シューレが教えてくれたこと
「作り話に聞こえるけど……確かにあの時のマルサラも高熱を出していたし、作り話で熱は出ないからね」
アイレトルは、信じるしかない、という半ばあきらめのような表情だ。彼には、否定できる材料がない。
グレイヴァの様子をため息をつきながら見ていたが、ふいにアイレトルが目をこする。
「……ぼくはやっぱり疲れてるのかな」
呆然とグレイヴァを見ている。いや、グレイヴァの身体の上にいる、妖精をだ。
いつの間に来たのか、誰もわからなかった。
青い衣をまとい、衣と同じ色の羽がある妖精がひとり、グレイヴァの胸辺りに立っていたのだ。
「元気になったのねっ」
最初に声を出したのは、マルサラだった。
その様子から、今までマルサラに妖精や石についての話をしてくれたシューレという妖精は、彼女なのだろう。
「ええ、あなた達のおかげよ。源水石を再び手にすることができて、仲間はみんな元気になったわ。大変だったでしょう。ありがとう」
こちらまで優しくなれそうな、とても穏やかな声だ。
「お役に立てて幸いです」
アルテが応えた。アイレトルはますます信じられない、という顔で妖精を見ている。
そのシューレが、ふとアイレトルの方を向いた。
今は彼もちゃんと妖精が見えているらしく、でもこんな経験は初めてなので戸惑いは隠せない。
「あなたが私の姿を見るのは、きっとこれが最初で最後。でも、私達はマルサラと一緒にいるあなたを、ずっと見てる。今までも、これからも」
「……」
アイレトルは何か言おうとして口をぱくぱくさせるが、言葉が出て来ない。
普通の人間が初めて妖精を目の当たりにしたのだ、こういう反応しかできなくても仕方ないだろう。
「彼ね、石を持って来てくれたのは。……彼は魔法使いじゃないそうね」
グレイヴァの今の状況を見て、なぜ彼がこうなったのかを悟ったようだ。
「ええ、彼が泉で石を手に入れてくれました」
「私はあまり力がないけれど……」
言いながら、シューレはゆっくりと手を広げる。すると、グレイヴァの身体が青白く光り、何粒かの水滴が身体から浮かび出した。
「……ん……」
グレイヴァが、わずかに目を開けた。シューレは優しく微笑みながら、ゆっくりとうなずく。
グレイヴァは焦点の合わない目でシューレを見ていたが、また眠ってしまった。
「何をしたんですか?」
「彼が飲んでしまった水を引き上げたの。これで、少しは回復が早くなるはずよ」
見た目はあまり変わらないが、荒かったグレイヴァの呼吸が少し落ち着いたようにも思えた。
「ごめんなさい。私も水から長く出ていられる程、まだ回復していないの。ただ、あなた達に早くお礼を言いたかったから」
言いながら、シューレの姿が次第に薄くなってゆく。湖へ戻るつもりなのだろう。
「大丈夫? また会える?」
「ええ」
マルサラの心配そうな顔に、シューレは笑顔で応えてから消えた。
「よかった……ちゃんと石の力は働いてくれているのね」
シューレが姿を見せてくれたことで、マルサラはほっと胸をなでおろした。
「完全に回復してないって言ってたけど、それじゃ無理してグレイヴァを治してくれたのね。この子ってば、本当に妖精に好かれる質みたい」
「石を手に入れたのは、グレイヴァですからね。彼女にすれば、お礼の気持ちも多分にあるんですよ」
「……今のは、本当に起きたことかい? 誰か夢だって、言ってくれないかな」
アイレトルは頭を抱えている。
「残念でした。夢なんかじゃないわよ」
きっぱり言うフィノは、何だか嬉しそうだ。
「今のを夢で終わらせちゃ、もったいないわよ。彼女が言ったように、最初で最後の体験になるかも知れないんだから。ちゃんとその疲れでボケかけた頭に、たたき込んでおきなさいよね」
