第二十三話 束の間の休息
迷路内部に満たされていた赤い光が消える。
九条はもう扉を叩いていない。ただ、扉の前で立っていた。もう彼女の涙は乾いている。
彼女の胸の奥に残っていたのは悲しみじゃない。
颯真の言葉だ。
「玲那、お前はもう俺たちの仲間だ。」
颯真は最後まで立っていた。逃げなかった。それを私に証明してくれた。
だったら、私も逃げない。
九条は静かに目を閉じ覚悟を決める。
(琴音……颯真……)
あなたたちの思い、無駄にはしない。
私は勝つ。勝たなければならない。
一方で九条とは反対的に蒼天の生徒の空気は違った。
久我は壁を殴りそうになって、拳を止める。
立花は唇を噛む。朝比奈は視線を落とす。
修学旅行の朝に新幹線で笑っていた颯真。
昼休みにパンを奪い合っていた颯真。
テストで赤点を取りそうになり、祈っている颯真。
さっきまで普通に生きていた。
それが今はない。彼の命の重さは消えない。
九条が前を向いても、彼らはまだそこに立ち止まっていた。
場面は白嶺へと移る。天城の能力が解け生徒たちの目から、わずかな緊張が消える。
洗脳されていた、そして利用され暴力を振るわれたものも中にはいた。だが誰も、天城を責めない。
沈黙の中、一人が呟いた。
「俺、天城に助けられた事がある。……俺をいじめていた奴らを追っ払ってくれた。」
それに続き別の生徒が言う。
「赤点続きだった俺に、勉強を教えてくれた。」
「パニックを起こしたとき、側にいてくれた。」
他の生徒と天城に助けられていた事を思い出す。
確かに天城優という男は怖かった。
だが同時に、救われていた者たちがいる。それは変わりようのない事実だ。
彼のやり方は間違っていたのかもしれない。それでも、誰も天城を悪者にはしなかった。
真白は天井を見上げる。
そこに空はない。それでも、上を向く。
「優。」
小さく呟く。
「ちゃんと、みんなあなたに救われてたよ。」
返事はない。だが、その言葉は確かに彼の元へと届いた気がした。
アナウンスが鳴る。
『休息区域へ移動してください。』
扉が開き全員そこから出る。
通路を歩く。無言の列。
その途中で久我が足を止め、九条の近くにいく。
「……九条。」
九条が歩きながら振り向く。
久我は視線を逸らしたまま言う。
「あのときは、悪かったな。黒崎が死んだチームに来るとか、どういう気持ちだよって。」
息を吐く。
「今なら良く分かるわ。」
「当たり前に生きてたやつが目の前で死ぬって……確かに最悪だな。」
九条は少しだけ考えてから答える。
「もう気にしてないわ。」
「それに、私たちもう仲間なんでしょ?」
その言葉で、蒼天の空気が変わった。
彼らは思い出す。颯真の最後の言葉を。
――信じてる。お前らなら勝てる。
彼を失った悲しみは消えない。
でも、簡単には沈まない。
蒼天の目が変わる。
生き残る。必ず。一人一人の思いを最後まで守り通した蒼天の旗手はこのゲームでみんなに託した。彼の思いを。そして次への覚悟を。
通路を抜けるとそこには地下とは思えないくらいに広がっていた空間があった。
周囲にはホログラムの海。波の音まで再現されている。
その中央にはホテルのような建物。
扉が開く。中から現れたのは、中学生ほどの少女。
だが、その立ち姿は妙に落ち着いている。
「ようこそ。」
微笑む。
「選抜の中から選ばれた幸運を持つ皆様。」
「当ホテルの支配人、高梨水木と申します。」
深く一礼。
「どうか今宵は、ゆっくりお休みくださいませ。」
玲央が低く言う。
「幸運だと?」
視線が鋭くなる。
「俺たちは自分で考えて、選んで、ここまで来た。」
「運だけでどうにかなったわけじゃない。」
水木は微笑みを崩さない。
「ええ、もちろん。」
「ですが皆様は最初から“選ばされて”いたのですよ。」
静かな声。
「ゲームでの選択。葛藤。犠牲。」
「それらは全て、この選抜の一部。」
「つまり皆様の選択もまた、こちらが仕向けたもの。」
場が凍る。
「これを運以外に、何と呼びますか?」
水木は楽しそうに続ける。
「外から見れば、皆様は演者。」
「悲劇的に散る重要キャラ。」
「ヒロインを救うために走る主人公。」
「読者を楽しませるためのモブキャラ。」
