012×新人騎士の志望動機
さわさわと、囁くように木の葉が擦れる。
差し込んできた陽光に晒されるのは、我流と、それから横たわっている桐咲。彼女は眼をしっかりと瞑っていて、未だに覚醒する気配がない。
後ろ手を長椅子につく。
木造の長椅子はひんやりとしていて、気持ちいい。
けれど、ふくらはぎを掴んでくる桐咲の手は温かい。掴みというより、服越しに肉をつねっている。少し痛い。
気絶している彼女が無意識のうちに、つねってきたのだ。
もしかすると、ぬいぐるみや抱き枕などがないと眠れない性分なのか。
「……うっ……」
桐咲が気がついたらしい。
状況を把握するためにガバッと体を起こすと、半眼で周囲を見渡す。
「無理して動くなよ。気絶してたんだから」
「私……どのぐらい気絶してました?」
「1、2分ぐらいじゃないか? 目を覚まさないものだから心配したけど……悪い。やり過ぎたよな」
神社らしく、拝むみたいに両手を合わせる。
「……いいですよ。それだけ……私との戦いに夢中になってくれてたってことですからね」
「そ、そうか?」
桐咲は満足そうに微苦笑する。
でも、こちらの気はそれで収まらない。年下の女の子相手を気絶させてしまった。それは明らかにこちらの落ち度だ。
脇に置いてあった、ジュースの缶を差し出す。
コーヒーと紅茶。
炭酸系は飲めない人間も稀にいるから、とりあえず無難なラインナップで揃えてみた。何度も桐咲に奢っているうちに、細やかな気遣いまでできるようになった。そんな自分のパシリ根性が悲しい。
こんなことで野試合のやるすぎた感が拭えるとは思えない。だが、桐咲に何かしてあげたいのだ。それが例えどんな些細なことであったとしても。
「はい。どっちがいい?」
「これ、どうしたんですか? サテン…まさか! 気絶していた私を置いてどこかに行ってたわけじゃないですよね!? そこらを徘徊しているロリコンの方に襲われたらどうするつもりだったんですか?」
「ここに運んくる途中で自動販売機あったから、買っただけだ! 流石に今のお前を置いてどこかに行けるか!」
「なら、よかったです……」
じゃあ、私は紅茶で、と妙に素直に受け取ると、コクコクとゆったりペースで飲み始める。こちらもそれに倣ってコーヒーを嚥下する。
飲み始めると、物理的に喋りづらくて。
二人して黙り込んでしまう。なんでもいいから喋らないと。そう思っていると、
「先輩」
「……どうした?」
「私がトリニティ騎士団に入団した理由って話したことなかったですよね」
「なんだよ……唐突だな」
「なんだか喋りたくなっただけです。いけませんか?」
ジッ、とこちらに顔を向けてくる桐咲は、いつものようなおちゃらけた雰囲気など皆無で。
ちょっとやそっとの覚悟で聴いてはいけないような、そんなシリアスな瞳をされる。これから喋ることは、もっとプライベートなこと。本心で聴くのが嫌だったならば、断った方がいい。自分には荷が重いと感じたならば、スパッと一言で……。
「いや、いいよ」
桐咲がどうしてトリニティ騎士団に入団したのか気になっていた。
我流は自ら志願して、トリニティ騎士団に入団したわけではないから。
余計に他人の志願理由には興味がある。
知り合いの理由ならば、なおさらだ。それに、桐咲も話したがっている。ここで聴いておかなければ何かが決定的に終わってしまうような気がした。まだ桐咲とはこれからも仲良くありたい。だから、知っておきたいのだ。
「……私のママ……じゃなくてお母さん……」
プシュゥ、と、気恥かしそうにしている桐咲の頭上から湯気が出る。
最初からいきなり誤爆。そんなに恥ずかしいことではないが、桐咲的には帳消しにしたいほどのことだったらしい。
どうやら自宅では、母親をママと呼んでいるらしい。
「ママでいいぞ」
「いえ、お、お母さんでいいです。というかそれで言わせてください」
はぁああー、と悔恨したように、両手で顔を覆いながら懇願してくる。なんだかその仕草が、妙に可愛い。
気を取り直したように、こちらを見やると、
「お母さんは栄養士の資格持ってるんです。学校の給食センターで働いてて。だから、凄くうちの献立には気遣ってるんですね。やっぱりご飯はおいしいし、栄養バランスはいいし、とっても助かってるんですけど。一つだけ問題があって……。実は……甘い食べ物系が食べれないんです。家では」
「…………」
いきなり話が飛躍して、眼蓋をパチクリしてしまう。
なんでいきなり、お母さんの話? もっと騎士になる志を抱いたきっかけのような。幼少時代の騎士への憧憬とか、そんなことを長々と聴かされると思って身構えていたのに。
どうして家庭内事情?
