014×骨折りの騎士団長
「来て欲しかった。けど、それ以上に来て欲しくなかったな」
矛盾を孕んだ言葉を吐く騎士団長。
哀愁漂う微笑を型作っている彼は、こちらを見据える。垂れている長めの前髪は、ビュウビュウとまるで悲鳴のように聴こえる風によって、横に流れている。
吹きすさぶ風は、我流の唇をカサカサに渇かす。
少しでも身じろぎしてしまったら、呑まれる。視線を外せない。さらには唇を湿らすこともできず、ただ棒立ちになったまま騎士団長が話すのを待っていた。
「こんなところまでわざわざ足を運んでもらって悪いね。話し合いをするだけならもっとふさわしいスポットがあったのだろうけど、きっとそうはならないだろうっていう確信があったからここに呼び出したんだ。そして……やっぱり芽映ちゃんも一緒みたいだね」
チロリ、と桐咲の後方を視認するかのように、首をカクンと傾ける。
そして焦点を再び我流に合わせると、
「……ねえ、我流くん。この質問は何度目か分からないけど、今度こそハッキリと答えて欲しい。どうして朝日と戦いたいのかな? 他にいくらでも相手がいるはずだよね? なんでよりにもよって彼女に固執するんだ。そんなに彼女のことが憎いのかな?」
憎いか。
憎くないか。
それは答えを出すには、あまりにも簡単な質問だった。即座に頭に浮かんだ返答を一瞬口に出そうとしたが、厳かに訊いてくる騎士団長のために目を閉じて真剣に黙考する。
日影の顔が脳裏に浮かぶ。
彼女はいつも悲しい表情をしている。
笑っている時も、どこか嘘くさかった。
戦いたくない。
そう言っていた彼女に、我流は試合をするように迫った。困ったような表情で、彼女は更に戦いを否定した。拒絶反応することぐらい、訊く前から分かることなのに。
再戦を申し込んだのは何のためか。
腹いせに、負けた恨みを晴らすためか。
緩慢に眼蓋をこじ開ける。
「憎くないです」
ああそうだ。
やはり、どれだけ熟考しても日影を憎めるはずがないのだ。
彼女と再戦することばかりに執心しているのは、きっと憎むとは全く別ベクトルの感情があるからだ。
「好きか嫌いかで言えば、むしろ好きです。大好きです。愛しています」
正直、日影との試合の全てを覚えているわけではない。
最後の最後。
頭に強い衝撃を受けたせいで、記憶が飛んでしまっている。真っ白な光に包まれてから、そのあとどんな攻撃を食らったのかも覚えてない。途方もない衝撃が躯を貫いていって、そのせいでもしかしたら自分は壊れてしまったのかもしれない。
でも、あの時確かに感じたのだ。
彼女の心を。
試合の中で幾度となく語り合ったのだ。
口ではなく、拳で。
もしも彼女の言葉通り戦いが嫌いな騎士だったならば。まるで義務のように試合を嫌々こなしていたならば、ここまで彼女のことを想ってなどいないだろう。
日影は戦いを心の底から楽しんでいた。
だからこそ、彼女の心に呼応するかのように、こちらの心も高揚した。桐咲の言葉を借りるならば、あれが『心が震えた』というやつなのだろう。
細胞が燃え上がるみたいに、全身が熱かった。
傷つく度に傷つけ。
殴られながら殴った。
終始笑いながら槍を振るっていた。
試合とか戦いとか、そんな既存の言葉では説明できない。
全てを超越したなにかがあった。
それが何なのかを知りたい。そしてその答えを見つけることができるのは、日影との『騎士の饗宴』だけだ。
だからこそ、最後の特攻が悔やまれる。
考えなしに突っ込んでしまって、そこからプツンと意識がショートしてしまった。一瞬の読み間違いで、全てが終わってしまった。
あの時の続きをしたい。
しなければならない。
「いや、愛しているは過剰でした。でも、嫌いじゃないことは確かです。憎んでもいません。そんなはず………ないじゃないですか。俺はあの人にたくさん大事なものを教えてもらいましたから」
「それは、敗北から得たものがあるって……そういうことかな?」
「そう……ですね。それもあります」
「我流くん。それはね――」
「俗に言う、負け犬の遠吠えっていうやつなんだ」
騎士団長は断言する。
瞳に一点の曇りもない。
「君は負けて得るものがあると思っているようだけど、それは絶対に間違ってる。負けて得るものなんて何一つなく、失うものしかないよ。君は負けた事実を頭の中から消し去りたいから、彼女と執拗に戦おうとしているだけじゃないのかな? 勝つことによって、過去の弱い自分から目を逸らそうとしているだけなんじゃないのかな?」
「……らしくないですね。騎士団長なら、もっと柔軟な発想をすると思っていましたが」
「柔軟だよ。骨折り損は美徳であるっていう。無駄な努力には価千金の価値があるっていう、どこぞの負け犬主義の風潮が世に萬栄しているのに、反骨精神を抱くぐらいには柔軟さ。やって後悔するより、やらないで後悔する方がよっぽど賢いと思わないかな? どうせ後悔するんだったら、痛い思いなんてしない選択肢を選ぶ方が圧倒的に正しいと思うんだ」
