バカ
殴り倒した男の意識がないのを確認して、涼護は汐那に駆け寄った。
「蜜都、大丈夫か?」
「う、うん……何にもされてないよ、まだ」
「まだとか言うな、馬鹿」
言いながら、涼護は汐那の縄をほどいた。手首の縄もほどかれていく。
解放された汐那は、手首をさすりながら立ちあがった。
ほどくためにしゃがんでいた涼護も立ち上がる。
そうして、無言のまま、廃工場から出ていこうとする汐那を、涼護は止めた。
「ちょっと待て。今連絡入れるから」
汐那が振り向くと、涼護はカチカチと携帯を操作していた。
電話していないところを見ると、メールか何かだろう。
「これでよし。んじゃ、戻るか。送っていく」
「…………」
そう言って、涼護は、自分が開け放った大扉に向かって歩き出す。
汐那も、無言で後をついていく。
大扉を抜けた涼護は、倒れている自転車を起こしていた。
「乗るか?」
「……ねえ、どうして?」
涼護の質問に、質問で返した。
失礼もいいところだと、自分でも思うが、それでも、訊きたいことには変わりない。
「あん?」
「……あのさ、私。勝手だけど、助けに来てくれるんじゃないかな、って思ってたの」
「俺がか?」
「うん」
そう言って頷くと、涼護は頭をガシガシと掻いていた。
「ま、実際助けに来たからな。それが?」
「……理由が、わからないの」
それは「助けに来てくれる」と思った理由じゃなくて。
「君はさ、どうして助けに来たの?」
「はァ?」
「あのさ、君と私はついこの間会ったばかりだよね。なのに、どうしてこんな危ないところに来たの?」
汐那の言葉を受けて、涼護はふう、と一息入れて、口を開いた。
「それを話す前に、一ついいか」
「……何?」
「その口調っていうか、猫被りやめろ」
そう言って、汐那を指差した。
「さっきの「触んな!」ってのが本性なんだろ、そっちで話せ」
「……別に、今までのが嘘ってわけじゃないわ。どっちも私。まあ、猫被ってるのは認めるけどね」
どことなく、汐那の雰囲気が変わる。
大人しげな雰囲気から、強気で、不遜そうな雰囲気に。
汐那は髪を撫でつけて言う。
「で、どうして今まで面識もなかった女を助けに来たわけ? 私の容姿に釣られた?」
「断じて違う。仕事だからだ」
「仕事?」
「さっき言ったろ。何でも屋『Solve』。「依頼があれば、世界でも救ってみせます」が売り文句だ」
なんともまあ、大きな物言いである。
それだけ、自信があるということだろうか。
「『Solve』に蜜都のストーカー撃退依頼が入って、犯人が馬鹿な行動に出た。で、場所突き止めてここまで来た」
汐那は腕を組み、何かを見極めるようにしながら涼護の言葉を聞いていた。
「……仕事、ねえ……」
「詳しい話は追々入ってくるだろ。依頼主、お前の母親だし」
そう言って、涼護は前に向き直って、自転車を押し始めた。
そうしながら、何ともなしに言った。
「てか、そもそもあんな状況になってたら助けるだろ、普通」
「普通って……」
汐那は、その言葉がひっかかったのか、涼護に詰め寄った。
「明らかに危なさそうな男が一人と、それに従ってるような男十数人がいるのに、たった一人で助けに行くのが普通?」
「できるかどうかはともかく、助けようとはするだろ」
突然詰め寄られたことに面喰いながらも、涼護はそう言った。
しかし汐那はその言葉では納得できないらしく、じっと涼護を見つめていた。睨んでいた、と言ってもいい。
そんな汐那に、涼護ははぁ、と溜息を吐いた。
「……助けられる自信があった」
ぽつりとそう呟いた。
汐那は、ただ黙って次の言葉を待つ。
「あんなことになってたら助けたいと思うし、自分に助けられるなら助けるだろが」
「……さも普通みたいに言ってるけど、普通じゃないから」
はあ、と今度は汐那が溜息をついた。
すでに思っていたことだけど、彼はバカだ。
正真正銘の、バカ。
「バカよ、君」
「なんだいきなりその暴言」
「事実でしょ」
そう言って、歩く涼護の数歩前に出る。
涼護のほうを振り向いて、口を開いた。
「仕事だかなんだか知らないけど、一人で突っ込む必要なんてない。警察を呼べばそれで済むし」
「……警察には、連絡入れられない事情があったんだよ」
「なら、仲間を呼ぶとか、何かあったでしょ。自信があっても、一人で突っ込むなんてバカよ」
「……あー」
「思いつかなかったって顔ね。……まあ」
汐那は、そこで一度言葉を切った。
「そういうバカは、結構好きだよ、私」
そう、とびきりの微笑みを浮かべて言った。
「……そうかい」
涼護は、微笑んでいる汐那から目を逸らしながら、かろうじてそう言った。
「照れてる?」
「やかましい」
そんな涼護を見て、くすくすと汐那は笑う。
涼護は、ばつの悪そうにそう言い返した。