戻って来ないグレイヴァと滝
これまでにも、妖精が石に閉じ込められて、ということがあったので、グレイヴァはもう一度注意しながら、石を覗いてみる。
だが、やはり透明な石の中に、何かしらの影らしきものはない。正確に言えば、一点の曇りもなかった。
「気のせい……かな」
でも、ひどくはっきり聞こえた。
誰か助けて、と。
「ここから出たいっ」
また聞こえた。
絶対に空耳じゃない。やはりペールの声に似ていたような。
でも、二度目の声が聞こえたのは、石からではなく……滝の方からだったような気がする。
グレイヴァが滝をじっと見詰めても、さっき見た時と何ら変化はない。
だが、ほんの一瞬だけ。落ちる水の向こうに、薄い桃色の光がちらりと見えた気がした。
錯覚と言えばそれまでだが、見間違いで水が桃色に見えるなんてことがあるだろうか。
「この向こうに……誰かいるのか?」
話しかけてみても、返事はなかった。
滝の水量が増えるでも減るでもなく、水以外の物が上から落ちてくるでもない。
母さんに似た声……誰なんだ。
グレイヴァはゆっくりと、滝の方へ近付いた。
☆☆☆
拾って来た枝を積み上げ、呪文を唱える。すぐに煙が立ち上り、火が枯れた枝を喰らい始めた。
火をおこす道具がいらないのは、少しでも余計な荷物を持ちたくない旅人にとってはとても便利だ。時間もかからない。
こんな横着をするために魔法を覚えたのではないが、使えるものは使わなければ。
「これくらいあれば、いいかしらね。グレイヴァも、それなりに集めて来るだろうし」
フィノが集めて来た枯れ枝を置いて、ねこの姿に戻る。
「ええ。ありがとう、フィノ。水は、一度湧かした方がいいでしょうね。きれいに見えても、中る時がありますから」
「グレイヴァは平気だと思うけどな。あの子が水くらいで調子崩すなんて、考えられないもん」
本人がいてもいなくても、フィノのグレイヴァに対する評価はいつも辛口だ。
「まぁ、胃腸は丈夫そうですけれどね。でも、水は場所が変わると、人間に影響しやすいですから」
アルテは水を汲み、飲み水をつくるべく、小さなポットを火にかけた。
それから、食事の準備……と言っても、料理をする訳ではない。
通り掛かりの村や街で買っておいた、日持ちする食料を荷物から取り出すだけ。干し肉やドライフルーツなどの、乾燥食品である。
「ねぇ、アルテ。せっかく水を沸かしてるんだし、たまにはお茶飲もうよぉ」
アルテが食料を出す横で、フィノがねだる。
彼女は、紅茶が好きなのだ。アルテが実家にいた時、よく紅茶を飲んでいたので「ご相伴」という形で一緒に飲んでいた。
ねこなので、多分にもれずねこ舌。だから熱いのはしばらく待たないと飲めないが、それでも嬉しそうに飲むフィノを見て、家族は面白がって見ていたものだ。
「そうですね。しばらく飲んでいませんし」
「やったぁ」
ここにグレイヴァがいれば「やっぱりアルテはフィノに甘いんだ」とつぶやいていただろう。
「それにしても……グレイヴァは遅いですね」
食事の用意もでき、さっき火にかけた水はもう沸騰している。
なのに、グレイヴァはまだ戻って来ない。
「獣に喰われたのなら、血の臭いがするわよね」
「……フィノ、怖いことを言わないでください」
「大丈夫よ。あのグレイヴァが、おとなしく喰われるはずないわ。さすがに悲鳴の一つも出すだろうし。でも……迷ってるってことは十分にありえるわね。だから迷わないようにって、言ってあげたのに」
薪を拾う時は、どうしても地面ばかりを見てしまいがちだ。で、ふと気付くと、自分のいる場所がわからなくなってしまう。
元の場所へ戻ろうとして動き回り、ますますドツボにはまるのはよくあること。
だが、長くはないがそれなりに旅をしてきたグレイヴァが、今更そういう失敗をするとは思えない。
薪拾いに夢中になるとは思えないし、迷いでもしたらそれこそフィノに何を言われるかわからない。だから、意地でも迷わないように気を付けるはず。
「少し時間がかかりすぎてますね」
迎えに行くべく、アルテはグレイヴァが向かった方へと歩き出す。
「まぁったく、世話の焼ける」
文句を言いながら、でもちゃんとアルテと一緒について行くフィノ。
「グレイヴァは、こちらの方へ歩いて行きましたよね」
「うん。ちゃんとにおいも残ってる」
においをたどり、フィノはアルテの一足先を歩く。それは間違いなく、グレイヴァが通ったルートだった。
「水が落ちる音……? この先に滝があるのかしら」
フィノが川の流れとは別の、水の音を聞きつけた。グレイヴァの足取りは、どうやらそちらへと向かっている。
「グレイヴァ!」
視線が高いアルテが先に滝を、いや、滝のそばに倒れているグレイヴァを見付けた。
駆け寄ると、グレイヴァはあおむけに倒れて意識を失っている。ケガはないようだが、アルテの声にも反応しない。
「グレイヴァ……グレイヴァ!」
意識を取り戻させようと、アルテはグレイヴァの肩を揺する。グレイヴァが目を覚ます様子はなく、アルテは抱き起こして軽くその頬をはたいた。
「アルテ」
そんなアルテに、フィノが声をかける。
声をかけられ、アルテは周囲を見回して気付いた。
何か違う。
さっきまでの森の空気とは、どこか違う。妙な気配が漂って……。
フィノの方を見れば、黒い毛を逆立てて辺りを警戒している。
明らかに、この周辺は普通ではない。
「アルテ、早く行きましょ。おかしなことに巻き込まれないうちに」
ちょうどグレイヴァも、ようやく目を覚ました。
が、朝起きた時のように、半分寝ぼけているような顔だ。
「ん……アルテ?」
「グレイヴァ、歩けますか。戻りますよ」
このおかしな空気が何かを考えるよりも、グレイヴァをこの場から早く離れさす方が先だ。
「あ……うん」
よくわからないまま、アルテに連れて行かれるようにしてグレイヴァは歩き、彼らはその場を離れた。
☆☆☆
「どうして俺、あんな所で寝てたんだろ」
ようやくちゃんと意識を取り戻したグレイヴァだが、自分がどういう経緯で倒れたのか、よく覚えていないらしい。
薪を拾っていて、滝があることに気付いてから後のことが……記憶にない。
母さんが……あれ、どうしてここに母さんが出て来るんだ?
