アルテの希望
「でも、教えるって言って、素直に教わるかしら。全然やる気なさそうだったじゃない」
グレイヴァの頭には「もし自分が魔法使いだったら」などという想像は、まるっきり浮かばないらしい。
「あれは、その場だけの話題だったからですよ。こういう状態を見ていると、ぼくは本気で考えてしまいますね」
「グレイヴァに魔法を教えることを?」
「妖精に好かれるということは、魔物にも目をつけられやすい、ということですから」
「んー、まぁ、そうだけど」
人間の言葉で表すなら、簡単に言えば善と悪。
妖精だから善で魔物だから悪、と単純に決まっているのではないが、どちらにしろ「魔」という存在である、ということに変わりない。
そばへ寄って来るのが善だけならいいのだが、悪も同じようにグレイヴァの存在に惹かれ、ちょっかいを出すかも知れない。
さっきアルテやフィノが感じた気配の正体が何か、まだわからない。
だが、あの周辺に漂っていた空気には、明らかに「魔」が存在していた。
ただ、フィノがいくらそういった気配に敏感でも、それが何かということまではわからない。
それでも、あれは少なくとも妖精のものではなかった。
この旅をして、妖精の持つ空気は以前にも増してわかるようになってきたつもりだ。あそこに漂っていたものは、妖精の気配とは性質が異なるものだった。
だからと言って、絶対的に邪悪な魔物と決まった訳でもない。魔物にも、ピンからキリまである。
人間の魂まで残さず喰らい尽くすような強大な力を持つ魔物から、人間にちょっかいを出してはすぐに逃げる雑魚のような魔物、人間より存在が薄くて触れると消滅してしまうものまで、レベルの差は果てしない。
「あ、そうだ。この子、水にも落ちてるんだっけ」
「水? ああ、そう言えば」
洞窟の奥にある、魔力が満ちた泉にグレイヴァは落ちたことがある。源水石を探しに行った時のことだ。
人間には刺激の強すぎる水で、後でグレイヴァは高熱を出してしまった。
そこへ助けられた妖精シューレが現れて、グレイヴァが飲んでしまった水を引き上げてくれたのだ。
そのおかげで、次の日には熱が下がった、というエピソードがある。
「あの時、飲んだ水を引き上げたって言ってたけど、シューレ自身もまだ完全に回復してないって言ってたでしょ。だから、一滴残らず、きれいさっぱり引き上げてくれてるか……っていう点では、怪しいわよね」
むしろ、残っている、と考えた方がよさそうだ。
「あの水で、グレイヴァの元々持っている力が増幅されたかも知れない……ということですか。十分に考えられますね」
同じ水を飲んだ少女マルサラは、時間の流れが緩やかになり、ほとんど止まったかのように成長がゆっくりになった。
グレイヴァがどういう影響を受けているかわからないが、時間的にも長く水につかっていたし、このまま何事も起こらずに済む、とは考えにくい。
「でも、あのことがなくっても、そのうち同じようになってるんじゃない? よくびっくりさせてくれるもん、グレイヴァって」
本人には全く自覚がないようだが、グレイヴァの順応の早さを見て、そばにいるアルテやフィノの方が驚いたりする。
普通ではない世界に足を踏み入れていても、そのまま歩き続けて行くのだから。
「何か力が発現したとして、悪い方向へ進まなければいいんですけれどね」
「その時、そばにいるのが誰かっていうのにもよるわね。変な奴にそそのかされたりしなきゃいいけど。グレイヴァって、坂道を転がる石みたいなものだもん」
「……あまりいい例えじゃないですね」
「そんなことないわよ。走り出したら止まらない。ほら、ぴったり」
「フィノ……」
軽くため息をつきながら、アルテは薪をくべる。
フィノはそんなアルテを見ながら、何でもない顔で紅茶をすすった。
「ねぇ、アルテ。これまでの妖精は、同じ魔物に襲われてるんでしょ」
「話を聞いても、襲われた時のことがあいまいですから、断定はしかねますが……恐らくはそうでしょうね。その魔物自身、もしくはその魔物の下にいる魔物達でしょう」
「何のために、そいつらは妖精を襲っているのかしら」
「推理するには、手掛かりが少なすぎますからね。これまで話を聞いた妖精達に共通しているのは、見たことがある気がするけれどわからない、ということ。あと、魔物が現れた時に悲しい想いを感じた、ということですね」
知っているような気がするのに、目の前の魔物のことがわからない。
魔物が恐ろしくて、力を奪われて悲しいのは自分のはずなのに、それよりも先に悲しいと感じた。
魔物に遭った妖精達の話は、ほとんどそういう内容で占められるのだ。
「これまで、魔物は妖精の力、もしくは力の源になる石を奪ってるでしょ。つまり……妖精の力を集めてるのかしら」
最初にアルテが会った、たんぽぽの妖精ウインデが話していた。
魔物は「まだ足りぬ」とつぶやいていた、と。
それが彼女の聞き間違いでなければ、ウインデよりも前に襲われた妖精はたくさんいる、ということになるはず。
こうしている間にも、その魔物はあちこちで妖精達を襲い続けているのだろうか。
