rainy day
「ありがとうございましたぁー!
またお越しくださいませ!」
居酒屋の店員さんから元気な声で見送られて
お店の引き戸を引き、外に出る。
12月の夜。
頬に刺さるような冷気を感じる。
私は、ぶるっと身震いをして首に巻いていた
マフラーを上げて顔半分を覆った。
急いで手袋も装着。
今まで一緒に食べたり飲んだりしていた
会社の面々がガヤガヤとお店から出てきた。
「先輩、二次会行きましょうよぉー」
お酒が回っていい気分になっている
同じチームの後輩に腕を引っ張られる。
「あー、ごめん。
私、これ以上飲んだらぐでんぐでんになって
みんなに迷惑かけるから
今ぐらいのほろ酔いが丁度いいんだ。
私に遠慮せず、みんなで行っておいで」
私は笑顔を作って、後輩の手をそっと解いた。
「うー。先輩も一緒がいいよー」
普段あまり愛想が良い方ではない私を
先輩、先輩と何故か慕ってくれている後輩だし
とても残念がってくれている様子を見ると
行ってあげた方がいいのかな、なんて申し訳
なくも思ってしまう。
私が苦笑いを浮かべていると
「ほらほら、無理言っちゃだめ。
麟燐姉は一次会だけ現れる、レアモンスター。
言うなれば、はぐれメタル。
倒せたらラッキーサボテンダー的なやつ」
長身の裕優がマフラーを巻きながら
ニコニコして"上手いこと言ってるな、わたし"
って顔で加わってきた。
いつもはキリッとしている顔を
少し赤くして緩めている。
「えー!先輩が潰れたら私が介抱しますから!
ね。行きましょう♪」
酔っぱらいの介抱なんて、面倒なだけなのに
何でこの子は目をキラキラさせてるだろ…。
しかも顔近い。
さすがに、こ、怖い…。
「…そんなね、鼻の息荒くして
"よっしゃー!先輩の介抱願ったり叶ったり!
あわよくば…ムフフ♪"
な感じで言われたら益々、麟燐姉のお世話は
任せられません」
「あ…え…そそそ、ソンナコトハ…」
裕優に白い目で言われた後輩は目を泳がせて
ゴニョゴニョと言って小さくなってしまった。
「ははは。
麟燐姉の代わりに私が相手してあげるからさ
我慢してよ?
そう言うわけで、麟燐姉は帰って大丈夫だよ。
他の先輩たちも麟燐姉がレアモンスターって
わかってるから。
今度、姫媛姉と3人でゆっくりご飯行こうね♪」
「うん。ありがとう、裕優。
じゃあ、また月曜日ね」
「はい。お疲れさまでした」
「先輩、お気を付けてぇ~」
私は笑顔で2人に手を振ってお店の前を離れた。
私は大学を卒業して
玩具メーカーに就職した。
今日は私が所属するチームが1年ほどかけて
開発してきた商品の企画がめでたく通って
正式に生産されることが決まったので
その打ち上げの日だった。
私は主にデザインを担当した。
裕優はチーム長のすぐ下で
全体的な開発に関わっていたし
会社のお偉いさんたちの前で
何度も必死にプレゼンしてきたのを知ってる。
私も今回の企画が通って我が子が志望校に
合格したような気持ちで万感の思いだけど
裕優の思いは私の比では無いと思う。
「よかったね。裕優」
打ち上げの間中、大きな口を開けて
楽しそうに笑っていた裕優を思い出して
私もふと笑顔になり、そう呟いていた。
21時過ぎたばかりの繁華街は世の中の経済を
動かしてるサラリーマン風の集団や
仕事帰りの気兼ねない女子会を楽しんだ人
まだまだ元気いっぱいの学生達で賑わっている。
そんな人たちとすれ違って
駅までの道を歩いていたら
頬に水滴が当たった。
あ、雨かな。
そう思った時には
ざぁっと降りだしてきたので
私は慌てて持っていた傘を広げた。
朝から少し降っていたし
行き交う殆どの人は傘を持っていたようで
すぐそこかしこで花のように傘が開いた。
傘に雨が当たる音と、すれ違う人の話し声
通りすぎる車の音を聞きながら歩いていたら
少し前の方シャッターが閉まったお店の店先で
雨宿りしている女の子が目に入った。
その子は顔を少し上げて
ぼんやりと空を見上げている。
肩に掛かったバッグと
傍らに大きめのスーツケース。
旅行かな。
にしては、観光地でもないこんな繁華街に
旅行客がいるなんて場違いな感じがした。
私が1歩づつ進む毎に
彼女とも距離も近くなってくる。
すぐに止みそうにない雨。
12月。
吐く息は白い。
一番気になったのは、その子の表情。
ぼんやりと途方に暮れてるように見えるけれど
それは決して雨が降ってきた事に対してじゃ
ないって、なんとなく思った。
とても寂しそうに感じた。
心細そうだった。
あと5歩くらいで彼女の目の前を通過する。
普段の私なら考えられないけれど
でも私はどうしてもその子がほっておけなくて
「あ、あの…どこまで、行くんですか?」
立ち止まって、彼女の正面に立ち
そう声かけていた。
彼女は、ぱっとこっちに顔を向けて
少し驚いたように目を開いている。
「あ…えと…」
右手を胸の前でキュッと握って
そう言う彼女を見ると
こっちを警戒しているのがわかった。
私は普段から人とコミュニケーションを
取るのが得意な方ではない。
初対面の人となんて
正直距離の取り方がわからない。
さっきこの子に言った言葉は
多分その真意が伝わっていないだろう。
駅まで行くので、行き先が一緒なら
傘に入りませんか?