きっとアイレトルの頭の中は、完全に混乱状態だろう。
「しかし……さっきの話といい、今の出来事といい、疲れてるけど眠れそうにないな」
「そう? ちょうどよかったわ。あたし達休むから、グレイヴァの看病お願いね」
ちゃっかり者のフィノはそう言うと、ソファでさっさと眠る。アイレトルは呆然とし、アルテとマルサラはくすくす笑う。
「ぼく達も休みましょうか。グレイヴァも少し落ち着いたようですし」
☆☆☆
次の日、最初に目を覚ましたのはグレイヴァだった。
何だ、こりゃ。
周りを見ると、マルサラがグレイヴァの寝ているベッドを枕にして眠っているし、床に座り込んでアイレトルが眠っている。
ベッドのそばのイスにはアルテが座ってこっくりこっくりしているし、ソファではフィノが上半身を横たえて眠っていた。
どうしてみんな、こんな所で……あ、俺のせいか。
首を動かした時に、額に乗っていたぬれタオルが落ちた。それを見て、自分が湖で倒れたのを思い出したのだ。
あの時、頭がクラクラして……熱、出したのか。ちぇっ、泉に落ちたくらいで熱出すなんて、フィノに笑われそうだな。
あの泉が特殊故に自分がダウンしたことを、グレイヴァはまだ知らない。
その話は順次、目を覚ましたアルテ達から聞くことになる。
しばらくフォーレン家で厄介になったグレイヴァ達だったが、グレイヴァの調子が元に戻ると出発することにした。
マルサラはもう少しいれば、と引き止めたが、また夢の妖精から依頼がきたのだ。次の場所へ赴かなければならない。
それを聞くと、マルサラもそれ以上は言わなかった。彼らは楽しむための旅をしているのではない、と知っているから。
グレイヴァ達が出発すると言うので、アイレトルも駆け付けてくれた。
「また会えるといいわね。こんな半島の端っこまでは、なかなか来られないでしょうけど」
「機会があれば、ぜひ。その時のマルサラを、楽しみにしていますよ」
初めて会った時と比べると、マルサラはずいぶんしっかりしてきたように見える。意識だけが現実から遠のいているような雰囲気が、かなり薄らいでいた。
あの洞窟へ行ったことで、彼女の中の何かが変化したのだろうか。
次に会う時は、グレイヴァが洞窟の中で見た「大人に近付いた彼女」になっているかも知れない。
「あの夜のことはまだ信じられない気もするけど……夢でなくてよかったような気もするよ」
「ふぅん。先生も、ちょっとは頭が柔らかくなってきたみたいね」
フィノがからかい、全員がどっと笑う。
屋敷の外で別れの挨拶をしている時、馬車が近付いて来た。グレイヴァが最初に乗せられた馬車と、同じものだ。
「お父様が戻ってこられたわ」
馬車は彼らの前で止まり、中から初老と言うにはまだ少し早い、細身の男性が降りて来た。
「お帰りなさい、お父様」
「ただいま。……レトル、久し振りだね。仕事の方は順調かね?」
「ええ、おかげさまで」
「こちらは?」
見掛けない三つの顔に、フォーレン氏はさっと目を走らせる。
「あたしの大切なお友達よ」
「……そうか。娘と仲よくしてやってください。失礼」
それだけ言うと、フォーレン氏は屋敷へ入って行った。
「ごめんなさいね、愛想のない父で」
「彼は昔からああだから、あまり気にしないでくれ」
アイレトルもマルサラと一緒になって、フォローする。
「照れ屋なの。人見知りするって言うか……仕事の時はそうじゃないんだけど」
「マルサラを放ったらかしで、仕事ばっかしてる親父なんだろ」
「違うわっ。……ああ、街の噂を聞いたのね」
マルサラは、少し淋しそうな笑みを浮かべた。
「知らない人はそう言うのよ。でもね、父はあたしのために働いてくれてるの」
