Episode29 Servire memoria credo
「知りたいか? いいや、教えてやろう。貴様が会ったという男の正体を……!」
エリサの前に立ち塞がる人物が――マキナの一人が笑った。
擦り切れて薄汚れた布を纏うマキナがたったひとつの瞳孔でエリサを睨む。
エリサが出会った正体不明の人物。その正体にエリサは興味を抱いた。
一方で、マキナの話を聞いてしまえばエリサは自分が信じてきたものが全て崩れてしまう、そんな恐怖も同時に抱いていた。
だが、既に戦意を喪失しているエリサにできることなどない。
「貴様が出会った男――チェレスティーノ・スペリメンターレの名を騙っていたヤツの正体は、模造品だ」
「こぴー、でーた……?」
慣れない横文字に戸惑うエリサを置いて、マキナはエリサからくるりと背を向け先ほどまで弄っていた機械と向き合う。
「そうだ。ヤツめ、あの装置から抜ける直前に自分の記憶と思考を装置のサーバーに保存しておったのだ。しかも次の『EXCEEDER』の候補者が装置に接続された際、NPCと化した自身をハッキングして装置の世界を乗っ取るプログラムまで組んでいたというのだ。全く、死んでもなお足掻くとは、往生際の悪いやつよのぅ……。」
マキナはしみじみと感傷に浸るかの物言いでひとりごちる。
エリサはマキナの言葉に、ただただ絶望した。
エリサが今まで体を重ねて、愛を交わして、信じた人は、最初から存在しなかったなんて……。
知ってしまった事実に衝撃を受け、エリサは床にへたりこんだ。
考えればおかしいところはたくさんあった。
なぜ彼だけ魔法が使えるのか。
なぜエリサじゃなきゃいけなかったのか。
それは、エリサが……。
――だって君は『特別なただひとりの人間』だからね。
チェレス殿下が言っていた言葉が脳内で反響する。
あれは、エリサが唯一無二の存在だからではなくて、本当にあの世界に生きた人間はエリサしか居ないからという意味だったのか……。
エリサが次の『EXCEEDER』の候補者だったから、そのプログラムとかいうやつに従って動いていただけだというのだろうか。
そんなの……、そんなのあんまりだ……っ!
「うそだ……、そんなのっ、そんなのうそだぁあああああっ!!!」
エリサが出会ったチェレス殿下の本当の目的を悟ったエリサは叫んだ。
頭を抱え、泣き崩れる。
そこに愛があったわけじゃなかった。
チェレス殿下はオリジナルの自分が掲げた目的に乗っ取って動いていただけだった。
思い返せばそうだ、あの日、オリヴィアと話していたじゃないか。
『――主の目的を達成するために、我々は最短で動かなければならないのでは?』
オリヴィアはそう言っていた。
その主とは、オリジナルのことだったんじゃないか。
そう考えればあの日の会話の辻褄が合う。
エリサが次の『EXCEEDER』の候補者としてあの世界に接続されてしまった以上、人類を救えるのはエリサだけだ。
その為の最短の方法が、『記憶領域の直接操作』だったのだ。
でも、チェレス殿下はそれをしなかった。エリサの体への負担が測り知れなかったから。
『――下手をすれば心そのものが壊れてしまう危険性だってある。オリヴィアはそのリスクを冒してでも主の目的を達成せよ、と?』
それは、エリサしか人類を救える希望がなかったから。
エリサだけが、あの世界で唯一の生きた人間で、前任者であるチェレスティーノの意思を継ぐことができたから。
「うぅ……っ、ぐすっ……!」
知らず知らずの内に背負っていた使命。
目的のためならどんな手段だって厭わなかった、チェレスティーノの模造品。
エリサはそれらにただ踊らされていただけだった。
知ってしまった真実に打ちのめされ、涙が止まらない。
行く当ての無い愛が、想いが、エリサの中で音を立てて崩れた。
激しく取り乱し、動かなくなったエリサを感情の無い目が冷たく見下ろす。