そう繋げたかったのに
きっと私の声のトーンの低さから
警察が家出娘に職務質問する時みたいな感じに
受け取られたのだろう。
自分のコミュニケーションスキルの低さにへこむ。
「す、すみません、突然。
…えーと、雨も止みそうにないし
荷物も多そうだし。
何より寒いです」
「そ、そうですね…」
彼女はキョトンとして私の話にただ同意した。
ぐあーーーー!
なんで、なんで伝わらない!
多少パニックを起こした私は
「この傘、あげますから使ってください!」
手袋をしてない彼女の手をとって
傘を握らせた。
踵を返して、駅までダッシュしようとしたら
「ままま、待ってください!」
と腕を掴まれた。
「な、なんですか?」
「なんですかって私に傘あげちゃったら
貴女はどうするんですか!?
貴女の言うように、雨は止みそうにないし
寒いのに!」
振り返ると、意志の強そうな眉をハの字にして
そう問いただしてくる彼女。
私の腕を掴んでいる手を少し自分の方に引いて
濡れないようにしっかり傘を私の頭の上に
翳してくれている。
「は、走るから大丈夫です!」
「走ったって濡れるもんは濡れるでしょ!?」
「濡れません!」
もう、勘弁して欲しい。
知らない人に声をかけるなんて
今となっては、何で自分がそうしたのか
わかんないのに…。
しかも、途中で対処の仕方がわかんなくなってる。
トホホである。
とにかく当初の目的である
彼女を雨に濡らさないという事だけは
果たそうと思って傘を渡しただけなのに
これ以上、私を混乱させないで欲しい。
「な、何言ってるんですか!?
濡れるに決まってるでしょ!
濡れない根拠は何!?」
濡れない根拠?
そんなの知らない。
「よ、よ、避けるから!」
意味不明の問答をしている私たちを
チラチラ見ながら、沢山の人とが通り過ぎている。
「…あ、えと…避けるって雨を?」
ポカーンとしてそう言った彼女に
こくっと頷いて答えると
その子は傘を持ってない方の手を口元にやって
肩を震わせて笑いを堪えている。
「ふふふ…雨を避けるってすごいね」
目がなくなるような笑顔を浮かべた彼女は
「ありがとう。
貴女が言いたいこと何となくわかった。
その気持ち、凄く嬉しい」
と言った。
その笑顔にドキッとして
カァッと赤くなるのを感じて
目を逸らしてしまったけれど
やっと目的が果たせると思ってホッとした。
「そ、そう?よかった。
じゃあ、傘使っていいから。
気をつけてね。さよな…「ねぇ!」
私がさよならの挨拶をして
駅の方に行こうとしたら
彼女にまた腕を掴まれた。
「傘、借りるかわりに、ご飯一緒に食べよ?
おごらせて?」
「え?い、今から?」
「うん、そう。決まり♪
じゃあ、行こう行こう
はい、傘持って?
えーっと…貴女の名前は?」
「え?」
「名前は、何て言うの?」
「あぁ…麟燐」
「麟燐ね。じゃあ、麟燐が傘持って?
ご飯食べてる間に、雨止むといいなぁ。
…ね?行こ」
楽しそうな彼女の笑顔を見ていると
なんだか口を挟むことができなくて
否応なく、話がまとまった。
「あ、ねぇ」
小さな傘の中で、肩を並べて
できるだけ彼女と彼女の荷物が濡れないように
傘をさす。
「ん?なぁに、麟燐」
名前を呼ばれて心臓がトクンとした。
少し低めの彼女の声は
なんだか私の耳に心地いい。
「あなたの名前は?」
「あ。聞くだけ聞いて名乗ってなかったね」
ごめんね、と笑って彼女は自分の名前を名乗った。
「葵碧だよ」
「葵碧…」
呟いて、私は今日初めて会った彼女の名前を
記憶した。