第142話 結婚式の裏側:帝都の電線〜ギュンター視点〜
電球の量産は軌道に乗っていた。
弟子どもに線引きを仕込んで二週間。最初は十本引いて九本折っていた連中が、今では十本中七本を通す。線引きの速度は俺の半分以下だが、数でカバーできる。全員が朝から晩まで引けば、相当な数が仕上がる。
そこに嬢ちゃんから、とんでもねえ要求が来た。
帝都の街中を電球で埋め尽くせ、というのだ。
なんでも、嬢ちゃんの結婚式に各国の来賓が集まるらしい。その連中の目ん玉が飛び出るくらいびっくりさせたいんだと。パレードの通りを電球の光で照らし上げて、帝国の技術力を見せつける。そういう話だった。
電球は作れる。量産の目処もついた。だが光らせるには電気がいる。城の中で小さな電池を繋いで試験するのと、帝都の通りを何万個もの電球で照らすのとでは、話が全く違う。
嬢ちゃんに呼ばれた。
宮殿の会議室に入ると、小僧が図面を広げて何か説明していた。
「帝都の外に川があるんで、水車で発電機を回せば電気は作れるんだよ」
小僧が図面を指差しながら言った。発電機。電気。俺は理屈はわからねえが、何かの力を遠くから運ぶ話をしているらしいことは分かった。
「発電量は足りるわ。問題は距離ね」
嬢ちゃんが短く言った。
「……だよな。帝都まで何十キロメートルもある。銅線を引っ張っても、届く頃には電気がほとんど残ってねえんだよ」
小僧が頭を掻いた。
「銅線を通る電流は、距離に応じて熱になって消えちまう。遠くなるほどロスがでかい。太い銅線を何本も束ねれば多少はマシだけど、銅の量が現実的じゃねえんだ」
距離に応じて消える。力を遠くから運ぶと、途中で失われる。──炉の熱と同じだ。遠くに離れるほど冷める。理屈は知らねえが、構造は分かる。
嬢ちゃんが少し考えて、口を開いた。
「電圧を上げれば、同じ電力でも電流を小さくできる。電流が小さければロスも減るわ」
「……電圧を上げる? でもそんなことしたら──」
「まあいいわ、これは別の話ね。──ひとまず結婚式は電池で凌ぐことにしましょ」
小僧が何か言いかけたが、嬢ちゃんはもう次の話に移っていた。
「電池……? 帝都全体を電池で?」
「全体じゃなくていい。主要な通りだけ。区画ごとに電池を置いて、短い配線で電球を灯す」
「一時間だけなら……持つか。持つな。電池の数さえ揃えば」
「数は揃えるわ。問題は配置よ」
嬢ちゃんの視線が、俺に向いた。
「ギュンター。あなた、帝都の通りを歩き回って柱を立てたり配線を這わせたりしてきたわよね」
「ああ。放送用の電線も、街の電信柱も、全部うちの連中がやった」
「なら、どの通りに柱が立つか、どこが狭くて置けないか、分かるわね」
「……待ってろ」
俺は部下に声をかけた。放送用の電線を帝都に張った時、柱の位置や配線の経路を記録させていた。どの通りに柱を立てたか、どこが狭くて通せなかったか、全部残してある。
その地図を持ってこさせて、嬢ちゃんの前に広げた。
嬢ちゃんの地図と、俺の地図を並べた。
そこからは俺の仕事だった。電線を張った時に苦労した場所は全部記録に残してある。道幅が狭くて柱が立たない通り。建物が密集して配線を通せない路地。逆に、広場のように電池を置いても邪魔にならない場所。
パレード経路を主軸にして、広場を拠点に枝状に配線を伸ばす。限られた電池で最大の効果を出す配置を組み上げていった。
「すげえ……こんな地図持ってたのかよ」
小僧が呆れたような声を上げた。
「職人は記録を残すもんだ。いつ使うか分からねえからな」
嬢ちゃんの地図に、俺の配置を書き込んだ。悪くねえ配置だった。だが、どうしても光が届かない区画は残る。道が曲がっている場所。建物が邪魔で柱が立たない区画。
この街は、後から何かを通そうとすると、街そのものが邪魔をする。電線の時もそうだった。力技で通した。
今回もそうだ。力技で光を通す。
「ギュンター」
嬢ちゃんの声がした。
「これ、いくつ作ればいい?」
配置図を指している。電池の数と、電球の数。
「パレード経路だけで数千。広場と枝道を入れりゃ、万は超える」
