夢の中の少女
夢見石
全十回です
もうすぐ六月になる。
日によっては、暖かいというより暑く感じるようになってきた。南へ向かって歩いているので、余計にそう思うのかも知れない。
今日は昨日や一昨日に比べると陽射しが強く、かなり汗ばんだ。
「妖精の伝言ゲーム、あてにしていいんだろうな」
小さくため息をつきながら、グレイヴァは長身の魔法使いを横目で見る。
「疑う理由はないと思いますけれど?」
黒髪の少年の言葉に、アルテはそう答えた。
「ニャ~」
人間に言葉にすれば「つかれたぁ~」とでもなりそうな、黒ねこの鳴き声が二人の足下で聞こえた。
「ほら。フィノだって、文句言ってるぜ」
「そう言われても……こればかりは、ぼくだってどうしようもありませんからね」
アルテはそう答えるしかなかった。
グレイヴァやフィノが文句を言うのには、もちろん訳がある。
彼らはたんぽぽの妖精ウィンデを助けたことが縁で、知り合うこととなった。
その後、彼女のように力を奪われたり封じられたりした妖精を助けてほしいと頼まれ、旅をするようになる。
ほんの十日程前にも、力の源である石を砕かれてしまったお伽の妖精リーリエのために、代わりとなる石を彼らが手に入れた、という一件があったばかりだ。
どうやら妖精達は、同じ魔物によって被害に遭っているらしい。すでにウィンデの推測で知らされていたことではあるが、リーリエの話からも同一であろう魔物のことが出たのだ。
その魔物によって被害をこうむった妖精がいる限り、グレイヴァ達の旅は続くことになる。
旅が続くことは構わない。
グレイヴァは両親が亡くなり、生まれ故郷へ戻っても身内はいないし、待つ人もいないので特に戻る必要はないのだ。
アルテも、自分の魔法力を向上させるために旅に出たのであって、これという目的地はない。だから、旅が続いても何も支障はなかった。
フィノはアルテと一緒であればそれでいいので、これまた支障はない。
ただ「彼らの行くべき場所がはっきりしない」という現状が問題なのだ。
グレイヴァ達には、どこに困っている妖精がいるのかわからない。
それは妖精達が伝えてくれることになっているのだが、同種族ならともかく、異種族間でのやりとりはあまり慣れていないらしく、スムーズな伝達がなされないのだ。
ようやく伝えられた情報は「南へ」ということだけである。とりあえず南へ向かって進んでくれ、とだけ。
前回もそうだったのだが、方角だけでどんな妖精がどういう状態で困っているのか、ということがさっぱりわからない。
彼らに告げたのは、はちの妖精だった。前回もはちの妖精だったが、前回と今回では別の妖精だ。それはいいとして。
どこの妖精がどういったルートではちの妖精に伝え、それがグレイヴァ達に回ってきたのか、はっきりしない。
もちろん、グレイヴァ達は詳細を尋ねようとしたが、はちの妖精は困った表情になって「私もそれしか聞いてなくて……」と言うばかりだった。
グレイヴァが「妖精の伝言ゲーム」と言ったのは、そのことだ。
フィノが疲れたとグチるのは、目的地があいまいなままにひたすら南へ向いて歩いているだけ、だから。
それだって、早く歩いた方がいいのか、通り過ぎないようにゆっくりがいいのか。
時間だけが過ぎていく。これ以上ない程に、タイムロスだ。
「もしぼく達が間違った方向へ進んでいるなら、誰かが修正に現れるでしょう。関係のない場所へ向かっても、意味がありませんからね。それに、これはウィンデが言い出したことですから、まだ他の妖精に趣旨をちゃんと伝え切れてない部分があるのかも知れません。ぼく達がこういうことをしている、という話が知られるようになれば、今よりもう少しちゃんとした情報がもらえますよ」
「だといいけどな。いつになるやら」
「魔物は神出鬼没ですからね。場所がはっきりわかるようになったとしても、今度は東へ行け、明日は西へ戻れ、なんてことがありうるかも知れませんよ」
魔物は恐らく、色々な場所の色々な妖精に害をなしているだろう。それを助けに行こうとすれば、移動手段が自分の足しかないグレイヴァ達にすれば、大変な旅になる。
「あっちこっち引っ張り回されるってことか」
「まだ可能性ですけれど」
いくら旅が続くことに支障がないとは言え、大変な旅に参加してしまったものである。
今、彼らは森の中を進んでいた。あと一、二時間も歩けばこの森を抜け、地図に載っているクリュという村へ着くはずだ。
しかし、もう太陽はほとんど沈みかけている。慣れない森を歩き続け、迷ってしまうのもバカらしい。
今日はどこか適当な場所で野宿を、と思っていた矢先、小さな池が目の前に現れた。
「飲めるかな、この水」
「澄んではいますけど、生水はやめておいた方がいいですよ」
「グレイヴァなら、何を口にしたって平気でしょうけどね」
フィノが口をはさむ。グレイヴァは、すました顔で言う黒ねこを横目で睨んだ。
「どういう意味だよ」
「ほら、何とかは風邪を引かないって言うじゃない。それと同じで、どんな物を食べても大丈夫じゃないの?」
「お前なぁ……」
「まぁまぁ、グレイヴァ」
とりあえず水は確保できたし、ということで、今日はここで野宿することになった。
☆☆☆
グレイヴァは、薄暗い森の中を歩いていた。
周りには誰もいない。アルテも、フィノも。なぜか彼一人で歩いているのだ。
いつからこうして歩いているのか、覚えていない。でも、不安は感じないから、はぐれた訳ではないらしい。
