<3>てけり、てけりり
「どうぞ、お入り下さい!」
「は、はぁい!失礼しますぅ!」
コンコンと二回のノック音と共に姿を現したのは、あの少女だった。まあ少女というには少々歳が行っているかもしれない。現に星野よりも一回り、いや二回りは大きいのだし。そんなことを考えていると隣から視線を感じたので、そっと反対方向へと目を逸らした。
少女が緊張を隠しきれず、カクカクとした動きで部屋に姿を現すと、落ち着かない様子で椅子に座り込む。少女は私物なのかはわからないが、白のワンピースにツギハギで灰色のフリル付きエプロン……いわゆるメイド服姿であった。ご丁寧に胸元には「しょーこ」と名札が貼られている。どちらかと言うとコンセプトカフェの服装に近いとも見えるが、にしては装飾が落ち着いていた。頭には同じくツギハギの三角巾が付けられており、ぼさぼさの長い黒髪は適当に後ろに流していた。
星野はその様子を吟味しつつ、ちょうど持っていた大学の教科書を下敷き代わりに、要らなくなったプリントの裏になにやらメモを書いている。
「じゃあ改めて軽く自己紹介をお願いしましょうかねー!」
「はぅ……て、輝花里咲子といいますぅ……」
星野がノリノリで質問をする中、伊代はぼうっと外の景色でも眺めていた。
六月にもなると雨の日が増え湿気が鬱陶しい。窓の外では、赤紫の紫陽花が大粒の雨に降られ重たげに揺られていた。交番の前にできた大きな水溜まりに、カッパ姿の子供数人がはしゃぎながら自ら入って行くのが見える。
「__?伊代!ちょっとー?」
「え、あ、ああ。志望動機はなんです?」
「私はぁ__」
何度目かもわからない面接練習に付き合わされ続け、伊代はそろそろ嫌気が差してきた。
何故自分がこんな面倒なことに巻き込まれているのか。時は遡ること__
-
「……えっと、つまり?ドジすぎて仕事が続かない、とー?」
「は、はぁい……」
めそめそと泣き出すのを必死に堪える少女、咲子は公園のブランコに揺られながら答えた。同じくブランコに揺られつつ、地に届かない足をばたばたさせながら、星野は咲子に向き合う。伊代は腕を組みつつブランコの柵に腰を落としていた。
夕暮れの公園にはまだまだ日が長いからか、未だに人の姿がある。とはいいつつも時間的に子どもの姿はあまり無くなっていた。
「私ぃ、何をやってもダメダメでぇ……」
「えっと……ちなみに先程は何故辞めさせられたんです?」
「え、えへへぇ、すこーし勢いが余ってしまってぇ……コーヒーマシンを粉々にしちゃってぇ……」
「うん何してんだお前!?」
「ひ、ひゃー!ごめんなさいいい!」
「ちょっと伊代ー!?かわいい女の子に対してなんて仕打ちをー!」
だとしてもだろう。伊代はてっきり手際が悪すぎるとか、皿を割ってしまっただとか、そういうのを考えていた。彼女に至っては接客態度が悪いとかはあるまいし。だが粉々に備品破壊などたまるものか。
「そ、そんなぁ、私はかわいい女の子じゃ__」
「ちなみになんですけどー、コーヒーマシン破壊って何したんです……?」
「ええっとですねぇ……赤いランプの点滅がずっとしていたのでぇ……た、叩けば直るかなぁってぇ……」
「うん何してんですかー!?」
「ひ、ひゃー!ごめんなさぁい!」
「ほ、ほら?でもあれですよ。叩いたぐらいで破壊されるってことは元から限界だったのでは__」
そもそも叩いただけで壊れたのなら、元から何か問題があった可能性もある。そうだ、きっとそうに違いない。
新品だろうが何だろうが、機械というものは案外脆いのだ。そんなこと、機械いじりが趣味の伊代にはよく分かっていた。言っていて自分でも「無理がある」なんてことはわかっているが。
「ああ、いえ。新調してまだ一週間ぐらいでぇ……」