「……フン。死んだ者に愛を乞うたか……。やはり人類とは愚かな存在だ。愛だの恋だの、不確かなものを信じて生きる……。つまらん種族だ、反吐が出る。……やはり人類は滅亡させねばならぬ。その手始めとして、貴様にもスペットロの名を刻み込んでやる!!!」
マキナが腕を掲げる。
無機質な白の、鋼がずり落ちた布から姿を現わした。
エリサはただ、頬を涙で濡らしながらマキナのその腕を見上げることしかできなかった。
託された使命を果たすこともできず、何もできずに彼の後を追う。
それも悪くないかもしれない。
愛した人が最初から存在していなかったのであれば、エリサに生きる意味などない。
マキナの手で彼の元へ送られるのなら、それでもいい。
自暴自棄になりかけたエリサの耳に、ガコンッ、という重たい金属音が届く。
思わず視線を上げた先に、幾重もの鉄骨が降り注ぐ。
エリサにはどうすることもできない。それでも体は自然と動いていた。
無力な自身の腕で咄嗟に頭を庇った。
刹那、全身に響く衝撃と痛み。
ぐるぐると視界が回り、荒波に飲まれて溺れるかのごとく、もみくちゃにされる。
ガシャンッ、とガラスが割れる音。
ガランガランと響く、金属が反響する音。
それらが入り混じり、唐突にドスンッ、と腰辺りに生じた痛みに呻いた。
「――っ」
一体なにが起こったのか、理解できないエリサの耳に突如訪れた静寂。
そして響く、無機質な音声。
『――パイロットの搭乗を確認。セミオートモードに切り替えます』
ぱいろっと……? せみおーと……?
身体をしたたかに打ち付け、痛みに呻くエリサはその音声に首を傾げた。
その瞬間、視界がぱっと明るくなる。
壁に沿って走る光。起動するいくつかの装置。
エリサにとって見慣れない金属製の板やらなにやらが光ったり点滅したりして、視界がぱちぱちした。
そして、一瞬だけ暗くなったと思ったらぱっと視界が開ける。
ぐるりと辺りを見渡したエリサは今、自分がどういう状況にいるのかにわかに信じられなかった。
生きてる……?
どうやら今、自分は狭い部屋みたいな場所にいるらしい。
そしてその部屋はどういうわけかエリサがさきほどまで居たであろう、鉄骨が山積みになっている場所を見下ろしていた。
前、横、上……ぐるりと見渡せる限り、ガラス張りのような感じで外の様子が見えた。
ハッとして後ろを振り返ると、色んな機器が置いてありながらも背後まで外の景色が見えた。
星々のような光と、流れ星のように走る人工的な光。
部屋にはいくつかのボタンが付いた板、それと棒……?
エリサが腰をしたたかに打ち付けたのはどうやら椅子のようだった。
なにが起こったのか理解が追い付いていないエリサの耳に、マキナの声が鮮明に届いた。
「フフフ、子機を壊したところで何の意味もないぞ小娘! だがしかし、さすがはあの装置を抜け出した『EXCEEDER』、褒めてつかわそう! しかし人類の命は未だこちら側にあるのだぞ!」
ドキリとした。
そうだ、後ろに見えている景色の光、ひとつひとつがエリサと同じ生きた人間なのだ。
その命を背負っているという意識にエリサは背筋が凍った。
でも、何がどうなっているのかいまだにわからないエリサには、何をしたらいいのかすらわからない。
戸惑うエリサの耳に、聞き慣れた声が響いた。
「――悪いが地球側の機械は全て掌握させてもらった。今ここで、お前にできることは何もないはずだ」
「……っ、きさま、その声は……っ!?」
マキナが動揺したような声を上げる。
そして、エリサもまた、その声に息を呑んだ。
「……久しぶりだな。20年振りか? オリジナルの仇、打たせてもらうぞ」
「ッ、死に損ないがっ! ……まあよい、我らが管理している衛星のひとつやふたつ、くれてやる! 貴様らの命もろとも、滅びるがよい!」
マキナが叫び、笑う。
ひとしきり笑った後、それきり、マキナの声は聞こえなくなった。
