光るコケ
「あの子から、魔法使いらしい空気は感じなかったわ」
ベッドに入っているのでもう眠った、と思っていたフィノが言った。
「らしい空気?」
「魔法の気配って言うのとは、ちょっと違うんだけど。魔法使いには魔法を使ってない時も、それなりに独特な空気があるの。オーラって言うのかしら。アルテの魔法使い仲間も、似たような空気を持ってた。もちろん、あたしが知らないだけで、そういうオーラを隠してる魔法使いも存在するだろうけど。マルサラに関しては、魔法使いじゃないわね」
「そっか……。妖精を見ることができると、こういう状態になる、とかは?」
「魔法とは違いますし、ああいう影響が出るとは思えませんね」
「もういいじゃない。今回は石を探すのであって、マルサラの身体の謎の究明じゃないのよ。グレイヴァ、さっさと寝て明日に備えなさい。本当に魔物に喰われても、知らないわよ」
フィノにほとんど蹴られるように(いや、実際に蹴っていた)ベッドへ入ったグレイヴァだった。
「ランプは一つあれば、たぶん十分だと思うわ。あと、中で迷ったりしないよう、糸玉を持って」
「洞窟の中って、迷路みたくなってんのかな」
「奥の方まで入らなきゃいけないようになったら、帰り道が不安でしょ。あ、魔法使いはそんな心配、しなくていいのかしら」
「いえ、やはり備えがあれば、気の持ち方も変わります。ありがとう、マルサラ」
何が起きるかわからない場所へ行くのだ。今のうちにできることは、少しでもしておきたい。
「それじゃ、出発しましょうか」
食事が済み、自分が用意した物を持つと、マルサラは出かけるそぶりをする。
「え、マルサラも行くのか? 昨日、アイレトルからあれだけ止められてたじゃないか」
「場所だけ教えてもらえればいいんですよ。危険だと思われてる場所へ、わざわざ女性が赴くことはありませんから」
「でも、フィノだって女性でしょ」
子どものように見えても、焦点の合わないような表情をしていても、言うことはちゃんと言うマルサラ。
「魔法使いじゃないけど、あたしも魔法は少々たしなむのよ」
「……魔法って、たしなむって言うのか?」
「いいのよ、そんなこと考えなくても」
フィノが軽く睨む。
「……連れてってもらえないなら、場所は教えない」
マルサラは、いきなりそんなことを言い出した。
「あーらら。急に強くなったわねぇ」
「あたしだけ輪の外にいるの、いやだわ」
「ですが、マルサラ。危険ではないですか? ぼくの魔法では、守り切ることができないかも知れませんよ」
「構わない。自分の身は自分で守るわ」
何を言っても引きそうにない。マルサラの決心は堅いようだ。
「本当に何かあったら、俺達がアイレトルに殺されかねないよな」
「レトルが心配してくれるのはわかるけど……あたしは妖精達のために何かしてあげたい」
魔法使いでなければならない、と言われた。でも、魔法使いの手伝いくらいならできるはずだ。
「昨日、東にある丘、と言っていましたね。そこへ行けば、すぐではなくても見付かると思いますが」
「あ……」
場所はすでに教えていたのだ。詳しくはまだだが、おおよその場所さえわかれば行けるはず。
マルサラは自分の話していたことを思い出して、うつむいた。
「でも、知らないうちに後ろからついて来られたりしたら、困りますからね……」
アルテの言葉に、マルサラが顔を上げた。
「改めて、場所を教えてもらえますか?」
「はい!」
マルサラが元気に返事した。
☆☆☆
「あ、そうだ。すっかり忘れていたけど、ねこがいなくなってるわ。グレイヴァを屋敷へ連れて帰る時、一緒に黒ねこが馬車へ乗ってきたんだけど。あなた達のねこなの?」
「え? あ、ああ、あの子? かわいいでしょ?」
フィノの言葉に、グレイヴァがけっという顔をする。
「人を見て、態度を変える奴なんだよな」
「どこか居心地のいい場所を見付けて、くつろいでるのよ。気にしないで。街を出る時は、ちゃんと戻って来るから」
グレイヴァの頭を押さえ込みながら、フィノは笑ってごまかした。まさか、ここにいる、とは言えない。
フォーレン家を出て、東へ歩く。いくらも行かないうちに、件の丘は現れた。
マルサラの後をついて行くと、大きな横穴のある所まで来る。その穴の入口に立って後ろを向くと、穏やかな水面の湖が見えた。
「屋敷からもっと離れてると思ったのに、近くなんだな。……化け物が出るかも知れないような洞窟のそばで、怖くないのか?」
「今までに見たことはないし……いてもきっと怖くないわ」
「……マルサラ、何か隠していませんか?」
「え?」
アルテの問いに、マルサラはきょとんとした顔を向けた。
「そう思ったのは、ぼくの勘ですが。今、少しだけためらいのようなものを感じたんです」
「別に隠しては……」
マルサラは、少し言いよどむ。
「あたしは、この中に化け物がいたとしても、本当に怖くないと思う。それだけよ」
本人がそう言うので、アルテはそれ以上何も聞かなかった。
マルサラは持って来た糸玉の糸の先を、洞窟のそばに立つ木の幹にしっかりとくくりつける。それから玉の方をマルサラが持って、一行は洞窟へ入った。
