少女の噂
アルテは街の人に宿の場所を聞き、戻る前に果物屋へ寄ってリンゴを二つ買った。
具合の悪いグレイヴァも、リンゴくらいなら口にできるだろう。脱水症状を起こしたりしないように、水分も取らせた方がいい。ただの船酔いだけならいいのだが、少しばかり症状が重そうなのが気にかかる。
今日一日休ませて、明日もまだ具合が悪いようなら、医者に診せた方がいいだろうか。
そんなことをあれこれ考えながら、アルテはグレイヴァとフィノが待っているはずの場所へ戻ったのだが……誰もいなくなっていた。
グレイヴァだけでなく、グレイヴァの荷物も。そして、一緒にいるように頼んだフィノまでもがいなくなっている。
アルテが離れる時のグレイヴァの様子を思えば、彼が自分でどこかへ行くとは思えない。行こうとしても、フィノが止めるはずだ。
それなら、グレイヴァはどこへ行ったのだろう。そして、フィノは。
自分達で動かないなら、誰か別人が現れて動くように仕向けた、ということだろうか。
でも、どういう状況で? もし、よくない誰かに連れ去られたのだとしても、フィノがいるのだから、危険がグレイヴァの間近にせまっている、とは思えない。
そういう点では、アルテはあまり慌てていなかった。
でも、このままここでぼーっと立っていても、グレイヴァが戻って来るとは考えられない。
アルテは周りの人に、黒髪の少年と黒ねこを見掛けなかったか、尋ねて回った。
何人かに尋ねても「知らない」という返事をもらうばかり。
だが、グレイヴァが休んでいた場所から通りを挟んだ所で魚の干物を並べている露店の老人から、有力な情報を手に入れることができた。
老人のいる所からグレイヴァの姿は、彼の目があまりよくないこともあって、表情などの細かい部分はわからなかったらしい。それでも、存在はちゃんとわかっていたようだ。ねこもそばにいた。
そのグレイヴァの前に、一台の馬車が止まった、と言う。
「ずいぶんと立派な馬車だったなぁ。この辺りでああいう馬車を持っとるのは、フォーレン家だろうな。扉に紋章が付いとったが、ようわからんかった」
「フォーレン家、ですか」
「そのボーズは、馬車に乗って行きおった。わしはてっきり迎えが遅くて眠ったところに馬車が来て、一緒に行ったと思っとったが……違うのかね?」
「その少年は、自分の意思で馬車に乗ったのでしょうか」
老人の質問にはあえて答えず、アルテは別のことを尋ねる。
「あー……どうかねぇ。見てたと言っても、ここからじゃ車輪越しでしかないし、ようわからんが」
開いた馬車の扉は、老人から見ればあちら側。目が悪くなくても、老人に細かいところまでは見えなかったのだ。
「ねこはどうですか?」
「そこまではなぁ」
「ねぇ、ボーヤ。その男の子ってのは、ボーヤの連れかい?」
横から客らしいおばさんが、口をはさんできた。
隣りでずっと、アルテと老人の会話を聞いていたのだ。
「ええ。一緒に旅をしています」
「本当にフォーレン家へ連れて行かれたんなら、早いとこ迎えに行ってあげた方がいいんじゃないかねぇ」
「……どういうことですか?」
意味ありげな言い方に、アルテが聞き返す。
もっとも、アルテが聞かなくても、おばさんは言いたくて仕方ない、という表情だ。
「フォーレン家の娘でマルサラってお嬢様がいるんだけど、その子がちょっとばかし妙な子なのよ。以前から、人には見えない物が見えるようなことを言ってたらしいんだけど、五年……そんなに経ったかしら。とにかくそれくらい前に、屋敷のそばにある湖に落ちてね。それからますます妙になっちまったのよ。あたしも人から聞いたんだけどさ」
フォーレン家は、ラージェと呼ばれる湖のそばにある。その湖に、一人娘のマルサラが誤って落ちてしまったらしい。
本人が自力で上がって来たが、屋敷へ戻る途中で力尽きて倒れているところを、捜していた使用人に見付けられたのだ。
その後、マルサラはまるで、心ここにあらず、という表情になる。
元々、少し頭の足りない娘、と思われていたのだが、それにますます輪をかけたようになってしまったのだ。
しかも、妙なことはそれだけでなく、今年でもう十七歳にもなろうというのに、外見はまだ十二歳かそこらの少女でしかない。
自分で成長を止めたかのように、マルサラはいつまでも子どもの姿なのだ。
「ラージェの湖の水は不老不死になるんじゃないか、なんて言われた時期もあったけどさぁ。いくら若くても、あんなふうになるんじゃねぇ……。フォーレン家の旦那は手広く仕事をなさってる方で、家を留守にされることが多いようだし、奥方はそのことがあるちょっと前に亡くなられているの。娘があんななっちまうのも無理はないって、今はみんなそう言ってるんだよ」
人から聞く話というのは、面白おかしくしようとして、あるはずのない尾ひれが山のようにくっついていることが多々ある。
アルテもそのつもりで、おばさんの話に耳を傾けていた。
「やっぱり子どもってのは、親が愛情を持って育ててやらんとな。たとえ片親でも、ちゃんと愛してやりゃ、子どもだってわからぁな」