自分でも自信がないので、グレイヴァはそのあたりのあいまいな部分は黙っていた。
「きっと、昼間の疲れが出たんですよ。今日は暑い中を、かなり長い時間歩きましたからね」
「グレイヴァって、健康しか取り柄がなさそうなのに。ほーんと、暑さにはてんで弱いんだから」
「前もそんなこと言ってたけど、健康しかって何だよ」
「え? だって、そうでしょ」
意外なことを言われてびっくり、な表情でフィノが言い返す。
「あのなあ」
「まあまあ。とりあえず、食事にしましょう。疲れが取れれば、どうということはありませんよ。顔色も悪くないですし」
アルテはグレイヴァの分の食料を渡し、フィノのリクエストだった紅茶を淹れる。
が、そのそばから、グレイヴァの目がとろんとしだした。
「……俺、後で食う。眠い」
そう言って横になると、すぐに寝息をたてだす。
フィノが前足でグレイヴァの頬をつついてみるが、目を覚ます気配はない。少し強めにむにっと押してみても、それを振り払おうとする仕草も出なかった。
「本当に眠っちゃったみたい。何も感じないから、さっきの空気の悪影響ってことはないと思うわ」
グレイヴァからは、特におかしな気配は感じられない。ただ、普通に眠っているだけだ。
「たぶん、グレイヴァには刺激が強かったんでしょう」
アルテが紅茶の入ったカップをフィノの前に置き、フィノは人間に姿を変えるとカップの湯気をふーっと吹いた。
ねこのままだと、放っておいて冷めるまでに時間がかかってしまう。なので、こういう時は都合よく人間になる。
「何だったのかしらね、さっきの」
あの滝のそばを急いで離れると、すぐに何ともなくなった。ふたりが感じたあのおかしな気配は、滝のすぐそばだけだったらしい。
だが、簡単に安心できないので、急いでここまで戻って来たのだ。
遠く、とは言えないが、ある程度離れているし、アルテよりもさらに気配に敏感なフィノが何も感じないのだから、ここで一日休むくらいは大丈夫だろう。
「そうは見えなかったけど、あの滝に魔物でもいるのかしら。そいつの出す空気だったりするのかも」
「グレイヴァは……よくも悪くも、影響を受けやすいんでしょうね」
普通なら、気を失うような気配ではなかった。アルテやフィノは感じ取れるが、魔法に縁のない人間なら何もわからない。せいぜい気配に敏感な人間が、妙な感じがする、と思う程度だ。
グレイヴァの身体には傷一つなかったから、何かしらの攻撃をされたのではない。魔法をかけられたのでもないようだった。
だとすれば、あの場に漂う空気に、身体や神経がついていかなかったのだろう。
魔法使いではなくても、勘が鋭すぎてその影響を受けてしまう人は存在する。気配に敏感、だけでは済まないのだ。
グレイヴァはそういう自覚がない。と言うより、気配に鈍感なくせに影響を受ける、という少しややこしい体質だと思われる。
そんなグレイヴァが妙な気配が漂うあの場に長くいたため、身体の方がパニックになったのだ。
それに加えて、疲れのために体調がよくなかったのも、一因しているはず。
「かもね。そんな繊細そうには見えないけど」
言いながら、カップに口をつけるフィノ。でも、まだ十分に冷めてないので、顔をしかめて舌を出す。
「自分の村にいた時は、魔法なんて見たがことないって言ってたじゃない。でも、別のものは見てたかもね。ただ、勘が悪くてそれに気付かなかっただけ、なんじゃないかしら」
やっぱり、どうしても一言多い、フィノのコメント。
「ついこの前、魔法使いになれるかもって話をしてたけど……やればスムーズに魔法が使えるタイプじゃないかしらね。本人は、全くその気はなさそうだけど」
「こういうことがまた起こるのであれば……冗談抜きで、自分を守れる術を知っていてもらった方がいいかも知れませんね。寄って来るのが妖精であればいいですが、そうでない場合もありますから」