「……例えるなら漫画や小説の登場人物のようなものです。」
誰も、笑わない。
「そして皆様は選ばれてしまった。」
「この“選抜”という物語に。」
皆が沈黙している中、突然表情が変わる。
水木がにこっと笑った。
「それでは改めて!今日はゆっくり休んでくださいね!ご飯は私が作りますから!」
あまりに軽いその温度差が、逆に恐怖を与える。
ホテルのロビーに入るとそこは静まり返っていた。
そこには蒼天だけではない。白嶺の生徒たちも、同じ空間にいた。
誰も騒がない。誰も目を合わせない。
それでも彼らは同じ場所に立っている。
高梨水木が、軽やかに手を叩く。
「ご説明が一つ、ございます。」
全員の視線が集まる。
「白嶺高校の皆様の処遇は、明朝に決定いたします。」
ざわめきが起こる。
「それまでは、蒼天高校の皆様と同様に当ホテルへご宿泊いただきます。」
空気が張る。
もともと敵だった高校と、同じ屋根の下。しかも逃げ場はない。
水木は続ける。
「安心してください。今夜は“安全”です。」
その言い方が、逆に違和感を覚えさせる。
“今夜は”。
部屋割りが告げられた。
男子は三人部屋。
玲央・久我・朝比奈。
立花・桐谷・湊。
その他男子。(白嶺も含む)
女子は四人部屋。
澪。
九条。
凛。
そして真白。
あとその他の女子(白嶺も含む)
その部屋割りに九条は何も言わない。
ただ真白を見る。
「来なさい。」
真白は小さく頷いた。
夕食の前に一度体を流そうとお風呂ばに足を運ぶ。
湯殿へ続く廊下は、妙に静かだった。
暖簾の向こうから、かすかに湯の音が聞こえる。
久我が立ち止まる。
「……一応聞くけどさ。白嶺も入ってんだよな?」
朝比奈が肩をすくめる。
「同じホテルだしな。」
立花が低く言う。
「揉めるなよ。」
誰に向けた言葉か分からない。玲央は暖簾を見つめる。
敵と同じ風呂。数時間前まで、命を削り合っていた相手だ。
だが今はもう天城はいない。
それでも、緊張は消えない。
湊が先に言う。
「入るならさっさと入ろう。」
一番自然な声だった。
玲央は小さく息を吐く。
「……行くぞ。」
暖簾をくぐる。そして風呂場の扉を開けた瞬間、湯気が視界を覆った。
広い。地下とは思えない空間だった。
岩造りの大浴場。露天風呂のようなスペース。
奥にはサウナ。そして湯の音が静かに響いている。
先に入っていたのはやはり白嶺の生徒たちだった。
一瞬、空気が張る。
玲央は警戒を解かない。だが白嶺側は、拍子抜けするほど普通だった。
「あ、蒼天高校の。」
「……お疲れ。」
何も警戒していないような声。彼らには敵意がない。
久我が眉をひそめる。
「気にしてねぇのかよ。負けたのに。」
白嶺の一人が肩まで湯に沈みながら言う。
「正直、まだ実感ないんだ。」
別の生徒が続ける。
「でもさ。天城のこと思い出させてくれたのあんたらのおかげなんだろ?」
「確かにあいつ怖かったけど、助けられてもいたんだよなって。」
湯気の向こうで、誰かが笑う。
「次も勝てよ。天城の分もな。」
玲央は一瞬言葉を失う。敵だったはずの相手。
だがそこにあるのは、妙な清々しさだった。
朝比奈が小さく呟く。
「……変な気分だな。」
湊は何も言わない。ただ、湯面を見つめている。
湯が揺れる。だがそこに争いはない。
ほんの短い時間だけ、戦場の外にいるような空気が流れた。
女子浴場、扉を開ける。
湯気の向こうに、人影が見えた。
先に入っていたのは高梨水木。
「すみません。」
振り向いて微笑む。
「なかなか入る時間がなくて。皆様と同じ時間になってしまいました。」
だが四人が固まった理由は、水木がいたからではない。
水木の体に、無数の傷跡があったからだ。
古いもの。新しいもの。線状のもの。焼け跡のようなもの。
その光景に
澪が言葉を失う。
凛が一瞬だけ息を止める。
真白は視線を逸らしかける。
九条だけが、目を逸らさなかった。
「……あなたのその体、何があったの?」
水木は自分の腕を見る。
「ああ、これですか?」
少し考える素振りをした後水木が答える。
「色々、ありましたからね。」
笑う。
「正直、あまり覚えていません。」
覚えていない?忘れた?
