洞窟の中の泉
「この洞窟に化け物がいる、と言い出したのは、この影を見た人なのね。どんな化け物か、わかんないはずだわ。ただ黒いだけで、何もわかんないじゃない。怖いと思ってるから、自分のことすら魔物に見えるのよ。それで何もしない本当の魔物が退治されちゃ、たまんないわね」
フィノが手を振ると、影も手を振る。確かに、見えているのは自分達の影だ。
「たぶん、泉はこちらですね」
「何でわかるんだ?」
「影のある方、人間から見て化け物が出る所に、宝はあるものです」
「なるほど」
「さっすがアルテ」
影のいる方へと、一行はどんどん進んだ。
影は大きくなったり揺れたりして侵入者を脅かしていたが、進むにつれてコケが少なくなり、影もおぼろげになってゆく。
周囲が見えにくくなってきたので、アルテがランプに火を入れた。
「なぁ、俺達が石を取ってこの道を戻って来たら、影が実体になって襲って来る、なんてことはないか?」
「ありえるかもねー。でも、自分の影は消せないし、出て来たら一気に突っ走るしかないんじゃない? 影と戦って勝っても、同時に自分が死んだりしたらシャレにもなんないわ」
「自分が死ぬ?」
「影はね、魔法によっては大事なアイテムだったりする訳。影を操ることで、その影の持ち主をどうかすることだってできるのよ。命そのものにもなったりするから。影を地面に縫い付けたら動けなくなったり、影の心臓部分を刺したら本人が死んだりね」
フィノは淡々と説明するが、グレイヴァはとんでもない話を聞かされた気がする。たかが影とあなどれないのだ。
さらに進んで行くとコケがほとんどなくなり、ランプの光でできる影が岩壁にはっきり映る。
「ありました。この泉ですね」
アルテがランプをかざし、水面がランプの光を反射してキラキラ光る。
そこには、小さな泉があった。馬一頭が余裕で入れるくらいの大きさ、だろうか。
その真上には鍾乳石が何本も垂れ下がり、それを伝った水が泉へ落ちている。
その泉の中央には、カップの受け皿のような形をした岩があり、その上に小さな石が乗っているのが見えた。
薄暗いので、何色かは判別できない。石の真上にひときわ大きな鍾乳石が垂れ下がり、そこから落ちる水はゆっくりと、でも確実に石へ降り注いでいた。
「もしかして……あの水を浴びて石が育ってる、とか?」
「恐らく。しかし……小さな石ですね。ここからだと定かじゃありませんが、指の爪より少し大きいくらいですね」
「これくらいねって言われたんだけど」
マルサラが、指で大きさを示した。子どもの握り拳程度の大きさだ。
「じゃ、あれだと小さすぎるってことじゃないか」
「育ちが足りないってことね」
「本当なら、交換する時期はもっと先なんですよ。それが不測の事態が起きてしまったために、未発達な石しかない、ということになっているんです」
この石が十分な大きさに育つ頃、今の湖にある石の力がなくなる。そして、誰かが取り替えるために、ここへ来る。
本来ならそうなるべきなのに、今ある石は力を失った。次がほしい。
でも、次に力の源となる石は、十分に育っていない。これを持って戻ったとしても、気休め程度にしかならない。わずかな時間で、妖精達はまた同じ状況に陥ることになる。
「あの、もしかしたら……」
マルサラが、おずおずと口を開いた。
「もっと奥にも、泉があるかも」
「こういう泉が? どうしてそう思うの?」
「ずっと前、見た気がするから」
「そんなに奥まで入ったんですか?」
「この泉があったの、覚えてる。さっきみたいな影も出なくて、歩いていたらここまで来てた。でも、帰る方向がわからなくて、迷っているうちにまた泉の前にいたの」
小さな子どもがただ迷っているだけ、と知って、あの門番のようなコケは彼女を脅かすことをやめたのだろうか。
「それ、ここじゃないのか?」
グレイヴァの言葉に、マルサラは首を横に振る。
「ここじゃないわ。そこはこれよりもっと小さな泉で……ものすごく深かった」
「それって、落ちたってことなの? ちょっと待って。マルサラが落ちたのは、湖じゃなかった?」
昨日聞いた話では「湖に落ちて、それ以来成長が止まった」ということだった。
「あたしが本当に落ちたのは、この洞窟の中の泉なの」
この洞窟で迷ったマルサラは、歩いているうちに泉の前へ出た。疲れていたマルサラは少し水が飲みたくなり、手で泉の水をすくおうとして足をすべらせ、落ちてしまったのだ。
昔から湖で泳いだりしていたので、泳ぎにはそれなりに自信があった。
だが、身体は何をどう動かしても沈んでゆく。どうしても浮かないのだ。
息も続かなくなり、もうダメかも知れない、それなら母の所に行きたい、と思った。
その時、ふいに何か大きなものに身体を包まれたような気がした。
が、マルサラはそれっきり気を失う。
次に目を覚ました時は洞窟の外で、彼女を捜していたアイレトルや使用人に見付けられた。
周りの人間は、マルサラの服や身体がぬれていたので、湖に落ちたのだ、と勝手に思い込んだのだ。洞窟の外で倒れていれば、そう思われるのも当然だろう。
それから後、マルサラは妖精の姿がはっきり見えるようになった。
本当は湖に落ちたんじゃない、と言ってもよかったのだが、何だかあの泉のことは人には話さない方がいいような気がした。
だから、マルサラは本当のことをずっと黙っていたのだ。
