大川千尋の独断総括ノート・さらば大川千尋の巻
今回は花言葉の勉強を。
オダマキ、花言葉は”愚か者”
ボケ、花言葉は”単純”
ユキヤナギ、花言葉は”愛嬌”
そして……ミヤコワスレ、花言葉は”しばしの別れ”
──大川ちひ……ハックシュ!
あっ、ちょっ、花粉が鼻に入っ、ハックシュッ!
繁華街のこじんまりとしたバーに、ふたりのスーツ姿の女性がカウンター席で横並びになって座っていた。県警捜査一課の刑事、大川千尋と藤野愛美である。
「……それで、肩は治ったの?」
数時間前にバッティングセンターで思い切りバットを振り回し、肩を痛めたという千尋に愛美はいった。
「とりあえず、なんとかね。サロンパス両肩に三枚ずつ貼ったおかげかな」
「そんなに貼ってどうするの。というか、三枚も貼ったら肩からはみ出しちゃうでしょ」
「大丈夫、重ねて貼ってるから」
「重ねたら意味ないでしょ!」
千尋と愛美がそんな話をしていると、店内にスーツを着た角刈りの若い男、県警捜査一課の新人刑事である堂本渡が入ってきた。
「どうも、お疲れ様です」
「あっ、堂本くん。堂本くんも飲みに来たの?」
愛美が渡のほうを向いていった。
「いえ、二宮さんから大川先輩に伝言があって」
「ニノから……?」
渡はスーツのポケットから紙切れを出すと、それを千尋のカウンター席に置いた。
「二宮さん、ちょっとバッティングセンターを貸し切ったみたいで、その請求書です。代わりに払って欲しいみたいです」
愛美が請求書を手に取り、その金額をみて目を丸くした。
「わ、バッティングセンターの貸し切りってこんなかかるんだ」
「えっ、ちょっと待って、ニノは?」
「これを俺に渡して家に帰りました」
千尋が呆然としたまま、渡は店から出ようとした。
「それじゃ、お疲れ様です」
「うん、お疲れー」
愛美が渡にそう返したときだった。千尋が突然席から立ち上がり、「ちきしょーっ!」と叫んだのだ。
「ちょっ、千尋、他の人の迷惑だって!」
そういって愛美は急に興奮した千尋を宥めようとしたが、彼女は立ち上がったまま二宮の恨み言を口にし出した。
「あたしだって、血の通った人間なんだよ……なのにいつも顎でこき使ってさ……あたしは虫けらなんかじゃない……あたしは、あたしはーっ!」
「千尋!」
「先輩、落ち着いてくださいっ」
今にも暴走しそうな千尋を、愛美と渡が止めにかかった。
「二宮さんは先輩のこと、虫けらなんて思ってませんよ……彼は大川先輩のことを、一番の相棒だと思ってます」
「嘘だ」
「嘘じゃありませんっ」
「信じるもんかっ」
完全に人間不信に陥った千尋に渡はため息をついて、ポケットからひとつの便箋を取り出した。
「ならこれを渡しましょう。これは一週間ほど前に二宮さんから渡されたものなんですが……」
「堂本くん、それはまずいって」
愛美がそういって渡を止めにかかろうとした。
「それ、千尋にまだ見せるなって二宮くんに釘を刺されてたやつじゃ……」
「だけど今渡しておかないと、この人二宮さんを殺しかねませんよ!」
千尋に対する強烈な偏見を口にすると、渡は千尋に便箋を渡した。
「そのなかには二宮さんから先輩に宛てた手紙が入ってます。本当なら一週間後に渡すはずだったんですが……」
「なんで一週間後?」
「千尋、来週の今日、何の日か知ってるよね」
愛美は千尋にそう言ったが、千尋はいまいちぴんと来ていないようだった。
「先輩、覚えてないんですか……?」
「忘れちゃ駄目だよ、自分の誕生日!」
「あっ、そうだった!」
ふたりにいわれて千尋はようやく思い出したようだった。
「……その手紙は二宮さんから先輩へのバースデーカードです。それを読めば、二宮さんの気持ちが判るはずです。読んでみてください」
「ふん。そこまでいわれたら、読むけどさ」
千尋はしぶしぶ便箋を開けて、中身の手紙に書かれている文を音読した。
「ええと……おたんじょうび、おめでとう、かっこわるいなんて、わるぐちもほどほどに、ちきゅうというほしにうまれた、ひをおいわいします、ろうそくをケーキに刺す理由ってなんだろう、二宮より……」