沈黙が落ちた。小僧が顔をしかめている。俺も同じ顔をしているだろう。
「……間に合うの?」
嬢ちゃんが聞いた。
「間に合わせる」
俺は言った。考える前に口が動いていた。
嬢ちゃんが俺を見た。あの氷みてえな目で。──だが、ほんの少しだけ口の端が動いた気がした。
「任せるわ」
短い一言だ。だがこの嬢ちゃんの「任せるわ」は重い。任せると言ったら、本当に任せる。口を出さない。その代わり、結果は求める。
工房に戻って、弟子どもを集めた。
万の電球。全区画の配線。設置。通し稽古。日数を逆算すれば、どう考えたって足りねえ。
だが、やると言った。
全員を集めて言った。寝る間も惜しんで引け。交代で炉を回せ。線引きと封入と配線を同時に進めろ。
弟子どもは文句を言わなかった。──いや、文句は言った。言いながら手を動かした。
俺も引いた。親方だからって座ってる場合じゃねえ。弟子と並んで炉の前に立って、朝から晩まで線を引いた。
だが足りなかった。
嬢ちゃんが人を回してきた。鍛冶屋、大工、元兵士──手先が器用な奴は片っ端から工房に放り込まれた。
寄せ集めだった。作法もバラバラで、線引きの基本も知らない連中だ。鍛冶屋は力任せにダイスを通そうとする。大工は木を削る手癖が抜けない。元兵士は号令には慣れているが手先はからっきしだ。
俺は一人ずつ教えた。炉の前に立たせて、手を添えて、何度でもやらせた。線が折れるたびに「もう一回だ」と言った。何十回でも。
教える暇があったら自分で引いたほうが早い。だが一人の手には限界がある。
人は増え続けた。全員が俺の指示で動いている。
いつの間にか「ギュンター隊」と呼ばれるようになった。
俺は隊長なんかじゃねえ。ただの職人だ。
──だが、こいつらの腕に責任を持つのは俺しかいねえ。
何日続いたか覚えてねえ。気づいたら電球の山ができていた。
帝都の目抜き通り。街路灯の設置作業が始まった。
俺が引いた配置図を広げた。パレード経路を主軸にして、枝状に電池と街路灯を配置する計画だ。
「この区画は目抜き通りの道幅が広いから、ここに電池を置く。ここから東西に各三本ずつ、通りの電球をカバーできる。裏通りは狭いから、別の区画から引く」
ギュンター隊が各区画に分かれた。何組にも分け、それぞれの持ち場で電池を据え、柱にガラス球を取り付け、電線を引く。
目抜き通りの広い場所に電池を設置する。重い。男二人がかりで運んだ。柱にガラス球を取り付ける。高い位置に固定するために梯子を使う。元大工の奴が手際よく登った。電池から短距離の電線を各灯へ引く。配線を束ねて、柱に沿わせて、目立たないように固定する。
俺は全区画を回った。一つ一つ確認する。フィラメントの状態。真空の封入。配線の接続。ガラス球に曇りがないか。電線の被覆に傷がないか。接続部の銅線が緩んでいないか。
手を抜いた仕事は、すぐに分かる。
「手を抜いたら、当日消えるぞ。一個でも消えたら、俺がお前らを消す」
「はい!!」
野太い声が通りに響いた。道を歩いていた帝都の住民が何事かと振り返っていた。
昼過ぎに、嬢ちゃんとエマが視察に来た。
嬢ちゃんがいつもの顔で通りを歩いている。銀色の髪が日差しに光っている。エマが半歩後ろを付いて歩いている。手元のメモ帳に何か書き込みながら。
俺は号令をかけた。
隊員たちが作業の手を止めた。工具を置き、立ち上がり、整列する。おっさんどもがずらりと並ぶ。元鍛冶屋の腕は丸太みてえに太い。元大工の肩幅は戸板みてえに広い。元兵士の背筋は定規みてえに真っ直ぐだ。
汗と煤にまみれた、およそ上品とは縁遠い面々だった。
嬢ちゃんが設置済みの街路灯を一本ずつ見て回った。配線の引き回し、電球の固定、電池との接続。エマがメモ帳に何かを書き込んでいる。
嬢ちゃんが足を止めた。
「ここの区画、配線の余長が短いわ。風で揺れた時に接続部に負荷がかかる。直しなさい」
鋭い。あの距離から見て気づくのか。
「それから、電池の配置をもう少し奥にしなさい。パレードの行進で蹴飛ばされたら終わりよ」
嬢ちゃんが隊員たちの前に戻ってきた。全員を見渡した。