「そりゃ、家族を養うためだろ」
「うん、それはそうなんだけど……母が亡くなってから父がそれまで以上に働いているのは、自分に何かあってもあたしが不自由なく生きていけるように、なのよ」
娘が普通とは少し違い、将来に対して不安がある。
不器用な父は自分が働き、娘が一生人並みに暮らしてゆけるだけの資金を残すことが、彼のできる精一杯のことだった。
「それを教えてくれたのは、シューレなの」
マルサラは知らなくても、湖にいる妖精達は見ていた。
時々、湖で溜め息をついているフォーレン氏を。
妻の絵姿を見ながら、自分の不器用さを嘆いている、マルサラの父を。
「大丈夫よ、あたし。父のこともそうやってわかったし、レトルもいてくれるもの」
そう言って笑うマルサラの顔が、一瞬だけ大人びて見えた。ほんの一瞬だけ。
アルテとフィノは、そしてグレイヴァも、きっとマルサラはこれから少しずつ、普通の人と同じ時間の流れて生きてゆくだろう、と思った。何の根拠もないが。
「二人とも、元気で」
「世話になったな」
「お幸せにねっ」
手を振って、グレイヴァ達はフォーレン家を後にした。
「俺、今回は水難の相が出てたんじゃないかな」
船酔いはするわ、泉でおぼれかけるわ。
これまでも危ない目に遭ったりもしていたが、今回のように本当に死ぬのでは、と思ったのは初めてだ。
「大丈夫よ、グレイヴァは殺したって死にやしないから」
「それはフィノだって同じだろ」
「あーら。こんなに繊細な女性をつかまえて、何をおっしゃるのかしら、このボーヤは」
フィノがさりげなくグレイヴァの後ろに回って、首を絞めてくる。もういつものことなので、アルテは放ったらかしだ。
「でも、今回はぼくも焦りました。グレイヴァが息をしていないのを知って、ぼくも息が止まりかけましたからね」
それから、ふとアルテの顔が真面目になる。
「……グレイヴァ、このまま続けてもいいんですか?」
「へ? 何が?」
ようやくフィノの絞め技から離れ、咳き込みながら聞き返す。
「この旅を続けることを、です。グレイヴァは魔法使いではないし、またこの前のような危険なことがない、とは限らない。その時に、ぼくの力が及ばないことだってありえます」
相手は妖精に関連するものだったり、魔物だったり。今回のように、アルテの魔法が効かないこともあるだろう。一歩間違えれば、最悪のこともある。
「何言ってんだよ、今更。だいたい、こんな中途半端なところでやめられるかよ。俺はやりかけってのが、一番嫌いなんだ」
「今はやりかけどころか、まだ始まったばっかりよね、たぶん」
「……わかりました」
アルテは、この少年のどこにこんな強さがあるのか不思議だった。魔法も使えない彼が、こうして魔力に関わった事件に当然のように挑んでいることが。
それから、ふと思う。
フィノが「グレイヴァは妖精に好かれている」と言っていたが、彼の強さに妖精は惹かれているのではないか、と。
「さてと。それじゃ、港へ戻って船を探さないと。……どうしました?」
アルテの言葉に、急にグレイヴァの顔が暗くなっている。
「……うー、船かぁ。また船に乗らなきゃなんないんだよなぁ」
どうやら、グレイヴァにとっては旅を続けることよりも、船にまた乗らなければならないことの方がずっと大変らしい。
アルテは思わず吹き出した。
「何だよ、アルテは慣れてるからいいだろうけどさ」
「ふふん、グレイヴァの弱点、またいっこ発見」
「またって何だよ、フィノ。弱点だらけみたいな言い方、するなよな」
「あーら、違う?」
「てめぇっ」
グレイヴァが、とっとと逃げ出すフィノを追い掛ける。アルテは走るでもなく、その後を追った。
今日も、暑くなりそうな空が広がっている。





