コミックス5巻発売お礼SS:猫になっても愛してる
その日ガイゼルは足早に皇妃――ツィツィーの部屋へと向かっていた。
(思えば……顔を合わせるのは四日ぶりだな……)
王佐・ルクセンによる国家侵略の危機を脱し、無事ヴェルシアへと戻ってきたものの、ガイゼルを待ち受けていたのはめちゃくちゃになった内政の整理と不在の間の未決裁書類の山々だった。今日珍しく本邸に戻って来たのは、夕方から行われる晩餐会に出席するためだ。
(参加者はモルガン公爵夫妻と東部の侯爵家……。歓談が終わり次第、夜には王宮には戻らねばならんが――)
ようやくツィツィーの部屋へと到着し、はやる気持ちを抑えて軽くノックをする。だが返事はなく、ガイゼルはもう一度ノックしたあと静かに扉を開けた。
「ツィツィー?」
愛おしいその姿はどこにもなく、ガイゼルは慎重に足を踏み入れる。ツィツィーと仲の良い侍女リジーの姿もなく、不安を覚えたガイゼルは窓辺に置かれたソファに接近した。そこで大きく目を見開く。
「……どういうことだ」
ちょこん、と座っていたのは銀色の毛並みをした可愛らしい猫。大きな瞳は夏の空を思わせる――ツィツィーそっくりの綺麗な青さで、ガイゼルは思わずその場にしゃがみ込んだ。
「どうしてこんなところに猫が……」
ツィツィーが飼い始めたのだろうか。いやそんな報告は受けていない。ではどこかから迷い込んだのだろうか。いやここは帝国ヴェルシアでもっとも厳重に警備されている王族の居宅。どこぞの野良猫がほいほい入って来られるような場所ではない。
(まさか――)
平時の彼であればもう少し冷静になれたのかもしれない。
だが悲しいことに、ガイゼルはその日――徹夜三日目だった。
「まさかツィツィーが、猫になっただと……⁉」
ガイゼルが手を伸ばすと、銀色の猫――ツィツィー(仮)はすぐに近寄ってきた。その愛らしい様子が以前までの彼女を彷彿とさせ、ガイゼルはぐっと唇を噛みしめる。
「ツィツィー、いったい何があった? 誰にやられた?」
「…………」
「なんでもいい。男か女か。何か違和感を覚えたことは――」
だが人語を発することが出来ないのか、ツィツィー(仮)は「にゃあん」と可愛らしい声で鳴くばかり。当然だろう、犯人からすればその方が都合がいい。
(くそっ、俺ではなくツィツィーを狙うとはなんて卑劣な……)
怒り心頭に発するガイゼルに気づき、猫のツィツィー(仮)がまたも小さく鳴く。まるで「大丈夫ですか?」とツィツィーが心配してくれているかのようで、ガイゼルはたまらず猫のツィツィー(仮)を抱きしめた。
「心配するな。お前のことは俺が絶対に助けてやる。たとえ猫の体になろうとも、お前は俺の大切な妻だ。誰にも文句は言わせない。だから何も心配することは――」
ガイゼルの言葉が通じているのか、猫のツィツィー(仮)はその大きな瞳を心なしかウルウルと潤ませていた。その健気な様子にかつての彼女の姿を重ねたガイゼルは、どうにかして安心させてやりたいという気持ちを込め、口づけするようにそっと抱き上げる。
「ツィツィー……」
だがその瞬間、カラン、と硬質な何かが床に落ちる音がした。
慌てて音がした方を振り返る。そこにいたのは人間のツィツィー――ただしその顔はびっくりするほど真っ赤になっており、足元には猫のエサ皿らしきものが転がっていた。
「ガ……ガイゼル様……?」
「ツィツィー……?」
おそるおそる自身の腕の中に視線を戻す。そこには変わらず猫のツィツィー(仮)がおり、ガイゼルの方を見上げて「うにゃう」と得意げにひげを揺らしていた。
「ええとその、公爵夫人が連れてきていた猫が、逃げ出してしまったようで」
「猫……」
「も、申し訳ありません! その……わ、私、何も見ていませんので――」
すす、すすすす、と少しずつツィツィーが扉の向こうに隠れていく。それに気づいたガイゼルは、ようやく「はっ」と目を見張った。
「違うんだツィツィー、これはその、決して変な意味ではなく」
「だ、大丈夫です! お仕事、最近お忙しそうなのは知ってましたから……」
「いやそうではなく……ツィツィー? おい、どこに行く!」
恥ずかしさが限界突破したのか、ツィツィーはついに背中を向けて逃げ出してしまった。
このままでは『猫に妻の名前をつけて、キスしようとしていた』危ない男になってしまう――とガイゼルは猫を床に下ろし、急いでその場に立ち上がる。
「ツィツィー、誤解だ! 待ってくれ!」
かくも恐ろしい『氷の皇帝』が血相変えて走っていく――。
誰もいなくなった部屋には、公爵夫人の猫だけがぽつんと残されていた。
(了)
コミックス5巻発売お礼ssでした!
コミックス収録の書き下ろしssでも疲れすぎた陛下がツィツィーの幻を見るお話が載っていますので、こちらも機会があれば読んでいただけると嬉しいです。
いつも応援ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!












