第58話:アスファルト舗装と極限圧縮のエンジン加工
建国2年、冬の終わり。
オハイオ川支流の油田現場では、陸に固定されたポンプとタンカーを用いた原油のピストン輸送が完全に軌道に乗っていた。
「カヤ。パイプの接続手順も、船への積み込み量の判断も完璧だ」
防衛部隊の若者たちに指示を出していた郷田剛が、泥と油にまみれた顔で満足そうに頷く。
地質学をあっという間にマスターした青年カヤは、現場の指揮官としても驚くべき適応力を見せていた。
「ありがとうございます、郷田さん。貯油池の粘土のメンテナンスも、僕たちでしっかりやっておきます」
「ああ、頼んだぜ。完全に『定常作業』になった以上、俺がここに張り付いてる意味はねえ。俺は帝都に戻って、次のインフラを仕上げる」
郷田はカヤと固い握手を交わし、手空きのバージ船に乗り込んで帝都へと帰還した。
***
帝都・工業エリアの裏手。
分留塔の底から排出され、プールの中でカチカチに固まった「アスファルト」の岩盤の前に、郷田は立っていた。
「よし。ガソリンも軽油も最高だが、土木屋にとっての『本命』はこいつだ」
郷田は後ろに控える先住民の労働者たちへ指示を飛ばした。
「よし、お前ら! この黒い岩をツルハシで細かく砕いて、あっちの大きな鉄鍋の横に山盛りにしとけ! 材料の準備だ!」
郷田の指示で、屈強な男たちが一斉にツルハシを振り下ろし、アスファルトの岩盤を砕いていく。
舗装の「材料」のストックが完了したのを確認すると、郷田は労働者部隊を率いて、ドックから中央広場へと続く未舗装路の前に立った。
「まずは基礎工事だ! 表面の泥を削り取って、道を一段深く掘り下げろ! そのまま上に敷いたら段差ができちまうし、柔らかい泥がクッションになってすぐに割れる!」
労働者たちがスコップで泥だらけの表面(路床)をすき取っていく。
「よし、次はそこに大量の『砕石』を敷き詰めて、鉄製のローラーで徹底的に突き固めろ! 真野の工房の見習いたちに削り出させた特注品のローラーだ! これが近い将来、何トンもの重たい車を支える『路盤(基礎)』になるんだ!」
数人の男たちがかりで引く、マザーマシンで真円に削り出された重厚な鉄製ローラーが往復し、砕石の基礎がガチガチに固められる。
十分な強度を持った路盤が完成したのを確認すると、郷田は現場の傍らに用意した炉に火を入れた。
「基礎は完璧だ! 次は砕いておいたアスファルトを鍋で一気に溶かせ! ドロドロになったら、大量の『砂』と『砂利(骨材)』を放り込んで力強くかき混ぜるんだ!」
鍋の中で、漆黒のアスファルト合材が完成する。
郷田は叫んだ。
「冷える前に、アツアツのまま敷き詰めろ! 平らにならせ! 熱いうちに、もう一度ローラーで仕上げの転圧だ!」
やがて合材が冷え固まると、そこに現れたのは、周囲の地面と高さを揃えた、帝都の泥景色とは完全に異質な「漆黒で滑らかな道(完全舗装道路)」だった。
「よし……! 荷車、通ってみろ!」
防衛部隊の若者たちが、山盛りのレンガを積んだ重い荷車を引いて、舗装道路へ足を踏み入れる。
『スーーーーーッ……』
「えっ……!?」
若者たちが目を見開いた。
これまで、ぬかるみに車輪が沈み込み、何人もの男が血を吐くように引いていた重い荷車が、たった二人の力で、まるで氷の上を滑るように軽快に進んでいくのだ。
「なんだこれ!? 車輪が全く土に噛まない! どこまでも勝手に転がっていくぞ!」
「凄い! 魔法みたいだ!」
驚きのあまり、若者たちが歓喜の声を上げる。
「これが『舗装』だ。しっかりした基礎の上にアスファルトを敷いたことで、車輪の重みを分散しつつ、地面の『摩擦抵抗』を極限まで減らしたんだよ」
郷田がニヤリと笑う。
その様子を本部棟から見下ろしていた東航平が、歓喜に震えていた。
「最高だぜ、郷田……! これで天候による泥濘の遅延がゼロになる。帝都内の物流速度が数倍に跳ね上がるぞ。俺の自動物流ネットワークの『血脈』が完成した!」
大地の血管を整備するマクロな土木革命が、ここに一つの完成形を迎えた。
***
同じ頃。 真野の工房では、全く別の次元での「革命」が進行していた。
「ええか、チャパ。なんで俺たちが『ディーゼルエンジン』を作るか分かるか?」
真野が黒板に、エンジンの断面図を描きながら問う。
「『ガソリン』の方が、簡単に火が点くって鬼頭さんが言ってました。それなら、ガソリンを爆発させた方が楽じゃないですか?」
チャパのもっともな疑問に、真野は首を横に振った。
「そこなんや。ガソリンは確かに火が点きやすい。やからこそ、空気と混ぜてシリンダーの中で『俺たちが狙ったタイミング』で爆発させるためには、精密な電気の火花(点火プラグ)が必要になる。……けど、今のこの国には安定した電気が無い」
真野は、図面のシリンダー(筒)の中を黒く塗りつぶした。
「せやから『ディーゼル』なんや。こいつは空気だけを極限まで、それこそ元の体積の20分の一くらいまでギューッと圧縮する。すると、空気は摩擦で勝手に600度近い超高温になるんや」
「空気を潰すだけで、熱くなる……」