「ランプ、火をつけないのか?」
「まだ明るいはずだから」
言われた入った洞窟は、入っても確かに暗くなかった。
入口からの光が入っているせいではない。洞窟全体がほのかに明るいのだ。
「どうして明かりもないのに、こんなに明るいんだ?」
「これは……発光性のコケ、ですね」
洞窟の地面にも壁面にも、さらには天井までも、コケがびっしりと生えている。そのコケが、淡い黄色の光を発しているのだ。
真昼の空の下、とまではいかないが、ランプなどなくてもつまづかずに歩けるし、互いの顔もちゃんと見えている。
「これがあるから、ランプは一つでいいって言ったのね。マルサラは、ここへ入ったことがあるんでしょ」
フィノの言葉に、マルサラは小さくうなずく。
「昨日、話してたでしょ。母が死んだ時、とても悲しくて悲しくて。泣きながら家を飛び出して、気付いたらここへ来てたの。ここへ入った時はとても明るかったから、驚いたわ」
「で、その時に化け物はいなかったから、いないんじゃないかって思ったんだな」
本当にいないのなら、石を見付けるのには好都合だ。
「で、この奥へ行けばいいのか」
「小さな泉が会って、その中に石があるはずだって」
「洞窟に泉?」
「雨水が地面を抜けてたまったか、湧き水があるんじゃないですか。それとも、湖がすぐそばですから、地下の深い所でつながっているのかも知れませんね」
「この辺りはこのコケが全部、水を吸ってるのよ。やーん、やな感触」
水が好きではないフィノ。歩くたびに足の下でグシュッという音に、心底いやそうな顔をしている。
「こんなことになるもっと前、源水石についてシューレから聞いたことがあるの。その石は、泉の中で育つんですって」
「石が育つ? そんなの、ありかよ。風雨にさらされて、しまいには砂になるってんならわかるけど」
「あたしも初めは驚いたわ。その時は場所まで教えてもらわなかったけど、本当にそうなんだって。湖の中にある石の力が弱くなったら、その泉の石と取り替えるって話をしてくれたの」
力が弱くなったら取り替える……って、お伽石もそんな感じだったっけ。
以前に助けた妖精の顔を思い出しながら、グレイヴァはマルサラの話を聞いた。
「こんなことになってしまって、シューレはこの場所を教えてくれたわ。でも、本当は人間に知られたくないみたい」
場所を教え、それを持って来てもらわなければ、自分達の命に関わる。
妖精にすれば、背に腹は代えられなかったのだ。
「妖精の力の源となる石なら、どんな力や魔力を秘めているかわかりませんからね。知った人間が、奪いに来ることだってあるでしょう。その石を命の糧としている妖精にすれば、おいそれとは話せませんよ。このコケも、実は侵入者を追い返すために生えていると思います」
「こんなぼやーっと光ってるだけのコケが……か?」
うすぼんやりと、辺りを照らすコケ。
グレイヴァ達にすれば、ランプなしで歩けるからありがたいのだが。だいたい、こんなコケに侵入者の排除ができるのだろうか。
「ここは化け物が出る。アイレトルも言ってましたが、そのことは他の人も知っているでしょう?」
アルテに聞かれ、マルサラはうなずいた。
「この洞窟は、化け物の棲み処と思ってるわ。あたしが普通じゃないのも、その化け物のせいだって言う人もいたりするし。父が留守がちなのは、化け物から逃げてるからだって言われたりもする。使用人が逃げないのは、金が必要で何かすねにキズを持った奴ばかりだから、とか……」
ずいぶんな言われ様である。
こう言う人は少ないのよ、とマルサラはフォローした。
だが、彼女が知っているということは、それなりの数の人間がそう思って口にするから、少女の耳にもその声が入ってくるのだ。
「こうして見る限りは、ただ光っているだけで何の害もなさそうですね。でも、入って来る人間がいたら光を加減し、影を作ったりして脅かすんじゃないでしょうか。こういった空間では、自分の影さえも得体の知れないものに見えてしまいますからね」
「光が強くなったり、弱くなったりするのか? 太陽が雲に隠されてそうなるってんならわかるけど」
「あくまでも推測です。どこか一方が、そうですね、進行方向のコケが光を落として暗くなるとしましょう。天井も暗い方がいいかも知れません。光が後ろから当たると、前に影ができますね。でも、最初に入った時は周り全体が明るいから、いきなり現れたそれが自分の影だとわからない。初めからランプなどをつけて、その光でできた影を見ていれば、そう驚くことはないでしょう。ですが、ふいに現れた黒い物体が実は自分だなんて、余程冷静でなければすぐには気付きませんよ。ほら、あんなふうに」
アルテが歩く先を指差すと、黒く大きな山がいくつも動いている。
「げっ……本当に出た」
強い光に照らされているのではないので、影そのものもひどくぼんやりとした輪郭でしかない。
前置きも何もなくこれを見たら、普通の人間は驚いて逃げ出すだろう。
「明るい暗いの差なんてわからないのに……でも、影ができるように調節してるのね」
ずっとアルテの説明を聞いていたせいか、マルサラも悲鳴を上げることなく落ち着いていた。