次の目的地
お伽石
全八回です
五月に入り、春というには少し暑い日が続くようになってきた。緑の色は濃くなり、川の水も前より冷たくなくなって。
歩き続けると、汗ばむようになってきた。これから向かう季節は、旅人にとっては少しつらくなりそうだ。
「本当にこっちの方でいいのかな」
黒髪の少年グレイヴァが、不安げにつぶやいた。
「方角的には、正しいはずですよ。ただ、具体的な場所の名前まではしっかり聞けませんでしたからね」
アルテが応えた。もっとも、彼もちゃんとした答えを持っている訳ではない。
「うー、これからもそんなじゃ、探し当てるまでに時間がかかりすぎるぜ。いくらかかってもいいってんなら俺は構わないけど、相手によっちゃやばい時だってありえるんだろ」
「そういう場合は緊急事態ということで、もっと正確な情報が送られると思いますよ」
「ニャン!」
二人の足下を歩いていた黒ねこのフィノが、文句を言うな、とでも言うように一声鳴いた。
「何だよ。文句じゃなく、本当のことだろーが」
まるで黒ねこの言葉がわかるかのように、グレイヴァが言い返す。
「まぁまぁ、グレイヴァ。こんな所でフィノとケンカなんてしないでください」
「……わかってるよ。アルテと違って俺が言ったら、後で何を言い返されるかわからないもんな」
「ニャ~ン?」
今度の鳴き方は、言い返されるのが怖いの? とでも言ってるようだった。
この光景を誰かが見れば、ねこの方がずっと優位に立っているように思えただろう。
実際のところ、グレイヴァは「フィノに勝てた」と思えたことはない。相手がねこでも、グレイヴァより年上で「女性」なので、たぶん勝てる日が来ることはないと思われる。
彼らはネイバーの街で出会い、魔物に襲われた妖精を助けるための旅をすることになった。
アルテに助けを求めたたんぽぽの妖精ウインデを助けた後、同じ目に遭っているかも知れない妖精を助けてほしい、と頼まれたからだ。
が、現在のところ、目的地は不明である。
アルテは魔法使いだ。しかし、魔物によって被害を被った妖精がどこに存在するか、なんてことまではわからない。
それはウインデが、仲間を通じて彼らへ知らせることになっていた。
そして、ようやく昨日。
ウィンデからの伝言を、はちの妖精が知らせてくれたのだ。
しかし、詳しくはまだ彼女の方でもわからないらしく、現在グレイヴァ達のいる所から南西の方へ、というあいまいな情報しか来なかった。
さっきグレイヴァがグチっていたのは、このことだったのだ。
彼らは妖精から情報を聞いた地点から、とりあえず南西へ向かって歩いた。が、どこまで歩けばいいのやら。
気ままな旅なら、このまま南西へ向かってのんびり行こうか、なんてこともできるが、助けを待つ誰かがいるなら気楽に行けない。
かと言って、本当に助けを待つ誰かがいるのかどうかも怪しい。たぶん、いるだろう、と予測はしているが、どこまで助けを必要としているだろう。
そんなこんなで今日、グレイヴァ達はロテアという村へ入った。
特に何があるということもなく、農作物が植えられた畑が広がり、家が並んでいるだけだ。どこにでもありそうな村である。
「見た限り、大きい村じゃないし、目的地の途中にある村ってだけだよな」
「断言はできません。でも、確かに妖精の声らしいものは何も聞こえてきませんし、まだ先かも知れませんね」
妖精が助けを求めていれば、魔法使いのアルテが、もしくはフィノがそれに気付きそうなもの。
まったく普通の人間であるグレイヴァは、聞くことができるかどうかもまだはっきりしていない。
「どちらにしろ、今日はもう太陽が傾いていますし、宿を探しましょう」
「ニャー」
賛成、とばかりにフィノが鳴いた。
フィノは普段の生活では、あくまでも普通のねこで通している。なので、人がいそうな場所では絶対にしゃべらない。アルテとグレイヴァしかいない時だけだ。
もっとも、彼女の口調はアルテの時とグレイヴァ相手の時では、ずいぶん違う。
「けど、こんな小さな村に宿屋なんてあるかなぁ。きっと、俺がいた村よりも狭いぜ」
グレイヴァはオタウの村出身。そこもまた、どこにでもありそうな村だ。規模はこちらの方がやや小さいかも、という程度。
「聞くだけ聞いてみましょう。先へ進むには少し時間が遅いですし、宿がなければ納屋にでも置いてもらえればいいですから。野宿するよりは、屋根がある方がいいでしょう?」
「そりゃ、まぁ……な」
グレイヴァもそれには反対しない。
ちょうど通り掛かった家の扉を、アルテが叩いた。
中から女性が現れる。二十代後半くらいの、若奥さんといった感じだ。奥から、彼女に似た金髪の小さな男の子が顔を出す。
アルテが宿屋の有無を尋ね、彼女は首を横に振った。やはりこの村にそんな施設はないようだ。
自分がいた村より小さい、と思った時点で、グレイヴァはあまり期待していなかった。ずっと野宿ばかりだったので、たまにはベッドがいいな、と思っていたが、あきらめるしかない。
だが、アルテはうまく交渉したようで、笑顔で振り向いた。
「今夜はわらのベッドで休めそうですよ」
☆☆☆
お世話になることになったのは、カチュー家。
お茶でもどうぞ、と家に入れてもらえたのは、少年二人だからだろう。
グレイヴァは本当に十五歳だが、実年齢三十三歳のアルテは見た目年齢が十代半ば。今はこの姿で得をした、と思っておく。
