翼ある者の血脈(3)
地下に下りて、線路に沿った道を走っていたアルベルトが、不意に呻き声を上げた。
「どうした」
歩調を緩めて、少し先を進んでいたガリレオが肩越しに振り返り、声をかける。顔を歪めたアルベルトは、苦しげな息をもらして言った。
「近い。大きな力が動いている。ファナだ」
「なるほど。じゃあ、倒れる前に行かないとね」
言葉を交わしているうちに、前方にて動く複数の人影。話し声。
「俺は突っ込む。アルベルトは状況を見て」
言うなり、ガリレオは速度を上げた。アルベルトは目を凝らして視界を確保する。
床に転がり、じたばたと呻いている男。子どもと、それをかばうように低い体勢を取っているのは、見知った顔のロザリオ。対峙しているのは仮面の男。
そして、全身から湯気のようなものを立ち上らせたファナ。
(「力」が顕現している……。並の量じゃない、異常な)
わかってはいたことだが、力を行使しているファナには、近づくだけで息苦しいほどのプレッシャーを感じる。
先についたガリレオが「ファナ」と声をかけていたが、ゆっくりと歩くファナはそちらに顔も向けない。すぐにアルベルトを振り返ったガリレオが「お願い」と唇の動きで告げて、仮面の男とファナの間に立った。
追いついたアルベルトは、ガリレオと背中合わせにファナの正面に立つ。
(瞳の色が違う。何も見ていない? 意識が飛んだまま動いているのか)
「ファナ。俺だ。俺の声が聞こえるか? いまのお前はふつうじゃない。ファナ!」
アルベルトと視線を合わせぬまま、ファナはその場にしゃがみこんで、血に濡れた何かを拾い上げた。それが人の手だと気づき、アルベルトは無言のまま目をむいたが、ファナは再びゆっくりと歩き出す。アルベルトの横を通り過ぎ、ロザリオの元へと向かった。
呆然としてファナを見上げるロザリオのすぐ横にがくりと両膝をつくと、拾った手首を片手に、もう片方の手でロザリオの手を取った。
ファナの手から膨大な光が溢れる。目を射ることのない、白々とした光の奔流。
溢れ、収束していく。
同時に、ファナは目を瞑った。光が消えると同時に、力が抜けたようにその場に倒れこむ。寸前に気づいたアルベルトが駆け寄り、ファナの体に腕を回して支えた。
その正面には、いまだ呆然としているロザリオ。
「手が……繋がった」
ぼそりと呟いて、右手を持ち上げる。傷の一つもない手首を見せつけられたアルベルトは、目を細めて言った。
「報告は結構だ。見ていた」
「もしかして、その子は……その力は」
何か言いかけたロザリオを、アルベルトは冷たい一瞥で黙らせる。意識を失ったファナを抱きかかえて、立ち上がった。
一方、ガリレオと睨み合っていた仮面の男は、口元に笑みを湛えておかしそうに笑い出した。
「なるほど。そういうことだったのか」
「自分にだけわかるように話されても。もったいぶるのはやめてくれ。不愉快だ」
即座に、アルベルトが言い返す。仮面の男はなおも笑いを止められぬままくっくっく、と笑い続けていたが、そのまま機嫌良さそうに言った。
「わかった。今日のところはここまでだ」
「ん~、こっちは何も良くないんだけど、なんで逃げられるつもりになってるのかな。俺の部下も返してもらいたいんだよね」
すかさず、ガリレオが口を挟む。男は機嫌を損ねた様子もなく、やわらかい口ぶりで答えてきた。
「追いかけてくるのは構わないが、この場に関しての『地の利』はこちらにある。深追いしてきた時点で爆破装置を起動して全員埋めることになる。大丈夫かな?」
「へぇ」
食ってかかっていたガリレオが、ひくっと頬をひきつらせた。相手が相手だけに、単なる脅しとも言い切れない。やりかねないというのがわかるだけに、引き際の見極めが重要だと気付かされた形だ。
ロザリオもまた立ち上がり、「埋められるのは困るんだよな。列車を確認してからじゃないと」と自分の都合を呟いた。
仮面の男は奇妙な優しさを発揮して、ガリレオに親切ぶって言った。
「お前の部下はまだ生かしてある。地上になんらかの方法で送り返そう。約束する」
