第四章•なにを信じるかーー㊀
みぎさは、手にしていた紙を、卓の上へ置く。
静まり返った部屋のなかーー窓の外には、淡く夕暮れの気配が漂っていた。
隣の肘掛け椅子に座るしなやは、先ほどからじっと、門警長の横顔を見つめていた。
黒い瞳がーー紺色の瞳を、真っすぐに捉える。
「どう思う」
若い相棒は、一度視線を離し、静かに息を吸うと、再び瞳を相手に、口を開く。
「〈察警〉の標語が、骨身に染みてます」
「『容易に信用べからず、油断なく疑うべし』ーー」
みぎさの低い声が、余韻をもって消える。
「例の〈丸石〉が回ったとき、《秘色門》は開かれた。 〈ヨウヨウレク〉ってのは、恐ろしいもんだ……」
「万が一にも、他の者に見られることがないよう、このあと紙はすべて、暖炉で燃やします。 一度文字にすれば、忘れることはないので、なにか不明点があれば、聞いてください」
しなやの淡々とした声に、みぎさは頷く。
「さすがは秀才だな」
冷ややかな目が、刺し睨むのだった。
「なんだよ、誇らしい相棒への、純粋な褒め言葉だ」
「ありがとうございます」
冷淡な声が響く。
「くれぐれも、最後までーー」
「最後まで、燃え残りがないよう、確認します」
門警長の声を遮り、相棒が言う。
今度はみぎさが睨む番に、心の内、舌打ちをするのだった。
黄昏の光に、深い沈黙が、部屋を包むーーー
ねぐらにかえる、カラスたちの鳴き声が、潮騒の如く、響き渡るのだった。
「〈ツル〉か、〈サソリ〉か、〈イタチ〉かーー」
卓の上にある紙を見つめ、しなやがつぶやく。
「〈ツル〉? 〈イタチ〉?」
「〈ホエホ〉のノバツ長老と、〈スフス〉のザイナ長老です」
しなやは真剣な声に、答えるのだった。
「ノバツ長老が〈ツル〉なのはわかるが、〈スフス〉のザイナ長老は、面識がないだろ」
「もちろん、想像です。 丸、四角ーーとくれば、残るは三角だろうと」
「あー……顔の形か。 おまえもおれの例え癖が、移ったな」
「移ってません。 今の状況では、隠語があったほうがより安全だと、判断したまでです」
門警長は、若い相棒を睨み、ふっと口元を緩めると、再び表情を引き締めた。
「なにを信じるかーー誰を信じるかーー」
「それによって、見取り図は大きく変わってきます」
「そうだな。 見誤れば、命取りだ」
「ノバツ長老の話は、すべて本当なのでしょうか」
黒々とした瞳が見据えーー先の言葉を待つ。
「ノバツ長老は、〈蜘蛛〉が〈ホエホ〉か〈ネロネ〉に属する〈ヒャロン〉であると言っていましたが、やはり私は、〈スフス〉の者の可能性もあるのではないかと、今の段階で、その可能性を排除すべきではないと、そう思います」
「ガサン国のろく•ぞうじ門警長にも、協力を願うべきだと?」
「一刻も早く解決するためには、やむを得ないと思います」
深長な沈黙が流れるーーー
「ノバツ長老の孫が飛ばす〈紙鳥〉は、国境を越えることはできない。 国を越えて飛ばすことができるのは、四派の長老たちだけ。ーーつまり、〈蜘蛛〉は、このデアン国にいた。 その証拠に、〈紙鳥〉を受け取った〈蜘蛛〉は、すぐに行動し、情報にあった少年を森で待ち伏せ、〈拷問の術〉に殺した」
「ノバツ長老の言葉を信じるならばーーです」
「ノバツ長老は、〈スフス〉のザイナ長老に、二十七日から二十八日にかけて、郷を離れていた者がいないかどうか、確認してもらい、飛んできた〈紙鳥〉に、該当する者はいなかったと、答えを受け取った。 〈紙鳥〉は、飛ばした相手以外の手に捕まると、その瞬間燃え尽きるようになっている、ということだから、途中で書き換えられた可能性もない」
「それも、ノバツ長老を信じるならばーーです。 ザイナ長老も、〈真偽の縄〉をやった上での返答ではないので、たとえ身内に該当する者がいたとしても、いくらでも偽れます」
「たしかにそうだ」
「ノバツ長老は、〈蜘蛛〉と繋がり、〈紙鳥〉を飛ばしたのは、孫の双子のうち、兄のムノのほうであると断言していましたが、妹のディナのほうの可能性も、あるのではないでしょうか」
「赤い目を継いだ、秀才か……」
