第19話:三姉妹農法へのプロの診断
長く過酷だった冬が、ついにその牙を収めた。
雪解け水が森の輪郭を露わにし、足元の土からは生命の息吹を思わせる湿った匂いが立ち上っている。
だが、春の訪れは同時に「タイムリミット」を意味していた。
オンドルの熱と罠猟によって辛うじて越冬したとはいえ、九条たちが提供した干し肉の備蓄も、先住民の村が蓄えていた食糧も、すでに底を突きかけている。
春から夏にかけての食糧生産。
これが失敗すれば、待っているのは部族全体の餓死である。
***
ぬかるんだ村の広場のはずれ、広大な開墾予定地に、冴島陸の姿があった。
「……なるほど。これが君たちのやり方か」
冴島は腕を組み、白衣の代わりに纏った鹿の毛皮を揺らしながら、村の長老やタラックたちが土をいじる様子を鋭い目で観察していた。
傍らには九条、そして「通訳兼・第一秘書」として付き従うようになったアナヒータの姿がある。
村人たちは、土を小さく盛り上げた無数のマウンド(畝)を作っていた。
タラックが冴島たちに向かって、身振り手振りを交えながら、自分たちの言葉で説明をする。
タラックの言葉を、アナヒータが脳内でローマ字の音素に変換し、九条から教わったばかりの片言の日本語単語を繋ぎ合わせて懸命に翻訳する。
「ここ、チャーシクィム(トウモロコシ)、植える。少し、育つ。周りに、マラハクシット(豆)、植える。最後、下、覆う。マカハス(カボチャ)、植える。これ、精霊の、豊かな畑」
それを聞いた冴島は、無精髭の生えた顎を撫でながら、感心したように頷いた。
『……いわゆる「三姉妹農法」か。中米から北米にかけての先住民が独自に辿り着いた、極めて理にかなった混植農法だ』
冴島の脳内に、農学・生命科学の専門知識がフラッシュバックしていく。
『トウモロコシが真っ直ぐ育ち、豆のツルがそれに巻き付いて上に伸びる支柱の役割を果たす。そして、地面を這うカボチャの大きな葉が日陰を作り、雑草の繁殖を抑えつつ土壌の水分蒸発を防ぐ』
「見事な共生関係だ。肥料も農薬もない時代において、生存の知恵としては完成されている」
冴島が日本語で呟くと、タラックは褒められたと察し、誇らしげに胸を張った。
だが、冴島の目は決して笑っていなかった。
「……だが、九条。あくまで『原始的な生存の知恵』としては、だ。プロの目から見れば、ツッコミどころ(バグ)だらけのクソコードだよ」
冴島の声のトーンが、研究室で部下の論文を切り捨てる時の、冷徹な主任研究員のものへと変わった。
「ほう?」
九条が興味深そうに眉を上げる。
冴島はぬかるんだ土の前にしゃがみ込み、素手で泥を掬い上げた。
「アナヒータ。この『土』は、お前たちの言葉でなんと言う?」
「……ハトゥキ、です」
アナヒータの答えを聞き、九条がすかさず手元の平たい木片に消し炭でメモを取る。
【 hatwuki 】
冴島はその『ハトゥキ』を指先で擦り潰し、匂いを嗅いだ。
「土壌の窒素が絶望的に足りていない。……いいか九条。豆類(マメ科植物)の根には『根粒菌』というバクテリアが共生している。こいつらは空気中の窒素を取り込み、植物の栄養に変換するチート能力を持っているんだ」
冴島は地面に木の枝で、根っこの図解を書き殴り始める。
「トウモロコシは、土の中の窒素をドカ食いする大食漢だ。だから豆と一緒に植えることで、豆の根粒菌が作った窒素をトウモロコシに吸わせる。ここまではいい。……だが、こいつらの植え方を見てみろ」
冴島が指差した先では、村人たちが適当な間隔で、思い思いの場所に種を蒔くマウンドを作っていた。
「配置がランダムすぎる。これでは豆の根が及ぶ範囲(窒素固定の恩恵)にムラができ、畑全体の収穫量が著しく落ちる。それに、日照角度の計算が全くされていない」
「日照角度、だと?」
九条が問う。
「ああ。夏至に向かって太陽の軌道は高くなるが、完全に真上を通るわけじゃない。この無秩序な配置では、成長したトウモロコシの葉が互いに影を作り、豆やカボチャの光合成を著しく阻害する。……おまけに、株間のスペースを取りすぎているせいで、単位面積あたりの収穫量が理論値の30%にも満たない」
冴島は立ち上がり、パンパンと手についた泥を払った。
「現代の農学ロジックでこの畑の配置を最適化すれば、同じ面積でも収穫量は最低で三倍、上手くやれば五倍には跳ね上がる」