手紙を読み終えると、千尋は鼻で笑った。
「なんなの、これ。ひらがなばっかりだし、へんてこな文だし」
「もう一度読んでください」
渡がいった。
「もう一度って、何度読んだって同じだよ、こんなの」
「読みかたを変えてください。ほら、見直して」
渡にそういわれて、千尋は手紙の全文を読み直した。
”おたんじょうび
おめでとう
かっこわるいなんて、
わるぐちもほどほどに
ちきゅうというほしにうまれた
ひをおいわいします
ろうそくをケーキに刺す理由ってなんだろう
二宮より”
「気づきませんか」
「気付くって、ぜんぜん判んないよ」
「普通に読むんじゃなくて、読み方を変えて!」
渡と愛美にそういわれながら、千尋が手紙をじっくりをみつめた。
すると何かに気が付いたのか「あ、ああっ」と声をあげた。
「こ、これって!」
「そうです、あいうえお作文です」
「それぞれの分の最初の文字を読むと、おおかわちひろ……千尋の名前になるんだよ」
「だけど、こんなことって……」
手紙を見つめて愕然とする千尋に、渡が「先輩」と声をかけた。
「バースデーカードにあいうえお作文を送る人がどこにいるんですか! 幸せな人ですよ、先輩は」
「……二宮くん、本当に千尋のこと好きみたいだよ。最高の相棒だよ、彼は」
「だからもう二宮さんのこと、悪くいわないであげてください」
そう優しくいうふたりの言葉を受けると、千尋は涙を潤ませた。
「二、ニノ……大好きだーっ!」
そう叫ぶと、千尋は再び手紙を読み返した。
「おたんじょうび、おめでとう、かっこわるいなんて、わるぐちもほどほどに、ちきゅうというほしにうまれた、ひをおいわいします、ろうそくをケーキに刺す理由ってなんだろう、二宮より……なんて素敵な文なんだろう」
「……なんか、調子いいなあ。さっきはあんなに文句つけてたのに。それに文の最後のほう、ちょっと飽きちゃってる感じあるし」
「”ろ”から始まる文はちょっと難しいですけど、かなり苦しいですよね」
「何言ってんの、ノーベル文学賞狙えるくらいに最高の文じゃない!」
「まあ、幸せならそれでいいけどさ……」
「ありがとう、堂本くん。わざわざ届けてくれて」
「いいんです、ちゃんと伝言は伝えましたから。覚えてますよね?」
「うん、ちゃんと請求書のお金、振り込んでくるから」
「それじゃ、これで失礼します」
そういって帰ろうとする
「もう帰る? 堂本くんも一緒に飲もうよ」
「いえ。俺、これから二宮さんの家に行かなくちゃいけないんです」
「えっ」
「えっ」
「あっ」
千尋が呆然とすると、渡は「しまった」といいたげな表情を浮かべた。
「堂本くん、これから二宮くんと用事があるの?」
愛美が恐る恐る渡に尋ねた。
「いや、これから二宮さんと一緒に映画を観に行くんで、家まで迎えに行くつもりだったんです」
「い、一緒に映画……」
千尋はぽかんと口を開け、手からバースデーカードを落としてしまった。
「あの……先輩も一緒に行きますか? 席埋まってて観れないかもしれませんけど」
渡がそういうと、千尋はカウンターの上にあるグラスをみた。そしてグラスに手を取ると、その中身を一気にぐいと飲み干した。
「……げほっ、げほっ、げほっ!」
急に咳き込み始めた千尋に、愛美と渡は困惑した。
「ちょっと、どうしたんですか先輩っ」
「たぶん気管支に入ったんだろうね……千尋、大丈夫?」
愛美はふらふらとよろめく千尋の身体を抱えて訊いた。
「な、なんだか飲みすぎて気持ち悪くなってきた……」
「もう、何やってるの……」
そういって、愛美は千尋を抱えたまま外のほうへ連れて行こうとした。
「堂本くん! ちょっと千尋を外の空気に当たらせるから、そこで待ってて!」
「えっ、そんなっ」
愛美に引っ張られながら、ずるずると引きずられてゆく千尋。渡はそんな千尋に向かって声をかけた。
「先輩! ちゃんと戻ってきてくれますか!」
それを聞いた千尋は抱えられながら渡のほうに向かって小さく手を振ると、彼女たちは街灯が照らす外の街へと去っていったのだった。
「さらば大川千尋の巻」 完
この事件は創作であり、大川千尋は架空の刑事です。