第64話 四圃制
「今、この村ではどうやって畑を使っているの?」
お嬢様がリーゼに聞いた。
私たちは村の外れの畑に立っていた。秋の収穫が終わった後で、刈り取られた麦の切り株だけが残っている。風が吹くたびに、乾いた土の匂いが鼻をくすぐった。
空は高く、澄んでいる。農閑期に入ったばかりの畑は静かだった。
「えっと……麦を植えて、次の年も麦を植えて、3年目は休ませます」
リーゼが指を折りながら答える。
「三圃制ね」
お嬢様は頷いた。三圃制。畑を三つに分けて、順番に作物を植える農法だ。
「つまり、土地の3分の1は常に休んでいるのね」
「……そうですね」
リーゼは目の前の畑を見渡した。確かに、向こう側の一画は何も植えられていない。茶色い土がむき出しになって、雑草がまばらに生えている。
「もったいないと思わない?」
リーゼは少し考え込んだ。
「……思います。でも、休ませないと土が痩せると父が言っていて……」
「それは正しいわ。今の農法のままなら、休ませないと土が痩せて、翌年の収穫が減る」
「じゃあ、やっぱり──」
「でも、休ませなくても土を肥やす方法があるとしたら?」
リーゼの目が見開かれた。昨日の三大栄養素の話を聞いて、色々と考えていたのだろう。その答えが、目の前にあるかもしれない。
「あるんですか!? そんな方法が!?」
お嬢様は口元を緩めた。
「あるわ」
リーゼが身を乗り出した。
お嬢様は足元の地面にしゃがみ込むと、落ちていた枝を拾って図を描き始めた。大きな四角を描き、十字に区切って四つに分ける。
リーゼもしゃがんで、食い入るように見つめた。ヨハン様は腕を組んで、少し後ろから二人を見守っている。私もそっと近づいて覗き込んだ。
「四圃制というやり方があるの。4つの畑を順番に回すのよ」
四つの区画に、それぞれ文字を書いていく。
「1年目:小麦。言うまでもなく主食ね。パンになる」
リーゼが大きく頷く。小麦の大切さは、農家の娘であるリーゼが一番よく分かっている。
「2年目:カブ。煮込み料理にも使えるし、家畜の餌にもなるわ」
「カブなら、育てたことがあります」
リーゼが少し明るい声で言った。知っているものが出てくると、安心するのだろう。
「3年目:大麦。ビールの原料にもなるし、家畜の餌にもなるわ」
「ビール……!」
ヨハン様が急に反応した。
「ビールは大事だ。職人たちが毎日飲んでる」
「あなたもでしょう」
お嬢様が冷たく言った。ヨハン様は咳払いをして黙った。
リーゼが小さく笑った。私も思わず笑ってしまった。こういう軽いやり取りがあると、場の空気が和む。
「4年目:クローバー。これが肝心なの」
リーゼは真剣な顔でメモを……いや、懸命に記憶しようとしていた。唇が小さく動いている。小麦、カブ、大麦、クローバー。何度も繰り返し口の中で唱えているのだ。
「クローバー……マメ科ですよね」
「そうよ。この前言ったわね。マメ科は空気中の窒素を土に固定できるって」
「はい! 根粒菌がいるから……ですよね」
リーゼが嬉しそうに答えた。ちゃんと覚えている。
ヨハン様が「お、いいな」と呟いた。教えたことを覚えている弟子を見る、師匠の顔だ。
「おばあちゃんが『マメは土を肥やす』って言ってたのは、本当だったんだって……すごく嬉しくて」
リーゼの声が柔らかくなった。畑仕事の合間に、おばあちゃんが話してくれた知恵。理屈は分からなかったけれど、代々受け継がれてきた言葉。それが科学で裏付けられた。
「科学は、昔の人の知恵を証明することもあるの」
お嬢様は少しだけ優しい声で言った。
私は少し離れたところから、この光景を見つめていた。地面に絵を描いて教えるお嬢様と、真剣に聞き入るリーゼ。まるで姉妹のようだ。
お嬢様がこんなに丁寧に教えるのは珍しい。いつもは「やりなさい」の一言で終わるのに。リーゼの素直さが、お嬢様の教え方を変えているのかもしれない。