エリサははやる鼓動を押さえて、聞こえなくなったマキナの声の代わりに親しんだ声へと恐る恐る話しかけた。
「……チェレス、でんか……?」
声が震える。
それでも、もう二度と会えないとさえ感じていた声の存在に懸けて、エリサは返答を待った。
「……よしてくれ。もう、殿下なんて身分じゃないんだ」
愛した人の声に、じわりと視界が再び滲む。
さっきあんなに泣いて、涙なんてもうでないと思っていたのに。
「ぅ、ぐすっ……、ちぇれす、でんかぁ……!」
「な、泣くなよエリサ……っ、わるかったよ、怖い思いさせて」
目の前の板につっぷして、エリサはわんわん泣いた。
もう会えないと、あの愛は幻だったかと抱えていた不安が一気に溢れだす。
「だって……っ、もう会えないって……っ、ぅう、わたしっ、ずっとひとりだったんだって……っ!」
「エリサはひとりじゃない」
「でも……っ、でもっ!」
寂しさが溢れて嗚咽を漏らすエリサは、ぐすぐすと泣きながらふとあることに気が付いた。
チェレスの声は聞こえるのに、姿は見えない。
エリサは泣き腫らした赤い目で、おずおずと辺りを見渡した。
だが、いつもの見慣れた姿は見当たらない。
「……ごめん、エリサ。君を不安にさせるつもりはなかったんだ。データをこの機体に移すのに時間が掛かって……」
「でーた……? じゃあ、あなたはやっぱり……」
胸に過った一抹の不安に、チェレスは申し訳なさそうに言った。
「ごめん。君が俺の正体を知ったら、君は俺に愛想を尽かしてしまうんじゃないかって思うと、話せなかった」
チェレスの言葉にエリサの胸がずきりと痛んだ。
「……でも、それはあなたが本当のチェレス殿下のこぴー? だからで、本当のチェレス殿下が成し遂げられなかったことを私にさせようとしていたからでしょう……?」
「それは……」
チェレスが言葉に詰まる。
やっぱり本当のことなんだ、と肩を落とし、落胆しかけたエリサにチェレスは言葉の続きを話す。
「……最初こそ、そうだったよ。でも、今は違う。……エリサ。俺は、本当は君のことを見捨てるつもりだったんだ」
「見捨てる……?」
エリサは驚いて目を見開いた。
「そう。オリジナルの目的――人類をマキナの手から解放することを達成するためなら、たったひとりの犠牲ぐらい厭わないと、そう思っていた。だけど、エリサ。君と出会って、君という人を知って、君を守りたいと思った。君に――生きていて欲しいって」
だから、エリサを助けに来た。
来てくれた。わざわざ、データを移してまで。
「……だけど、エリサ。俺の正体を知って幻滅しただろう? 本当は生きてなんかいない、ただの機械だ。そんな存在に愛を口説かれたって、本当の俺はもう存在していないんだから」
チェレスの独白を、エリサは真摯に受け止めた。
確かに生きていた彼はもう存在しない。だけど、自ら思考し行動する存在を、ただの機械とは思えなかった。
「……チェレス殿下……。私は、あなたの正体を知っても、あなたのことが好き」
「……」
「データとか、プログラムとか、難しいことは私にはわからないけれど……。でも、チェレス殿下の想いは本物だって、私、信じてるから」
いつかの日にチェレスが言った言葉を思い出し、エリサは信じる。
『――人間は脳が認識したことだけが全てだ。だから、エリサが信じるものがエリサの全てなんだよ』
ぎゅっと胸元で揺れている指輪を握る。
今はこれだけが、チェレスと繋がった証だ。
それでも、エリサは彼を信じた。
「……エリサ、ありがとう。……こんな俺を好いてくれて」
少しだけ、どこか気恥ずかしそうな声がエリサの鼓膜を震わせた。
そして、ふたりは主の目的を果たすため、人類を機械の魔の手から解放するために、頷きあう。
「チェレス殿下……、ううん、チェレス」
「エリサ……。行こうか、主の仇を打ちに……、人類を――君を守るために」




