閑話1-2 魔法研究会:MPという概念
目が覚めた時、私は自分のベッドにいた。
昨日の記憶が断片的に蘇る。お嬢様の研究室。大きさを変えながら火を灯し続けた。四十五回。そこで意識が途切れた。
頭がまだぼんやりする。体の奥が空っぽになったような感覚が残っている。昨日お嬢様が言っていた「水瓶の水」は、まだ満ちていないらしい。
着替えて研究室に向かうと、お嬢様が黒板の前に立っていた。
黒板には、大きな文字で「MP測定実験計画」と書いてある。
「お嬢様……おはようございます。昨日はご迷惑をおかけしました」
「おはよう、エマ。体調は?」
「まだ少しふらつきますが……」
「そう。──じゃあ午後からね」
「……何をですか」
「測定の続きよ」
「続き!?」
お嬢様は黒板を指差した。
「昨日のデータは一回分でしかないわ。再現性の確認が要る。──科学は一度の結果で判断してはいけないの」
「お嬢様、昨日私は気絶したんです。気絶です」
「だから午後にしてあげてるでしょう? 優しいと思わない?」
優しくない。全く優しくない。
お嬢様は黒板に書かれた実験計画を説明し始めた。
「昨日のやり方では不十分だったわ。大きさを変えながら撃たせたでしょう? あれだと変数が多すぎる」
チョークが黒板を叩く。
「今日からはこうする。──サイズを固定。ロウソク程度の火を、一定間隔で出し続ける。何回で気絶するかを数える」
「……何回で気絶するかを、ですか」
「ええ。それを複数日やれば、MPの総量、回復速度、日内変動が分かるわ」
「日内変動……」
「朝と夜でMPが違うかもしれないでしょう? ──科学的に測るの」
定性的ではダメ。定量的に測る。
お嬢様はいつもそうだ。複式簿記も、MKS単位系の制定も、鋳造量の計算も、全部「測る」ことから始まった。
──今度は私のMPを測るのだ。被験者は私だ。
地獄の数日間が始まった。
一日目、午後。
「ロウソクサイズの火。十秒間隔で。──始め」
私は右手の人差し指に意識を集める。体の奥から温かいものを引き出して、指先に灯す。小さな炎。消す。灯す。消す。灯す。消す。
お嬢様がノートにカウントを刻んでいく。
「三十八……三十九……四十……」
指先が震え始めた。体の奥の水瓶が、底を見せている。
「四十六……四十七──」
視界が暗くなった。椅子から崩れ落ちる感覚だけがあって、それきり。
目を覚ますと、お嬢様がノートに「47回」と書き込んでいるところだった。
二日目、朝。
「朝のMPは回復しているはず。──始め」
歯を食いしばりながら、火を灯し続けた。昨日よりは体が軽い。水瓶に水が戻っている感覚がある。
五十一回目で、床に倒れた。
「五十一回。──昨日より多いわ。睡眠でMPが回復するのね」
「……聞こえてます……床から……」
「昨日は四十七回。差は四。睡眠回復量は約四回分」
床に頬をつけたまま、私はお嬢様の声を聞いていた。冷たくて気持ちいい。
三日目、朝。空腹。
「今日は朝食抜きで測るわ。食事がMPに影響するか確認したい」
「お嬢様、人権……」
「データのためよ」
四十九回。朝食を抜くと二回分減る。食事はMP回復に若干影響するらしい。
私の犠牲で得られた知見だった。
四日目、朝。十分な睡眠と朝食の後。
最良の条件を揃えた最後の測定。
五十三回。
「安定してきたわ。エマのMPは、ロウソクサイズの火で約五十回分。条件が良ければ五十三回」
「……ありがとうございます。もう気絶していいですか」
「ええ、お疲れ様」
私は安堵のため息をついた。四日間、毎日気絶した。もう終わる。ようやく終わる。
「──でも、これだけじゃ足りないわ」
「え」
翌週。
お嬢様は研究室の黒板に新しい図を描いていた。
「エマ、火で五十回分というのはわかった。でも、水の魔法だと何回分? 回復魔法だと?」
「……それは、属性によって違うのでは」
「だから測るのよ。──火と水を両方使える人を連れてきて」
宮廷魔道士の一人が呼ばれた。火と水の両方を扱える、気の毒な中年の男だ。
お嬢様が実験の説明を始めた。
「実験は二日間。一日目は火だけ。気絶するまで。二日目は水だけ。気絶するまで」
その魔道士の顔が青ざめていった。
「……気絶するまで、ですか」
「ええ。これでこの人の『炎MP』と『水MP』がそれぞれ測れるわ」
その気持ちはよくわかる。私はもう四回気絶した。
その魔道士は二日間で二回気絶した。
一日目、火。四十回で倒れた。
二日目、水。三十回で倒れた。
お嬢様がノートに数字を並べ、しばらく黙って計算していた。やがて顔を上げた。