実際に痛い思いを。
骨を折っている騎士団長に即座に反論できるわけがなかった。
「敵前逃亡したっていいんだよ。力いっぱい戦った後に、敗退し……それで心を磨り減らしてしまって、戦えなくなってしまったら本末転倒だよね」
「でも――俺は今戦う意志がありますよ」
「今は、ね。君はデビュー戦で。騎士としてとくに年月を重ねていない時期に負けた。それはある意味では最高に幸運だった。不幸中の幸いというやつだよ。あの頃の君は負けて当然だった。でも君は朝日と訓練していたんだろう? 芽映ちゃんと野試合をして勝ってしまったんだろう? 『騎士の饗宴』というものを知ってしまったんだろう? それじゃあ、もうだめだ。もう彼女と戦ってはいけない」
「……なんでですか?」
「積み重ねたものが崩れる。それも彼女のような圧倒的な強者の手によって。それがどれほどの苦痛か。それを今の君に想像しろという方が無茶な話だよね。けれど、僕は君を止めるために。助けるために、淡々と事実だけを述べるよ。彼女は『騎士の饗宴』で、数え切れないほどの人間の人生を狂わせてきた」
騎士団長は我流なんかと違って色々知っているのだろう。
知らなくてもいいことも、知ってしまった。
だからこそ忠告してくれている。
我流が痛い思いをしないように、導いてくれている。
「彼女と戦って、引退した人間。再起不能になった人間の顔を君は見たことがあるかな? まるで、生きながらにして死んでいるようだったよ。そして僕も……そのうちの一人だ」
「…………そんなことないですよ」
騎士団長は、少なくとも普通だ。
生きながらにして死んでいるような人間には思えない。
「……右腕がほとんど動かないんだ」
ギプスをはめた腕を見せつける。
包帯が巻いてあるそれは、とても痛々しかった。
「医者が言うには完治しているはずなのに。彼女と戦って唯一得たものといえば、イップスというやつらしい。精神が破綻してしまった人間に起こる症状だよ。まさか自分の心がこんなにも軟弱だとは思わなかった。もっと精神的に強く逞しい人間だと自負したいたのに。こんなことになるなんて……。ああ。こんなことなら、戦わなければ……彼女と出会わなければ良かった」
騎士団長が日影と戦ったらしい。
『騎士の饗宴』にエントリーしなくなった理由は、その日影との戦いがあまりにも凄惨な結果だったからで。そのせいで彼女との思い出を全否定してしまっている。
「俺は……後悔なんてしてませんよ」
騎士団長と我流では考え方が違うようだ。
日影と戦ったという点では同じだが、明確な相違点はある。さっきから騎士団長はできるだけ後悔しないような、冴えたやり方を言及している。
だが、こちらは塵芥の後悔もしていないのだ。
「そりゃあ。確かに負けて悔しかったです。死ぬほど辛かったです。実は試合が終わった後、トイレで悔し涙を流しました。もう恥も外聞も殴り捨てて、『騎士の饗宴』なんて一生やりたくないって一瞬思いました。即行で騎士団を脱退しようと思いました」
観衆の憐憫の視線を浴びせられながら、敗残兵のように闘技場から背中を丸めながら歩いていた時が一番肩を落としていた。
「でも、俺辞めてないんですよね」
どうしてなんでしょうね? と、言葉を継ぐ。
「もしもまだ俺のことを制止するっていうなら、今度こそトリニティ騎士団を辞めることになります。だけど、それは敗北した過去から逃げるためじゃありません。俺はまた彼女と再戦したい。ただ……それだけのために辞めようと思います」
騎士団長は、理解しがたいと言いたげだ。
まるで宇宙人でも観ているかのように、騎士団長は頬を強ばらせる。
「負けて味わったのは後悔だけじゃなかったんです。『騎士の饗宴』にエントリーしてから、楽しいことだってたくさんあったんです」
騎士団長だって、後悔することばかりじゃなかったはずなんだ。
だから、我流の意志を認めてほしい。
「……行かせてください」
ふぅ、と騎士団長はなにかを諦めるように一息つくと、腕を上げる。
それは、開戦の合図。
交渉はやはり決別した。
「やっぱり僕は騎士団長に向いていないみたいだね。また、僕のせいで騎士団から足を遠ざけてしまう騎士ができてしまうなんて。でも、僕は今度こそ、失敗しない。こんなことでしか、君を騎士団に留める方法を思いつかないけれど、やるしかないみたいだね」
鉄橋の番人のように立ち塞がる騎士団長。
道は完全に塞がれている。
その先にある未来に進みたくば、倒すしかない。それが例え、我流の面倒を見てきてくれた大恩ある騎士団長であったとしても。
「僕は君のために、全身全霊で君を倒そう」