「では、マルサラの成長が止まったのは、その泉のせいかも知れない訳ですね」
アルテは、洞窟の内部を改めて見渡した。
「どうしたんだ?」
「いえ……。マルサラ、その泉の場所はわかりますか?」
「たぶん、この奥……」
迷った時に現れた泉の場所など、はっきりと覚えてはいないが、マルサラは泉の向こうを指差した。
そちらは光るコケが完全になくなっていて、本来の洞窟らしい暗さが漂っている。
一行は、そちらへ歩き出した。一つしかないランプの明かりが、ぼんやりと足下を照らしている。
あの光るコケが少ないと、歩きにくくてスピードも落ちてしまうが、それは仕方ない。
アルテの魔法で火を出し、もっと明るくすることもできる。だが、何が現れるかわからない場所で、余計な魔法の気配を出すことはやめておいたのだ。
「なぁ、フィノは鼻が敏感だろ? 水の匂いとかで泉のありそうな所、わかんないのか?」
グレイヴァがこそっと言ってみる。
「あのねぇ、そういう無茶な要求しないでくれない?」
「けど、犬程じゃなくてもきくだろ」
「犬だって、そんなこと言われたら困るわよ。この洞窟全体が湿ってるんだから、そこから水の匂いなんて言われたってわかんないわ」
「ちぇっ」
確かに洞窟の空気はしっとり、と言うか、じっとりしているし、小さな水たまりなどはいくつも点在している。フィノがねこでも無理な話だ。
まして、今は人間の姿。ねこの時のようにはいかないらしい。
「きゃっ」
グレイヴァの後ろを歩いていたマルサラが、石につまづいてグレイヴァの背中に倒れかかった。
「わっ……大丈夫か?」
「ご、ごめんね」
「マルサラ、ケガはないですか?」
アルテがランプを持つ手を、こちらへ向けた。
「ええ、平気。……グレイヴァ、どうしたの?」
「え? あ、いや……」
じっとマルサラの顔を見詰めていたグレイヴァは、言われて慌てて視線をそらす。
光のせい……かな。
幼い顔立ちのマルサラが、ふと年相応の少女の顔に見えたのだ。
今のマルサラの顔に、大人に近付いた女性のマルサラの顔が重なったような。
ちゃんと確かめたい気もするのだが、こんな薄暗いところではそうもいかない。まさか人の、しかも女の子の顔をじっくり見るなんて、明るい場所であっても失礼だ。
「そろそろ、一つ目の糸玉が終わるわ」
入口からずっと、帰る時のための道標として引いていた糸の玉。マルサラの手の中で、すっかり小さくなっている。
洞窟内の道は岩などが邪魔をして、真っ直ぐに進めない。遠回りをしているので、直線距離ではそうでもないが、歩いた距離はけっこうあるはずだ。
その分、糸も伸ばされることになる。
「糸玉はいくつ持って来たんだ?」
「二つ。こんな奥まで入るとは思わなかったから、一つでもいけると思ってたの。もう一つは、糸が切れたりした時のための予備のつもりで」
「そっか。ま、いざとなれば、アルテが目印になるようなのを出してくれるから」
「でも、まだ一つあるのなら、どうにかなるでしょう」
「それまでに見付かるかな。太陽も見えないから、時間がどれくらい経ってるかわからないし、どれだけ歩いてるかもわからない。地図だってないし、方向が全然違ったって、俺達には知りようがないんだぜ」
「文句言わないっ!」
フィノの声が、洞窟に響く。
「この閉じられた空間って感じが、いやなんだよ」
「ふぅん。怖いの?」
「バカ、誰が怖がるかっての」
「どーだか」
今度はフィノの笑い声が洞窟に響く。
「お前なぁ、こんな所でケタケタわらっ……」
グレイヴァの言葉が途切れ、一瞬の後に水しぶきの上がる音がした。
アルテが慌ててそちらを照らすと、さっきの泉の半分にもならない大きさの泉がある。
一見すれば少し大きな水たまり程度にしか見えず、アルテは通り過ごしていた。
同じく通り過ごそうとしたグレイヴァは、足下が暗くてよく見えなかったということと、多少の水たまりは気にせずに踏んでいたのだ。
その泉も、これまでと同じように踏んでしまった。ところが、底はずっと下の方で、グレイヴァの身体はそのまま水の中へ、という訳だ。
「グレイヴァ! マルサラ、話していた泉はこれですか」
「た、たぶん、そう。もう少し大きいように思えたんだけど……」
子どもの時には大きく思えたものが、大人になって見るとそう大きくない、ということはよくある。
マルサラの身体は子どものままだが、年月は確実に過ぎている。記憶があいまいだったり、薄れていたりしているということもある。だから、すぐにはわからなかったのだ。
「ねぇ、これがマルサラの落ちた泉なら、グレイヴァは沈んだままってこと?」
泳げるはずのマルサラが、自力ではどうしても浮上できなかった泉。
これがその泉なら、グレイヴァがどんなにもがいても浮かんではこられない。
「いけない。泳いでも駄目なんでしたね。マルサラ、糸玉をください」
「あ、はい」
予備として持って来ていた二つ目の糸玉を、マルサラがアルテに渡す。アルテは受け取ると、その糸玉に魔法をかけた。途端に、糸は太いロープに変わる。
アルテはそのロープを、急いで自分の身体に巻き付けた。
「グレイヴァの身体を掴まえたら合図しますから、フィノとマルサラはロープを引き上げてください。恐らく、この水の中では魔法は効かないでしょうから。お願いします」
「わかった。気を付けてね、アルテ」
アルテはグレイヴァの後を追って、水の中へと入った。