「じゃ、じゃー!あれですー!粉々といってもちょーっと修理するぐらいの__」
必死に言葉を選ぶ星野。新品の機械が多少壊れた程度なら、まだ救いようがあるというもの。そう、多少なら。
「えっとぉ……その。文字通り粉々にぃ……」
咲子は申し訳なさそうに、両手の人差し指をつんつんと突き合わせ困ったように眉を下げた。本人に悪気はないらしい。少なくとも、嘘をついているようには見えなかった。だとしても人間業ではない。
「それは何をどーなったらそーなるんですか!?」
「あうぅ!」
嘘であればよかったものを。星野は思わず勢いよくブランコから飛び降り、伊代はゆっくりと目を閉じた。
夕暮れの公園は平和だった。帰宅途中の子どもたちの笑い声が遠くから聞こえ、風に揺れる木々の葉がさわさわと音を立てている。
どうして自分はこんなにも平和な夕暮れに、コーヒーマシンの破壊経緯を聞かされているのだろう。頭が痛い。
「ま、まあ?き、きっと次がありますからー?ねー?」
あまりにも希望的観測だ、と伊代が続けようとすると、必死にこちらへ目配せする星野に気がついた。
どうやら黙っていろとのお達しらしい。
「それがぁ……そもそも面接すら通らないことが多くぇ……あの喫茶店だってすっごく人手不足だから働かせて貰えたってだけでぇ……」
「そもそも面接が通らないとなると何かしらの問題があるように……いや通ったとしても問題しかないように見えますが……」
「うぐぅっ!」
まあまあまあ、としょげた咲子を励ましつつ伊代におい、という目で見る星野。伊代は組んでいた手をひらひらと振り仕方がないだろう、と訴える。否定できるはずもない。
「だとしてもー!ですよー!下手な電気銃数打ちゃ当たるんですよー!」
「より物騒にしてどうするんです?」
「だから数をうちまくりましょー!きっとそのうち通りますし、次気をつければいいだけじゃないですかー!」
星野は通るまで何度もやればいいだけだと、咲子に手を差し出した。相変わらずのお節介野郎である。だがこの咲子とやらの存在は伊代も無視はできなかった。
咲子は目を輝かせると喜んで手を取ろうとして……やめた。
「そう言ってくれるなんてぇ……お優しいんですねぇ!私ぃ、もうちょっと頑張ってみることにしますよぉ!」
「……えー!?そこは手!手を取って言うセリフではー!?」
「だってそんなことしたらあなたまで壊しちゃうじゃないですかぁ!」
輝花里咲子の正体はショゴスである。
◆
ショゴス。大昔に地球に飛来した古のものが、都市建設のための労働力として創り出した生命体。今日のスライムの元となった存在であり、15フィートの粘液状の身体に、漆黒の中に光る玉虫色の無数の目が特徴的。ウボ=サスラの細胞からつくられ、“このショゴスの細胞を元に、人類を始めとする様々な動植物が地球上に誕生した”ともされている。自身の身体にどのような器官でも自由に形成でき、他の生物に似せることもできる。
かつては古のものに奴隷として扱われていたが、次第に脳を形成し知能が発達したことで反乱を決行。奴隷から脱却したはいいものの、自身らも地下深くやとある山脈に封印されてしまった。
しかし中には封印を免れ、奉仕種族の本能として主人を求めるものもいるようで__
◆
「__中々にいい感じじゃないですかー?伊代はどう思いますー?」
「ノックは三回、許可が出るまで座らない、あと目線は……」
「ひゃ、ひゃん」
「ま、まあまあまあ?明らか良くはなってるじゃないですかー!?」
「……まあ、そうですね」
