グレイヴァ、さらわれる?
アルテが行ってしまうと、グレイヴァは焦点の合わない目で自分の荷物を置くと、それを枕にして倒れるように横になる。
人が近くを通るので、不自然にならないようにしつつ、フィノはグレイヴァの耳元に顔を近付けた。
「グレイヴァ?」
こそっと呼び掛けてみる。
「ん……」
すでに目を閉じているグレイヴァは、かすれた声でそれだけ言った。返事なのか、苦しくて出た声なのかもよくわからない。
あらら……グロッキーって、こういうことを言うのかしら。アルテやあたしはそうも思わなかったけど、よっぽどあの揺れが堪えたみたいね。
遊び相手がこんなではつまらないが、仕方ない。
フィノはグレイヴァのそばで、同じように横たわった。
旅の疲れで眠っているんだろうと思われてるのか、誰も声をかけてくることはしない。それとも、単に街の人間が冷たいだけなのか。
どちらにしても、ゆっくり休めるのだから、グレイヴァにとってその状況は好都合だ。
そうしてアルテを待ちながら休んでいると、馬車の近付いて来る音がフィノの耳に入ってきた。
特に気にするでもなかったが、音がするので何となく耳をたてる。
馬車の扉が開く音。人が降り、歩く音。その足音が、こちらへ近付いてくる。
グレイヴァやフィノがいる方は港へ続く道があるから、誰かの出迎えに来たのだろうか。
フィノはそう思ったが、足音はすぐ近くで止まる。
フィノはそれまで耳を立てているだけだったが、音が本当にすぐそばまで来たので、ようやく顔を上げた。
立派な馬車が、通りに止まっている。全体は青で窓や扉などは金の縁取りがされ、扉の中央部分に鳥のエンブレムがあった。
その扉が、開いている。そこから降りたらしい少女が、グレイヴァのすぐそばに立っていた。
金色の真っ直ぐな髪が胸元まである、十二、三歳くらいの少女。かわいい顔をしているが、その表情はどこか現実から離れているように思える。
それでも、紫の瞳はグレイヴァをしっかり見ていた。
人間の姿なら「何か用?」とでも言えたのだが、今はねこなので黙っておく。
「この人だわ……」
まだ幼さの残る声で、少女はつぶやいた。
え? 誰が何?
少女は明らかに、グレイヴァを見てつぶやいた。
「あの……ねぇ、起きて?」
少女はグレイヴァの肩を揺すったが、グレイヴァが目を覚ます気配はなさそうだ。
何なのかしら、この子。グレイヴァを誰かと間違ってない?
「お嬢様……」
後ろから使用人らしい、中年と呼ぶには少し若い男が少女に声をかける。
「この人を連れて帰るわ。この人の助けが必要なの」
さっきまでのはかなげな表情からは考えられない、しっかりした声で少女は言った。驚いたのは、フィノだ。
え、ちょっと! どういうことよ。あんた、誰っ?
「しかし」
「この人を馬車に乗せて」
使用人は、困ったような顔になる。
本気で連れて行く気なの? 知り合い……じゃないわよね。
グレイヴァと声を交わすこともなく、いきなり「連れて帰る」と言い出した。この少女は何者なのだろう。
助けを必要と言ったが、何の助けかもよくわからない。助けが必要なのは、むしろグレイヴァだと思うのだが……。
しぶしぶと言った表情の使用人に抱えられても、グレイヴァはまだ眠っている。あの船酔いと旅の疲れとで、深く眠り込んでいるのだ。
フィノは迷った。
グレイヴァを連れて行かせないように、男や少女に襲いかかることもできる。だが、そうすると男が遠慮なくフィノを追い払うだろう。
魔獣のフィノなら、その手から逃げることもできるし、何だったら叩きのめすことだって簡単。
しかし、グレイヴァをここにとどめさせようと思えば、この姿では無理だ。まさか街の中で大きくなったり、翼を出したり、ましてや人間になるなんてできない。大騒ぎになってしまう。
どこかで隠れて人間になるにしても、この近くには適した場所がない。探しているうちに、グレイヴァが連れて行かれてしまう。
どうしよう……。
アルテが戻って来る気配は、まだなさそうだ。こうしている間にも、グレイヴァは馬車に乗せられている。
フィノは少し考え、グレイヴァと一緒に行くことにした。
どこへ連れて行かれるにせよ、グレイヴァの居場所さえわかっていれば、そこから抜け出してアルテに知らせに行ける。
どこへ行ったかわからないでアルテと捜し回るより、そうする方がいい。
グレイヴァの身が危うくなったら、その時は街中だろうと実力行使で何とかするとして、今はおとなしくついて行くことをフィノは選んだ。
グレイヴァが荷物と一緒に馬車に運ばれ、最後に少女が馬車に乗り込む時、フィノは軽く地面を蹴って中へすべり込む。
「あら……。あなたは魔法使いの飼いねこさん?」
フィノは驚いて、少女の顔を見る。
世間での形としては、フィノはアルテの飼いねこ。でも、今の場にアルテはいない。
それに、アルテが自ら言わない限り、彼が魔法使いだとはあまりわからない。同業者や普通よりずっと勘の働く人間、もしくは魔物でもない限り。
なのに、少女は「魔法使い」と口にした。アルテの存在を知っているのか、もしかしたら……何かとんでもない間違いで、グレイヴァを魔法使いだと思っているのか。
フィノが今話をすることができれば、きっと矢継ぎ早に質問をしているだろう。
でも、ねこの姿でそれをすれば、悲鳴を上げられ、馬車から放り出されるのがオチだ。
とにかく、様子をうかがうことに撤し、今はニャアとだけ鳴いておいた。
☆☆☆
馬車は街から少し離れ、馬車の窓から湖らしき水面が見えてきた。近付くにつれ、水面はやはり湖だとわかる。潮の香りがないからだ。
その湖を背景にして建つ立派な屋敷があり、その前で馬車は止まった。
こんな大っきな屋敷に住んでるのか。じゃ、お嬢様って呼ばれても、不思議じゃ……ん? そんな人が、行き倒れの人間を連れて帰って来るなんて、十分に不思議だわ!