彼女は濁した。明らかに触れられたくない領域。
「他にご質問は?」
微笑みは崩れない。
「なければ夕食の準備がありますので。」
彼女が湯から上がる。湯気に消える背中。
四人はそれ以上聞かなかった。
ただ一つ、理解した。
このゲームは。“誰か”が痛みを背負って動いている。
夕食の時間。
食堂は広かった。
シャンデリア。長いテーブル。白いクロス。
並ぶ料理は、異様なほど豪華だった。
・黒毛和牛のローストビーフ
・金目鯛の煮付け
・炙り帆立のカルパッチョ
・旬野菜のグリル
・土鍋で炊いた銀シャリ
・出汁の効いた味噌汁
・濃厚なビーフシチュー
・フルーツの盛り合わせ
香りだけで、空腹が刺激される。
水木が嬉しそうに言う。
「腕によりをかけました!」
「おかわりもありますから、遠慮なくお召し上がりください!」
誰もすぐには手を伸ばさない。デスゲームの運営。その手料理。
その料理に嫌悪感を持つ。
だが彼らは昼から何も食べていない。もう体が限界だった。
久我が、箸を取る。
「……いくぞ。」
一口食べる。食べた瞬間久我が止まる。
肩が震えている。
立花が身を乗り出す。
「久我?大丈夫か?」
久我が震える声で言う。
「……う、うめぇ。」
「何だこれ。」
空気が一瞬止まり、そして崩れる。
桐谷も恐る恐る口にするがその美味さに目が見開いた。
「……母さんの飯が一番だと思ってたが。」
「これはレベルが違う。まるで高級店のフレンチのような、そんな味がする。」
※なお彼は高級店に行ったことはない。
朝比奈が笑う。
「お前それ言いたかっただけだろ。」
次々と箸が伸びる。蒼天も白嶺も関係ない。
ただ食べる。誰もが、驚く。本当に、美味い。
水木はその様子を、少し離れた場所から見ている。
嬉しそうに。
だが玲央は、その笑顔にわずかな違和感を覚えた。
楽しんでいるのか?料理を振る舞うことを。
それとも彼らがまだ生きていることを?
玲央は考えかけてたが空腹が限界で考えるのをやめた。
今は食べる。そして体力を戻す。
やがて食事が終わり、それぞれ部屋へ戻る。
部屋に入る。中は広い。
ホテルのスイートのような空間。
窓の外にはホログラムの海。波が静かに揺れている。
まったく現実感がない空間だった。
澪がぽつりと言う。
「……綺麗。」
凛は窓の外を観察している。
「光源は天井。水面の反射も演算処理。完璧ね。」
現実逃避のような分析。
真白は入口付近で立ったまま。気まずそうにこちらを見ていた。
「……ここ、入っていいのかな。」
小さな声。
澪が振り向く。
「え?」
「だって私、負けた側だし……」
と言い切る前に澪があっさり言う。
「もう同じ部屋にいるんだから敵とか関係ないよ。」
拍子抜けするほど普通の声。
凛がスーツケースを置きながら言う。
「処遇が決まっていないだけで、今は“参加者”。区別する合理性はないわ。」
真白は目を瞬く。
敵意がない。警戒もない。
九条はベッドに腰を下ろす。
「まず座りなさい。」
命令でも優しさでもない。当たり前の口調で喋る。
真白は、ゆっくりとベッドの端に座った。
澪が突然、真白の足を見た。
「それ、腫れてない?」
真白が慌てる。
「大丈夫。少し痛むだけだから。」
凛が近づきしゃがみ込む。
「これ大丈夫じゃないわね。」
冷静に言う。
「靭帯軽度損傷。歩けるけど無理は禁物よ。」
「え、なんで分かるの?」
「私陸上部だったの。」
澪がバッグを漁る。
「湿布あるよ。」
真白が戸惑う。
「なんで……?」
澪は首を傾げる。
「なんでって?痛いなら貼るでしょ?」