「そうだよねぇ。とにかく、ボーヤ。そういうほやーっとしたのに限って、何をしでかすかわかんないもんだからね。あの子の周りには、止める人もいないしさ。早く迎えに行っておやり」
親切なのか、面白がって怖がらせているのか、よくわからない。
とにかく、グレイヴァはフォーレン家へ連れて行かれた、という可能性が高いようだ。娘の存在はともかく、行くしかない。
アルテはフォーレン家のある場所を聞いて、そちらへ向かった。
街を出ると、小さな森へ入る。森と言ってもうっそうとした雰囲気はなく、道も広くてきれいに整備されていた。
フォーレン家へ続く道でもあるが、隣り街へ抜ける道でもあるらしいので、森を通る道と言っても暗いイメージがない。
あちこちから鳥の鳴き声も聞こえてくるし、何のへんてつもない普通の森だ。
老人の話では、この森を抜けた所にラージェの湖があり、その湖を背景に屋敷が建っている、ということだった。
もっとも、老人が直接行ったことはないので、人づてに聞いた、ということらしい。
道は一本で、迷う心配はなさそうだ。時々、馬車や馬に乗った人が通り過ぎて行くので、わからなければ聞けばいい。
歩きながら、アルテはさっき聞いた話を思い返していた。
理解力の低い娘。しかも、身体の成長まで止めてしまった少女。
この話のどこまでが本当かはさておき。その少女がグレイヴァを連れて行ったとして、何のために連れて行ったのだろうか。
グレイヴァとその娘が知り合い? そうは思えない。それなら、この半島へ来る時点で、グレイヴァなら話すはずだ。
それに、グレイヴァはここへ来る方法も知らないようだった。海も見たことがない。
仮に、娘がグレイヴァのいた村へ行ったが、グレイヴァはここまで来たことがないとしても。
グレイヴァがこの半島の存在を全く知らない、とは思えない。ソロアへ来ることになった時点で、何らかの反応があってもおかしくないはず。
でも、実際のグレイヴァはこの半島も海も知らず、知人がいるようなことをほのめかすこともなかった。
「もしかして、初恋の人だから言えなかった、とか……」
アルテは思わずそうつぶやいたが、すぐに否定する。
グレイヴァは、隠し事ができるようなタイプではない。すぐ顔に出る質だ。フィノでなくても、からかいたくなってしまう時がある。
まして、そんな事情だったりすれば、フィノがすぐに気付いてからかい出すのは目に見える。
それに……万が一にもその娘が初恋の相手だとして、グレイヴァが彼女について行こうとすれば。
その時は、必ずフィノが止めるはずだ。アルテが戻るまで待て、と。
人の言葉で言わなくても、フィノならうまくやってのける。
それに、グレイヴァは無意識のうちに、フィノのねこ語を理解しているらしい。人間語とねこ語でよくケンカをしているし、完全に理解できなかったとしても、やはりグレイヴァが一人で行動するとは考えられない。
何だか、思考が堂々巡りですね。結論としては、そこにグレイヴァの意思はなかった、というところでしょうか。
では、どんな目的で、という疑問が残る。
金品を盗るのが目的なら、荷物だけでいいはず。人間を連れて行く必要はない。
それに、グレイヴァを連れて行ったのは(まだ断定できないが)金持ちの娘だ。
そんな追い剥ぎや強盗のマネなどしなくても、家に帰ればグレイヴァの持つ何十倍、何百倍と金があるのだから、この可能性は却下。
今回助けを求める妖精が人間を操って……そんなはずはない。人間を操る力があれば、魔物によってこうむった被害を自力で解決させればいいのだ。
だいたい、そんな強引な手段に出なくても、アルテ達の方から行く、ということはアージュ達によって知らされているはず。
なので、これも却下。
全然違う別の事情で、魔法使いであるアルテをおびき出そうとしている? グレイヴァを人質に取り、アルテを脅迫……。
そうなれば、フィノが黙ってないだろう。
でも、今はグレイヴァも普通ではないから、フィノも手を出しそびれて……いや、考えにくい可能性だ。いまいちリアリティがない。
アルテはこの辺りに知人はいないし、こんな半島の先まで名が知れ渡る程の有名魔法使いではない。こんなことをされるような覚えは……こちらにはなくても、相手にあるのだろうか。
「もう少しマシな可能性は出て来ませんかねぇ」
あれこれと考えながら歩く魔法使いの耳に、半分悲鳴のような声が入ってきた。
「アルテ、あぶないっ!」
その声で、魔法使いは我に返った。
考え込み過ぎて、もう少しで木にぶつかりそうだったのだ。
考え事をしながら歩くと目の前の物が見えなくなるアルテは、よく家の中ででも柱に頭をぶつけたりしていた。
「今の声は……フィノ?」
木との衝突を防いでくれたのは、グレイヴァと一緒にいなくなったフィノだった。
「アルテーッ!」
周りに人がいないので、遠慮なく人の言葉を口にしながら黒ねこが駆け寄って来る。走りスピードがいつもより速い。
ある地点まで来るとフィノは地面を蹴って、一気にアルテの胸へ飛び込んだ。





