マストカ・タルクス⑬『サリバン族』と『アラート山麓の戦い』の話
戦争シーンは難しい……。
ハルハン人って何者かって? ハルハニア(ハルハン人の国)に住んでて、ハルハン語を話して、ハルハン神話を信じてる……てわけではない。
クノム人の住んでいる地域の北の方にある寒い草原地帯を雑に『ハルハニア(草原の土地)』と呼んでいるだけなんだ。
そこに住んでいる色々な『蛮族』を大雑把に『ハルハン人』と呼んでいるに過ぎない。つまりまあ、差別表現ってわけ。
俺達がサリバン族の村を訪れてから数か月後。
『マムール州』の『アラート山』の麓、広い平原にアラトア軍が到着した。すぐに陣地の建設にとりかかる。
兵の数は5000。歩兵が4800弱、戦車(戦馬車)が50台。
『戦馬車』とは戦場で兵士を載せた馬車のことだ。馬車には3人の兵士が乗って、1人が馬を操り後ろの2人が弓矢を放つ。馬車は木製で鉄の板を貼ってある。
歩兵の武器は剣と長槍。弓兵も勿論いる。着ているのは革鎧、盾は持っていない。
とにかく防具は最低限で機動力重視、相手が鬼族だかららしい。
あと軍人には数えられていないが、シュナが率いる『魔術師部隊』が50人ほどいた。
ここは総司令官のテントの中。
「諸君らには何度でも言っておきたい。今回の敵は鬼族だ。我々と同じように槍や弓で戦うテール人の軍隊とはわけが違う。何が違うか分かるかマストカ?」
テントの中で並び立っている将軍達相手に演説している父上にいきなり話を振られた。俺はしどろもどろになって、
「え、えっと……力が強い?」
将軍達が苦笑した。だけど父上は真面目な顔で、
「それも正解の1つだ。鬼族は片手で人間の頭を潰せるくらいのパワーがある。戦車には鉄板も貼られているが、恐らく鬼族が使う強弓の前には無意味だろう。やつらの弓は城壁を破壊する力がある」
将軍全員が固まった。
実はここにいる将軍(貴族)達は全員鬼族と戦った経験がないのだ。
「さらには鬼族は実は馬と同じスピードで走れる。だから鬼の歩兵は全員あの巨体でこちらに突進してくるのだ。普通の人間ならそれを見ただけで戦意喪失する。魔術師達には既に『恐怖を消す薬』を用意させてあるから君達も後で飲むように」
父上のその言葉と共にシュナと魔術師達が大鍋で煮込まれていた『恐怖を消す薬』を持ってきた。
なんだか黄色くて粘りけがあって……カレーみたいな香りだな。
さすがに実物を見ると違うな……全員が生唾を呑み込んだ。
「さらに、もう一つ重要なことがある。人間同士の戦争なら捕虜が発生するが、鬼族との戦争にそんなものは無い。捕虜だけでなく、逃げ遅れた負傷兵、戦場に転がる死体、全て連中の食糧になることを覚えておけ。特に連中は生肉を好んで食うぞ」と父上。
貴族の中で気の弱そうな何人かが震えだす。全員顔が真っ青だ。
父上がまた俺を見て言った。
「怖いのならなおの事、そこの薬を飲め。特に今回戦うのは鬼族の中でも戦闘訓練を受けて従軍経験も豊富な『戦士』階級だ。戦いは熾烈なものになるだろう」
その時、俺の中に何が『ブワァッ』と湧き上がってきた。
猛烈にワクワクしてきたのだ。
闘争心というやつだろうか、自分が原因のはずなのに本当に勝手だと思う。
俺は咄嗟に『薬なんていらない!』と叫びそうになった。
だけど、父上の静かな目を見てすぐに冷静になった。
「それでは俺が最初に失礼します……」
そういってシュナから器を受け取り、鍋から薬を掬って飲んだ。
それを見て将軍たちもぞろぞろとコップを受け取って薬を飲む。