「目を掛けるあまり、盲目になっていることも、考えられます。 二人とも〈紙鳥〉を飛ばせて、二人ともガサン国へ行ったのですから」
「どちらか一方が、〈蜘蛛〉とヤゴミ長老と繋がっているかーーはたまた双子そろって、共謀しているかーー」
「双子は、絆が強いです」
若い相棒が、ぼそりと漏らすのだった。
「しなや、双子なのか?」
「……違います。 四つ上の兄が、双子です」
「初耳だな。 まさか〈警使〉か?」
「違います。 父も、兄二人も、大工です。 母は十三のときに病死しました」
「……そうか。 双子の兄さんたちとは、仲良いのか?」
「全然です。 父と兄たちとは、考え方がまるで違います。 根本的に合わないんです。 なので、もう何年も、顔を合わせていません。 つまらない話をすみません」
「謝らなくていい。 おれが知りたいから、聞いたんだ」
みぎさの真剣な声が響く。
門警長は、ひとつゆっくり息を吸うと、口を開く。
「おれにも、六つ下の弟がいたんだが、たった四歳で、流行病で亡くなった。 父親も、十五のとき病死して、二十歳で〈警使〉になるまで、ずっと母親と二人で暮らしてきた。 でも、その母親も、一昨年脳の出血で、看取ることもできず、あっという間に逝った。 苦しまずに死んだことは、よかったけどな。 だから今は、正真正銘の独り身だ」
しなやは、黙って聞いていた。
みぎさの暗い瞳が、光の薄れていく、窓へ向くーー
「……生きたくても、生きられない人がいて、生きられるのに、死を選ぶ人がいる………人間ってのは、一体なんなんだろうな……」
薄暗い部屋に、重いしじまが、満たすのだった。
はっと我に返り、みぎさの目が相棒へ向く。
「辛気臭い話を、悪かったな。 話をもどそう……」
「〈ツル〉は善に、〈サソリ〉は悪に、〈イタチ〉は凶暴にーー」
しなやの、静かな声が通る。
「固定観念か」
美しい白髪をした、若い相棒が頷く。
「先入観は、思考を濁らせ、確かに危険だ。 ギレン国の門警長としては、いくら嫌いだろうと、自国の〈サソリ〉を、守り信じたほうがいいのだろうがーーでも、おれは、〈ツル〉を信じる」
「その根拠は?」
「〈警使〉の勘だ」
門警長の、至極真面目な答えに、相棒の冷たい視線が、突き刺さるのだった。
「失望したか?」
「はい」
素直な即答に、みぎさは思わず苦笑する。
「笑っている場合ですか」
冷ややかな声に、門警長は笑みを静め、真剣な面になる。
「〈眼〉だ」
「〈眼〉? また〈赤眼〉ですか」
「赤い目に限らず、相手の〈眼〉を見れば、わかることがある。 どれだけ虚言を尽くそうと、どれだけ表に欺こうと、〈眼〉だけはごまかせない。ーー〈警使〉としての、おれの二つ目の信条だ」
底光る、黒々とした瞳が、相棒を捉える。
「だからおれは、おまえを信じてる」
包んだ、長い沈黙にーーなぜだか、居心地の悪さを覚えたみぎさは、「……そうだ」と、懐から、あるものを取り出す。
押し黙っている、しなやのほうへ、差し出すのだった。
「……これは?」
「見ての通り、〈髪紐〉だ」
「それはわかります。 もしかして、最後にノバツ長老が、五分だけ二人で話をさせてほしいと、言ってたときに、受け取ったのですか?」
「そうだ。 ノバツ長老が、おまえにって。 木魂ノ森の主といわれている、〈クイクイ〉っていう、幻の鳥の羽を使って染めたんだそうだ。 幻っていうだけあって、ノバツ長老も小さいときに一度見たきり、それから五十年かけて、森のなかで抜け落ちた羽を、集めたって言ってた」
差し出された手の上にある、〈銀色に光り輝く髪紐〉から、しなやは目を逸らす。
「受け取れません。 第一、〈ホエホ〉の長老からの贈り物だと知られれば、大問題になります」
しかし、みぎさは手を引かなかった。
「この世に一つしかないものだから、その心配はない。 俺も、おまえに受け取ってほしいと、そう思っている」
紺色の瞳が、怪訝を湛え相手を見る。
「なぜです? それに、ノバツ長老もなぜ、縁もゆかりもない私に、そんな高貴なものをくれるのですか? 孫娘にあげればいいでしょう」
