第53話:精密計器の誕生と、真の「マザーマシン」
建国2年、冬。
真野巧の工房では、完成したばかりの「絶対平面(定盤)」を使った、新たな狂気の作業が始まっていた。
標的は、初期型水力旋盤の分厚い鉄の土台と、刃をスライドさせるための「レール」である。
「ええか、よう見とけよ」
真野は、獣の脂に赤い木の実の汁と細かい赤土を混ぜ合わせた「赤い塗料(光明丹の代用品)」を作った。
それを、完成したばかりの絶対平面(定盤)の表面に、極めて薄く、均一に塗り広げる。
そして、その定盤を裏返し、旋盤のレールの上にそっと乗せ、数センチだけスライドさせてから持ち上げた。
「あっ……!」
見学していたチャパが、声を漏らす。
レールの上には、赤い塗料が「点々」と不規則に付着していた。
塗料が全くついていない部分と、べったりと赤く染まった部分が、まだら模様になっている。
「これが『答え』や」
真野はニヤリと笑い、先端が平たく鋭利になった手製のノミ(キサゲ)を手に取った。
「レールの中で、他よりわずかに出っ張っとる部分(凸)だけに、定盤の赤い色が移るんや。つまり、この『赤い部分』だけをノミで薄く削り落とせば、レールは定盤の完璧な平らさに近づいていく」
真野はそう言うと、赤い塗料がついた部分だけを、シュッ、シュッと音を立てて器用に削り落としていった。
「削り終わったら、もう一回定盤を当てて色をつける。また赤くなったところを削る。……これを、レール全体が均一な真っ赤に染まる(すべての面が定盤に密着する)まで、無限に繰り返すんや」
キサゲ加工。
現代の超精密な工作機械のガイド面も、最終的には職人の手によるこの地道な作業で仕上げられている。
「なるほど……! これなら、エルワさんのような神がかった指先の感覚がなくても、目で見て確実に『平ら』にすることができますね!」
チャパが、その極めて論理的で美しい工学のプロセスに目を輝かせた。
エルワもまた、真野の手元を真剣な眼差しで見つめている。
「真野さん。私もやります」
「おお。エルワなら、削る力の加減もすぐ覚えるやろ。頼むで」
真野とエルワが並んでレールに向かい、コンマ数ミクロンの出っ張りを削り落としていく。
二人の息の合った手作業により、旋盤のレールは数日のうちに「完璧な直線と水平」を取り戻した。
***
「よし、土台は完璧や。次は『測る手段(定規)』やな」
レールが仕上がった後、真野は作業台の上に「太い鉄のボルト(ネジ)」と、大きな「円盤」を置いた。
「真野さん。東さんたちと決めた『1センチ』の基準なら、木の定規がありますよ?」
チャパが不思議そうに言うと、真野は首を振った。
「その定規の目盛りじゃ、せいぜい1ミリまでしか測れん。これから俺たちが作ろうとしとるディーゼルエンジンは、シリンダーの太さが『0.01ミリ』でも違えば、空気が漏れて爆発せんのや」
「0.01ミリ……? 髪の毛よりずっと細いですよね? そんなもの、どうやって目で見て測るんですか?」
「ええ質問や、チャパ」
真野は、太いボルトを手に取った。
「チャパ、お前の空間認識能力なら一発で分かるはずや。このネジの山から山までの距離を、正確に『1ミリ』で削り出したとする」
真野はボルトにナットをはめ込み、クルッと一周回した。
「ナットを『一回転』させたら、このナットは前に何ミリ進む?」
「ええと……ネジ山の隙間が1ミリなら、一回転で進む距離も、ぴったり『1ミリ』です」
「正解や。じゃあ、ナットの頭に『100個の目盛り』を描いた円盤を取り付けたとしよう」
真野は、木炭で目盛りを描いた円盤を、ナットにくっつけるジェスチャーをした。