『……五倍か』
九条の目の奥に、ギラリと冷たい光が宿った。
帝国の労働力を支えるためには、何よりも「圧倒的な余剰食糧」が必要不可欠である。
「やれ、冴島。お前の好きに畑をデザインしろ。俺たちがこの村の胃袋を完全に掌握する」
九条の許可を得た冴島は、不敵な笑みを浮かべた。
予算も、倫理委員会の許可も、面倒な書類手続きもいらない。自分の知識を、この広大な大地に100%直接叩きつけることができるのだ。
***
「タラック。悪いが、そのやり方は効率が悪い。配置を変えるぞ」
冴島は、アナヒータの通訳を交えつつ、タラックたちにジェスチャーで指示を出し始めた。
冴島は長い紐を用意させ、一定の間隔で結び目を作った。
それを地面にピンと張り、太陽の昇る方角(東)から沈む方角(西)へ向かって、完璧な直線の「幾何学的なグリッド」を土の上に描き出し始めた。
「いいか。太陽の光をすべての葉に当てるために、畝は東西のラインに沿って一定の等間隔で作る。そして豆の種はトウモロコシの根元から、正確に『この枝の長さ』分だけ離して蒔け」
冴島は自分の手のひらを広げて親指から小指までの長さを目測し、手元にあった木の枝をポキリと折った。
「センチメートル」などという単位は彼らには通じないが「この枝と同じ距離」という物理的な絶対基準さえ作ってしまえば、言葉や文明の壁を越えて完璧なレイアウトを伝達できる。
「……窒素の供給効率を最大化するんだ」
アナヒータが冴島の言葉を懸命に翻訳し、「枝の長さ」という物理的な基準を見せながら村人たちに伝える。
だが、村の長老たちは戸惑い、露骨に嫌悪感を示した。
「……精霊の教えに背くというのか!」
「こんな真っ直ぐな線ばかりの不自然な畑など、大地が怒る。作物が呪われてしまうぞ!」
長老たちが怒りを含んだ声で抗議する。
数百年続いてきた彼らの宗教観において、冴島の引いた幾何学的な直線は、あまりにも異質で、冒涜的ですらあった。
タラックも困惑した顔で九条と冴島を見る。
「……どうする、冴島。強行するか?」
九条が冷ややかに問う。
「いや。農作業には彼らのマンパワーが不可欠だ。無理に全体を変えてサボりや反発を招くのは、プロジェクトマネジメントとして下策だろう?」
冴島は冷静だった。
彼は長老たちに向き直り、アナヒータを介して告げた。
「ならば、あなたたちは今まで通りの畑を作ればいい。私は、私を信じる者たちだけで、あちらの『別の土地』を開墾する。秋の収穫の時に、どちらの神が正しいか、結果で証明しよう」
冴島が指差した先は、まだ草が生い茂る未開拓のエリアだった。
長老たちは鼻で笑い、タラックも心配そうに目を伏せた。
しかし。
「……私が、手伝います」
冴島が引いた完璧な直線のグリッドを、穴のあくほど見つめていた一人の若い先住民の青年が進み出た。
ニカン、という名の青年だった。
彼は、自然界には存在しない「真っ直ぐな線」と「均等な間隔」が持つ、得体の知れない美しさと合理性に、本能的に魅了されていた。
「私も、その『新しいやり方』を、知りたいです」
ニカンは冴島の前に膝をつき、真剣な眼差しで見上げた。
『……ほう。ただの迷信に縛られない、観察眼を持った若者がいるじゃないか』
冴島の口角が上がる。
その様子を傍らで見ていた九条は、静かに目を細めた。
『……悪くない。アナヒータに続き、冴島も拾ったか』
九条の脳内には、すでに国家運営のための明確な人材育成ビジョンが描かれていた。
建国メンバー6人が持つ知識を彼らだけで直接運用するには、物理的な限界がある。 帝国の発展スピードを爆発的に加速させるためには、ニカンのような「知的好奇心の強い若者」を各分野の助手として引き抜き、文字(ローマ字)と専門知識を徹底的に叩き込む必要がある。
単なる労働力ではない。 古い因習や迷信を完全に削ぎ落とし、帝国の頭脳と手足となって実務を担う次世代のエリート階層。 すなわち、国家の未来を牽引する『R&D(Research and Development=研究開発)チーム』の創設だ。
「冴島。そいつはお前に預ける。好きに鍛え上げろ」
「ああ。俺の最初の弟子(助手)にしてやるさ」
それはのちに帝国の生命科学・農学部門を牽引することになる青年が、歴史の表舞台に引き上げられた瞬間であった。