確かに不思議と身体の震えがなくなった。やばい鬼族の戦士も『まあなんとかなるだろう』的な感情が湧いてきて気が楽になった。
「これ絶対やばい薬なんじゃ……」
「ふふ、恐怖を感じない兵士だなんて、きっと鬼族は怖くて仕方ないでしょうね。そういう意味ではとても『やばい』薬ですわ」
シュナが冗談を言う。俺が笑おうとして、すぐに笑いが消えた。
「……若殿は緊張してるんですか?」とシュナ。
「いや、ていうか、その、俺のせいですっごい大事になったなぁって……」
シュナが『なぁんだそんなことですか』と笑った。
「若殿、ここに居る貴族達はなぜ普段贅沢な暮らしが出来ているのか分かりますか? 簡単です、こういう時に戦うからですわ。若殿も貴族らしく戦場で散ってくださいませ」
「う、うん、頑張る……って散ったらダメだろ!」
シュナが笑った。気が付くと将軍たち全員がじっとこっちを見ていて恥ずかしかった。
アラトア軍の数が5000に対して、鬼族の兵士の数はわずか100匹程度だった。20人ずつ5つの部隊に分かれて横一列に布陣していた。
「随分と少なくない?」
高台から平原を見ながら俺が聞くと、アルヘイムが首を振り、
「いいえ、こちらが不利ですね。対鬼族戦のセオリーは『鬼の100倍の兵士をぶつけろ』です。50倍では心もとなさすぎます。シュナーヘル率いる『魔術師部隊』が頼りですね」
「そんなに鬼族って強いの……?」
「鬼族の戦士は本当に恐ろしいのですぞ……とにかく鬼兵は耐久力と突進力が強みですので、それを殺す作戦を取ります。兵士達に槍ぶすまを作らせて鬼の突進を迎撃するのです。そして馬車と魔術師部隊は側面に回り込んで包囲する、そんな所でしょうか」
「おお! いいね! それならかなりうまく行くんじゃないか?」
「うまく、ですか……犠牲者がせめて5割を超えないことを祈りましょうぞ」
アルヘイムは憂鬱な顔をしていた。
良く晴れた午後、アラート山の麓で後に『サリバン戦役』と呼ばれる小規模な戦争が始まった。
「UGOOOOOOOOOO!」
アラート山を背に布陣する鬼達の前衛は全員(人間の)皮の鎧に巨大な斧をもっている。防御力は特になく、こちらを怯えさせるのが目的だ。真ん中の部隊の後ろの御輿の上にサリバーン王が座っていて吠えた。
1匹だけ前に出て来たバルビヌスが叫ぶ。
「誇り高き古の英雄の血を引く『サリバーン族』の戦士達よ! 叫べ! 唸れ! 戦え! 今宵は神々の饗宴ぞ! 死せば天界で清き血を、殺せば地上で勝利の美肉を! 殺しては食らい、食らっては殺せ! か細い人間どもを皆殺しにしろおお!」
鬨の声と共に鬼族の戦士達が土煙を挙げて突進してきた。
アラトア軍は密集方陣で布陣していた。こちらも部隊は5つに分けられ横一列に並び、最右翼に戦馬車と『魔術師部隊』が居た。
整列して武器を構える兵士達に向かって、父上が最後の発破をかけた。
「諸君らはこれから鬼族と戦う。恐らく将兵全員が鬼族と戦争した経験がないだろう……やつらは岩を砕き城砦を破壊するほどの力を持っている」
兵士たちは無表情だった。父上がすかさず叫ぶ。
「しかし! 所詮やつらは動物と同じ! 突進するしか脳のない連中だ。地上を支配していた『マムール帝国』軍相手に戦った『英雄イヒルナス』を思い出せ! 彼は折れた剣とくたびれた服だけで氷原の土地で勝利をおさめた! なぜ勝つことができたか? それは己の弱さを知っていたからだ!」
兵士たちが顔を上げる。どよめきが広がり、父上はそれに乗るように身振り手振りを交えて叫ぶ。