「結婚式まで日がないわ。設置する街路灯の数は膨大よ。正直に言えば、間に合うかどうかは、あなたたちの腕にかかっている」
嬢ちゃんの目が、一人一人の顔を見た。
「私の設計を、形にできるのはあなたたちだけよ。──任せたわ」
全員が嬢ちゃんに向き直った。
息を揃えて──
「「「お任せくださいませ、お嬢様」」」
一瞬の沈黙が落ちた。
嬢ちゃんが隣のエマを見た。
「……エマ、これは何?」
「私に聞かれましても……」
エマが困った顔をしている。知らねえよ、俺も。
いつの間にかこうなっていた。エマが嬢ちゃんを「お嬢様」と呼んでいるのを聞いた隊員の一人が、真似をした。それが広がった。誰が最初に言い出したのかは分からねえ。気づいた時には号令の返答が「はい」から「お任せくださいませ、お嬢様」に変わっていた。
俺は止めなかった。
──悪くねえと思ったからだ。
こいつらは元鍛冶屋で、元大工で、元兵士だ。「お嬢様」なんて言葉は似合わねえ。ムキムキのおっさんがずらっと並んで「お嬢様」と唱和する絵面は、我ながらどうかと思う。
だが全員が本気でそう言っている。
嬢ちゃんの仕事に応募して、嬢ちゃんの設計を形にして、嬢ちゃんの作る未来を信じている。こいつらは、嬢ちゃんの腕を認めた職人だ。腕のいい奴には従う。それが職人ってもんだ。
──だから「お嬢様」なんだ。
嬢ちゃんは無表情のまま設置状況を確認して帰っていった。エマが何度か振り返って、首を傾げていた。
◆
数日後。帝都郊外の空き地に、ギュンター隊が集まった。
嬢ちゃんが立っている。
「パレードで電球を掲げて行進しなさい。音楽に合わせて」
「……音楽に合わせて、何をだ」
「街路灯のスイッチを入れるタイミングを、パレードの進行に合わせるの。音楽の拍に合わせて、一本ずつ灯していく」
パレードが進むにつれて、通りの街路灯が順番に点いていく。光の波が通りを走る。──嬢ちゃんの頭の中にはもう完成図があるのだろう。いつものことだ。
だが俺たちは職人だ。
「……俺たちは職人だぞ。踊り子じゃねえ」
嬢ちゃんが俺を見た。あの、氷みてえに冷たい目だ。
「踊り子にしろとは言っていないわ。正確に、タイミングを合わせなさい。あなたたちの得意分野でしょう?」
くそ、言い返せねえ。
確かに、タイミングを合わせる精密作業は俺たちの本業だ。タングステンの線引きは、温度が1710度になった瞬間を狙ってダイスに通す。一秒の遅れが線を折る。それに比べれば、太鼓の拍に合わせて歩くくらい──。
いや、やってみなきゃ分からねえ。
太鼓を打つ。軍楽隊の代わりに、隊員の一人が拍を刻む。
ドン。ドン。ドン。ドン。
電球を掲げて歩け。拍に合わせろ。足を揃えろ。
──最初からバラバラだった。
電球を掲げる高さがまちまちだ。歩幅が合わない。拍を聞いてから足を出す者と、拍を先取りする者がいる。元兵士の奴だけは歩調が揃っているが、隣の鍛冶屋がまるで駄目だった。
三番の奴が電球を落とした。ガラスが割れた。フィラメントが地面に散った。
「おい! 三番! 半拍遅い!」
「す、すみません!」
「謝るな! もう一回だ!」
最初からやり直す。太鼓の拍に合わせて歩く。電球を掲げる。足を揃える。
崩れる。やり直す。
何度も何度も繰り返した。
七番の奴が隣とぶつかった。五番の奴が拍を見失って立ち止まった。十二番の奴は電球を掲げる腕が徐々に下がってきて、ガラス球が額にぶつかった。
日が傾いた。影が長くなった。空が赤くなった。
それでもまだ揃わない。電球を掲げる腕が震え始めた。足がもつれる者が出てきた。
日が暮れた。
隊員の一人が膝をついた。
「親方……」
息が荒い。腕が上がらないのだろう。電球を地面に置いて、両手を膝についている。額から汗が滴っている。
「俺たちは職人です。こんな、行進みたいなこと──できません」
他の隊員たちが顔を見合わせた。何人かが目を伏せた。空気が折れかけている。誰もが同じことを思っている顔だった。
俺は歩み寄った。
膝をついた隊員の前に立った。
「──できねえんじゃねえ」
声が、暗くなった空き地に落ちた。
「やったことねえだけだ」
全員が俺を見た。