「この円盤を、目盛り『一つ分』だけ回した時、ナットは前にどれだけ進む?」
チャパはハッとして、目を見開いた。
「1ミリの、100分の一……つまり、『0.01ミリ』進む……!!」
チャパの脳内で、物理的な回転運動と直線の距離が完璧にリンクした。
「せや!」
真野が嬉しそうにチャパの肩を叩く。
「人間の目には、0.01ミリの隙間は見えん。けど、『円盤に描かれた100個の目盛り』なら、目で見てハッキリと読める!」
見えないミクロンの直線を、目に見える円運動(角度)に変換して拡大する。
これこそが、精密測定器『マイクロメーター』の原理である。
真野たちはすぐさま、Cの字型をした頑丈な鉄のフレームを作り、そこに精密に削り出した「ピッチ1ミリのネジ」と「目盛り付きのダイヤル」を組み込んだ。
こうして、異世界初となる「0.01ミリ単位の凹凸を可視化する魔法の定規」が誕生した。
***
数日後。
真野の工房に、郷田と九条が視察に訪れていた。
「できたらしいな、真野」
「おう、剛。九条。特等席で見とけ」
真野は、キサゲ加工で完璧な水平を得た「鋼鉄のベッド(土台)」と、そこに取り付けられた刃物台を撫でた。
旋盤には、エンジンの部品となる分厚い鉄の円柱がセットされている。
「動かすで」
真野がレバーを引くと、水車からの動力がギアを介して伝わり、旋盤が重低音を響かせて回転を始めた。
『シュイィィィィィン……!』
これまでの初期型旋盤とは、出ている音が全く違った。
ガタつきによる振動音が一切ない。
真野がハンドルを回して刃を当てると、鉄の円柱から、まるで薄いリンゴの皮のような「繋がった美しい切り屑」がスルスルと剥がれ落ちていく。
刃がブレることなく、完璧な直線軌道を描いている証拠だった。
「すげえ……」
郷田が思わず息を呑む。
削り終わった鉄の円柱の表面は、まるで鏡のように鈍く光を反射していた。
真野は旋盤を止め、自作したマイクロメーターを円柱に挟み込んだ。
「手前側、直径150.00ミリ。……真ん中、直径150.00ミリ。……奥側、直径150.00ミリ」
真野の読み上げる数値に、工房が静まり返る。
0.01ミリの狂いもなく、完璧な「真円のストレート」が削り出されたのだ。
「完璧や。これで、どんな精密な金属パーツでも、設計図の寸法通りに量産できる」
真野が、誇らしげにマイクロメーターを掲げた。
チャパとエルワも、顔を見合わせて満面の笑みを浮かべている。
絶対平面という基準。
マイクロメーターという測定器。
そして、それらを統合した鋼鉄の土台。
すべてが揃ったこの瞬間、初期の粗末な水力旋盤は、ミクロン単位の加工を可能にする真の『マザーマシン(工作機械)』へと進化した。
「よくやった、真野」
九条が、冷徹な瞳の奥に強い野心の炎を燃やして笑った。
「これでお前たちの手は、神の精度を手に入れた。鉄を自在に削り、内燃機関を作る準備は完全に整ったわけだ」
「ああ。いつでも極限圧縮のシリンダーを削ったるわ。……で、肝心の『メシ(燃料)』の進捗はどうなっとる? 予定通りに進んでるんやろな?」
真野が腕を組んで郷田の方を向くと、九条が満足げに頷いた。
「抜かりはない。お前にこのマザーマシンを作らせたのも、すべて計算通りだ。間もなく、この国は究極の液体燃料を手に入れる」
九条の言葉を受け、郷田がニヤリと獰猛な笑みを浮かべて前に出た。
「ああ、予定通りだ。すぐに『黒い血(原油)』が吹き出すぜ。ペンシルベニアの地質構造から溜まり場の在り処は完全に特定し、すでにボーリング櫓の準備も終わってる」
帝国の工業力は、次なるフェーズ「石油」の確実な入手へと照準を合わせていた。




