第1話「勇者、深夜コンビニに立つ」
俺の名は日向悠真。
五年間、異世界で勇者として戦い抜き、魔王を討伐した。
仲間の剣士や聖女、魔法使いと共に、血を吐きながら勝ち取った勝利――の、はずだった。
目を開けたら、六畳一間のアパートにいた。
剣も甲冑もなく、見慣れた天井と、安っぽい蛍光灯の光。
魔王の黒煙が消えた瞬間、俺は唐突に“帰ってきて”しまったらしい。
財布を開く。残金、千三百二円。
冷蔵庫を開く。中身、ペットボトルの水一本。
異世界で使った【鑑定】【真偽看破】【身体強化】のスキルは健在だが、この国では家賃の督促を止めてはくれない。
「……勇者の次は、何をすればいいんだ」
絶望の先に残っていたのは、駅前で拾った求人誌だった。
夜勤、時給1,200円。場所は家から徒歩五分。――深夜コンビニ。
初出勤の夜。
制服に袖を通した瞬間、異世界の甲冑より重く感じたのは気のせいだろうか。
「おお、新人くんか」
レジカウンターの奥で、先輩店員の佐久間さんが笑顔を見せる。
歳は三十半ば、無精髭と疲れ目が印象的な人だ。
「夜勤はな、客は少ないがトラブルは多い。酔っ払い、万引き、からんでくる連中……まあ気楽にやれ」
「……了解しました」
魔王軍の奇襲よりはマシだろう。
そう思った矢先だった。
ガラッ!
自動ドアが開き、酔っぱらいの二人組が乱入してきた。
顔は赤く、手には缶ビール。店内でさらに飲み始める。
「おい新人、関わるなよ」
佐久間さんが小声で注意する。だが男たちはすぐ商品棚を荒らし、菓子を開けてばら撒いた。
胸の奥で、眠っていた戦闘本能が目を覚ます。
俺は静かに【真偽看破】を発動した。
赤黒い光が瞳に走り、二人の“酔い”の裏に潜む敵意を映し出す。――ただの泥酔ではない。喧嘩相手を探している。
俺は一歩前に出て、声を落ち着けて言った。
「――どうぞ、その手を下ろしてください」
魔王の爪を制した時と同じ声音。
空気が一瞬で凍りつき、男たちの腕が震える。
「な、なんだコイツ……」
「やめとけ、目が……やべぇ」
次の瞬間、二人は踵を返して逃げていった。
「……おいおい、すげえな新人」
佐久間さんが目を丸くする。
「警察沙汰になる前に追い払っちまうとは。格闘技でもやってたのか?」
「いえ。ただの……反射神経です」
本当のことは言えない。
勇者スキルだなんて信じてもらえるわけがない。
レジに戻ると、佐久間さんが笑った。
「いい新人が入ったぜ。ここは戦場みたいなもんだからな」
俺は心の中で苦笑した。
――戦場、か。そうかもしれない。
魔王はいない。剣も魔法もない。
だがこの街の夜にも、守るべき秩序はある。
俺のスキルはまだ、人を救える。
深夜二時。
客足が途絶え、蛍光灯の下で小さくため息をつく。
ポケットの中には、異世界から持ち帰った小さな欠片――魔王の角の破片がある。
赤黒い光が、かすかに脈打っていた。
「……まさか、魔王の影まで戻ってきたわけじゃないよな」
不安を胸に押し込めながらも、俺は制服の襟を直した。
勇者の新しい戦場は、レジカウンターから始まる。
「――いらっしゃいませ」
扉のベルが鳴った。
次に入ってきた客は、妙に冷たい気配を纏っていた。
(つづく)