「妖精には様々な種族が存在する訳ですから、その力も多岐にわたりますよね。仮に全てを集めたとして……その魔物に統括できるんでしょうか。下手すれば、そのエネルギーで自身を破滅に追い込むこともあるのに」
「あたし達が探した石の一つ一つが、それなりの力を秘めてたわよね。あたし達には使えない力だけど、その魔物が集めて使えるのかしら。その点も疑問だわ。まぁ、何か起きたとしても、自業自得って奴だけど」
「恐怖で誇張された部分もありえますが、妖精達はみんな魔物を恐れていましたから、力はそこそこ持っているんでしょうね。ぼくはそれよりも、魔物から悲しいという感情が出ている、ということに引っ掛かるんですよ」
なぜ妖精を襲っておきながら、魔物の方が先に悲しいという感情を持つのだろう。
実は妖精を襲うのは自分の意思ではないのに、どうしても妖精達を傷付けてしまい、それが悲しい、と感じているのだろうか。
「あたしがもし襲われた妖精達の立場なら、ふざけんなって言ってるわね。何が悲しい、よ。誰がどういう事情でこんなことをしてるにしろ、迷惑をこうむってるのはこっちじゃない。なのに、自分の方がもっと悲しい、なんてオーラを出さないでもらいたいわ。確か、リーリエが言ってたわよね。その魔物は、強い悲しみで歪んでしまったような形相をしてたって。悲しみのあまり魔物に取り憑かれた結果、だったりしたら、こんなひどいとばっちりはないわ。悲しみに酔ってる、ただの弱虫じゃない」
一気にしゃべってのどが渇き、フィノは紅茶をすすった。ようやく飲みやすい温度まで下がっている。
「言いますねぇ……」
「だって、襲っておいて悲しいなんて、それじゃ襲われた方はどうなるのよ。考えたら腹が立つじゃない。悪役に撤し切れないなら、最初からやらなきゃいいのよ。こういう中途半端なの、あたし嫌い」
フィノに嫌われようと、その魔物が行いを改めない限り、被害に遭う妖精は増えるだろう。そうなれば、この旅はまだまだ続く。
何にしろ、この魔物の目的を知るには、あまりに手掛かりが少ない。いや、ないに等しい。
アルテ達はその魔物を見たことがないし、手下らしい魔物は見たものの、それだって夢の中でだ。
妖精達からは、その魔物についての情報がほとんど入らない。入っても似たようなものばかり。
これでは、推測の仕様がない。
「その魔物を見付けて、一発でケリをつけられないものかしらね」
「見付けたとして、一発でケリがつかなければどうするんです? 下手すれば、ますます被害が広がりますよ」
「あら、こっちにはすごく腕のたつ魔法使いと、魔力の高いねこがいるのよ。ケリはつけられなくたって、最低でもしばらく動きを封じることはできるわ」
「楽観的ですね、フィノは」
「アルテは深く考えすぎよ。もっと自分の腕を信用すれば?」
「信用する程に、まだ力が伴っていませんから」
「控え目なんだから」
火の中の枯れ枝がはぜた。
ふたりで妖精達の話をしているうちに、夜はゆっくりと更けてゆく。
☆☆☆
空気が動いたような気がして、フィノは耳をぴくりと動かした。
ピンと伸びたひげに、風を感じる。目はまだ閉じたまま、音に神経を集中させていると、確かに何かが動いている。立ち上がる気配。
目を開けると、グレイヴァが起き上がっていて、歩き出していた。
用を足しに行ったのだろう、くらいに考え、フィノはまた目を閉じる。
だが、もう一度目を開け、グレイヴァが歩いて行った方を見た。
何がどう、というのではない。ねこの勘、いや、女の勘だろうか。
妙な胸騒ぎのようなものを感じたのだ。
グレイヴァの足音は、止まる様子がない。用を足すくらいなら、そんなに遠くまで行く必要はないはず。
だが、彼の足音はどんどん離れて行く。
もしかして……あの子が向かってるのって……。
フィノは眠るアルテの顔のそばまで行くと、前足の柔らかな部分で彼の頬を軽く叩いた。
「アルテ……ねぇ、アルテ」
数回やると、アルテのまぶたが重そうに持ち上がった。
「どうしたんです、フィノ」
「グレイヴァがおかしいの」
「……グレイヴァが?」
一気に目が覚めたように、アルテは起き上がった。
自分達が眠る前にはすでに熟睡していたはずの、グレイヴァの姿がどこにもない。
「さっき起き上がって、歩いてったの。それが……夕方に倒れてた滝がある方向なのよ」
滝の付近を漂っていた、あの妙な気配。この周辺には感じられないと思っていたのは、甘かったのだろうか。あの気配に隠れた何者かが、グレイヴァを呼んでいるのだろうか。
こんな夜中に一人で森を歩き出す程、グレイヴァも無謀じゃない。だとすれば、今の彼は正気ではないはず。
こんなことなら、今夜だけでも護りの魔法をかけておくべきだった、とアルテは今更ながらに後悔した。だが、今は反省している場合ではない。
「フィノ、グレイヴァの足の速さは?」
「昼間とそう変わらないくらい」
「急ぎましょう」
まだくすぶっている焚き火から適当に火の点っている枝を一本取り、アルテはそれを魔法で松明にする。
空には月があるはずだが、森の木々に遮られてその光も届かない。この火が頼りだ。何かの力で消されれば、直接魔法の火を出すしかない。
考えてみれば、グレイヴァは何の明かりもなしに歩いているのだ。
やはり普通じゃない。