その言葉に真白の喉が詰まる。
凛が手際よく足首を固定する。
しばらく沈黙が広がり、やがて真白が口を開く。
「……明日、どうなるのかな。」
九条は即答しない。
「分からないわ。」
「でも。」
視線は真白へ。
「あなたは今日、選んだの。」
「それはあなたの中から消えることのない思いになる。」
真白の口が動く。
「優は……」
言葉が止まる。
九条は遮らない。責めない。
「彼は最後に気づいた。自分の過ちをそれだけで十分よ。あなたが代わりに謝ることなんてないわ。」
真白の目に涙が浮かぶ。
でも、崩れない。
「……ありがとう。」
小さな声。
凛が静かに口を開く。
「明日の処遇がどうあれ、私たちはもう同じ“盤面”にいる。」
澪が九条を見る。
「玲那、大丈夫?」
九条は海のホログラムを見る。波が揺れている。
「大丈夫。」
その声は強い。
「勝つって、決めたから。」
琴音の意思。颯真の思い。
その二人が九条の背中を押している。
澪が笑う。
「とりあえず今日は味方。明日のことは明日考えよ。」
その軽さが真白にとって救いになる。
凛が立ち上がる。
「それと。天城のことを悪く言うつもりはない。」
真白が顔を上げる。
「彼のやり方は歪んでいた。あなた達が見ていた彼も事実。」
凛が答える。
「ちゃんとわかっているわ、それに私たちはあまり気にしていない。」
真白の胸が熱くなる。
「……うん。」
九条が最後に言う。
「明日、どうなるか分からない。でも今は同じ部屋にいる。それだけで十分よ。」
地下に夜はない。でも、この部屋だけは少しだけ温度が違った。
真白は今日初めて、少しだけ肩の力を抜いた。
一方、男子部屋。
久我がベッドに倒れ込む。
「……静かすぎるな。」
朝比奈が天井を見る。
「颯真の奴、あんなにうるさかったのにな。」
誰も笑わない。玲央は窓際に立つ。
水木の言葉が頭を離れない。
“選ばされていた”
運。演者。物語。
ふざけるな。拳を握る。
「俺たちは駒じゃない。」
小さく呟く。
だが本当にそうか?
そんな疑問が頭から消えなかった。
一方ロビーでは水木が一人で立っている。
誰もいない空間で、にこりと笑う。
「第三層、楽しみですね。はたして彼らがどんな選択をするのか。」
それは誰に向けた言葉かは分からなかった。
そして天井の監視カメラが、静かに回っている。
女子部屋。照明が落ちる。
誰もすぐには眠らない。真白が天井を見上げる。
「優……」
九条は目を閉じる。
(颯真、琴音)
心の奥に二人の声が残る。
――信じてる。
皆が次の日に向けて覚悟を決めた。
そしてそこには嵐の前の静けさが確かにそこにあった。
第二層が終わり、ようやく“止まる時間”が来ました。
でもそれは、安心ではありません。
九条は悲しみを力に変えました。蒼天はまだ痛みの中にいます。白嶺は、天城という存在をどう受け止めるのかを考え始めました。
そして水木。彼女は何者なのか。
「選ばされていた」という言葉は本当なのか。
それとも、ただの挑発なのか。
この物語は、ゲームで人を殺す話ではなく、
“選択が誰のものなのか”を問う話でもあります。
真白は今日、敵ではなくなりました。
でも明日、彼女の処遇は決まります。
救いはあるのか。それとも、さらに残酷な結果が待っているのか。第三層は、また別の形で試してきます。
もしよければ。
・水木、どう思いましたか?
・天城の最後、救いはあったと思いますか?
・九条の覚悟、伝わりましたか?
一言でも感想をもらえたら嬉しいです。