グレイヴァは、使用人の男によって屋敷の中へと運ばれて行く。少女は屋敷から出て来た使用人の若い女性に、誰かを呼んで来るように言い付けた。
グレイヴァが、屋敷のどこへ連れて行かれるか。
そのことに意識を向けていたフィノは、少女が誰を呼ぶように言ったのか聞き逃してしまった。
もっとも、どんな人間が来ようと、魔法使いが来ようと、簡単に負ける気はしない。
屋敷内へ担ぎ込まれたグレイヴァは、旅人にはあまり似つかわしくない、とてもきれいな部屋のベッドで寝かされた。
恐らく、客室なのだろう。長期滞在する客のための部屋なのか、扉に素晴らしい細工が施されたタンスがあったり、大きな鏡台が置かれている。
テーブルやソファなども当然あるが、そのどれもが客室に置くのはもったいないのでは、と思える豪華さだ。
部屋の隅には、高価そうな大きい花瓶。そこに一抱えもありそうな、大量のきれいな花が活けられている。
旅のほこりをかぶっているグレイヴァにあてがわれるには、あまりにも不釣り合いな部屋だ。
何を考えてるのかしら、この子……。
そう思ったのは、きっとフィノだけではなく、使用人達も同じはず。事情がわからなければ、奇行でしかない。
それでも、屋敷の主人の命令だからだろう。もしくは、よくあることなのか。言われた通り、てきぱきと動いていた。
グレイヴァがベッドに寝かされてしばらく経ち、ようやく部屋の中が落ち着いてきた頃。
あの少女が部屋へ現れた。
「様子はどう?」
グレイヴァの世話をしてくれた中年女性の使用人に、少女はグレイヴァの具合を尋ねる。
「今は何とも……。ずっと眠っていらっしゃいます」
「そう」
少女が少し落胆したような表情をしたところに扉がノックされ、さっき誰かを呼んでくるように言われていた使用人の女性が顔を出した。
「マルサラお嬢様。アイレトル先生がお見えになりました」
「すぐここへ」
マルサラ……ね。もう少し何か情報はないかしら。と、言っても、いくらここにいるのがただのねこでも、そう簡単に事情をべらべらしゃべったりしないわよねぇ。
フィノはタンスの上から部屋を監視しつつ、小さなため息をついた。ここへ入ってからすぐ、人の目の届きにくい所へ、と思ってここへ上がったのだ。
グレイヴァと何かしら縁があると知れた以上、たとえねこの姿でも相手が警戒しないとも限らない。
ましてフィノは「魔法使いのねこ」だと思われているのだ。ガードを固くされて、目的を見出せないままだと、フィノとしても困る。
まだグレイヴァがどうされるかわからないので、他の部屋や屋敷の中を探索もできない。
こうなったら、隠れるようにしてタンスの上で部屋を見張り、情報が飛び出してこないか、グレイヴァが何かおかしなことをされないかチェックするしかない。
まぁったく。グレイヴァが船酔いなんかしなきゃ、こんなややこしいことにならなくて済んだのに。……まだ具合悪いのかしら。元気しかとりえがないくせに、こういう時に倒れないでよね。やきもきさせないでほしいわ。
心配したり、文句を言ったり、フィノも忙しい。もっとも、フィノ自身は心配している、という意識はない。
部屋の扉がまた開く。短く薄い金の髪に白い服を着た……白衣を着た長身の若い男性が入って来た。
その格好と、さっき「先生」と呼ばれていたのを考えれば、彼は医者だろう。
「レトル」
「マルサラ、一体何があったんだ。きみの方から呼びに来るなんて」
「この人を診てあげて」
ベッドで眠るグレイヴァの顔を見て、医者の顔が曇る。
「……誰なんだい、彼は。お父上は留守なんだろう? こんなことをしては」
「お願い」
マルサラに懇願され、彼はそれ以上何も言わずにグレイヴァの診察を始めた。
二十歳を過ぎたところ、くらいかしらね。口調がくだけてるから友達……相手が子どもだから、単にそういう口調になってるだけかしら。
でも、医者と患者の関係、とはまた違うような雰囲気があるわね。医者だとか、そういうのは関係なしで、知り合いってところかしら。
二人の様子を見て、フィノはあれこれと考えを巡らせた。
とにかく、マルサラはグレイヴァを悪いようにしようとするつもりはないらしい。
本心はまだ見えてないが、少なくとも具合の悪い人間を医者に診せてくれているのだから、殺すだの何だのという、とんでもない方向へは行かないだろう。
今のうちに動いた方がいいかしらね。ここなら、グレイヴァもゆっくりベッドで休んでいられるだろうし。
マルサラの目的がわからないのは気になるが、きっと今頃アルテがあの木陰の周辺を捜し回っているはずだ。長く彼を心配させたくない。
フィノはタンスの上からさっさ飛び下り、誰の目にも止まらないで扉の隙間から抜け出すと、港へ向かって走り出した。





