船旅
源水石
全十二回です
六月も半ばを過ぎた。太陽の照り方も、どんどん容赦がなくなってくる。
空から降る熱を全身に浴びながら歩いている時、ふと顔をなでていくさわやかな風が天の恵みにすら思えてしまう。
が、その恵みもほんのわずかだけで、滅多に訪れてはくれない。
「ったく、あっちいなぁ」
今日、もう何度目になるかわからないセリフを、直射日光を遮るためにマントを頭からすっぽりかぶったグレイヴァが口にした。
「十三回目」
彼の足下から、声がする。そこには、暑さをものともしない風情で歩いている黒ねこ。
「あ? 何だって?」
「十三回目だって言ったの。あんたがそれ言うの、もう十三回目よ」
周りに人がいないのを確認してから、フィノがあきれたように答えた。
「よく飽きないで、何度も同じセリフが言えるわねぇ。どれだけ言ったって太陽はまだ当分沈まないんだし、涼しくもならないわよ。たまには、もう少し違うことを言えない?」
「うるっさいなぁ。そんなの、数えるなよなー」
黒ねこの言葉に、グレイヴァはふんっとそっぽを向く。
「暑いのに暑いって言って、何が悪いんだよ」
自分でも言ったところで仕方がないのはわかっているが、口をついて出てしまうのだ。
それを指摘されたので、半分開き直った。
「繰り返し同じ言葉を、横で聞かされる身にもなってもらいたいもんだわ」
「状況が同じなんだから、出て来る言葉だって同じになるんだよ。そういうフィノは、暑くないのか? 黒の毛皮を着たまんまでさ」
「着た切り雀みたいな言い方、しないでよねっ」
フィノは憤慨したように鼻をならす。
「だいたいねぇ、グレイヴァは辛抱がなさすぎんのよ。アルテを見習ったら? 暑いなんて、一度だって言ってないでしょ」
そう言われてみれば、同じような格好で歩いている魔法使いは暑いと一言ももらしていない。
「そうだっけ? アルテ、暑いのは強い方なのか?」
「強い、とは言いませんが……。ぼくは生まれも育ちもレトルの街ですが、父方の実家が南の方なんです。学校の長期休暇にはよく遊びに行ったりしていたので、多少は身体も慣れているんでしょうね」
青みがかった銀の髪の少年は、さわやかな顔でそう答えた。
汗は光っているが、グレイヴァ程にはこの暑さに堪えていないらしい。
「レトルの街って、俺のいたオタウの村やネイバーの街より少し南なだけだよな。それだけで、こうも暑さに対する抵抗力が違うものか?」
「だからぁ、グレイヴァは単に、辛抱が足りないだけだってば」
フィノはいつものように、遠慮なく言う。
「なんだよ、えらっそーに」
「まあまあ」
これまたいつものように、アルテがいさめる。
「今日は確かに、天気がよすぎますからね。でも、もう少し歩けば、じきに港が見えてきますから。海風で、少しは涼しくなると思いますよ」
「港かぁ」
魔物によって被害をこうむった妖精を助けるために、旅をしているグレイヴァ達。
今回は、ソロア半島の先へ向かうように、と言われているのだった。
どう動けばいいのか、これまで困っていたグレイヴァ達。
それが夢の妖精アージュ達が協力してくれることで、次の目的地が指示してもらえることになり、安心できるようになった。
が、それもだいたいの位置だけで、詳しくはわからない。
被害に遭った妖精はいつもより力が衰えてしまうため、アージュ達にも居場所を把握しきれないためらしい。
ただ漠然と、南だ北だと言われるよりはずっといい……とグレイヴァ達は思っている。妖精達も通常の状態ではないから、仕方がないのだ。
今回はまず、海を目指す。海まで出てしまえば、そこからソロア半島までは船に乗って行くのだ。
島ではないので陸づたい、つまり海岸線に沿って歩いても、もちろん目的地へ行ける。
だが、ソロア半島と呼ばれる所は地形的に細長く、その先端へ着くまでにかなりの時間がかかってしまう。人の足ならばほぼ三日、というところか。
それより船で渡ってしまえば、約一時間程で着く。
ソロア半島は、北西に伸びる半島。今回は半島の西の方だ、とアージュ達から聞いている。要するに、半島の端っこの方だという可能性が高いのだ。
これだけの条件が重なれば、船で行く方が得策だ。さっさと半島の西端へ向かい、そこが目的地でなければ徐々に東へ進めばいい。
「もう潮の香りが流れてくるわ」
鼻のきくフィノが、そう告げた。
「今から行く港に、ソロア半島の西まで行く船が出てるのか?」
「あると思いますよ。ソロアは漁場が豊かで、この近海では捕れない魚も捕れるそうです。真珠や珊瑚の装飾品も多いので、それらを求めてソロアへ向かう人が多くいるんですよ」
「ふーん、じゃ、船の心配はしなくていいってことか」
「ねぇ。あたし、隠れてた方がいいかしら」
「何でだよ」
「荷物の中に魚があったりしたら、盗むんじゃないかって目を付けられそうだもん。そんなお行儀の悪いこと、しないのに」
「フィノだと、魚より真珠に目を付けるんじゃないか?」
グレイヴァがそう言ってからかい、フィノのねこキックを食らった。
☆☆☆
