第76話 【化学回】アルミニウム〜ヨハン視点〜
※作者の趣味で化学蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。
水力発電所が稼働している。
轟音とともに水車が回り、発電機が唸っている。太い銅線が、隣の建物へと伸びていた。
「いよいよ、新しい金属を作るわ」
いよいよ。
俺はその言葉を噛み締めた。電池を作り、電磁石を作り、発電機を作り、水力発電所を建てた。全ては──この日のためだったのか。
「師匠、ずっと気になってたんだけど」
「なに?」
「この発電所、何に使うんだ? 電灯にしては大げさすぎるし」
師匠が小さく笑った。
「今日わかるわ」
もったいぶりやがって。でも師匠がそう言うなら、きっとすごいことが起きる。
師匠が材料を並べた。
赤茶色の石。透明な結晶。黒い棒。
「これが材料……?」
正直、ぱっとしない。赤茶色の石なんて、その辺の土と変わらないように見える。
「ボーキサイト。氷晶石。炭素棒」
師匠が赤茶色の石を持ち上げた。
「ボーキサイトはアルミナ──酸化アルミニウムを含む鉱石よ。化学式はAl₂O₃。これがアルミニウムの原料」
「Al₂O₃……アルミニウムが2で酸素が3か」
「そう。アルミニウムは13番の元素。軽い金属よ」
「13番……」
俺は頭の中で周期表を思い浮かべた。13番は──ナトリウムやマグネシウムの近く。軽い元素が集まっている場所だ。
「軽い金属か。どのくらい軽いんだ?」
「鉄の3分の1くらい」
「3分の1!?」
俺は思わず声を上げた。金属が鉄の3分の1の重さ? そんなことがあり得るのか?
師匠が次に透明な結晶を示す。
「氷晶石はNa₃AlF₆。ナトリウムとアルミニウムとフッ素の化合物。これを溶かして、ボーキサイトを溶け込ませるの」
「ナトリウムが3、アルミニウムが1、フッ素が6……複雑だな」
「複雑よ。だから作るのも大変だったわ」
「作った? これ、天然の鉱物じゃないのか?」
「天然にもあるけど、量が足りないの。だから蛍石から作ったわ」
「蛍石から……?」
俺は透明な結晶を見つめた。そういえば確かに、蛍石に似ている。
「蛍石はCaF₂。カルシウムとフッ素の化合物。ここからフッ素を取り出して、ボーキサイトから精製したアルミナと、ナトリウムを合わせたの」
「精製した? ボーキサイトはこれから使うんじゃないのか」
「ボーキサイトを苛性ソーダで煮て、不純物を濾して、焼くとアルミナになるの。電気は使わないから、発電所ができる前に準備しておいたわ」
「フッ素を取り出して……合成したのか」
「ええ。硫酸でフッ化水素を作って、それをナトリウムとアルミナと反応させて……」
師匠が手順を説明し始めたが、途中から何を言っているのかわからなくなった。
「……まあいい。とにかく蛍石から作ったんだな」
「そういうこと」
十年かけて集めた蛍石が、こんな形で役に立つとは。
最後に黒い棒。
「炭素棒は電極。電気を流すために使うわ」
「炭素か。木炭を固めたやつだな」
「そうね。高純度の炭素よ」
ふと、赤茶色の石に目が行った。
「でも、ボーキサイトは俺のコレクションになかったぞ」
「そうね。国内では見つからなかったわ」
師匠が肩をすくめた。
「南方の商人に頼んで、海の向こうから取り寄せたの」
「海の向こう……そんな遠くから?」
「ボーキサイトは熱帯の地域に多いの。この国の気候では生成されにくいから」
「へえ……」
俺は赤茶色の石を手に取った。こんな地味な石のために、海を越えたのか。
「商人には『なんでこんな石を?』って不思議がられたわ」
「そりゃそうだろ。俺だってただの赤土にしか見えねえもん」
「『宝石でもない、金属でもない、ただの土を大量に? お嬢様は変わったご趣味で』って」
師匠が商人の口真似をした。低い声で、もったいぶった喋り方。似てるのかどうかわからんが、なんか笑える。
「で、いくらふっかけられたんだ?」
「……聞きたい?」
「聞きたい」
「金貨50枚」
「は?」
俺は石を落としそうになった。
「金貨50枚!? この土くれに!?」