それからしばらく経ち、交番にて。面接官になりきる星野、呆れながらも手伝いをする伊代、そしてパイプ椅子に項垂れる咲子の姿があった。不定期に集まり練習をしたり、近況報告などをしているのだ。具体的に何の練習を?咲子の労働支援である。しかし何も練習は交番でやることではないだろう。何度もそう注意した気がする。星野が集まりやすいとかどうだとか言うせいだ。決して差し入れのカットメロンに屈したわけではない、決して。
とはいいつついい加減不法侵入で捕まえてやろうと考えていると、不意に声がかかる。
「その、伊代先輩。今大丈夫ですか?」
「橘?別に大丈夫ですよ。毎度申し訳ないですね、うるさい奴らが」
伊代が振り返ると、そこには水をさして申し訳なさそうな様子の橘の姿があった。星野らにもう少し静かにしろ、というか来るなとちゃんと通告しようとするも、橘に慌てて止められる。
「そんなそんな!賑やかでいいじゃないですか!硬い雰囲気だとなんだか暗くて嫌でしょう〜」
「いや交番に柔らかい雰囲気求められてないだろ……それはそうとどうかしました?」
「どうやら三丁目の方で喧嘩騒ぎがあると通報を受けまして。僕の方はちょっと手が離せなくて……伊代先輩に確認を頼みたく……」
「ええ、もちろん」
どうやら喧嘩騒ぎが起きているらしい。この間のことがあったというのに、物騒な事件ではなくて良かったと少しだけ思ってしまう。仕事とならばこんなごっこ遊びをしている暇はない。
「あなた達、聞きましたよね?なので今日は解散__」
「えぇー!?……はぁ、なら仕方がないですねー」
「何かこの後用でも?」
「まあ少しー?いい加減レポート出さないと単位貰えませんからね……きりもいいところですし私はそろそろお暇するとしましょーか」
星野は素直に引き下がると、いそいそと教科書やらプリントやら飲みかけのペットボトルやらを雑にバッグに突っ込み始めた。ぐしゃり、と紙の音がするが聞かなかったことにする。
「……珍しく素直ですね」
「珍しくとはなんですかー!?可愛い女の子に向かってー!?」
「そうですよ伊代先輩!星野さんはこんなにも伊代先輩が__」
「やめてくれ橘お前が入ると紛らわしい!!」
「えぇ!?」
理不尽に橘にヘイトが向けられるが、伊代は申し訳ないとも思わなかった。今のはお前が悪い。ついでに今に見ておけと星野を睨みつけてやると、星野は慌てた様子で立ち上がる。
「あ!えーと、私!レポートがあるんでー!あはは!今日の練習会はここにて終了!ということで!解散かいさーん!」
こちらを振り返るべくもなく星野は颯爽と交番を後にした。まったく、危機察知能力に長けたやつだ。伊代は取り出しかけた電撃銃をそっとしまう。
取り残されたのはため息混じりの伊代と苦笑いの橘。そして、呆けたままの咲子。
「はわぁ……え、えっとぉ……?」
「あー、うん。という訳で今日は終わりということにしましょう。じゃあ橘、この場は任せましたよ」
「は、はーい!任せてくださいよ、先輩!僕が完璧にこの場を__」
「この間、鍵閉まってなかったぞ」
「……え?」
-
自転車で街中をかけていく。幸いにも雨は既に止んでいた。しかしながら依然として形跡は消えることなく、地面には無数の水溜まりが残っている。濡れた地面をタイヤが滑る。危うくバランスを崩しそうになるが、転倒まではいかず胸を撫で下ろす。
すると何の変哲もない住宅街の一角で、人だかりができていた。恐らくここが現場に違いない。伊代が人だかりをどうにか押し退け、輪の中に入る。そこでは男二人が言い争いをしていた。
「あの、すみませ__」
「おい!聞いてんのかよ!?お前のせいで!!」
「はぁ!?ふっざけんな!!どこ見て歩いてやがんだよ!!」
伊代が口を挟もうにも矢継ぎ早に続けるものだから喋ることもままならない。伊代は頭を搔くと、一旦周りを取り囲む見物人の意見でも聞くことにした。興奮している男らに割って入るのも馬鹿らしいので。