「それが撤退の条件? 信じることはできないけど信じるしかなさそうだね。行くなら早く行けよ」
不機嫌全開の笑顔でガリレオが応じると、仮面の男は大変わざとらしく「ありがとう」と言って、身を翻した。その後に、立ち上がったロダンが続く。
追えば埋めると言われた手前、この場は見逃すしかない一同は黙り込んでその背を見送った。
二人分の足音が完全に聞こえなくなった頃、アルベルトがため息をついてロザリオを睨みつけた。
「とりあえず、事情を聞こう。先に言っておくが、俺に嘘はつけないと思え。頭の中全部のぞいてやる。証言に嘘があった場合、目にものを見せてやる」
耳を傾けていたロザリオは力なく笑い「それ、神官のセリフと思えないんだけど」と呟いた。
* * *
夢を見ていた。
夢の中で夢だと気づいている夢。
いくつもの光景が凄まじい速さで流れていき、意識が急速に覚醒へと向かう。
目を開けたら、予想通り神殿の自室のベッドだった。
(……やってしまった……。絶対に、やってしまった……)
窓から差し込む光を顔に受けながら、ファナは開いたばかりの目を閉ざして、腕で覆った。
ややして、そんな場合ではないと跳ね起きる。
ベッドのそばには、既視感のある光景。腕を組んで目を瞑り、うつらうつらと揺れて寝ているアルベルトの姿。
「ごめんなさい……」
こっそり声をかけると、アルベルトがゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした表情でファナを見てから、息を吐き出す。
「おはよう」
「ごめんなさい」
「おはようと言われたら、まずはおはようだろ。挨拶は大事だ」
「おはようございます」
「うん」
これといって中身のない会話をしてから、アルベルトはのっそりと立ち上がった。
「寝てないんですか」
「いま、俺寝てただろ」
「そうじゃなくて……。私、絶対に何かとんでもないことをしましたよね? アルベルト様それでまた夜通しついていたとか……。申し訳なさすぎます」
「とんでもないことというか。本格的にまずい相手に目をつけられた、ファナが。責任を取る意味でロザリオだかラザロだか、あいつは今後神殿に住み込む。それなりに腕は立つようだ。ガリレオとやりあって互角くらいだ」
「やりあった?」
寝ている間にいったい何があったというのか。
恐る恐る聞いたファナに対し、アルベルトはのんびりとした調子で答えた。
「もう焦っても仕方ない。逃げても追いかけられる。これからは、向かってくる相手にどうにか対応することになる。ファナの能力に関しては特訓あるのみ。そのつもりで」
言い終えると、ドアに手をかけ、部屋を出ていこうとする。振り返って「まずは休め。神殿内での安全は確保してある」と告げた。
ファナはひとまずベッドから滑り出て、床に揃えてあった室内履きに足を通してアルベルトに追いすがった。
「十分休みました。今後のことについて具体的に話し合いましょう」
真剣に訴えかけると、アルベルトはしばらく黙ってファナを見下ろしていたが、やがて「わかった」と短く答えた。そのままファナの背に軽く腕をまわして、「ロザリオもいる。納得いくまで話そう」と重々しく言うと、歩くように促した。
* * * * *
ファナの目覚める少し前。
亡国の王子ラザロことロザリオに散々事情聴取をしたその締めくくりとして、アルベルトはスケッチブックを提示して問題のページを開いた。
翼ある乙女の絵。
――お前の目には何が見えている?
尋ねられたラザロは、肩をすくめて悪びれなく言った。
――この体に流れる有翼種の血が見せている幻なのかな。あの子の背には翼が見える。誰よりも大きな翼が。それにあの力。あの子は……天使というよりももっと大きな存在に思えてならない。女神。翼ある女神アタルガの再来かと。
ファナの秘めたる力を言い当てるようなその言葉通り、ここより事態はさらに動き出す。
★これにて第二章終了です(๑•̀ㅂ•́)و✧
本日の日付で5回更新しました。リアタイの皆様お疲れ様です。
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