港に着き、ソロアへ渡りたいと船乗りらしい人物に尋ねると、昼過ぎに出る船がある、と教えてもらった。グレイヴァ達は、その便に乗ることにする。
「俺、船に乗るの、初めてなんだよな」
乗る前に軽く昼食を摂りながら、グレイヴァがつぶやいた。
「海も初めてなんでしょう?」
「うん。あれ、話してたっけ?」
「アージュと一緒に、夢の中で海へ行ったでしょう? あの時は、本物ではありませんでしたけれど」
グレイヴァの夢の中で、夢の妖精アージュと一緒に海へ行った。正確には「海の夢」だが、あの時の海はグレイヴァが人や本から得た知識上の海だった。
その夢の中でグレイヴァは、海へ行ったことがない、と話していたのだ。
もっとも、その夢のことがなくても、グレイヴァが海に来たのは初めてだ、とアルテにはわかったかも知れない。
アルテがソロア行きの船について人に尋ねている時、ずっと目を輝かせて海を見詰めていたし、歩いている時はあちこち物珍しそうに見ていたりしていた。
海からの風があると言っても、太陽の光の強さがそれほど変わる訳でもないのに「暑い」と一言も言わなくなった。
海の大きさ広さに圧倒されて、言葉が出ないのだ。知識と実物を目にするのとでは、迫力が違う。
「アルテは、船に乗ったことがあるのか?」
「ええ。今日のように帆で走る船と、蒸気船にも乗ったことがあります」
「……いいよなぁ。俺、陸蒸気にも乗ったことない。見たことだけはあるけど」
「この先、いくらでも乗れますよ。ぼくはこう見えても、グレイヴァより年上ですからね。色々経験していても当然ですから」
「んー、そうだな」
「ニャー」
周りに人がたくさんいるので言葉を口にしないが、フィノは「田舎者だからでしょ」とでも言いたげな鳴き方をする。
「……何だよ」
グレイヴァは答えが返らないと知りつつ、フィノの方を見た。フィノの方はただ、フイッと横を向くだけ。
「さぁ、乗りましょうか。フィノのことは話してありますから」
「ニャン」
嬉しそうに鳴いて、フィノはアルテの肩に飛び乗った。
船はグレイヴァが思っていたより大きいもので、三十人以上は軽く乗れそうだ。それだけソロアの方へ行く人が多い、ということなのだろう。
今も、ほぼ満員状態だ。
乗客が全て乗り込むと、船乗りが帆を上げた。
帆は風をたっぷり含み、船は緩やかに水面をすべり出す。
「お客さん達、今日はちょっとばかし波が荒いみたいだから、ぬれないように気を付けてくんな」
船着き場では穏やかに思えた海だが、少し沖へ出ると風が強くなり、白い波しぶきが目に映る。船の横ではねた水しぶきが、船の中の客達の服や荷物にかかった。
だが、こういうのはみんななれっこなのか、特に文句が出ることもなく、ぬれて困る人は船の中央へ最初から逃げるなどして、それぞれ対応している。
「ニャ~ン」
ぬれたくないフィノは、さっさと帆柱の上の方へと避難した。
しばらくすると、風も多少穏やかになり、海も次第に凪いでくる。船の揺れも少なくなり、船の上は客同士の話し声で賑やかになってきた。
アルテも隣りにいた老人と雑談をしていたのだが、ふいにグレイヴァが船の後ろの方へと走って行った。
アルテは「失礼」と老人に言って、グレイヴァの後を追う。
「……グレイヴァ、大丈夫ですか?」
海に顔を出しているグレイヴァの背中を、アルテが軽くさする。
グレイヴァは船に乗る前に口にした物を海の中へ全部出し、力が抜けたようにその場で座り込んでしまった。
「すっかり船酔いしちまったな、ボーズ」
近くで様子を見ていた中年の船乗りが、遠慮のない大きな声で言った。
「さっき、ちょっとばかり揺れてたからな。ボーズ、船に乗るのは慣れてないのか?」
「ええ、彼は初めてです」
代わりにアルテが答える。いつの間にか、フィノもそばに来ていた。
グレイヴァは答えるどころか、その声も聞いていない。
「そうか。ま、何度も乗ってりゃ、そのうち慣れるさ」
船乗りは、頭に響くような声で笑った。
「……」
他人事だと思って、気楽に言ってくれる。
もう何も残っていないはずなのに、またこみ上げて来るものがあり、グレイヴァは慌てて立ち上がった。
それから船はほどなくしてソロア半島に到着したが、グレイヴァにとってはとんでもなく長い時間に思えたに違いない。
☆☆☆
船から下りたものの、グレイヴァは完全にダウン寸前だった。
顔色はひどいし、ようやく歩いているような状態で、目を離したらそのまま倒れてしまいそうだ。これでは、妖精助けどころではない。
港から街へ入る道の脇に、大きな陰を作っている木が立っていた。アルテはその木の陰の中で、グレイヴァを座らせる。
ここなら、人はそこそこ通っているが、街の中程に騒がしくない。少しはゆっくり休んでいられるだろう。
「今日はもう、宿で休んだ方がいいですね。探して来ますから、グレイヴァはここで待っていてください。フィノもね」
「ニャー?」
あたしもなの? と言いたげなフィノの顔に、アルテはうなずいた。
「こんな状態で、グレイヴァを一人にできないでしょう? お願いしますね」
アルテはそう言って、街の方へと歩いて行った。