「そこに、鬼頭が精製した『軽油』を霧状にして吹きかける。すると、点火プラグなんぞ無くても、熱せられた空気の熱だけで勝手に大爆発を起こす。構造がシンプルでタフ、今の俺たちに作れる最強の内燃機関や」
チャパの空間認識能力が、真野の言葉を即座に映像化する。
「……でも真野さん。空気をそこまで圧縮するということは、シリンダー(筒)とピストン(中を動く栓)の間に、ほんの少しの隙間があってもダメってことですよね? 隙間から空気が逃げちゃいます」
「大正解や。それこそ、髪の毛の太さの百分の一の隙間(数ミクロン)でも命取りになる。だからこそ、俺たちはあの『絶対平面』と『マザーマシン』を作ったんや」
真野は獰猛な笑みを浮かべ、稼働する水力旋盤のレバーを引いた。
『シュイィィィィィン……!』
絶対平面を基準に削り直されたレールの上を、刃物台が滑るように移動する。
セットされた分厚い鋼鉄の塊から、コンマ数ミクロン単位で金属が削り出され、美しい鏡面のようなシリンダーが姿を現していく。
傍らでは、エルワがマイクロメーターを使い、削り出されたピストンの直径を測定している。
「99.8ミリ。完璧です、真野さん。図面の指定通りです」
エルワの報告に、真野は満足げに頷いた。
「えっ……?」
横で図面とシリンダーを交互に見比べていたチャパが、目を丸くした。
「真野さん! ピストンが99.8ミリって……シリンダー(100ミリ)より少し小さいじゃないですか! わざと隙間を作ったんですか!? それじゃあ空気が漏れちゃいます!」
真野はニヤリと笑い、黒板をトントンと叩いた。
「チャパ、エンジンの中では毎秒ものすごい爆発が起きるんやぞ? 金属は熱を持ったら『膨張(膨らむ)』する。もし最初から100ミリ同士でピッチリ作ったら、熱くなった瞬間にピストンがシリンダーの中で膨れ上がって、ガチガチに詰まって動かんようになる(焼き付き)。……だから、わざと熱膨張の『逃げ道』を計算して図面を引いたんや」
「で、でも……隙間があったら、圧縮できません!」
「そこで、こいつの出番や」
真野は、一部が切れた「Cの字型」をした、細く弾力のある鋳鉄製のリングを取り出した。
「ピストンの横に溝を彫って、この『ピストンリング』をはめ込む。リングはバネのように広がって、シリンダーの壁にピタッと密着して隙間を埋めるんや」
チャパはリングを受け取り、まじまじと見つめた。
「凄い……ただの丸い輪っかを切っただけに見えるのに、そんな役割が……」
「アホ。ただの丸い輪っかを切って押し込んだら、歪んで『楕円形』になって隙間ができるやろが」
真野は忌々しそうにリングを指差した。
「押し込んだ時に『完璧な真円』になって壁に密着するように、高度な数学の計算でわざと少し歪んだ『特殊なカム形状』に削り出しとるんや。おまけに爆発の超高温でもバネの弾力を失わんように、特殊な鋳鉄を配合するのも死ぬほど苦労した」
真野はふうと息を吐き出した。
「ぶっちゃけ、シリンダーを真っ直ぐ削るより、この輪っかの計算式を導き出して『最初の試作品』を削り出す方が、何倍も地獄やったわ。これの動作テストが上手くいけば、あとはマザーマシンで量産できる」
「な、なるほど……!!」
チャパは、小さな輪っか一つに込められた金属の性質と数学の深淵に、背筋が震えるほどの感動を覚えた。
「これで、動力の骨格は完成や。……だが、ディーゼルの本当の『地獄』はここからやぞ」
真野は、黒板に描いた図の、シリンダーの頂点部分を指差した。
「超高圧になって、岩みたいに硬くなった空気の壁。そこに負けずに、さらに強い圧力で軽油を『細かい霧状』にして押し込む【機械式燃料噴射ポンプ】が要るんや」
真野は図面を睨みつけた。
「シリンダー以上の超精密なポンプのプランジャー(注射器の芯)。極小すぎてピストンリングは付けられんから、金属同士をピッタリ密着させる『1ミクロン(1/1000ミリ)』の精度と鏡面仕上げが必要になる」
「1ミクロン……。今の旋盤じゃ無理なんですか?」
「無理や。どんなに土台の精度を上げても、旋盤は『刃物で削る機械』やから、表面には必ずミクロン単位の削り跡が残る。その削り跡の溝から、超高圧の軽油が逆流して漏れてまう」
真野は悔しそうに舌打ちをした。
「機械化するなら、高速回転する砥石で表面を磨き上げる『研削盤』を作る必要がある。……だが、あの砥石をブレずに回すには、超高速で無振動の動力が要る。今の水車と木製ギアじゃ絶対不可能や」
「それって、つまり……」
「そうや。研削盤を動かすためには、振動のない電気モーターか、まさに今俺たちが作ろうとしている『強いエンジン』が必要なんや」
真野の言葉に、チャパは息を呑んだ。
エンジンを作るための機械を動かすには、エンジンが必要になる。
「だからこそ、ここから先は俺たち職人の『手』でミクロの壁をぶち破るしかない。最初のエンジンの心臓部だけは、手作業で仕上げる」
マザーマシンによって動力の骨格は組み上がった。
だが、それに命を吹き込むための「最後の心臓部」には、狂気とも言える手作業の極致が待ち受けていた。




