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誤字報告ありがとうございます。助かります。
僕は長年の婚約を自分勝手に破棄して、アイリスに婚約を申し込んだ。
アイリスは自分は妾でいいと言ったが日陰の身にはさせたくなかった。
しかしそっちが本音だったのだろう、苦労せずに愛されて贅沢ができる身分が欲しかったのだから。
父親に報告したら生まれて初めて腹を殴られ吹っ飛んだ。
「どうして勝手なことをした。ミルフィーヌ嬢の何処が気に入らなかったんだ。彼女はお前が婚約したいと言った令嬢ではないか。マナーも完璧で語学も堪能、次期王太子妃マリア様の親友なんだぞ。分かっていなかったとは言わせない。アイリスとは比べものにならない。暫く部屋で謹慎していろ。どれだけの傷を瑕疵のない令嬢に負わせたと思っている。廃嫡は覚悟をしておけ。慰謝料もお前の私財から出す」
バルモア伯爵令嬢から言われた言葉が今更のように胸を刺してきた。
「三年前からでしたらその時に破棄していただいていたら」と。
彼女は乳母の娘だった。小さい頃から姉のように慕っていた。良く咳き込んで苦しかった時に側にいてくれ背中を擦ってくれた。
昼間調子の良い時には外で散歩をしたり、日向ぼっこをして過ごした。
乳母は男爵令嬢で行儀見習いを目的にその他大勢の下級メイドとして雇われていたが、屋敷に勤める侍従と結婚をして子供を産んでいた。
丁度いいと思った父は僕の乳母に抜擢した。
彼女が結婚して二年経った頃、侍従は流行り病を得て帰らぬ人になった。
その頃僕は夜咳き込むことが多くなった。酷い時は高熱を出し死にかけたこともあった。医者に診せると療養のために空気の綺麗な領地で静養されると良いでしょうと言われた。
母と一緒に領地へ来たが半年ほどしたら王都に帰って行った。僕は荒れて病気が悪化した。その時に抱きしめて温かさをくれたのが乳母だった。月に一度王都からかかりつけの医者が来てくれることになった。
働かないといけない乳母は領地で静養する僕に仕事で付いてきてくれただけだった。アイリスを連れて。
咳で苦しい僕は乳母とアイリスの優しさだけが救いだった。
彼らが仕事だから優しくしているなんて幼い僕は気づきもしなかった。
本邸で僕に優しい者は沢山いたのに。
僕の身体が大きくなってくると段々病気が良くなってくるのが分かった。
十歳が近くなると咳き込むことも無くなり王都に帰っても大丈夫だと医師に診断された。
その頃乳母は丁度隣国から来た商人に見初められて仕事を辞め、結婚して隣国へ行った。
僕の婚約者候補を決めるというお茶会で大勢の令嬢に囲まれ熱のこもった目で迫られた僕は怖くなり従妹のマリアに愚痴をこぼした。
僕はマリアの面白い子がいるという言葉を聞きミルフィーヌに婚約を申し込んだ。会ってみると可愛い令嬢だった。僕達は仲良くなっていった。
隣国へ行ってしまったアイリスとはあれきり会えないはずだった。
三年前に商人が屋敷に来て乳母とアイリスの話をしなければ。
アイリスはこの国の平民も入れる王立学院に特待生として入ったそうだ。
それを知った僕は面会を申し込んだ。
アイリスにとっては願ってもない鴨だったのだろう。小さい頃の優しい女性を装っていれば、僕という爵位もあり金のある見目の良い男が手に入るチャンスなのだから。
「まさかレイモンド様が会いに来てくださるなんて思いませんでした。すっかり大人になられたのですね」
「昔は世話になったね。アイリスは綺麗になったよ。乳母は元気にしているの?」
そういえば母親も美人だったような気がする。
「元気に働いておりますわ。あの男は吝嗇家でまともな結婚ではありませんでした。もうすぐ離縁が成立するはずです。男爵令嬢という母の立場を利用して貴族への足がかりしか考えていないような男でした。ですから私も特待生としてこの学院に入りましたの」
「大変だったんだね。でも君たちは幸せに暮らしているようなことを言っていたけど」
「口からでまかせがあの男の本性です。私ももうすぐ卒業なので仕事をするつもりです」
「うちに帰ってきて働けばいいじゃないか」
「一度勝手に辞めたのですからそんなご迷惑をおかけするわけにはいきません。子爵家の侍女なら雇ってもらえるかと思いますので、今そちらを当たっているところです」
これを幸いにと僕達は逢瀬を重ねた。ミルフィーヌという婚約者がいるのにもかかわらず。いやいるから背徳感で余計燃え上がったのかもしれない。最初は手を繋ぐのもやっとだったのに、頬に軽いキスをして抱きしめ、行為は次第にエスカレートしていった。流石に子供が出来るようなことはしなかった。
アイリスの狡猾さは目立つところで二人でいるのを見られまいと気をつけているところだった。卒業パーティーにドレスを贈ってパートナーになりたいと言えば、ミルフィーヌ様に悪いからと断られた。
馬鹿な僕はなんて可愛いんだと惚れ直す始末だった。この時には他の金持ちの令息にドレスや宝石を買ってもらっていたらしい。
母親が商人と結婚してぎりぎりのお金でやりくりしなければならず、友達が洋服を買ってもらっただの宝石をプレゼントされたとか、カフェに連れて行った貰ったと聞かされる度に悔しい思いをしていたらしい。勉強も特待生として手を抜くわけにはいかず相当ストレスをため込んでいたのを上手に隠して、さも清純そうな顔で僕と会っていたのだ。
他の男に貢がせておいて、僕もキープしておくなんて何という女優だったのだろう。気がつかなかった僕も大概だけど。
僕にはまだ自分で自由にできるお金は、ミルフィーヌにプレゼントをする以外は自分の分しか認められていなかった。
ドレスはミルフィーヌに贈ると言って買うつもりだった。調べられたらすぐに分かることなのに。
ミルフィーヌと婚約を破棄し身分も財産も無くなると、アイリスはさっさと姿を消した。きっと今まで貢いでくれた男と一緒になるのかもしれない。
僕は王太子の側近になるという輝かしい未来も、恋人だと思っていた女も失い、家に泥を塗った馬鹿な男になり下がった。
断種の手術をされ父の知り合いが所有する僻地に追いやられた。
農作物が殆ど育たず出来るものはじゃが芋くらいだった。そこで黙々と土を耕しその合い間に他に育つものがないか調べ植えてみたりした。それが家の為にできる罪滅ぼしだった。一生この地から出ることは許されていない。
住んでいるのは年寄りだけだった。皆若い内に都会に出て行ったそうだ。
昔からいる家令から時折報告のような手紙が来る。それによると五歳下の弟ケリーの縁談にまで支障が出ているそうだ。兄と同じようなことをされるのではないかと警戒されているそうだ。弟は僕なんかと違い真面目が服を着ているような男なのに、申し訳なかった。
自分勝手に婚約破棄をしてしまったミルフィーヌ嬢の顔が笑顔が浮かんで消えた。街を歩いている時に見せてくれた恥ずかしそうな微笑みや、花束を渡した時に見せてくれたはにかんだような微笑みをもう見ることは無いのだと、何も無くなってから思い知り、僕は膝から崩れ落ちた。
自分で申し込んだ婚約を破棄した重みを漸く実感した瞬間だった。
レイモンドのざまあ回でした。
夕方もう一話投稿します。