きょろきょろと周りに目を凝らすと、いかにも噂好きそうなおばあ様と目が合った。彼女もこちらに気がつくとものすごい勢いで伊代に迫り、あれよあれよと手を引かれる。
「あ、あの!?通報を受けて来たんですが……」
「あぁ、お巡りさん!私が呼んだのよ!ごめんなさいね、こんなことで。でもこんな調子でずぅっとやってるものだから。何とかしてちょうだい!」
「は、はい……?」
話を聞いてみると、水溜まりの水が跳ねて服についてしまったと、そういう話らしい。なんともありきたりな話だ。よりにもよっていい服だったとか、わざとではないとか、ずっとやっているらしい。
面倒な揉め事であるものの、明確に悪い人などおらず、正義は誰かにとっての悪にもなる。そんなことを改めて突きつけられるような話だった。そんなの、嫌でもわかっている。
「まぁ、難しい顔をして大丈夫かしら?」
「ああいえ、失礼しました。ちょっとお話聞きに行ってみますね」
成り行きもわかったことであるし、きちんと解決しなくては。その為にもまずは、この二人を落ち着かせなければ。声を届かせるために声を荒らげようとする。
「あの!すみませんが!落ち着いて__」
「あのぉ……伊代くん……?」
「え!?」
「わぁ!?」
真後ろから声がかかり、思わず素っ頓狂な声をあげる。後ろを慌てて振り返って見てみると、そこに居たのは先ほど交番に置いてきたはずの咲子の姿があった。
「咲子さん……?なんでここに!?」
「えぇっとぉ、そのぉ。橘くんがこの後雨が降るから……と伊代くんに傘を持っていくように頼まれてぇ……」
どうやら橘の回しもんらしい。確かに咲子の手には二本のビニール傘が握られていた。 空を見上げると暗雲が立ち込めている。早く解決しないと降られてしまうことだろう。
「それはどうも、ありがとうございます。」
「そのぉ……これはどういう状況なんですかぁ……?」
「それは__」
「さっきから横でごちゃごちゃうるさいんだよ!舐めてんのか!あぁ!?」
「俺らの問題なんだよ入ってくんじゃねぇよ!」
「ひ、ひぇー!ご、ごめんなさぁい!」
喧嘩していた男二人に同時に詰められ、咲子は涙目になりながら、何度も勢いよくぶんぶん頭を下げた。その度に彼女の髪が勢いそのままにぶんぶんと揺れ、周りに風……いや、強風が起きる。そんな簡単に超常現象を起こされたら溜まったものではない。急いで伊代は咲子を宥めた。
すると、不意に男の片方が様子を変えた。
「……なあ嬢ちゃん。そこの兄ちゃんと知り合いなのか?」
「……え?そうですよぉ!伊代くんとはお友達なんですぅ!えへへぇ、こんな私に色んなことを教えてくれるとってもいい人なんですぅ!」
咲子は照れくさそうに頬を緩める。男はしばらくそんな咲子を見つめていた。
「そうか……いい友人を持ったな、嬢ちゃん」
「貴方こそぉ!その方ととっても仲良しなんですねぇ?」
「仲良し……ね、はは!気が変わった!兄ちゃんの話聞いてやる。ほら、話せよ」
男は咲子の返答に思わず笑うと、伊代に話すよう促した。伊代だけでなく、先程まで言い争いをしていたもう片方の男も同時に困惑する。先ほどまでの険しい声が、嘘のように穏やかになっていた。
「え、ええ……?一旦二人とも落ち着いてください。順番にお話を伺いますから」
それからはトントン拍子に話が進んだ。片方が素直になると、残された方は怒るに怒れないらしい。わざとではないこと、申し訳なかったことを認め合い、無事に和解しその場が収束した。最初から素直にこうなれば良かったものだが、そんなことができたらこの世はもう少しましになっているだろう。
できていた人だかりは徐々にまばらになっていき、やがて無くなった。
