表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

78/126

第78話 あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

湯治場に到着した。


「こ、これは……」


私は息を呑んだ。


山の中腹に、湯気が立ち上る池があった。岩に囲まれた天然の浴場。硫黄の匂いが微かに漂っている。


「……」


お嬢様は無言で湯を見つめていた。


「お嬢様?」


返事がない。


「お嬢様、いかがなさい──」


その時だった。


お嬢様が、脱衣所に向かって駆け出した。


「お、お嬢様!?」


私も慌てて後を追う。


脱衣所に飛び込んだお嬢様は、信じられない速さで服を脱ぎ始めた。


ボタンが外され、ドレスが肩から滑り落ちる。下着も一瞬で脱ぎ捨てられた。


「お嬢様、落ち着いて──」


お嬢様は私の言葉など聞いていなかった。全裸のまま、湯に向かって駆け出した。


「お待ちください! 転びますよ!」


ざぶん。


お嬢様は湯の中に飛び込んだ。


「…………」


私は呆然と立ち尽くした。


脱衣所の入口で、伯爵様とヘレーネ様が固まっている。


「……あなた、私、何も見ていませんわよね」


「……ああ。私も何も見ていない」


ご両親は現実逃避を始めた。


私は急いで服を脱ぎ、お嬢様のもとへ向かった。




私が温泉に駆け込んだところ、お嬢様は既に肩まで湯に浸かっていた。


「……」


「…………」


「………………」


「あ゛〜〜〜〜〜」


「!?」


「あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


「お、お嬢様!? 大丈夫ですか!?」


私は慌てて駆け寄ろうとした。


「……最高」


「……」


お嬢様は、今まで見たことのないほど蕩けた表情をしていた。


……今のは一体……。


離れた場所で、アルベルト様の声が聞こえた。


「……私は何も聞いていない」


お嬢様の奇声は男湯まで届いていたらしい。


「エマ、あなたも早く入りなさい」


「は、はい……」


私は恐る恐る湯に足を入れた。


「……っ」


熱い。でも、不思議と心地よい熱さだった。


ゆっくりと肩まで浸かる。じんわりと体の芯まで温かさが染み込んでくる。


「……あ」


思わず声が漏れた。


「どう?」


「……これは……すごいですね」


体の疲れが、湯に溶けていくようだった。日頃の緊張が、少しずつほぐれていく。


見上げると、青い空が広がっていた。山の緑が湯気の向こうに霞んでいる。鳥の声が、どこか遠くから聞こえてくる。


「露天風呂というのは、こうでなくてはね」


お嬢様が満足そうに言った。


「露天……風呂?」


「外で入る風呂のことよ。景色を眺めながら湯に浸かる。これが温泉の醍醐味なの」


お嬢様は目を閉じて、深く息を吐いた。


「肩まで浸かって、百数えなさい」


「ひゃ、百……」


「のぼせそうになったら、一度上がって涼んで、また浸かるの。これを繰り返すと、体の芯まで温まるわ」


「……」


なぜお嬢様はこんなに詳しいのだろう。


「温泉には様々な効能があるの」


お嬢様は語り始めた。


「硫黄泉は肌に良いわ。古い角質を落として、肌を滑らかにする効果があるの」


「肌に……?」


「ええ。美肌の湯、と呼ばれることもあるわ。それに、疲労回復、神経痛、筋肉痛にも効くと言われているの」


「へぇ……」


「それだけじゃないわ」


お嬢様の目が輝いた。


「温かい湯に浸かると、体内でエンドルフィンという物質が分泌されるの。これが幸福感をもたらすのよ」


「えんどる……ふぃん?」


聞いたこともない言葉だった。


「脳内で作られる、気持ちを良くする物質よ。だから温泉に入ると『あ゛〜』となるの」


「はあ……」


「さらに、温熱効果で血行が促進されて、副交感神経が優位になることでリラックス効果が得られるの。自律神経のバランスを整える効果もあるわ」


「ふくこうかん……しんけい……?」


「要するに、体も心も癒されるということよ」


「……なるほど」


全く分からなかったが、とにかくすごいことは伝わった。


「定期的に通えば、健康にとても良い影響を与えるわ。ストレス解消にも最適よ」


誰に教わったのだろう。


私には分からなかった。でも、いつものことだ。お嬢様は、誰にも教わっていないはずのことを知っている。


……というか、さっきの言葉は一体何語だったのだろう。




しばらく湯に浸かっていると、体が熱くなってきた。


「お嬢様、少し……頭がぼんやりしてきました」


「のぼせてきたわね。一度上がりましょう」


お嬢様が湯から上がった。私も続く。


岩の上に腰を下ろす。山から吹き下ろす風が、火照った体に心地よかった。


「はぁ……」


思わず息が漏れる。


「これが温泉の正しい入り方よ。湯に浸かって、上がって涼んで、また浸かる。これを繰り返すと、体の芯まで温まるわ」


お嬢様は、風に髪をなびかせながら目を閉じていた。


白い肌が、湯上がりでほんのり赤く染まっている。水滴が、肩から腕へと流れ落ちていく。


