火の妖精
「話す声に、少し力が戻って来たようですね」
「さっきの薬が効いてきたのよ、きっと。リュリーが身体から出てくれれば、すぐ元気になるわ」
アルテとエルデンに言われて、グレイヴァもさっきまでより身体が少し楽になったような気がした。
熱で頭の中にはまだもやがかかっているみたいだし、身体はいつもより重い。だが、それでもエルデンの家で休んでいた時よりはましに思えた。
「もう少しで……掘り出せそうなんですが」
「やけに堅いわね。自然にできた氷じゃなくて、魔物の力によるものだから……かしら」
ある程度までカーミスの周囲の氷を掘ったのだが、あとわずかというところで氷がやたらと硬くなってきた。今まで掘り進めていたものが、停滞気味になってきたのだ。
「あたしが爪で斬ってみようか?」
フィノの鋭い爪なら、人間が下手に道具を使うより早いかも知れない。
「うまくいけばいいけど、失敗したら爪が割れちゃうわよ」
エルデンに言われ、フィノはためらう。
「んー、それはちょっといやよねぇ。すぐに伸びるって言っても、割れるのは」
「いいですよ、フィノ。あとは火の魔法でやります。これくらいなら」
アルテが炎を出し、カーミスの周りの氷を溶かす。
相手は火の妖精だから、もし直接火に当たっても影響がない。その点は、気を遣わなくて済む。
アルテの出す赤い炎を眺めていたグレイヴァは、ふいに背中に寒気を感じた。
氷の壁に寄りかかっていたから、ではない。肉体的なものではなく、精神的なものだ。
振り返ると、自分達が来た方に黒い物が動いている。錯覚でも影でもない。
何だよ、これ……。
明らかに、自分達以外の何かが動いている。
もしかしたら……リュリー達を襲った魔物か。
そう考えた途端、グレイヴァの身体の中で熱を発していた石が、スーッと冷めてゆくのがはっきりわかった。
グレイヴァが呆然とそちらを見ていると、まずフィノがその気配に気付いた。
「アルテ、エルデン。来たわよ」
「来た? え、どこに?」
この場合、来たと言えば魔物だとわかっているのだが、アルテもエルデンも暗がりに何も見付けることができない。
フィノのように暗い所で目が利く訳でもなく、松明や魔法の炎を見ていたせいもあって、暗闇に溶け込む魔物の姿が見えないのだ。
だが、目をこらすまでもなかった。相手から明かりの届く範囲に現れ、ついでに魔法使いに襲い掛かって来たのだ。
姿が見えた途端、二人は横へ飛び退く。
「いきなりご挨拶ね。こいつが火の妖精を封じた魔物なの?」
「ここへ来たからには、たぶんそうでしょう」
松明に照らされた魔物は、想像していたよりもずっと貧弱な姿をしていた。まるで干からびた鳥の死骸みたいな姿だ。
形としては、鳥。輪郭がもやのようで、はっきりしない。翼があるが、羽毛はない。翼に膜が張っていて、その翼を動かして飛ぶ、と言うより浮くように移動している。その膜に、所々小さな穴があいて。
頭部分はカラスに見えなくもないが、くちばしが細い。そのくちばしも、あちこち欠けていたりする。身体全体も貧相なもの。ミイラのようだ。
しかし、相手は確かに魔物だった。アルテとエルデンのいる所へ襲いかかり、その翼が氷の壁をかすめると簡単にヒビが入る。
今のをまともに受けていたら、剣で斬られたようなケガをするだろう。見た目であなどっては、痛い目に遭う。
魔法使いが逃げると、魔物は向き直って息を吹き掛ける。くちばしの先から吹雪が吹き出し、氷の矢が何本も壁に刺さった。
「見掛けによらず、怖い相手みたいね」
「エルデン、大丈夫ですか?」
「平気よ。どうせ遭遇するなら、もう少し見た目も強そうなのがよかったわ」
こんな軽口が叩けるなら、とりあえずパニックにはなっていないようだ。さすがと言おうか、やっぱりと言おうか。
「あと少しでカーミスの身体が取り出せるのに。全く、タイミングの悪い奴よね。こいつなら氷の壁より柔らかいでしょ。だったら、あたしの爪も使えるわよね」
フィノはグレイヴァに松明を渡すと、鋭い爪で魔物に襲いかかる。本当なら高く飛び上がり、勢いをつけてやりたいところなのだが、ここは天井が低いのでそうもいかない。
もやのように見えるのにがしっと音がして、魔物の翼に傷が付いた。魔物の悲鳴が、氷穴中に反響する。
その後、狂ったように魔物は氷の矢を吹きまくった。
「うわぁっ」
狙ったつもりはなかったのだろうが、数本の矢がグレイヴァの顔の真横の壁に刺さる。頬に一本、血の筋ができた。
「グレイヴァ、大丈夫ですかっ」
「な、何とか……」
やかましいくらいに悲鳴を上げていた魔物は、ふいに向きを変えるといきなりグレイヴァに襲いかかった。逃げても、しつこく追って来る。
「な、何で俺を狙うんだよ」
魔物は翼で、グレイヴァを斬り付けようとする。
熱があっても、命の危険がせまれば身体はそれなりに動くもの。松明の炎を相手に突き付けながら、グレイヴァは必死に逃げた。