「例の〈眼〉のことだか、おまえのことを気に入ったんじゃないか」
そう言ったみぎさの内には、ノバツ長老の声が、深々とこだましていたーーー
ーーー『ディナに渡そうと思っていたものですが、あなたの相棒さんに、お渡しします。 宿る〈クイクイ〉の霊力が、守ってくれるでしょう。 あなたにはその意味が、わかっているはずです』………
ぐっと食いしばった歯を緩め、みぎさは乾いた唇を湿らすと、低く声を継ぐ。
「違う派のヒャロンであっても、年長者の心遣いを、無下にするもんじゃない」
門警長の、どこか有無を言わさぬ声音に、しなやは黙って受け取り、懐へしまうのだった。
それを見届けると、みぎさは内心ほっと息を吐き、腕を組んで、椅子の背もたれに頭を預けた。
「せめて、双子の孫に会えたらな……」
「難しいと思います」
相棒の辛辣な返しに、はっと思いついたみぎさが、腕組みを解く。
「からすまに頼んで、おれたちも〈変装〉をして、〈ホエホ〉の郷にいくとか。 それか、今度は孫のほうに〈変装〉してもらって、〈門警〉の部署まできてもらうとか。 あれはすごかったからな……」
密会が終わると、からすまが立ち上がり、鍵付きの棚から、墨色の警衣と、白い口布、そして驚いたことに、自身の髪型そっくりの、カツラを取り出し、ノバツ長老へ渡すのだった。さらに、棚の一番下の、大きな引き出しから、蓋のついた背負い籠を、取り出した。
その間に、部屋の片隅に、だい門警長が手際よく、仕切となる、簡素な屏風を用意し、二人は入ってしばらくしたのち、まるで見違えるすがたとなって現れた。
見事にからすまに変装した、ノバツ長老ーー(なにより目立つ、赤い瞳は、からすまの秘密道具の一つである、〈特製の変色膜〉をつけて、黒い瞳となっていた)ーー背丈はもともと同じようだったが、雀色のおかっぱのカツラに、大きな口布によって、真白の髭と〈下弦月〉の彫られた耳朶が隠され、朝見たからすまのすがたに、瓜二つであった。
そのからすまは、どこからどう見ても、〈警使〉の面影はなく、特徴的な背負い籠をもった、乾物かなにかの行商人にしか、見えなかった。
みぎさとしなやが、さらに我が目を疑ったことに、巧みにからすまに変装した、ノバツ長老の纏う警衣には、見間違いなく、本物の〈東デアン国の胸章〉が、輝いてるのだった。ーー〈警使〉となったときに授与される〈胸章〉は、命の次に大切なものとされ、なくすということは問題外に、万一そのような申告をした場合には(速やかに上官へ申告することが、固く義務付けられている)少なくともひと月の間、地下牢へ入れられたのち、ようやく新しい〈胸章〉が渡される。
そこからも、だい門警長、そして自身の〈胸章〉を渡した、相棒からすまの、事に懸ける思いーー〈ホエホ〉の長老を信ずる強さが、痛切に伝わり、ギレン国の門警長の内を、ぞくりとした一種の刺激をもって、震わすのだった……。
「確かに技は認めますが、だい門警長もノバツ長老も、許可しないと思います」
しなやが、平板な声に言う。
「だよな……一目でも〈眼〉を見れれば、なにかわかることも、あるはずなんだが……」
みぎさは長く息を吐き出し、天井を見つめる。無意識に右手を握ると、腿の横へもっていくーー拳を動かそうとした瞬間、はっと離すのだった。
見れば、しなやが目敏く捉えていた。
「やってないだろ。 人を監視するな」
みぎさの苛立った声が響く。大きく息を吸い、焦りを孕んだ気を鎮めると、再び相棒へ向く。
「目といえば、ノバツ長老がおまえに言ってたこと、どういう意味だ? 珍しい、良い力を秘めてるって」
門警長の見つめる先ーー若い相棒は、青い闇が漂いはじめた部屋のなか、卓の一点を見据え、黙していた。
「……悪い、忘れてくれ。 なんでもかんでも、話さなくていい」
みぎさが、立ちあがろうとしたときーーぱっとしなやの手が、掴むのだった。
開かれた黒い瞳が、相棒を見る。
その紺色の瞳は、揺れながらも強い光を湛えて、真っすぐに、見つめ返していた。
ひんやりとした白い手が、ゆっくりと離れる。
「……朝ごはんが、見えるんです」