少年の姿なのに、実はオーリのように子どもがいてもおかしくない年齢だと言えば、彼女のような素朴な村人はひっくり返ってしまいかねない。
「ん?」
グレイヴァは、奥の部屋の窓枠が傷んでいることに気付いた。蝶番の部分が外れかけている。窓を開閉したら、完全に取れてしまいそうだ。
それがわかっているのか、開ければ家の中の風通しがよくなるだろうに、その窓はしっかり閉じられたまま。
「これ、よかったら、直そうか?」
「あら、お願いしていいかしら。うちの人に言っても、そのうちになって言って、なかなか修理してくれないのよ」
快くグレイヴァ達を入れてくれたオーリは、グレイヴァの申し出に嬉しそうに応えた。
簡単な工具を借りるとグレイヴァは器用に直してゆき、すぐに窓は危なげなく開閉するようになる。
「器用ですねぇ、グレイヴァ」
横で見ていたアルテが、真面目に感心している。
「まぁ、この窓が開いたの、何日ぶりかしら」
オーリは何度も窓を開けたり閉めたりして、嬉しそうだ。もちろん、窓が外れそうになることはない。
「これぐらい、楽勝だよ」
グレイヴァは何でもないような顔をしているが、喜ばれてまんざらでもなさそうな様子だ。
「ねぇねぇ」
オーリの後ろを、彼女の息子のェイクがとことこ歩いていた。そこからグレイヴァのそばへ行くと、彼の服をくいくいと引っ張る。
「グレーヴァ、なにかおはなしして」
「おはなし?」
「うん」
三歳だというジェイクは、金色の髪を踊らせながら首を何度も縦に振る。
「あ、ジェイクったら。そんなわがまま、言わないの」
オーリが慌てて、ジェイクを抱き上げた。
「わがままって……何かお伽話をしてくれって言ってるだけなんだろ」
「ええ、それはそうなんだけど」
オーリは困ったように視線を外す。
「……何か事情でもあるんですか? お伽話をしてはいけない理由があるとか」
オーリの妙な表情に、アルテが尋ねてみる。
「え……いえ、そんなことはないのよ。いつもそう言ってこの子をたしなめてるから、ついくせで」
ジェイクは遊び相手を見付けた、と思ったのに母親に抱き上げられ、少しご機嫌ななめになっている。ほほをふくらませた顔が赤い。
「実はね、夜眠る前に今までしていたお伽話を……ここ一ヶ月くらいかしら、してあげられなくなっているの」
「どうしてだよ。俺にだってガキの時にしてもらった話くらい、できるぞ」
「それがわからないから、私達も困っているの」
オーリはすねてしまった息子を、静かに床へ降ろした。
ジェイクはアルテの足下にいるフィノを見付け、そちらへ歩き出す。フィノは捕まらないように子どもと少し距離をあけ、適当にあしらうような形で遊んでやっている。
子どもは遠慮なく触ってくるから、あまり得意ではない。だが、一宿の恩があるので、子守を引き受けた形だ。
「言葉が……出て来ないの。以前なら、何でもないようにお話をしてあげられたのに」
オーリの話では、いつもジェイクが眠る時にベッドでお伽話をしてあげていた。彼女の母や祖母から聞いた、妖精や魔法使いが出てくるようなものだ。
幼い頃から何度も聞かされたものばかり。言葉尻は変わっても、お話の内容は忘れることなく息子にもしてあげていたのに。
それが、一ヶ月くらい前からそのお話ができなくなってしまった、という。
話はちゃんと覚えている。彼女の頭の中に、内容はちゃんとあるのだ。
お姫様がさらわれたり、勇者が活躍したり、妖精が手助けしてくれたり、悪い魔物が退治されたり。
それなのに、それを口にできない。
会話は普通にできる。それなのに、息子にお話をしてあげようとすると、うまくできなくなってしまう。
オーリはあきらめて、夫のジードに頼んだ。これまでもオーリが調子の悪い時は、彼が息子を寝かし付けてくれていたから。
しかし、彼もやはりできなかったのだ。
オーリは、村の親しい者に相談してみた。ジェイクと同じ年頃の子どもを持つ母親や、経験豊富な老人などに。
だが、不思議なことにこの村の誰もが「子どもを寝かしつけようとして、昔自分が聞いた物語を語ろうとして、でもできない」と言うのだ。
「つまり、この村の大人達はみんな、子ども達にお話ができなくなった……ということですか?」
「ばかげているように聞こえるでしょうけど……本当なのよ」
よその人が聞けば「そんなおかしなことは聞いたことがない」と言うだろう。
しかし、誰もお伽話をできなくなっている。大人だけではなく、子守をする子ども達も。
「あ、話ができないってんならさ、本を読んでやるとかは?」
「こんな田舎の村じゃ、なかなか本を手に入れようというのは難しいのよ」
オーリは、小さくため息をつく。
彼女が言うように、気軽に街へ行って物を調達しようとしても、この村からでは半日単位で時間がかかる。
それに本があっても、問題解決とはいかなかった。
一応の音読はできるものの、棒読みになってしまうのだ。そこに感情は全く入らない。抑揚のない読み方で昔話を語られても、子どもは満足できないままだ。
「ふーん。よし、ジェイク、俺が覚えてるお伽話をしてやる」
フィノを追い掛けていたジェイクが、グレイヴァの声に振り返る。
「ほんとー? グレーヴァ」
「あの、でもグレイヴァ」
「俺、こう見えても自分の村じゃ、ガキの扱いはうまかったんだ。それに、俺はこの村の人間じゃないし、ダメならその時だって」
言いながら、グレイヴァは駆け寄って来たジェイクを軽々と抱き上げた。