割られた石
「ぼく達はたんぽぽの妖精ウィンデを助けたのが縁で、他にも同じように困っている妖精を助けてほしい、と彼女に頼まれました。正確な場所は聞いていませんでしたけれど……ここでも何か、問題が起きているようですね」
「ええ、起きました」
優しい声だ。彼女に枕元で話をしてもらったら、すぐに安心して眠りにつけそうな。
「私がここへ来たのは、しばらくこの村では聞かなかった声を聞いたから。誰かが子どもにお伽話をしてあげている声が。とても温かな声だったわ」
リーリエは、どうやらほめているらしい、というのがわかってグレイヴァの頬が朱色に染まる。
「グレイヴァって、妖精を惹き付けやすいのかしらね。よく好感持たれるじゃない」
「そうですね。前に会った妖精や精霊もそうですし、フィノにしても」
「あたしは好感とかじゃなく、からかうと面白いからよ」
フィノはつんと横を向く。
アルテはそんなフィノを見てくすっと笑い、それから妖精の方に向き直る。
「それで、何が起きたんですか?」
「彼の声で、この村の人ではない人が来ているんだってわかったわ。それで、何とかしてもらえるんじゃないかって思って。それに、あなた達が妖精の話をしていたから、ここへ来たの。私には、新しいお伽石が必要なのよ」
☆☆☆
リーリエは、お伽の妖精だ。
一つのエリアで一組以上にお伽の妖精が存在し、お伽石という石の力を引き出す。
トークストーンとも呼ばれる、石の力。お伽の妖精達が人間にうまくふりまくことで、大人達は話ができ、子どもは安心して眠れるのだ。
リーリエは、このロテアの村の担当になる。小さな村なので、この周辺では彼女だけだ。
一ヶ月程前、いつもと同じようにお伽石の力を引き出そうとしていた時、魔物が現れた。
どんな魔物か、よく覚えていない。襲いかかろうとしている、と察知し、戦う力のないリーリエは逃げようとするだけで精一杯だった。
魔物の手が、こちらへ伸びて来る。その時、リーリエは持っていたお伽石を盾のようにして、かろうじて魔物の攻撃を防いだ。
しかし、その衝撃でお伽石は砕けてしまう。
次は自分が引き裂かれてしまう……と思ったが、もう攻撃はなかった。
魔物は砕けたお伽石を拾うと、どこかへ消えてしまったのだ。
助かった……と、一旦はほっとしたリーリエ。だが、後には粉々になってしまったお伽石が残っているだけだ。これでは、石の力はないに等しい。
石がなければ、リーリエは石の力をふりまくことができなくなってしまう。彼女自身は、人間に与えるだけの力がないのだ。
お伽石の力がなければ、大人はたとえ話を知っていても、言葉をつむぐことができなくなってしまう。
そうなると、子どもは安心して眠れない。特に幼い子などは泣くことで不安を訴えるが、大人はどうすることもできないのだ。
「オーリ達が言ってた、問題の原因はこれか」
「時期も合いますしね」
「お伽の妖精を怒らせたんじゃないかってジードが言ってたけど、お伽の妖精が関わってるってのは当たってたな」
「人間全てが、この力の加護を受けている訳じゃないわ。大きな街だと、騒がしくて妖精がいない場合もあるから」
しかし、この村のように妖精の力が関わっていた場所で、急にその力が失われてしまうと、今回のように問題が起きてしまう。妖精の力なしにすごせるようになるまでには、時間がかかるのだ。
このままリーリエが何もできないでいれば、ロテアの村人はお伽の妖精の力なしに子ども達を寝かせ付けられるようになる。だが、それがいつになるかはわからない。
「石が粉々に……ですか。予備になるような石は?」
アルテの問いに、リーリエは首を横に振った。
「ないの。私の手元にあるのは、これだけ」
リーリエの差し出した小さな手の平には、砂粒のような物があった。それを見た限り、お伽石は黒っぽい石らしい。
「あとはもう、粉のようなものだけしか残っていないわ。それが残った石の中で、一番大きなかけらよ」
リーリエが持っているのは、かけらと呼ぶのもはばかられるようなサイズだ。
「新しい石を探さないと、ダメだってことか」
「いえ、探すと言うか……ある場所はわかっているのよ。だけど、私には取りに行けるだけの力が残っていないの」
「わかったわ。自分ではいけないから、石を取りに行く代役をリーリエはずっと待ってたって訳ね。そこへ、あたし達が来たんだ」
フィノがさっさと結論を言い、リーリエはうなずいた。
「だけど、どうしてアルテやグレイヴァなの? いくらこの村が小さくても、代わりに行ってくれそうな村人は、それなりにいるでしょうに。あ、魔法使いでないとダメなの?」
「いえ、魔法使いでなくても構わないの。私が待っていたのは、この村の人では駄目だから。彼らは私の力に……私が引き出したお伽石の力の影響を受けてる。だから、取りに行くには力が足りないの。この村以外の人でなければ」
「確かに、ぼく達はリーリエの影響は受けていませんね。さっきグレイヴァは、ジェイクにお伽話をしてあげていましたし」
グレイヴァが彼女の力の影響を受けていないのは確認済みだし、アルテも大丈夫のはず。