「朝ごはん……?」
予想外の言葉に、みぎさの眉根が寄る。
「相手を目に捉えて、強く瞬きすれば、見えるようになります。 その相手の肩越しに、覗き見ているような感覚です」
「……なるほど。 見えるのは、朝ごはんだけなのか……?」
みぎさは、努めて平静な声に言う。
「最初はそうでしたが、今は見ようと思えば、昼と夜も見れます」
「……そうか……その……さすがだな……。 それは生まれつきの、力なのか……?」
「違います。 今年の一月に、はじめて見えるようになりました。 そして、はじめて見た相手は、門警長です」
みぎさは、目をぱちぱちとーー確かに、動揺はあったが、それよりも勇気をもって告白してくれた、目の前にいる、大切な相棒へかける言葉を、慎重に選ぶのだった。
「それで、みかんと牛乳のことを、知ってたんだな」
自然と顔には、やわらかな苦笑が浮かんでいた。
「今の話、信じるんですか……」
「信じる」
「いつか命取りになると思います」
「自分を疑いはじめたら、それは片足を死に浸して、生きてるのと同じことだ。 だからおれは、自分のことを信じてる。 それに、〈警使〉になったときから、殉職する覚悟はできてる」
「どんな結果になっても……」
「どんな結末になろうとも」
みぎさの力強い声が、答えるのだった。
しなやが、深く息を吸い、大きく吐き出す。
「他人が、朝ごはんになにを食べようがーー目玉焼きに、醤油をかけるのか、塩なのか、胡椒なのか、ソースなのか、そんなくだらないことを知れたところで、一体なにになりますか。 どうせ力を得るなら、もっとマシに、役立つものがよかったです。 ノバツ長老はそれをわかっていて、不良品の目を、遠回しに慰めたんですよ」
「すべてのことに意味があるーーなにが役に立つかはわからない。 ノバツ長老も、同情する意味で、声をかけたようには聞こえなかった。 可能性の話と一緒だ。 今の段階で、排除すべきじゃないんだろう。 だったら吐き捨てるより、温存させておくほうが、賢いおまえらしい」
••••••••••••
「じゃあ、おれの嫌いなものも、知ってるわけだ」
「……」
「言ってみてくれ」
「ーー豆です」
「おお、あたり。 じゃあ、好きなものは?」
「ーー塩むすび」
「ほらな。 おまえはやっぱり嘘をついてない。 でも一つ、聞いていいか。 相手が食事を抜かしたとき、どういう風に見えるんだ?」
「なにも食べていなければ、見えません。 固形物でなくても、飲み物だけとっていれば、見えます」
「へぇー、そんなもんなのか。 面白いな。 能力の世界にも、ちゃんと決まりがあるんだな」
「感心している場合ですか」
「しなや、おれの好き嫌いを知ったわけだし、今度はおまえの好き嫌いを教えてくれ」
「どうしてですか」
「それが相棒として、平等ってもんだろ」
不服そうなしなやは、黙っていたが、みぎさが粘り強く待っていると、しぶしぶ口を開くのだった。
「好きなものは、素焼きのだんごです」
「あんこもみたらしもあるのに、ずいぶん質素だな」
「塩むすびの人に、言われたくありません」
「で、嫌いなものは?」
「牛乳です」
「牛乳嫌いなのか!」
「昔から、少しでも飲むと、鼻血が出るんです」
「牛乳で鼻血……そうか、それは大変だな。 じゃあおまえは、朝ごはんのとき、なにを飲んでるんだ?」
「豆乳です」
「豆乳っ! あんなくそ不味いもの、よく飲めるな。 まてよ、他にも誰か、同じことを言ってた人が……」
みぎさの脳裏に、そのすがたが浮かび上がるーー刹那、胸がズキンっ……と、刺し痛むのだった。
胃のあたりから、ムカムカとしたものが、迫り上がる……。
陽が沈み、暗くなった部屋に、重苦しい沈黙が流れたーーー
「てんじん……」
しなやの声を遮り、みぎさが勢いよく立ち上がる。
灯りをつけていなかったことが、せめてもの救いとなった。
(こんな顔を見られたら……)
微かに震えた息を吸い、足を進める。
「湯を浴びてくる」
突き放した相棒の視線を、背に感じながら、みぎさは部屋の湯場へと、入って行った。