……お嬢様は、本当にお美しい。


「何?」


「い、いえ……」


見惚れていたことを悟られたようで、私は慌てて目を逸らした。


「さあ、涼んだところで髪を洗いましょう」


「髪を……?」


「ええ。温泉で髪を洗うと、しっとりするのよ」


お嬢様は湯の流れ落ちる場所へ移動した。私も付いていく。


「エマ、髪を洗ってちょうだい」


「はい」


私はお嬢様の後ろに回り、その銀に近い金髪に湯をかけた。


さらさらと流れるプラチナブロンド。指を通すと、絹のような手触りだった。


「んっ……」


お嬢様が小さく声を上げた。


「お、お嬢様? 痛かったですか?」


「いえ……気持ちが良くて」


そう言うお嬢様の耳が、少し赤くなっていた。


私は丁寧に髪を洗っていく。普段は触れることのない、お嬢様の髪。


「……エマ」


「はい」


「あなたの髪も洗ってあげるわ」


「え? そんな、お嬢様に……」


「良いから。今日くらい、主従関係は忘れなさい」


「で、でも……」


「これは命令よ」


「……はい」


私は観念して、お嬢様の前に座った。


お嬢様の指が、私の髪に触れる。


「……っ」


思わず体が震えた。お嬢様の指が、優しく頭皮をマッサージしていく。


「どう?」


「……気持ち、良いです……」


「ふふ」


お嬢様が小さく笑った。


なんだか、不思議な気分だった。お嬢様に髪を洗ってもらうなんて、普通ではありえない。


でも、今日は特別な日だ。


髪を洗い終え、私たちは再び湯に浸かった。




しばらくして、ヘレーネ様が入浴に加わった。


「あら、気持ちの良いお湯ですわね」


ヘレーネ様は優雅に湯に身を沈めた。


「ええ」


お嬢様は頷いた。


「シャル、最近忙しそうね」


「……まあ、それなりに」


「無理はしないでね。あなたはまだ子供なのだから」


「子供……」


お嬢様が複雑な表情をした。


「いつも報告書を読んでいますわ。領地経営に制度改革、軍の訓練……本当に、よくやっているわね」


「……」


「でも、たまにはこうして休むことも大切よ」


ヘレーネ様は目を閉じて、湯の温かさを楽しんでいるようだった。


「お母様」


「何?」


「……ありがとうございます」


「ふふ。珍しいわね、素直に言うなんて」


お嬢様は少し照れたように視線を逸らした。


「今日は特別よ」


「そう。特別な日ね」


ヘレーネ様は微笑んだ。


「エマさん」


「は、はい」


突然名前を呼ばれて、私は慌てて返事をした。


「いつもシャルを支えてくれてありがとう」


「い、いえ、そんな……私はただ、お傍にいるだけで……」


「それが大切なのよ」


ヘレーネ様は優しく言った。


「この子は強がりだから。でも、あなたがいてくれるから、安心していられるの」


「お母様、余計なことを……」


お嬢様が頬を膨らませた。


「あら、本当のことよ」


ヘレーネ様はくすくすと笑った。


母娘の会話。私は少し離れた場所で、その光景を眺めていた。


普段は見られない、お嬢様の素の表情。お母様の前では、少しだけ年相応の女の子に見える。


……良い光景だ。


そして──


お嬢様の視線が、ヘレーネ様の胸元に向けられた。


「……!」


希望に満ちた目。


次に、お嬢様は自分の胸を見下ろした。


「……」


そして、お嬢様の視線が私の胸元に向けられた。


「?」


絶望したような表情。


「お嬢様……?」


「いえ、何でもないわ」


「シャルロッテ? どうかしたの?」


ヘレーネ様が首を傾げた。


「……何でもないわ、お母様」


「……ふふ」


ヘレーネ様は微笑んだ。


「?」


「大丈夫よ。私もあなたくらいの頃は、そうだったもの」


「っ……!」


お嬢様の顔が赤くなった。


……何の話だろう。


私には、よく分からなかった。




湯上がり。


「風呂文化も改善が必要ね」


お嬢様は下着を身につけながら唐突に言った。


「はい?」


「お風呂上がりには、牛乳やフルーツ牛乳、コーヒー牛乳が鉄板ですもの」


「フルーツ牛乳……? コーヒー……?」


私は首を傾げた。牛乳は分かる。でも、フルーツ牛乳とは? コーヒーを牛乳に入れるの?


「……いずれ、対応していくわ」


お嬢様は遠い目をしていた。何か懐かしいものを思い出しているような、そんな表情だった。


……本当に作る気だ。


「とりあえず、牛の乳が欲しいわ……」


「は、はあ……」


お嬢様の顔は、まだ湯上がりで上気していた。その表情は、どこか穏やかだった。


「お嬢様」


「何?」


「今日一日、とても……その、人間らしい顔をしていらっしゃいました」


言ってから、しまったと思った。


「……人間らしい?」


「あ、いえ、失礼なことを……」


「……ふふ」


お嬢様は、小さく笑った。


「そうね。今日は良い日だったわ」


私も、少し笑ってしまった。


温泉に浸かって「あ゛〜」と声を上げるお嬢様。それは、ただの女の子の姿だった。


「……良い一日でした」


私たちは着替えを終え、脱衣所を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