完全に肩透かしをくらってしまった。
最終的にトリニティ騎士団の志望動機でも答えてくれるのだろうか。
「なんで? 甘いものぐらい食べてもいいだろ?」
「なんかお母さんが言うには、お菓子とか甘いものは有害物質。食べたら食べただけ寿命が縮まる。それがお母さんの持論なんです。私にはほんとうかどうかよく分からないんですけど、そういう風に言われて育てられてきました」
教育方針は家庭によって違う。
親が教養について感心があれば、塾やピアノとか習い事に通わせるだろうし。肉体やコミュニケーション能力を伸ばそうとすれば、それこそ騎士になるよう仕向けるだろう。
桐咲の母親の職業柄、ある程度の食事制限は仕方ないとも言える。
「だから他人の家に遊びに行った時には、オレンジジュースとか、クッキーとかそういう甘い系。お菓子系がでてくるのが、私にとってはすっ――ごく新鮮で。おいしそうで。それで、ある日食べっちゃったんです。お菓子やジュースを、友達の家で。それが母親にバレっちゃったんですよね。自宅に遊びに来てた友達の口からポロッと、お菓子の話題が出たのがきっかけで。そしたらお母さんどうしたと思います?」
「……怒ったとか?」
「そうですね。怒りました。しかもその女友達も含めて。どうしてうちの娘にお菓子なんて与えたの? あなたは責任とれるの? って。その時、私たちは小学生だったんですよ? その子は泣いて帰っちゃいました」
「…………それは」
それはいくらなんでも過干渉だ。
それが実の娘に対する情愛だったとしても。そんな行き当たりばったりな叱り方をすれば、しわ寄せがいくのは守ろうとしたその子どもだ。泣いてしまったその桐咲の友達が、家族や友達に愚痴らないわけがない。
そしたら、桐咲が周りからどんな仕打ちを受けるか。親になった大人が想像できないはずがない。
「友達と寄り道してカフェに行って。それから友達がケーキとか食べてる時に、私、こんな風に紅茶を飲んでるわけです。そうしたらやっぱり訊かれるわけですよ。どうして桐咲ちゃんは、いつもケーキ食べないのって? そしたら私はダイエット中だから、って答えるわけです」
紅茶に小ぶりな唇をつけ、過去を思い返すように眼を眇める。
「でも、いつまでもそんな言い訳続かなくて。ほら、やっぱりみんなと同じ行動しないと、ハブられちゃうじゃないですか。特に女子はそういうの大事なんですけどね。……別にいじめみたいにハブられたわけじゃないけど、なんだか微妙に友達から距離を置かれて……。それから小学生時代にお母さんが私の友達を激怒した噂が中学でも流れて。それからはもう……キツかったですね」
一度集団の枠から外れた行為をすると、大袈裟に批難される。
それからはドミノ倒しのように、多くの欠点を意図的に作り上げられてしまう。そんなことは桐咲でなくても、よくあることだ。風評被害を一度でも喰らってしまえば、イメージを回復することは難しくなる。
「自分の居場所がなくなってしまって。そんな些細な事で、友達に昨日までと違う反応をされて。友達が友達じゃなくなって。むしろ私の敵になって。なんで、こうなっちゃったんだろうなって。ちょっとグレて……」
「……まさか、盗んだバイクで走り出したりとか?」
「してないですよ! そんなことは……してないですけど、今みたいに、甘いものを買うようになりました。……そんな程度のことって思うかもしれないですけど、私にとっては一大決心ですよ。母親には呆れられて、そんなに有害物質を摂取したいんだったら、私はもう知らない! あなたが食べる分のご飯は全部あなたが作りなさい! って激高されて……。それから……自分でご飯作ってますね」
「作ってるって、三食全部!?」
中学生が自分の飯を全部料理なんてできるのか。
高校生であるところの我流でさえも、きっと三食全部作れない。料理の知識はもとより、自炊する時間なんかあるのか。
弁当とかも早朝早起きしなければ作れないはず。
「そんなに大変じゃないですよ。中学は給食がでるんで二食作るだけでいいですし」
「そうか……いや、一日二食作るのだけでもきついだろ?」
「うーん。そうですね。だから惣菜とか弁当とか、それから冷凍食品とか……。そういうのに頼っちゃう時がちょっと、たまに、ありますけど。時間がある時はちゃんと自分で作ってます。一ヶ月前ぐらい前からですけどね……」
「一ヶ月前って……ちょうど……」
「そうです。私が『騎士の饗宴』に出場し始めた頃ですね」
はにかむように頬を緩めると、
「私、先輩の試合を見て、トリニティ騎士団に入団したんです」
コーヒー缶を取り落としそうになった。
初耳だった。
あの負け試合を、桐咲が見ていた?