「我らもまたイヒルナスの勇気と知恵を継ぐものだ! 鬼族の力が強い? 人間を食う? それがどうした、殺してしまえばなんてことはない! 一片の容赦なく手加減せず、一切の魔族どもを斬り滅ぼせ! 死しても進め、死ぬために進め! 軍神マヨールスは我らに勝利を約束しておられる、勝利と栄光の果てまで進撃せよ! 構えぇ!」
前方を見れば鬼達が突進してくる。兵士たちが興奮し、鬨の声を挙げながら槍を構えた。
鬼の部隊がアラトア軍の壁に激突した。
両軍が陣形を保っていたのは最初だけで、すぐに平野は乱戦状態に突入した。
鬼族の戦士が斧を振り回すとアラトア兵が吹き飛ばされて兵士の壁が崩れる。さらには強弓の矢が飛んできて2~3人の兵士がくし刺しにされた。
突進してくる鬼に踏みつぶされ、斧で盾ごと両断され、殴り潰されさらには食われ、血しぶきと臓物が地面を赤く染める。
鬼の怪力はすさまじかった。少数の鬼兵に突撃されてアラトア軍の陣形があっちこっちで分断されてしまう。
だけど人間側も負けてはいない。
1匹の鬼に何十人もの兵士が群がって剣や槍で刺しまくり、執拗に矢を浴びせる。戦場のあっちこっちで槍や剣でハリネズミみたいになった鬼の死体が転がった。
さらに兵士たちは殺した鬼の死体を分解し、分厚い肉の盾として再利用した。鬼達は仲間の死体を侮辱されたことに激怒し、無理に突っ込んできて人間達にハリネズミにされる。
『戦馬車』部隊も鬼軍の側面に回り込んで攻撃をかける。するとサリバーン王を始めとする鬼の魔術師達の魔法攻撃を食らって大打撃を受けた。その間にシュナ率いる『魔術師部隊』が鬼族の後ろを遮断しに動く! 魔術師同士の激しい集団戦に移行した。
「GUOOOOOOOOOO! みつけたぞ小僧ぉ!」
戦場を駆けまわっていた俺の目の前に血みどろのバルビヌスが襲い掛かって来た。あの血は全て返り血だ。
「俺は小僧じゃない! マストカ・タルクスだ!」
「小僧で十分だ! 死ね!」
バルビヌスの突進を避けると、あのナイフのような大斧が襲ってくる。
ブゥウンッ!
だが地面に転がってギリギリ避ける。同時に踏む潰そうと飛んできた足も避け、背後に回り込みながら足の筋を斬る。
普通の剣なら刃は通らないだろうが、『星空の剣』なら簡単に鬼の肉を切れるのだ。
「小癪なぁ!」
だが筋を斬ってもバルビヌスの足は止まらない。そのまま回し蹴りが飛んできたので堪らず距離をとると、勢いでこちらに振り返り、さらに力いっぱい地面を蹴った。
ドゴォン!
鬼の怪力で地面の土がめくれ上がり、土砂が大砲のように俺に向かって飛んできた!
そんなのありかよ!?
「ぐはぁ!」
盾にした魔法剣は折れなかったが、吹っ飛ばされて一瞬目が回った。
「ぬぅ!? 魔法剣か!? 生意気な人間め!」
すぐに回復して斧の一撃を避けるが、それを予測して飛んできた鬼の手が俺の服の袖を掴む。
「チッ!」
すぐに袖を斬って距離をとろうとする。だが既にバルビヌスは斧を振り上げていた。
(この大振りは囮だ! 避けたり距離をとろうとすると蹴りや拳が飛んでくる! 鬼にしてみれば素手でも殺せるから武器に拘る必要がないんだ!)
しかも多少斬られてもびくともしないから大胆にカウンターが狙える。バルビヌスが俺の動きを注視しながら斧を振り下ろしてくる!
だが、鬼だからこそ、圧倒的なパワーを持っているからこそ絶対にでない発想がある。俺が勝てる方法が1つだけある!
俺は縦に打ち下ろされる斧を、頭上に剣を構えて受け止める構えになった!
