にキスをして(もちろん社交辞令)、で今に至る。
「あはは、私になにか用でも?」
笑いを引きつらせながら問えば、アルバートは屈託のない笑顔で返す。
「ええ、もちろん。ずっとあなたとお話をしたいと思っておりました。私のことはアルとお呼びください。皆からそう呼ばれておりますから」
まあ、なんと爽やかだこと! 何も知らずにこの男に口説かれていたら多分、世間知らずな私はあっという間にほだされていただろう。そんな惨めさを味わわなくて良い分、私はまだ運がいいのかもしれない。
「あ、そう。じゃあ、アル、私もあなたにそんな丁寧に話しかけられると落ち着かない(気持ち悪い)からシャロンでいいし、ため口でもいいわよ(どうせ、私のことなめてるんでしょ?)」
私はまあ、イライラしていたので、普段の私なら言わないようなことを言った。普段なら絶対すぐには相手を呼び捨てにしないし、自分を呼び捨てにはさせない。気位が高いからではなく、ただ単に人見知りなだけだが。
それに驚いたのは相手も同じようで、少し目を見開いてから私に顔を近づけた。
「では、シャロン。遠慮はしませんよ」
アルは私の耳元で囁いた。何も事情を知らなかったらこの言葉をどう取るだろう。さすが、嫌というほど女慣れしている。そして素晴らしい演技力。とても裏があるとは思えない。
「・・・」
どうすればいいんでしょう、私は。目の前には相変わらずきらびやかなお顔。
と、そこで救世主?が来た。
「アルさまあ。こんなところにいらしたんですねえ?」
やってきたのは3人組の華やかな女性たち。皆、頬を赤く染めてアルを見つめている。そして、私を見、邪魔者だわ、というふうに眉をひそめる。うん、多分王女だと気づかれていないな、これは。まあ、いいや、ここは去りましょう。
「ではごきげんよう」
私はそう言ってアルを見もせずその場を去った。
「ちょっ・・・」
引き止める声が聞こえたような気がしたが気にしない。歩き進む。
「あれ、ここって噴水だわ、例の」
気がついたら噴水に来ていたようだ。相変わらず噴水は夜闇に煌々と青白く輝いている。以前ならば美しいと感じただろうその光は、今はあたりの静けさとともに不気味さを助長しているように感じる。
そっとあたりを見渡して、そして・・・、目が合った。それと、幽霊と。女性のようで、おろした長い栗色の髪は濡れているのか額に張り付き、色はくすんでいる。水色の瞳は悲しみと、そして静かな怒りをたたえて私を見ている。薄っすらと透けた体は青白い光と溶け合っているかのようで、ただただごく自然に噴水の前に存在しているかのように思えた。
私は静かに息を呑んだ。どうすべき、逃げる? 目が合ったからには話す? それって幽霊の存在を認めたことになって危険では? いや、そもそも幽霊って話せるのか? 意味のない問答が頭の中で繰り広げられる。と、そこで。
「見えるんだ・・・」
ひどくか細く幽霊が言った。
「話せるんだ・・・」
私が思わずそう呟くと、幽霊がじっと私を見る。
「あなたならわかってくれるかしら?」
幽霊が小さな声で言う。
私はよく聞こえるようにと、噴水に近づき、そして聞いた。
「何を・・・?」
「私のこの痛みと苦しみを!」
そう、幽霊とは思えないほど野太い声が響いた瞬間、グラリと体が傾き、勢いよく頭が噴水の縁にぶつかる・・・・・・
「大丈夫かっ・・・?」
強い力で引き戻される感覚。私は今の一瞬に何が起こったかわからず、呆然と助けてくれた誰かにもたれていた。
「大丈夫ですか」
その声にゆっくりと顔を上げた。
「アル・・・・・・今の、見た?」
私は絞り出すような声でアルに問う。アルは形の良い眉を顰めて、心配そうに言う。
「・・・見ましたが、もしかしてお加減が悪いのですか? 体調が悪いのなら早く帰りましょう」
見ていないのか、幽霊は。
「体調は大丈夫。助けてくれてありがとう。・・・じゃあ」
私は走って帰ろうとしたが、体に力が入らないのと、昨日の捻挫で思うように進めない。見かねたのかアルが手を差し伸べたが首を横に振る。
「いい、大丈夫だから。一人で帰れるから。ここは一応私の城だし。それにあなたには触られたくない。あなたには関係ない。幽霊なんか信じなくて、何にも見えない人には関係ないんだから!」
私はそう叫んで、できる限りの全速力で歩いた。アルは私の言葉に驚いている。幽霊なんて言葉が突然出てきたら驚くでしょうね。急に叫んで、子供じみてたかしら。
するとそこで、また、さっきとは同一人物たちなのかは知らないが、女性たちがやってきてアルを取り囲んだ。これを良いことに私はさっさと帰らせていただく。ああ、なんで足を捻ってしまったんだろう、本当に。
そう、今夜わかったこと。私が噴水の縁に頭をぶつけそうになったのは、多分幽霊が、自分の死ぬ直前の体験を味わわせたかったのではなかろうか。こんなにも私が苦しんだのだ痛かったのだ、と。いわば引き込まれたのだ。そして例の怪事件もあの幽霊の仕業だろう。そうだとしたら辻褄が合うのだ。