「この人の炎MPは四十。水MPは三十。──属性ごとに測れるわね」
たった今、属性ごとのMPが定義された。
私の炎MPは五十。この人の炎MPは四十。これで「誰が、どの魔法を、どれだけ使えるか」が数字になった。
……数字にすると、結構多い気がする。多いのか少ないのかはわからないけれど。
何にせよ、これで終わりだ。属性別のMPが測れた。お嬢様も満足しているはず。ようやく終わる。
「お嬢様、これで炎と水の消費量が」
「この人についてはね」
「……この人について?」
「他の人も同じ比率かはわからないわ。──サンプルが足りない」
「え……」
聞いたことがある。この台詞。
私にも同じことを言った。
五十人の魔法使いが集められた。
全員に同じ実験が適用される。気絶するまで魔法を使わせ、使える属性の数だけ繰り返す。
数週間後。
廊下を歩いていると、宮廷魔道士たちがぐったりした顔で向こうからやってきた。
「……二日連続で気絶した……」
「俺は三属性使えるせいで三日だ……」
「使えることが裏目に出るなんて……」
私は足を止めた。
三属性使えるから三日連続で気絶させられる。才能が仇になっている。
「結果出たらしいぞ。属性ごとのMPは安定して測れるんだと。再現性があるって」
「……つまり俺たちの気絶は無駄じゃなかったと」
「ただ、属性間の比率は人によって違うらしい。追加研究が要るって嬉しそうに書いてあった」
「嬉しそうに……」
「追加研究って……また気絶させられるのか……」
私は胃を押さえた。
五十人かける使える属性の数。延べ気絶者は──考えたくない。
しかも全員の属性別MPが一覧表にまとめられ、「魔力等級」として制度化されようとしているらしい。
そしてお嬢様は「比率が人によって違う」ことに興味を持ってしまった。追加研究。つまり、まだ終わらない。
私が最初の被験者だった。あの四日間の気絶が、この制度の原点だ。
……私はメイドだ。制度の原点になった覚えはない。
オットー様の執務室の前を通りかかった。扉が半開きになっている。机の上に書類の束が積まれていた。
表題が目に入った。
「魔法統一規格策定実験記録」
足が止まった。
扉の隙間から覗くと、書類の一枚目が見えた。オットー様の几帳面な筆跡だった。
◆
魔法統一規格策定実験記録
帝国歴290年、シャルロッテ殿下の発案により、魔法の消費量を定量的に測定する実験が実施された。
従来、魔法の消費量は「疲れる」「かなり使った」といった主観的な表現でしか語られてこなかった。これを数値として扱えるようにすることが、本実験の目的である。
実験は三段階にわたり行われた。
第一段階として、単一の被験者──殿下付きのメイドであるエマ──による基礎測定が実施された。ロウソク程度の火を一定間隔で出し続け、意識を失うまでの回数を記録する。四日間にわたる測定の結果、被験者の総量は約五十回分と推定された。なお、睡眠により約九割が回復すること、食事が回復量に若干影響することも判明している。
第二段階として、複数の属性を扱える魔道士を被験者とし、属性ごとのMPを個別に測定した。同一の被験者に対し、一日目は火のみ、二日目は水のみを使用させ、それぞれ意識喪失までの回数を記録した。これにより「炎MP」「水MP」という属性別の定量値が得られた。全MPという概念を導入したかったというが、被験者によって、消費MP比率が異なるということが研究によってわかったため、導入を断念したとのことだ。
第三段階として、属性別MPの測定が安定して再現可能であるかを検証するため、五十名の魔道士を対象に同一の実験を実施した。使用可能な属性の数に応じ、被験者一名あたり一日から最大三日の測定が行われた。
結果、各個人の属性別MPは安定して測定可能であることが確認された。すなわち、MPは個人の感覚ではなく、客観的な物理量に近い性質を持つと考えられる。ただし、属性間の消費比率は個人によって異なることも判明した。この差異の原因については追加研究が必要である。
本実験の結果に基づき、全魔法使いの属性別MPを記録する「魔力等級」制度の策定が進められている。
最後に付記する。
本実験における延べ気絶者数は一七三名であった。被験者の健康に重大な影響は確認されていない。
ただし、実験期間中、宮廷魔道士の間で「帝国は恐ろしい国だ」という声が聞かれたことを、記録として残しておく。
──帝国歴290年 オットー記す
◆
私はそっと扉から離れた。
一七三名。そしてこの数字は、まだ増えるのだろう。
……私はメイドだ。魔法制度の原点になった覚えはない。