「『珍しいものをお求めなら、それなりのお値段に』って」
「ぼったくりじゃねえか!」
「交渉したわよ。最初は100枚って言われたもの」
「倍かよ!」
俺は頭を抱えた。商人ってのはどこでもえげつない。
「まあ、元は取れるからいいのよ」
師匠が涼しい顔で言った。
「元が取れる……? この土で?」
「見ていればわかるわ」
「普通の方法では取り出せない金属なの」
師匠が説明を始めた。
「酸素と強く結びついているから。熱しても溶かしても、離れてくれない」
「酸素と仲良しすぎるってことか」
「そうね。だから電気の力で無理やり引き剥がす」
「無理やり……」
俺は発電所を見た。あの巨大な水車が回って、発電機が唸っている。この電力を全部使って、やっと引き剥がせるのか。
「酸素との結びつき、相当強いんだな」
「ええ。だから自然界では純粋なアルミニウムは存在しない。必ず酸素と結びついているの」
「鉄みたいに鉱石を熱しても取り出せないのか」
「取り出せないわ。何度試しても、酸素が離れてくれない」
師匠が装置を指さした。
大きな槽が据えられている。厚い耐火煉瓦で覆われ、中は見えない。
「槽の中で氷晶石を溶かして、そこにボーキサイトを投入してあるわ。炭素棒を電極として差し込んである」
槽からは熱気が立ち上っている。顔を近づけただけで、眉毛が焦げそうだ。
「うわ、熱っ……何度あるんだ、これ」
「1000度くらいね」
「1000度!?」
「氷晶石を溶かすのにそのくらい必要なの」
俺は一歩下がった。鉄を溶かすのと同じくらいの温度だ。
「危なくないのか?」
「近づかなければ大丈夫よ」
師匠は平然としている。この人、本当に怖いもの知らずだな。
「始めるわ」
スイッチが入った。
発電所の電気が、一気に流れ込む。
銅線が熱を持つ。空気が震える。
槽の中で何かが起きているはずだ。俺には見えないが、電気が流れている証拠に、低い唸り声のような音がする。
「今、何が起きてるんだ?」
「電気分解よ。電気の力で、酸化アルミニウムをアルミニウムと酸素に分けているの」
「アルミニウムはどこに行くんだ?」
「底に沈むわ。液体になったアルミニウムは重いから」
「液体……金属が液体になるのか」
「1000度もあれば溶けるわ」
そうか。水銀みたいに、熱で溶けた金属が底に溜まっていくのか。
しばらく待った。
腕を組んで、槽を見つめる。何も見えないが、中では電気が酸素を引き剥がしている。
「待ち時間、結構あるんだな」
「そうね。たくさん作るには時間がかかるわ」
「……」
「……」
「暇だな」
「待つのも仕事よ」
師匠が淡々と言った。
俺は槽の周りをうろうろした。他に見るものもない。
「なあ師匠、この金属は何に使うんだ?」
「さあ、何に使おうかしら」
また、はぐらかされた。
「教えてくれてもいいだろ」
「楽しみは後に取っておくものよ」
師匠が小さく笑う。絶対、俺が驚く顔を見たいだけだ。
「じゃあ俺が当ててやる」
「どうぞ」
俺は考えた。
軽い金属。鉄の3分の1の重さ。大電力を使ってやっと作れる。
「……剣か?」
「剣?」
「軽い剣があったら、速く振れるだろ。達人が使ったらすげえ強そうじゃん」
師匠が少し考える顔をした。
「悪くない発想ね。でも、アルミニウムは柔らかいの。剣には向かないわ」
「柔らかいのか……じゃあ鎧は? 軽い鎧があったら、動きやすいだろ」
「同じ理由でダメね。柔らかいから、防御力が足りないわ」
「くそ……じゃあ、なんだ? 食器か?」
「食器は作れるわね。でも、それだけのために大電力は使わないでしょう?」
「確かに……」
俺は頭を抱えた。わからん。軽くて柔らかい金属の使い道なんて思いつかない。
「降参だ。教えてくれ」
「まだ早いわ」
「えー……」
「見ればわかるから」
師匠はにやにやしている。絶対楽しんでる。
「そろそろね」
師匠が長い柄杓のような道具を取り出した。
「離れていなさい。熱いから」
俺は素直に下がった。1000度の液体金属だ。浴びたら即死する。
師匠が槽に近づく。耐熱の手袋をつけて、慎重に柄杓を差し込む。
槽の底から、何かを掬い上げる。