「すまなかったな」
「……あー、俺の方こそ」
男らもそれぞれその場を去って行った。伊代と咲子だけがその場に残る。自分らも戻ろうと伊代が続けようとすると、ぽたり、と冷たい何かが頬を伝う。ぽた、ぽたとそれは量を増していく。頬に手を当て……なくてもわかる。雨だ!次第にざあざあとどんどん強くなっていく。
「きゃぁ、降られちゃいましたぁ!伊代くん!ほら、傘使ってください!」
「ありがとうございます、お借りします!」
「えいや。これ、伊代くんのらしいですよぉ?」
「あいつ勝手に僕のロッカー漁ったな……」
橘がウインクして「でも助かりましたよね?」とかほざいているのが容易に想像できた。後で覚えておけ。
咲子の手からビニール傘を受け取り、すぐさま開く。雫がビニールに弾かれ、ぱちぱちと音を奏でた。そのまま伊代は自転車を引きながら咲子と共に帰路に着く。
「傘、ありがとうございます。助かりましたよ、咲子さん」
「さん付けなんてやめてくださいよぉ!私たちお友達じゃないですかぁ!」
「それもそうですね。咲子のおかげで助かった、ありがとう」
「まあ元はと言えば橘くんのおかげですけどぉ……」
「あいつは……今はいい」
「えぇ……?」
困惑する咲子をよそに、伊代は言い切って見せた。日は傾きかけているものの、夏は日が長くまだまだ明るい、はずだ。今日は雨雲が空を覆っているせいでよく分からないが。
「そういえば……咲子って仕事を探してるんですよね?今はどこに住んでるんです?というか寝床にありつけて……」
「そこのところは大丈夫ですぅ!私住み込みで居させてもらってるのでぇ!」
「ああ、そうなんですね?なら仕事なんてわざわざ探さなくてもいいんじゃ?」
「えぇ!?嫌ですよぉ!私、まだ何も返せてませんからぁ……」
「そうですか。まあ、頑張ってください。少しぐらいならまた、手伝ってあげますから」
「……やっぱり伊代くんってツンデレですよねぇ?」
「なんでそうなる!?」
「冗談ですからぁ!」
全く誰の入れ知恵なのか。こちらも容易に想像できた。もしかしなくても星野だろう。余計なことを。そんな、なんでもない雨の日だった。だった、のだ。
不意に異音が響く。それは音というよりも音の形をしたナニカだった。ビニール傘に雨が弾かれた音でもない。はたまた自転車のタイヤが、伊代らの足が水たまりを踏む音でもない。
およそ吹鳴と思しきソレは、幅広い音調で辺りに渉る。単純かつ気違いじみた単語の繰り返しに終始していた。反復するたびに、同じ音のはずなのに違って聞こえた。始まりと終わりの区別がない。どこまでがひとつの単語なのかも分からない。それでもそこには明確な規則があった。人間の言葉とは異なる、しかし確かに何かを伝えるための規則が。
おおよそ人間には発音できないような単語、ソレに敢えて読みを付けるとしたら__
『テケリ・リ!テケリ・リ!』
「わぁごめんなさぁい!着信みたいですぅ!」
咲子はあたふたと懐をまさぐると、携帯電話を取り出し耳に当てた。電話を聞いてみるとどうやらアルバイトの当落通知であり……いや、それどころではない。
通話は案外早くに終わった。結果は言わずもがなだろう。咲子はまたもや泣きそうになりながら伊代の眼前に迫る。
「う、うわぁん!また落ちちゃいましたぁ……!」
「いやいやいや!待て!なんだその着信音!?」
「えぇ!やっぱり私らといえばこれじゃないですかぁ!?」
「だとしても冒涜的すぎんだよ!?」
明らかに不採用の理由に含まれそうなものだ。こんなもの人前で流されては溜まったものではない。もっと他の人間の正気度に配慮願えないものだろうか。
「いいから早く変えろ!これ以上落とされたくなければな!」