「妖精の次に、石に縁があるみたいだな、俺達」
「そのようですね。お伽石については、ぼくも名前だけしか知りませんでしたが」
「何にしろ、困ってる妖精がその石が必要だって言うんだから、行くしかないわね」
そのために、彼らは旅をするようになったのだから。
「ありがとう。よかった、私の存在を受け入れてくれる人がいて」
リーリエは、ロテアの村人以外の人間を待っていた。自分の代わりにお伽石を取りに行ってくれる人を。
だが、世の中には妖精の存在を否定する人間もいる。彼女がこうして現れても、取りに行くことを承諾してくれる、とは限らないのだ。
それに、こんな田舎の村では、よその人間は通り過ぎてしまうだけ。リーリエの姿は昼間はほとんど透けてしまうので、こうして頼むために人間の前へ現れることすらできない。
まだ陽が高ければ、グレイヴァ達もこの村を素通りしていたかも知れないことを考えると、運がよかったと言えるだろう。
「場所はわかってるって言ったよな。ここから遠いのか?」
「この村から東へ行った所にイレープの森があって、そこに月の光で現れる泉があるの。そのお伽の泉に、お伽石はあるわ」
だが、リーリエは泉がどこにあるかは教えられない、と言う。泉の現れる場所が、いつも違うためだ。
お伽の妖精達は、どこに現れようがその泉に惹かれるのですぐに見付けられる。お伽の妖精だけが持つ、感覚のようなもの。
なので、人間である彼らにはリーリエも教えようがないのだ。
「私達が持つこの石の力は、無限ではないわ。だから、ある程度の日が経って力が弱まってくると、新しい石と交換しにその泉へ行くのよ」
「ふぅん。妖精も結構面倒なことするんだな。交換なんて……え、おい、ちょっと待てよ。交換って、どうするんだよ。こっちは交換する石がないんだろ。魔物に砕かれたってことなら、交換なんてできないぞ」
「これで……」
リーリエがさっき見せた、砂粒のような石のかけらを差し出す。アルテが手を出し、リーリエがそれを彼の手に置いた。
小さなリーリエの手の中でも小さいのに、人間のアルテの手に置かれたかけらは、軽く息を吹いただけで飛んでしまいそうだ。
「あのさ、あまり考えたくないけど、もしこれじゃダメだってことになったら、どうするんだ?」
交換する石が、本来どれ程の大きさなのかは知らない。でも、指輪に付ける石の大きさくらいはあるだろう。
こちらにあるのは「指輪の石が堅い物に当たって欠けてしまった一部」のようでしかない。リーリエの額についている石の方が、ずっと大きく見える。
「大丈夫よ。交換には違いないもの」
「リーリエがそう言うなら、何とかなりますよ」
なってもらわないと困る。
「んじゃ、それ、アルテが持っていてくれよ。俺が持ってると、失いそうだから」
「わかりました。ぼくが責任を持って、お伽石は預かります」
アルテは白い布にそのかけらを置き、包むようにしてたたむと呪文を唱えた。これで、石のかけらは布の中に縫い込まれた状態になった。
その布を、アルテは自分の服の一部に溶け込ませる。
「おいはぎに遭って、この服を奪われない限り、かけらを失うことはありませんから」
「アルテなら、おいはぎに遭ったって簡単にかわしちゃうもの。安心よ」
仮にアルテに何かあったとしても、その時はフィノが絶対に黙っていないだろう。
とにかく、安心なのは間違いない。
「リーリエは、石がなくても大丈夫なのか?」
「え?」
「ほら、リーリエの手元には、もう石とは呼べないようなのしか残らないだろ。粉みたいなもんだって言ってたし。お伽の妖精にはお伽石が必要なのに、それがひと月近くもまともなのがない状態が続いている上に、さらにかけらまでなくなってしまうってことだから」
いつも手元にあるはずのものがない。それが長く続いている。
普通ではない状態でいるのは、きっと大変なことのはず。
「ああ……そう、ね。心配してくれてありがとう。でも、平気よ。なくては困るし、力が弱ってしまうのは確かだし、こんなに長い間石がないのは初めてで不安だけど……私達はお伽石に依存しきっているのではないから、消えてしまうことはないわ」
そう言ってリーリエは微笑んでみせたが、どこかはかなげに見えた。
恐らく、彼女自身もこのまま放っておいたらどうなるか、知らないのだ。
依存しきっていなくても、お伽石は彼女にとって大きな存在。人間に影響が出る以上に、リーリエにも影響は出ているはずだ。
「絶対、新しい石を持って帰るから。その石は、どこへ持って行けばいいんだ?」
「村の南に、小さな洞窟があるの。そこへ来て、私の名前を呼んでくれれば」
「わかった。絶対に取って来てやるからな」
グレイヴァが力強く約束する横で、フィノがこそっとアルテに耳打ちした。
「グレイヴァったら、ずいぶんやる気になってるわね。旅に出る前は渋ってたのに」
その言葉に、アルテは思わず笑みをもらした。
「誰かが困っているのを知ったら、放っておけないんですよ。最初に会った時から、そうだったじゃないですか」