「ちょっと。あんたの相手は、グレイヴァだけじゃないでしょ。こっちにもいるのよ」
フィノがまた襲いかかるが、魔物は攻撃を避けるだけで反撃しようとしない。狙いはあくまでも、グレイヴァだ。アルテやエルデンが火の魔法で攻撃しても同じ。
「わかった。あの魔物、グレイヴァの中にある青焔石に反応してるのよ。そうじゃないなら、リュリーを狙ってるんだわ」
青焔石の入手が目的なのか、破壊が目的なのか。もしくは、火の妖精の命か。
とにかく、どれも今はグレイヴァの身体の中にある。だから、グレイヴァが狙われてしまうのだ。
「このっ……」
壁に刺さった矢を抜き、グレイヴァはそれを魔物に投げ付ける。苦しまぎれに投げた矢だったが、見事に魔物の翼を貫通した。
また氷穴中に響き渡る悲鳴を上げながら、魔物はその翼でグレイヴァに斬り付ける。グレイヴァは逃げようとして足をすべらせ、しりもちをついてしまった。だが、そのおかげで魔物の狙いが外れる。
グレイヴァが逃げ、魔物が攻撃した所がちょうどカーミスの身体のある場所だった。魔物が斬り付けたことで、アルテとエルデンがずっとてこずっていた氷の壁が簡単に崩れる。
「あぶないっ!」
壁が崩れると同時に、カーミスの身体が閉じ込められている氷の固まりも混じって落ちて来た。
グレイヴァがそれに気付き、手を伸ばす。それを狙ってまた魔物が斬り付けようとしたが、フィノが片方の翼を力まかせに引き裂き、グレイヴァまでその攻撃は届かない。
カーミスが封じられた氷は、地面に落ちる寸前にかろうじてグレイヴァの手で受け止められた。リュリーも小さかったが、カーミスはもっと小さく見える。
「え……な、何だ」
突然、グレイヴァの身体が青白く光り出した。何が起きたのか誰もわからず、魔物でさえもその動きを止めた。
青く光っているのは、青焔石だ。それがグレイヴァの身体から現れ、氷穴内を青く照らしている。
そして、石のそばにはリュリーの姿もあった。
「魔法使い達、青焔石の力を貸すわ。炎の魔法で魔物を焼いて!」
小さな身体で、リュリーが叫ぶ。
聞き返している暇はない。アルテとエルデンは、すぐに炎を出す呪文を唱えた。
さっきまではあまり威力のない炎しか出なかったが、今度は簡単に大きな炎が出る。その二本の炎の柱は、魔物の身体を包み込んだ。
耳をふさぎたくなるような、高い悲鳴が響く。炎に覆われながら、魔物はよたよたと穴の外へ逃げて行った。
そのまま、魔物の気配はなくなってしまう。
「すごいわね。こんな火の気のない所であんな炎が出るなんて、自分でもびっくりだわ」
エルデンは青焔石に、と言うより、自分の魔法の強さに驚いている。
「驚くのは後よ。早くこの妖精を外へ連れて行かなきゃ。あいつがまだ入口辺りにいたら、それも片付けなきゃいけないしね」
フィノに促され、全員が急いで外へ向かう。
氷を素手で持っているグレイヴァに気付いたエルデンが、それを受け取って道具を入れていた麻袋に入れた。
アルテがグレイヴァに肩をかして歩き、フィノが魔物に待ち伏せされていないかを確かめるべく、先に外へ向かう。
だが、邪魔されることもなく、再び襲われることもなく。
全員が無事に氷穴の外へ出られた。もちろん、リュリーもそばについて来ている。
周囲に魔物の気配がないことを確認してから、エルデンは麻袋の中から氷漬けになっているカーミスを取り出した。
すぐにアルテとエルデンが火の魔法の呪文を唱え、その氷を溶かして妖精を救い出す。
「氷は溶かしたけど……後はどうすればいいの? あたしの力じゃ、蘇生できないわ」
カーミスの顔は青白く、指先さえも動く様子はない。
エルデンは医者だが、それはあくまでも人間相手である。
「リュリー、身体の中へ入るなら、今度はぼくにしてください。グレイヴァの身体では、彼自身がこれ以上は保ちませんから」
「ごめんなさい……。あなた達には本当に迷惑をかけたわ。この子は……カーミスはもう、生き物の温かさでは追い付かないくらいに弱ってる。火がいるわ。大きな火がほしいの」
リュリーの時は、もちろん切羽詰まっていたのだが、それでも生き物の温かさがあれば間に合った。グレイヴァのおかげで、かなり回復している。
だが、カーミスは長い間、氷に封じられていた。彼女を助けるには、大きくて強い火が必要だ。
それと青焔石があれば、カーミスは息を吹き返す。
しかし、ここは森の中だ。少しくらいの焚き火はできても、リュリーが求めるような火は起こすのは難しい。下手すれば、森が火事になってしまう。
「ねぇ、わずかでいいわ。その子がもう少し保つだけの時間はある?」
「え? 青焔石があるから、どうにか……。でも、そんなには」
「とにかく、うちへ戻るまで何とか保たせてちょうだい。アルテ、フィノ。グレイヴァとその妖精さん達を頼んだわよ。あたしは先に戻って、馬車の向きを変えて来るから」