バルビヌスが一瞬困惑したが、躊躇わず斧が魔法剣に当たり……、
そのまま剣の表面を滑って地面に斧が食い込んだ。
「ぬぅ!?」
剣を斜めに構えて、真っすぐ落ちてきた斧の力を斜めに逸らしたのだ。これなら斧のパワーに真正面からぶつからないから剣も折れない。
なんでもパワーでゴリ押しする鬼族には絶対に出ない発想、アルヘイムから教えられた秘奥義だ!
そのまま剣をしっかり握りなおし、バルビヌスの喉を掻き斬った!
「GUOOOOOAAAAAAA!! この私があああAAAAAA!!」
バルビヌスが絶叫し倒れ……なかった。
足を踏ん張り、血を吹き出しながらもまだ斧を構えている!
どんだけ耐久力があるんだよ!?
「GURRRRRR、私の喉を斬ったのはお前が初めてだ! GUOOOOOO!!」
ドシュンッ!
バルビヌスが俺に向かって突進しようとしたら足元から電光が噴きあがった。
「ぬぅ!? 魔術師か!?」
魔法が飛んできた右手を見ると、そこにはシュナーヘルが率いる『魔術師部隊』が居た!
「鬼族後方の魔術師達は我々が潰滅させましたわ! サリバーン王もすでに逃亡しています、バルビヌス殿も早々に投降してくださいまし!」
「何をやっている! 戦士達よ、魔術師どもを殺せ!」
バルビヌスの叫びで近くで戦っていた鬼族の戦士達がシュナの所へ突撃してくる。
「あらあら……全員構えぇ! 撃てぇ!」
対してシュナの合図とともに魔術師達が一斉に『雷光の呪文』を放った。麻痺の魔法の一斉射撃を食らって動けなくなる鬼族達。
鬼兵達が今度は強弓で応戦する。だが、『魔術師部隊』は『使い魔』を横一列に並べて壁にして防ぎ、その後ろから『雷光の呪文』の弾幕を張って鬼族を後退させ始める。
麻痺して動けない鬼が移動する『使い魔の壁』の内側に引き込まれ、中で待ち構えていた歩兵達に八つ裂きにされた。
まるで動く大砲付きの要塞である。『魔術師部隊』の『火力』に負けて鬼族達が敗走し始めた!
「GUOOOOOO!! おのれぇえええ!!」
バルビヌスは悔しさの余り絶叫し、いきなり『魔術師部隊』に向かって突進した!
それを冷静に迎撃する魔術師達。だがバルビヌスはいきなり空高くジャンプし、そのまま『魔術師部隊』の後方に着陸し、全速力で戦場を離脱していった。
「邪魔だぁ! どけぇ!」
バルビヌスはあっという間に見えなくなった。
に、逃げやがった……誇り高き戦士じゃねぇのかよ!
「ふふ、さすがは鬼族最強の戦士。勝てない戦いには決して乗らない、死なない限り絶対に負けることはない。引き際の判断が素晴らしですわ」
シュナがそう言いながら俺を『使い魔の壁』の内側に引き込む。
「敵を褒めてる場合か!」と俺。
シュナがほほ笑んで、俺を治療する。
「まあまあ。歩兵と戦馬車では負けましたが、魔力では勝ちましたわ。敵の大将も既に逃げてしまっているので、残った鬼達を掃討しましょう」
『魔術師部隊』のもとに健在な兵士たちが集まってきて、陣形を立て直し始める。
「『光は鎖! 撃てよ雷霆!』」
シュナが前方に雷光を放ち、動けなくなった鬼を兵士達が狩っていく。『魔術師部隊』の攻撃の前に鬼達はなすすべなく打ち倒され、あるいは逃げ出していった。
わずか半日程度の戦いで、勝利の神はアラトア軍を祝福した。
アラトア軍は古代ギリシャのファランクスのイメージです。
『魔術師部隊』の戦法だけは近代の中央アジアの遊牧民が使っていた『駝城』を参考にしてます。時代が滅茶苦茶ですね(笑)
鬼族は割と脳筋なので魔法使いはいるんだけど、うまく戦場での運用が出来ていないのでとりあえず後ろにいるサリバーン王の周りを守っているという配置になってます(補足)