第四十六話:知らぬは本人ばかりなり
―― なんか変だ。
いつも通り週明けには図書館に戻った。
「マシロ、大丈夫?」
なんか変だ。変だ。変だ。
あの妙な雰囲気はなんだろう?
抱き締めてもらったし、キスも貰った……でも、それ以上はなかった。別に不満というわけじゃないけど凄く珍しいことだと思う。
「マシロちゃん、折角のパンケーキが穴だらけだよ?」
なんかああいうの聞いたことがあるような気がする。
なんていうんだっけ?
「…………」
―― ……ジャボ。
「ん?」
私は小さく上がった飛沫にふと我に返る。
私が握っていたフォークはミルクの入ったマグの中だ。表面に張っていた白い膜がフォークに絡み付いている。確か今朝はパンケーキを食べてたと思ったのに。
状況が良く理解できなくて眉を寄せる。
「食べ物粗末にするなよ?」
溜息混じりにカナイにいわれて、トレイから顔を上げると三人とも私を見ていた。
どうやら隣に座っていたカナイが、心ここに在らずの私の手元を摩り替えたらしい。カップの横には悲惨な姿になったパンケーキがあった。
「う、ごめん」
「良いけど、何かあった? 役には立たないかもしれないけど相談くらいには乗るよ?」
やんわりとそういいながら、エミルは自分のホットサンドと私のパンケーキを交換してくれた。
遠慮しようとしたけど「良いから、ちゃんと食べて」と勧められ断りきれなかった。なんだかお腹の底に鉛でもあるように、ずっしりと重くてあまり食欲はなかったけど、こうされては無理矢理にでも食べないとエミルに申し訳ない。
きっとエミルもそのくらい承知でやったんだろう。
私はエミルに「ありがとう」と告げてホットサンドを口に運ぶ。
美味しい。
もんのすごく不味ければ食べなくても良さそうなものなのに残念だ。
その様子をまじまじと三人に見られて居心地悪く、私は「大丈夫だよ」と念を押した。
納得した風ではなかったけれど、私が話を切り出さないと確信を得てしまったのか皆食事を再開した。
午前中はなんとか、多少鍋から火柱は上げたが無事に授業を終了させ―― でも、カナイが一緒じゃなかったら教室中に火が回ったかも知れない。カナイ様々だ ――馬車で王宮に向かうエミルたちを見送って私はいつもならギルドへ向かう足を図書館へ向け時間を潰した。
「そういえば、ブラックが王宮に来てて」
「え? ブラックが」
夜遅く戻ってきたアルファがお土産片手にやってきた。
お茶でもと中に誘ったが、もうおねむの時間らしく首を振られ、扉を背にして立ち話だ。
「マシロちゃんの新しい家。大通りから一つ奥まった場所で、少しだけ王宮よりみたいですね?」
一等地ですよ。と、笑ったアルファに私はそうなんだとしか応えられない。
もっと辺鄙なところでも良かったんだけど。
「もしかして、知らなかったんですか? 内緒だなんていわれなかったですけど」
「え、あ……ああ、全部任せてあるから」
そういった私にアルファは何の疑いもなく、そうなんですか。と、にこりと微笑む。そして、じゃあもう直ぐですねと続けた。
「今週中にはなんとか片付くから、手続きをしておくようにエミルさんにいってたから」
「え」
そんなに直ぐなんだ。
確かに皆の負担にしかならないこの状況を長く続けるのは得策じゃない。
でも少しの不安と寂しさがぐるぐると渦巻く。
―― ……私、一人になるのか。
こうやってひょこりアルファがおやつを持って扉を叩くこともなくて、夜はブラックが来なければ一人なんだ。
「……あ」
自分の中で「一人……」と、繰り返し、なんだか妙な合点がいった。
零してしまった声にアルファがどうかしましたか? と、可愛らしく首を傾げて顔を覗き込んでくる。
「マシロちゃん、なんか顔色悪くないですか?」
「え? あ、ああ。なんでも、なんでもないよ。部屋の明かりが暗いのかな? 取り合えず、ありがとね。じゃ、じゃあ、お休み」
慌ててそれだけ告げるとアルファは不思議そうにしつつも「はい、お休みなさい」と応えて扉を静かに閉めてくれた。
突然行き付いた答えに私は膝を折り、ぺたんっと床に座り込んだ。
なんか聞いたこと在ると思った違和感。
ユキが確か倦怠期だったり、別れ話の前だったりするときに、こうなんとも居心地の悪い妙な空気になるっていってた。
お互いに余所余所しくて踏み込めない壁が出来る。
膝を掻き抱いて、頭を埋めると落ち着け自分と繰り返すが。小刻みに奥歯が鳴ってしまう。
―― ……そう、だよね。
付き合い始めがある以上終わりだってきっとどこかであるはずだ。
終わらない、変わらない関係なんて、きっと……ない。
でも、どうして。私何かしたかな? いや、でも……私なんかと別れる理由は山ほどあっても付き合い続ける理由のほうが微塵もないかも知れない。
そっか……、そう、だよ、うん。
考えたら、結構前から「?」と思うことがあった。