現実の世界へ
アージュのほめ言葉をそれ以上聞いていられず、大声で遮りながらグレイヴァは後ろを向いた。
アルテはそれを見て、くすくすと笑っている。グレイヴァが自分のことをほめられると照れまくってしまうのは、これまでに何度も見ているから。
「どうしてほめてもらってるのに、怒るのよ」
「怒ってなんか……」
「だって、怒鳴ってるじゃない。それに顔が赤いし。あ、もしかして照れてんの?」
しつこく突っ込んでくるフィノ。
「う、うるさいな。もういいだろ。石は見付かったんだし、早くアージュを連れて夢の外へ出てくれ」
「あ、そうね。みんなも心配してるだろうし。でも、こんなすごいお土産があるなんて知ったら、びっくりするわね。楽しみだわ」
アージュが嬉しそうに笑う。
「あら、残念。もっと遊んでみたかったのに」
「普段経験できないことですからね。そういう意味では、確かに面白い経験でした。では、アージュ、最初の夢まで連れて行ってもらえますか」
「最初の夢へ戻らなくても、ここから戻れるわ。グレイヴァの夢には違いないんだから、どこからでも帰れるの」
夢の妖精がいれば、夢と現実との出入りなど簡単なものだ。
「外へ出たら、ちゃんと魔法は解きますから。心配しないで、待っていてください」
「ああ。早くしてくれよ」
アージュが呪文を唱えると、宙に白く分厚い煙のカーテンのようなものが現れた。
グレイヴァは眠っていたので知らないが、アルテとフィノが彼の夢へ入って来た時に通ったものと同じだ。
「先に出てちょうだい。私が最後に出て、ここを閉めるから」
扉を閉めて鍵をかける、みたいな感じだ。
「わかりました。行きましょうか、フィノ」
「はーい。んじゃ、グレイヴァ。また後でね」
アルテとフィノが、先に煙のカーテンの向こうへ消えた。
あとは夢見石を抱き締めているアージュと、手持ちぶさたのように立っているグレイヴァが残る。
「ねぇ、グレイヴァ。まだ夢見石があるようなら、また来てもいい?」
「いやだって言っても、そっちは自由に入って来られるんだろ」
「ん、まぁ、それはそうだけど」
夢の妖精なら、いつ誰の夢に入るのも自由自在だ。
「石が多い程、妖精の世界も安定するんだろ? それを断ったら、妖精を助けるって約束を破ることになってしまうもんな。だいたい、俺が持ってたって利用できないんだし、勝手に持って行けばいいさ」
そんな言い訳などしなくても、本当は全然構わないと思っているくせに。素直に「いいよ」という言葉が出て来ない。
フィノがまだここにいれば「どうしてそうひねくれた言い方するの」とでも言っていただろう。
でも、アージュには夢見石を通してグレイヴァの心が伝わっているから、思わずくすっと笑ってしまった。
「な、何だよ」
「ううん、何でもないの。私、夢の外へ出ると小さくなってしまうから、ちょっと残念」
「残念って……何が?」
「ふふ……ないしょ」
アージュはそう言うと、不思議そうな顔をしているグレイヴァにキスをした。
え? と思う間もなく、アージュはもう離れていて、夢の出口へと走っていた。
「ありがとう」
その言葉を最後に、アージュの姿は消えた。
アージュの奴、今……何やったんだ? 今のって……今のって……い、いくら夢の中だからって、あいつ……。
あとには、頭の中がすっかりパニックのグレイヴァが立ち尽くしていた。
☆☆☆
アルテとフィノがグレイヴァの夢から出ると、夢の出入口になっていたカーテンはすっと消えてしまった。
そこは確かに、現実の森の中。すぐそばには、小さな池がある。
そして、眠っているグレイヴァと、そのそばにはさっきまで一緒に夢の中を歩き回ったアージュの小さな姿があった。
彼女の隣には、安堵した顔のフレーラがいる。
「お帰りなさい。ありがとう、アージュを連れ戻してくれて」
夢からはアルテ達の方が先に出たはずなのだが、まだ残っていたアージュはすでに本来のあるべき姿でそこにいる。
「アージュ、夢見石は?」
アージュが手ぶらなことに気付き、アルテが尋ねた。
「仲間に渡したわ。少しでも早く自分達の世界を元に戻したいでしょ。それに、あの石は現実の世界では目に見えないものだから、あってもわからないわ」
「ずいぶん早い行動ねぇ」
「夢みたいでしょ」
茶目っ気たっぷりに、アージュが笑う。
「妖精の方の問題は、これで片付いたということですね。それでは、グレイヴァの魔法を解きましょうか。待ちくたびれているでしょうから」
アルテが眠りの魔法を解く呪文を口にすると、グレイヴァはすぐに目を覚ました。眠っていたのに、朝起きた時とは違ってやけに頭はすっきりとさえている。
「気分は悪くありませんか、グレイヴァ」
「悪くはないけど……すっごく疲れたような気がする」
夢で動いていただけだから身体が疲れるはずもないのだが、夢の中で神経を使っていたような気がするのだ。
「グレイヴァ。あなたのおかげでアージュと、そして夢の妖精達が救われました。本当に感謝してるわ」
「俺は別に……」
「大活躍だったわよねー」