「さて、ここからが大事よ」
お嬢様が地面の図に矢印を描き加えた。四つの区画を順番に繋いでいく。
「四圃制だと、休耕地がゼロになるわ」
「ゼロ……」
リーゼは立ち上がって、目の前の休耕地を見た。何も植わっていない土地。毎年、全体の3分の1が眠っている。それがゼロになる。
「しかも4年目のクローバーが窒素を補給してくれる。休ませる必要がなくなるの。クローバーを植えること自体が、土を休ませるのと同じ効果を持つのよ」
「じゃあ、収穫量は……」
「単純計算で1.5倍。実際にはもっと増えるわ」
リーゼが息を呑んだ。
1.5倍。同じ土地で、今までの1.5倍の作物が取れる。
それがどういう意味か、農家の娘には痛いほど分かるのだろう。冬を越せずに痩せ細る家畜が減る。飢饉の年でも耐えられるかもしれない。余った作物を売れれば、子供を学校に出す余裕もできる。
「それだけじゃないの。カブとクローバーは家畜の餌にもなる」
「家畜が増える……」
リーゼは指を折って何か計算していた。家畜の頭数と飼料の関係を、頭の中で弾いているのだろう。
「家畜が増えれば、肉も乳も増える。糞も増えるわ」
「糞は堆肥になりますね!」
リーゼが興奮して叫んだ。
「堆肥が増えれば土がもっと肥える。作物がもっと育つ。そうすれば……」
リーゼは自分で言いながら、その好循環に気付いたようだった。目がどんどん大きくなっていく。
「窒素、リン、カリウム……全部揃うな」
ヨハン様が腕を組んだ。
「完璧じゃねえか」
ヨハン様は地面の図を見下ろして、感心したように唸った。理屈が現実の問題を解決する瞬間が好きなのだろう。嬉しそうな顔をしている。
「これ……村のみんなに教えたいです」
リーゼが言った。目が輝いている。
「まずは小さな畑で試してみなさい。結果が出るまで1年かかるわ」
お嬢様は冷静に言った。
1年。長いようで短い。でも農業に近道はない。種を蒔いて、育てて、収穫するまで、季節は早送りできない。
「1年……待ちます!」
リーゼは力強く頷いた。その声には迷いがなかった。
お嬢様は小さく頷いた。何も言わなかったけれど、その目は──少しだけ、満足そうに見えた。
おばあちゃんの経験則と、お嬢様の科学。
それは、対立するものではなかった。
昔の人たちは、理由は分からなくても、正しいことを知っていた。何百年も繰り返されてきた農作業の中で、「こうすればうまくいく」という知恵を蓄えてきた。
科学は、その「なぜ」を解き明かす。
「マメは土を肥やす」──その理由は、根粒菌が窒素を固定するから。
理由が分かれば、もっと効率よくできる。もっと工夫できる。
リーゼは、その二つを繋ぐ架け橋になろうとしている。
おばあちゃんから受け継いだ経験則と、お嬢様から学んだ科学の知識。両方を持っているからこそ、農民たちに伝えられる。
経験と科学。
伝統と革新。
どちらか一方ではない。両方が必要なのだ。
「でもね、リーゼ」
お嬢様が言った。
「四圃制だけでは足りないわ」
「え……?」
リーゼが不安そうな顔をした。
「クローバーが補えるのは窒素だけ。リンとカリウムは別の方法が必要よ」
「……そうでした」
リーゼは三大栄養素のことを思い出したようだ。窒素、リン、カリウム。そのうち一つしか解決していない。
さっきまでの喜びが少しだけ曇った。でも、リーゼの目に落胆の色はなかった。むしろ──まだ学ぶことがある、という期待が見えた。
「明日、工場を見せてあげる」
「工場……ですか?」
「リンとカリウムを補う方法を教えるわ」
お嬢様は楽しそうに言った。
リーゼの目が再び輝いた。まだ学ぶべきことがある。それが嬉しいようだった。
帰り道、リーゼは何度も振り返って畑を見ていた。
休耕地のない風景を、もう頭の中で描いているのかもしれない。