先に行ってるのかな。ま、どこかで合流するだろ。
あまり深くは考えず、グレイヴァは先へ進む。
「お願い……助けて……だれか」
どこかから、か細い声が聞こえた。はっきり聞き取れなかったので空耳かとも思ったが、少し間をおいてまた聞こえてくる。
少女、だろうか。力のない、かすれるような声で助けを求めている。
グレイヴァの足は、自然に声のした方へと向いていた。
「え……」
いきなり目の前が開けたそこには、つるがまるでロープのように絡み、そのつるで巨木に縛り付けられた少女の姿があった。
プラチナブロンドの髪をした少女は、グレイヴァの気配に気付いたのか、うつむいていたその頭をゆっくりと上げた。
彼女の胸元に、しずくの形をしたペンダントが光る。髪と同じ色だ。
濃い青の瞳が、こちらを見る。アルテの瞳も青だが、少女の瞳は彼のものよりさらに深くて濃い色をしている。
アルテが青空の色なら、彼女の瞳は夜へ向かう空の色。髪の色もアルテと似ているが、この少女の髪は白に近い銀の髪だ。
まっすぐなその髪は、肩の所できれいに切りそろえられている。七色に輝く薄い衣は、踊り子が身に着ける衣装のようだ。
しかし、今は。
瞳の光は弱く、白銀の髪は乱れ、衣は汚れてほころびも目につく。彼女の心身状態を表すかのように、その美しさには影がかかっていた。
「助けて……」
さっきから聞こえていた声と同じだ。やはり、声の主は彼女だった。
頬にあるのは、涙のあとだろうか。疲れ切って乾いてしまったのか、その目に涙は見られない。
「待ってろ。今助けてやるから」
グレイヴァはポケットからナイフを取り出すと、彼女を縛るつるを切った。
俺、ナイフなんて持ってたっけ?
心のどこかでそんな小さな疑問がわくが、すぐに消えてしまう。
つるは思ったより固いが、それでも苦労することなく切れた。
グレイヴァが手に絡まるつるを切ると、彼女はもう片方の手に絡まるつるを自分で引きちぎろうとする。その間に、グレイヴァは足に絡まるつるを切った。
結局、少女が自分では切れなかった手のつるを、グレイヴァが切る。最後に、胴に絡まったつるを切った。
途端に、力尽きたように少女はグレイヴァの腕の中へ倒れ込む。
「わわっ……。おい、大丈夫か?」
身構え、腕に力を込めたグレイヴァだったが、少女の身体は信じられない程に軽かった。確かに触れているのに、重さが感じられない。まるで空気みたいだ。
言ってから、グレイヴァは気付いた。少女の背中に、大小二枚で一対とする透明な羽があるのだ。
彼女は、人間ではなかった。
妖精だろうか。それにしては、身体が大きい。
グレイヴァがこれまでに見た妖精は、みんな小さかった。グレイヴァの手の平に乗れそうなサイズだ。並んで立てば、ひざ辺りまでしかない身長で。
……いや、そんなことはなかったような。グレイヴァより背の高い妖精がいたような、いなかったような。……思い出せない。
とにかく、ここにいる少女は、グレイヴァと同じ年頃の人間と変わらなかった。
「ありがとう……」
かすれた声で、それでも少女はグレイヴァに礼を言った。かなり体力を消耗している様子だ。
「あの……えっとさ……」
こ、こういう場合、とりあえず座らせた方がいいよな。でもって、えーと……人間が妖精の名前なんかを聞いてもいいのかな。
少女に抱き付かれたことで、ちょっとしどろもどろになってしまう。妖精に詳しいはずのアルテやフィノがいないので、どうしたものかと戸惑うばかりだ。
それでも、グレイヴァがどうしてあんな目に遭っていたのかを聞こうとした時。
薄暗かった周囲が急に明るくなってきて、ざわざわと騒がしくなった。
「何だ?」
グレイヴァがそちらの方を振り向く。
もしかしたら、少女をあんなふうにした誰かが来たのでは、と思ったのだ。
「あ、待って……」
立ち去ろうとした訳ではないのに、少女の止める声が聞こえた。
グレイヴァはもう一度少女を見ようとして……それから何もわからなくなる。
☆☆☆
グレイヴァは目を開いた。
何だ、夢か……。
そう思ってまた目を閉じようとしたグレイヴァの視界に、何かが横切る。
そちらへ視線をやると、羽虫のようなものが自分の周りにたくさんいた。
が、よく見るとそれは羽虫などではなく、透明な羽のついた人の姿をしている。
「えっ……」
普通の状況ではないことに気付き、グレイヴァははね起きた。
「やぁっと起きたのね。まったく鈍いんだから」
「フィノ……」
アルテが、遠慮のないフィノをたしなめる。
「俺、寝ボケてるんじゃないよな」
「夢でもありませんよ」
目をしっかり開けて、グレイヴァは確認する。
そこには、やっぱり羽のついた人の姿が……妖精達がいた。みんな、ひざくらいまでの身長しかない。フィノとちょうど視線が合うくらいのサイズだ。
それも、ひとりやふたりではない。かなりの数だ。三桁とまではいかないが、小さな村の人口くらいには匹敵するかも知れない。
とにかく、妖精の団体だ。
「これって……今回行けって言われた所の?」
「そのようです。ぼくもまだ詳しい話を聞いていませんが」
南へ行くように言われ、グレイヴァ達は南へ向かって進んでいた。
そうして現れた妖精達。
関係のない妖精が、しかもこんな団体で人間の前に現れるとは考えにくい。手助けを必要としている妖精、と考えて間違いないはず。
「他の仲間に聞いたの。あなた達が、妖精を助けてくれる魔法使い達ね?」