そんな素振り、一切彼女は見せていなかった。
「えっ? あんな負け試合を観て……どうして?」
普通勝った人間の方の……日影の所属している騎士団に入団志望するはず。
だが、実際に彼女が入団しているのはトリニティ騎士団だ。
「心が――震えたからです」
「…………」
返答が斜め上過ぎて言葉が見つからない。茶化していい場面ではないことは、彼女の声色から察した。
「諦めずに最後まで頑張るって、簡単なようで難しいですよね。実力差は明確なのに、それでも立ち向かっていく先輩の姿を見て……。そんなに『騎士の饗宴』って楽しいのかなって興味が湧いて、それで始めようと思ったんです」
かなりあの試合を美化しているようだ。
我流は勇気を振り絞って戦ったというより。本能の赴くまま。身体が動くままに死力を尽くしただけだ。
「そうして騎士団長に入団希望書を持っていたら、ちょうど先輩が怒られてて、あの時はほんと笑っちゃいましたね。だって……先輩ってば……あの時、無断で試合にエントリーしたんですよね? そういう無鉄砲なところ、私には全然なくて。そんな風に何かに挑戦できたら、流れに逆らうことができたら、弱い自分を変えることができたら、それってどれだけ素晴らしいことなのかなって思ったんです」
そうだった。
騎士団長にたっぷり絞られているところに桐咲が、空気を読まずに話しかけてきたのだ。明快に話す彼女にすっかり毒気が抜かれた騎士団長。それで叱責は打ち止めになった。
助かった、としか思ってなかった。我流にとっては途切れ途切れで色褪せた記憶となってしまっていたが、彼女にとってあれは特別な邂逅だったのか。
「私は……先輩みたいになりたかった」
それなのに、と心の底から後悔するように続ける。
「熱くなって。先輩のことを制止してしまいました。ボロボロになっても。誰かに反対されたとしても。果敢に立ち向かうその姿にこそ、私の理想を見たっていうのに。本当に――すいませんでした」
手を両膝に当てながら、ピシッと行儀よく頭を下げる。
「いや、謝るのは俺だよ! 悪いのは俺だから、そんな頭下げないで。……それに俺はそんな大した人間じゃない。桐咲の方がずっと凄いよ」
誉められるのは不慣れなせいで、妙にこそばゆい。
「だって、デビューしてから全勝している知る人ぞ知るホープだし。それに、誰よりも頑張り屋さんで、俺なんかよりずっと真面目に騎士団長の命令を聞けてる。そんな風に性格がいいのは育ちがいいからじゃないのかな」
「それは……」
ギュッ、と唇を引き締める桐咲。
言わない方がいいだろうか。
これ以上は、踏み込まない方がいいだろうか。でも、遠慮したくない。今は、滔々と自分の気持ちを語りたい。
「……ああ、悪い。家の話題はやっぱり嫌だよな。でも、やっぱり厳格なお母さんに育てられたから、桐咲って礼儀正しいし、性格だっていいし、女の子らしいって思うんだ」
「…………っ」
「スイーツ食べてる時だって、細かく切って食べてるし。口に持っていく時の動は優雅で気品があるっていうか。俺って不器用だから、ケーキとか食べてる時にポロポロこぼすしさ。……だから、そんなに自分のこと責めなくていいんじゃないのかな。そこまで悩まなくたって。俺みたいなことを尊敬しなくたって。桐咲はやっぱり、今までも充分凄いよ。お母さんとうまくいかないのだって、きっとどうにかなるよ」
「……先輩は、いつから私の家のことに口出しできるぐらい、私と親密な関係になったんですか?」
ふん、と顔を背ける。
その表情を伺い知ることはできないが、多分相当怒っているのだろう。
「あ、いや、お節介だとは思ったけど。やっぱり、同じ騎士団の騎士仲間が、家族と……大切な人と仲が悪いのって嫌だろ? だから……でも……」
どうやって桐咲の心に踏み込んでいいのか。
やっぱりそれは分からない。
器用にはなれない。
下手なことを言ってしまったら、桐咲を傷つけてしまう。でも、騎士団の騎士がここまで腹を割って話してくれたのだ。力になりたい。
愚痴なのか。
相談なのか。
カミングアウトなのか。
この話の本質は不透明だ。でも、とにかくこうして口にしてくれたってことは、頼ってきてくれたってことだ。だから、威厳なんて全くないけれど。先輩として、できる限りのことをやってあげたいのだ。
「冗談ですよ。そこまで私のことを訊いてくるなんて、正直驚きました。いつも他人に興味がなくて。自分のことしか、いえ、自分のことでさえも興味がないタイプの人間かと思ってましたから。いつも瞳のピントがあっていなくて、地に足がついていなくて、まるでここにいながらいない人間みたいな、そんな浮世離れした感じだったんですけどね」
「さ、流石にそれはないって」
ちゃんと桐咲のことだって興味津々だ。普段どんなスイーツ食べてるのかな、とか、それから、えっっと、それから……だめだ。今は特に質問が思いつかない。これが他人に興味ないってことなのか。
「大丈夫です。お母さんとは料理の話が噛み合わないだけで、それ以外のことは家族というより、まるで友達みたいに話せますしね」
そういうものなのか。
なんだか複雑だな。
「心配してくれてありがとうございます。でも、今心配すべきなのは先輩自身ですよ。これからどうするんですか? 本当に騎士団を脱退するなら、騎士団長の承諾を得ないと……」
そうだ。
せっかく桐咲が後押ししてくれている流れ。それを断ち切らないためにも、今度は騎士団長を説得するしかない。
そうなるためにまずできることといえば、きっと、誠心誠意自分の気持ちを伝えること。つまりは、話し合うことだろう。
「ああ。だから騎士団長には、こっちから連絡をとる。そして絶対に実現してみせる。――俺と日影の対戦カードを」