「お前ら、タングステンの線引きもやったことなかったろう。ガラスの真空封入もやったことなかったろう」
誰も答えない。だが全員が知っている。最初はダイスを通すたびにタングステンが折れた。ガラス球を封入するたびにひびが入った。何本も何本も失敗した。
「──全部、やったことねえことだった」
俺は一人一人の顔を見た。鍛冶屋の顔。大工の顔。元兵士の顔。どの顔も、最初は線引きなんかできるはずがないと思っていた。だがやった。
「だがやった。俺たちはやる職人だ」
静寂。
虫の声が聞こえる。夜の風が吹いている。
膝をついていた隊員が顔を上げた。俺の目を見た。
それから──立ち上がった。
「もう一回だ」
隊員たちが息を吸った。
「──はい!」
俺は先頭に立った。電球を掲げた。太鼓が鳴る。
歩いた。
背中で見せる。言葉じゃねえ。手本だ。俺が正しく歩けば、こいつらは付いてくる。職人は、口より目で盗む。
ドン。ドン。ドン。ドン。
一歩。一歩。一歩。一歩。
背中に気配を感じた。足音が揃っていく。一人、二人、三人──全員の足音が、一つの音になっていく。
今度は、誰も止まらなかった。
◆
結婚式の三日前。夜。
本番と同じルートで通し稽古をした。帝都の目抜き通りを夜間封鎖し、非公開で実施する。嬢ちゃんの許可が出ている。
冷たい夜風が通りを吹き抜けていた。灯りのない通りは暗い。月明かりだけが石畳を照らしている。
ギュンター隊の半分が電球を掲げて行進する。残り半分が各区画の持ち場に散り、行進に合わせて電池のスイッチを入れる。
全員が持ち場に着いた。
太鼓が鳴った。
行進が始まる。
最初の区画の街路灯が灯った。
暗闇の中に、白い光がいくつも灯った。
次の区画。その次の区画。
光の線が通りを走った。行進の先頭が進むたびに、次の区画が灯る。太鼓の拍に合わせて、暗い通りに光が伸びていく。
持ち場の隊員が次々に報告を上げる。
「B区画、点灯確認!」「C区画、点灯確認!」
小僧が電池の傍で計測していた。
「この消費なら一時間は持つ。いける」
報告が続く。D区画。E区画。F区画。
光が伸びていく。暗かった通りに、区画ごとに光の帯が広がっていく。
隊員たちの足は揃っている。電球を掲げる高さも揃っている。あの日、膝をついた男の腕は、もう震えていない。
通り全体が光に包まれた。
さっきまで月明かりしかなかった通りが、白い光で満たされている。石畳が光っている。建物の壁が光を反射している。行進する隊員たちの顔が照らされている。
……悪くねえ。
隊員たちが歓声を上げた。「やった!」「点いた!」「全部点いてる!」
「まだ本番じゃねえ! 浮かれるな!」
俺は怒鳴った。
だが振り返った時、口元が少しだけ緩んでいるのを、自分でも分かっていた。
◆
結婚式の前夜。工房。
最終点検を終えた。電球の予備。配線の予備。電池の残量。全て確認した。予備のフィラメントも十本用意してある。何があっても対応できるようにした。
ギュンター隊が全員集まっている。工房は狭い。これだけのおっさんが入れば、肩がぶつかる。炉の火は落としてある。作業は全て終わった。
空気が張り詰めていた。緊張している。当然だ。明日は各国の来賓が見ている前で行進する。一つでも灯が消えたら──。
いや、消えねえ。俺たちが作ったものだ。俺が一つ一つ確認した。こいつらが一つ一つ仕上げた。
「いいか」
俺は口を開いた。
「俺たちは職人だ。祭りの出し物をやるんじゃねえ」
全員が俺を見ている。
「──作ったものを、見せるだけだ」
俺が設計図を読んで、こいつらが形にした。フィラメントを引き、ガラスを吹き、真空に引き、配線を繋いだ。全部、この手でやった仕事だ。
「堂々と歩け。俺たちが作った光だ。胸を張れ」
一瞬の間。
そして──
「「「お任せくださいませ、お嬢様!」」」
声が工房を揺らした。
「……俺はお嬢様じゃねえ」
笑い声が上がった。俺は止めなかった。
嬢ちゃんが設計して、小僧が理論を作って、俺たちが形にした。
一人じゃできなかった。誰一人欠けても、できなかった。
──明日、この街が光る。
俺たちの手で。