銀色の液体。
どろりと光を反射しながら、柄杓の中で揺れている。
「これが……」
「アルミニウム」
銀色に輝く金属。見たことのない色だ。銀とも違う。鉄とも違う。もっと白っぽくて、もっと明るい。
「アルミニウム……」
俺は息を呑んだ。
師匠が金属を型に流し込んだ。銀色の液体が、型の形に広がっていく。
「待っていなさい。冷えるまで」
俺はじっと見つめた。銀色の液体が、徐々に固まっていく。表面から白っぽい膜が張って、やがて全体が固体になった。
「持ってみなさい」
師匠が型から取り出したものを差し出した。
皿だった。銀色の皿。
俺は両手で受け取った。
「……っ!」
危うく放り投げるところだった。
軽い。
あまりにも軽い。
「な、なんだこれ……!」
見た目は普通の皿だ。銀色の、金属の皿。なのに、まるで木の皿を持っているような軽さ。
「師匠、これ……軽い! 金属なのに!」
「でしょう?」
俺は皿を持ち上げたり下ろしたりした。右手から左手に移した。片手で持っても全然重くない。
「すげえ……すげえよこれ!」
興奮して声が上ずった。金属がこんなに軽いなんて。こんなことがあっていいのか。
「金属なのに羽みたいだ! いや、羽より軽いかもしれねえ!」
「羽より軽くはないわよ」
「でもすげえ軽い! やべえ! やべえよ師匠!」
俺は皿を頭の上に乗せた。全然重くない。帽子より軽い。
「あはは! なんだこれ!」
「……遊ばないで」
師匠が呆れた顔をした。でも、ちょっと笑ってる。
俺は皿を下ろした。改めて見つめる。
銀色に輝く、不思議な金属。
「本当に金属なのか、これ」
「正真正銘の金属よ。電気も通すし、熱も伝えるわ」
「へえ……」
俺は皿を指で弾いた。キーンと高い音がした。確かに金属の音だ。
「すげえ……」
感動で言葉が出ない。こんな金属が存在するなんて。
◆
「で、これ何に使うんだ?」
「さあ、何に使おうかしら」
「まだ教えてくれねえのかよ!」
俺は皿を振り回した。軽いからいくらでも振り回せる。
「教えたら面白くないでしょう?」
「面白くなくていいから教えてくれ!」
「自分で考えなさい」
師匠は窓の外を見ている。空を見ているような気がする。
「軽くて……柔らかくて……」
俺は考えた。剣はダメ。鎧もダメ。食器はもったいない。
「あ、そうだ。船はどうだ?」
「船?」
「軽い船なら速く進むだろ」
「……悪くないわね」
師匠が少し感心した顔をした。おっ、いい線いったか?
「でも、船を作るには大量のアルミニウムが必要よ。今の生産量では足りないわ」
「そっか……」
「もっと生産量が増えたら、考えましょう」
俺は皿を見つめた。
大電力を使って、やっと作れた金属。蛍石まで使って。ボーキサイトに金貨50枚も払って。それなのに、師匠は用途を教えてくれない。
「まあいいか」
いつものことだ。師匠は必要なときに教えてくれる。今は分からなくても、いずれ分かる。
「でも一つだけ聞いていいか?」
「なに?」
「この金属、すごく高価なんじゃないか?」
師匠が頷いた。
「今のところはね。金より高いかもしれないわ」
「金より!?」
俺は皿を見た。金より高い皿。こんな軽い皿が、金より高いのか。
「じゃあこの皿、とんでもない価値があるんじゃ……」
「そうね。今のところは」
「今のところ?」
「生産量が増えれば、安くなるわ。電気さえあれば作れるもの」
師匠が発電所を見た。
「水力発電所をもっと作って、もっと電気を作れば、もっとたくさんのアルミニウムが作れる」
「そうすれば安くなる……」
「いずれは、誰でも使える金属になるわ」
俺は皿を見つめた。
今は金より高い。でもいずれは、誰でも使える。
「師匠のやることはスケールがでかいな……」
「そう?」
「水力発電所を建てて、新しい金属を作って、最終的には誰でも使えるようにする。国を変える気か?」
「さあ、どうかしら」
師匠はまた空を見ていた。何か考えているようだ。
俺は銀色の皿を棚に置いた。
軽くて丈夫な金属。きっと何かすごいことに使うはずだ。
──それが何なのか、俺が知るのは、もっとずっと先のことだった。