「は、はぁい……気に入ってたんですけどぉ、仕方がありませんねぇ……」
「気に入ってたのか……」
こうもやられると自分が相手しているものが人間ではないのだと、伊代は改めて気付かされた。星野で慣れているつもりであったが。
「あははぁ……またまた不採用でしたよぉ……」
「まあ咲子だって頑張ってるんですし、そのうち行けますよ。きっと」
「私みたいなドジショゴスじゃ皆さんの中に受け入れてもらえないみたいでぇ……」
「そんな卑下しなくても……そもそもショゴスって器用な方ではなくないですか?」
伊代の記憶が正しければ、ショゴスは元々知能はなく肉体労働のための奉仕種族として作られていたはずだ。それも暗示をかけられて。だから咲子が細かな作業に向かないのはそうだし、人間社会に適応できないのは仕方ないはずだ。はずなのだ。
「でもぉ……私だけじゃないですかぁ……」
「だけって……それだと既にショゴスが日常に溶け込んでるみたいになってますけど?」
何を馬鹿な、と伊代は続ける。冗談じゃない。まるで悪夢だろう。
しかし咲子の返事は想像を絶するものだった。何も悪びれる様子はなく、というか当たり前のように、咲子はきょとんと首を傾げて言った。
「……何言ってるんですかぁ?そうですけどぉ?」
「……は」
「そうですねぇ……例えばぁ……あぁ!今日お会いした喧嘩してた男性の方とぉ、あとは横で見ていた……おばあ様とかぁ!あの人達とかショゴスですよぉ?」
「……」
伊代の口から声が出ることはなかった。できなかった。
相変わらずこの街は狂っている。どうしようもないほどに。
警察官として街の異常を扱う立場にいるはずなのに、その街で暮らしている存在について根本的な認識が食い違っていた。伊代が理解していると思っていた世界そのものが、伊代の知らないところで成立していた。
「え、いやぁあのぉ!ほら、こう、世界征服!とかそういうのはしませんからねぇ!?」
「そういうことじゃないんだよ……!」
「伊代くん……」
いくら頭を悩ませようともどうすることも出来まい。伊代は全能な神ではないのだから。
ただの、人間なのだから。
ならば伊代は、伊代惟栖ならば__
「……まあ、いいです。少なくとも咲子は信用に値しますから」
「……は、はい!……はい?」
「まあ今後もあんな爆音で鳴き声を流されたら考えますけど」
「うぅ……ちゃんとマナーモードにしますからぁ!」
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今日は散々だった。毎度の如く面接練習に付き合わされるわ、面倒な喧嘩に巻き込まれるわ、雨には降られるわ。そして……この街の異常さを再認識してしまうわ。
伊代は一人、傘をさし路地を歩いていた。自転車は次に交番に行く時にでもよく拭くことにした。夏と言えどももう辺りは暗く、現在時刻が夜であることを知らしめる。明日は何をしようか、また呼び出されてしまうのか。そんなどうでもいいことを考えながら帰る……はずだった。
ふと、首筋に何かが当たる。何かが引っかかっているようだ。しかし引っかかるようなものなど周りにはあるはずもない。ここは森林などではないのだから。では一体何が?
伊代が足を止めゆっくりと手を近づける。すると何かが指に付着した。水ではない、どろりとしたそれは……伊代の血だ。
ようやく伊代は真後ろにいる何者かの気配に気がつき、理解した。何者かに刃物を突きつけられているのだと。
「……随分と手荒な真似ですね。人違いではないですか?」
「……人違いじゃない。お前に用があって来た」
「そりゃどうも。期待には応えられませんよ、僕はただの__」
「……イス人、だろう?」