フィノは現実の世界へ戻って来ても、やっぱりグレイヴァをからかっている。
「今回の件は、これで無事に片付いたようですね」
行方不明になった妖精を捜すだけでなく、妖精の世界の再建まで一度に片付いてしまった。
偶然も多分にあるのだろうが、解決したというのはいいことだ。
「フレーラ、アージュ。あなた達の世界を壊した魔物について、少し聞いておきたいのですが。グレイヴァの夢の中に、魔物が現れましたよね。今回は単体でしたが、あの魔物の仲間があちこちで妖精を苦しめている訳で……どういう魔物か、わかりますか?」
アルテの質問に、妖精達は首を横に振った。
「知っているような気はするんだけど、でも初めて見る魔物だったわ。こんな言い方じゃ、よくわからないわね。ごめんなさい。でも、みんなで同じことを言ってたの。知っているようで、でも知らないって」
フレーラの言葉は、これまでに聞いた妖精達の話とほとんど変わらなかった。
「グレイヴァの夢の中に現れた魔物は、あれはあれでとても恐ろしかったんだけど、妖精の世界にはあれとは比べものにならない魔物がいたわ。姿は同じような感じだったけど、怖いって思う度合いが違いすぎるの」
「魔物の長、でしょうか」
「うん、そんな感じかも」
魔物が現れた時、アージュは真っ青になって震えていた。それ程に恐ろしかったのだ。でも、長はその比ではない。
手下だけなら、無駄でもみんなで少しは抵抗ができたが、長はそこにいるだけで妖精達は動けなくなってしまったのだ。
「俺達、何だかとんでもない奴を相手にしてるのかな」
「少しでも対抗できるように、もう少し腕を上げておかなければいけませんね」
アルテが考え込むように言う。
夢の中とは言え、魔物に自分の魔法が何の影響も与えられなかったことがショックだったらしい。
「あれは夢の中だったからよ。現実の世界なら、アルテだって負けないわよ。あたしだって負けない!」
そう言うフィノも、自分の力が全く通じなかったことがかなり悔しかったようだ。
「気を付けてね。私たちの世界に現れた魔物は、複数とは言っても数はそう多くなかった。だけど、正確なことが何も言えないの。あの時は、あまりに混乱していたから」
フレーラが申し訳なさそうに言う。
襲われた当事者なのに、詳しいことがほとんどわからないままなのが情けなかった。
「わかります。そんな時に観察しろなんて、無理ですよ。それでも、ぼく達にすれば、魔物が複数いる、という新しい情報が掴めましたから。今はこれで十分です」
「そう言ってもらえると……」
「さぁ、あなた達も早く仲間の所へ戻って、ゆっくりと休んでください。アージュも大変だったことですしね」
「私なら平気よ。グレイヴァのおかげで元気になったから」
「……」
さっきの夢のことがあるので、グレイヴァは笑いかけるアージュから視線を外す。目をまともに合わすなんて、とてもできない。
フレーラとアージュは、もう一度「ありがとう」と言って、その姿を消した。
「すっげー妙な体験だったな」
「妙だと言えば、リーリエの時も十分に妙でしたよ。見た目は普通でも、木から石ができるような世界でしたからね」
「想像もできないようなことばっかり起きるよなぁ。妖精を自分の目で見た時点で、そういう世界へ足を踏み入れてるようなもんか。……今、何時くらい?」
「昼を少しすぎたところですね」
「え、まだそれだけしか時間が経ってないのか。本当に夢ってのは、時間の感覚が狂っちまうよな」
「フィノとぼくは実際に動いていましたけれど、同じ気分ですよ。あれだけ動き回っていたのに、半日しか経過していないんですから」
「俺、二日くらい寝てたような気分なんだけど。昼に寝すぎて夜に眠れないってなこと、ないかな……何だよ?」
最後の言葉は、フィノがグレイヴァをじっと見上げていることに気付いたためだ。
「何かついてるか?」
フィノは何も応えず、アルテの時と同じように、ひょいとグレイヴァの肩に乗った。
「あ、今度はちゃんとさわれる」
「は? 何言ってんだよ。当たり前だろ。夢ン中と一緒にするなよ。俺はいつもの俺なんだから」
「そうよね」
おとなしくそう言ったかと思うと、フィノはいきなりグレイヴァの顔にねこパンチをくらわした。
「……って。このっ、何しやがんだ!」
「あら、ちゃんと言ったじゃないの。夢の外でおとしまえつけてやるって。それを忘れて、油断したあんたが悪いのよ」
そう言われれば、何かの口ゲンカの際にそんなことを言っていたような。
で、フィノは律儀にしっかりと、落とし前をつけた訳である。
「やりやがったな。お前だって、人の夢ン中で失礼なことばっか言ってただろ。待ちやがれっ」
フィノはグレイヴァに捕まえられる前にさっと飛びおり、走って逃げる。待て、と言われて待つはずもない。
グレイヴァも、走って追い掛ける。
「心配しなくても、夜には疲れてぐっすり眠れますよ。それだけ走り回れば」
どうやら魔法使いのつぶやきは、追いつ追われつしている少年とねこには聞こえなかったようである……。