1 魔の犬 1
正気度をかなぐり捨てて、いざ開幕。
――2025年12月某日――
座間晴香は小さく溜息をつきながら「またか」と思った。
その日の授業が終わり、教室から皆が帰る時間。
先頭にいたのは肩を組んだ男子数名。その中央にいる瀬戸洋の背を、彼女は憐れみと申し訳なさの混じる目で見ていた。
洋は……怯えながら卑屈な笑みを、無理に肩を組んでくる左右の男子へ交互に向けて、引っ張られるように教室を出て行った。
晴香と洋はご近所同士の、いわゆる幼馴染である。
だが高校1年生となった今では、交流など全く無い。教室で毎日顔を会わせるが口もきかない。
いつからだろう。洋はオカルト趣味に凝り始めた。
怪談話が好きだった程度のうちは良かったのだが……それが高じて、黒魔術だかマイナー信仰だかの、妙な装飾品を集め出した。
なんだかグロテスクなグニャグニャした指輪だの首飾りだのを、頻繁にSNSにアップするようになった。
よくわからないマニアックな趣味の話をやけに語りたがる洋を、いつしか幼馴染の晴香は苦手に感じて敬遠するようになった。
彼女だけではなく、周囲の同級生達も。
しかし洋を悪い意味で面白がる者達が現れた。
最初は洋を小馬鹿にして『いじる』程度だったが、何かの拍子に洋の収集品を馬鹿にしたらしく、大声で口論になった。
洋を『いじっていた』連中の、一番大柄な者が、洋を殴って黙らせた。洋は『馬鹿にしていいヤツ』だと決めつけられていたのだ。
そしてそれ以来、放課後になると頻繁に洋は連れていかれる。
幼馴染の晴香にも、どこへ行っているのかわからない。
首を突っ込んでなんとかしてあげよう……とは思わなかった。
変なとばっちりを食らいたくないからだ。
――帰り道――
その日、晴香は嫌な物を見てしまった。
帰り道のルートは複数ある。寄り道先によって、気分で、適当に変わる程度のルートが。
川沿いの堤防を歩くルートで、彼女は洋を見かけた。
そこで毎日行われていたのか、その日はたまたまそこが選ばれたのか。
久しぶりに通った道なので晴香は知らない。
橋の下の柱の陰で、洋は地面に座らされ、何か変な呪文を唱えていた。
悔しそうな、恥ずかしそうな、泣きそうな顔で、嫌々。
その周りを囲んで笑っているのは、洋とともに教室を出た数人の男子だった。
目を合わせないように、晴香は橋へ向かった。そこを渡らないとずいぶん遠回りになる。
なるべく無心で橋のたもとに近づいた。もう洋達から彼女は見えない、死角になっている筈だ。
けれど声と音は、近づいたせいで聞こえてしまった。
「おかしいなあ? 何も来ないぜ、その召喚呪文」
「モンスターが出たら討伐しようと思って武器もってきたんだけどな?」
そしてスプレーの噴射音が聞こえた。洋が苦しそうに激しくむせる声も。
男子達の、他人を蔑みバカにした笑い声が響く。
聞きたくない。
晴香は足早に橋を渡ろうとした。
小石の砕ける音が響いた。
洋が「ヒッ!」と短く悲鳴をあげる。
晴香は息を飲んで足を止めてしまった。
「おう、お前の大好きな神話セーブツってのに鉄パイプは効かねぇのか? 結構威力あんだぜ、コレ」
凶器を面白半分に振り回して怖がらせている……悪趣味で幼稚な脅しだ。
晴香は再び歩き出し、早く橋を通り過ぎようとした。
「よう。話があるんで、ちょっとお邪魔するぜ」
聞きなれない声。男子生徒の誰でもない男の声が、突然聞こえた。
晴香は思わず、再び足を止めてしまった。
「なんだオッサン?」
「邪魔だ。あっち行けよ」
男子生徒達が険悪な声をだす。だが戸惑ってもいる……彼らも声の主に覚えが無いのだろう。
晴香はこっそりと、恐る恐る、手すりから少し身を乗り出して河原を――柱の根本を見た。
橋にもたれて地面にへたりこんでいる洋。
半円状にそれを囲んでいる数名の男子生徒。鉄パイプを持つ者、スプレー缶を持つ者、スマホで洋を映している者等がいる。
そして見知らぬ青年が一人。
歳は……多分、自分達より上。20歳前後だろうか。
整ってはいるが、モデルや俳優的な線の細い美男子というより、前世紀ならハンサムと呼ばれるような男っぽさのある容貌だった。
黒いジャケットを羽織り、黒い長ズボンを履き、黒いテンガロンハット。マゼンダ色のインナー以外は全て黒。古い探偵物の人物みたいだ。
その男は男子達をまるで気にせず、洋へと歩いていく。道を行くのと同じ、何気ない足取りで。
「邪魔だ。うぜぇぞオッサン」
一番大柄な男子生徒が肩をいからせて前を塞いだ。
以前、洋を殴ったリーダー各の男子だ。
乾いた音が響いた。
皆が小さな悲鳴を上げる。
晴香も思わず「えっ!?」と声を漏らしたが、皆が驚き叫んだので誰にも聞かれなかっただろう。
青年の手に拳銃があった。
響いた音は銃声だった。
彼は銃を躊躇い無しに撃ったのだ。
橋の下とはいえ、町中で、堂々と。
主人公の名前は次話で。




