ナンナーの秘密
ナンナー伯は夕食を待つ間、再度神殿へ出向くとバルデルス神の前に跪き長い長い祈りを捧げていた。
そして翌朝、日課の禊のため、ウル様と二人霊廟の横を通ると、今度はその中で涙を流しながら静かにたたずんで居た。
「ナンナー伯…」
「…お前かウルリッヒ」
「お弔いですか?」
「ああそうだ」
物言いたげに僕をみるナンナー伯。
「…思えば神が傍系神子を選ばれた時すでに運命は動き始めていたのだ…。ああ…もう少し早ければ…」
続く言葉はきっと、娘と孫は今も生きていた、なのだろう…
「その…ナンナーの始祖はここで何をしてしまったのでしょう…」
それを聞いたのは僕じゃなく隣のウル様だ。
偏屈と名高いナンナー伯。けれどここに来てからの彼はまるで憑き物が落ちたかのように柔らかい。
そうして彼はためらうことなく静かに語り始めた。
「…戒めのように語り継がれる古い古い話だ…」
それはまだこの国が国でも無かったころの話。
ここ神殿都市はこの山々に囲まれた広大な、当時はまだ名も無きアードラスヘルムの西部において発展と栄誉を極めていたという。
そこに住む者のは神バルデルスの血を引く一族。
「これは現王家の始祖と言われる一族でありその身の回りを世話をする神子の一人がナンナーの始祖だ」
エメラルドのように豊かな自然とサファイヤのように輝く海、美しい自然に囲まれ神の庇護を感じながら、この丘では多くの人々が平和と幸せを享受し暮らしを営んでいた。
エドの見たという古代の絵、居住部と神殿部をつなぐアドラでは、満月の日には行商による屋台が立ち並び、西や南の村々から多くの人々が遊山に集まったという。
あの劇場や音楽堂では、神バルデルスの教えを学ぶ弟子たちが神の教えを歌ったり踊ったりしていたそうだ。つまり今でいうところの修道士だね。
平和な神殿都市にとって、暑期の熱帯病は当時からすでに天敵だった。
それでも彼らは恐れない。何故なら神バルデルスには再生と崩壊を司る力があると言われていたからだ。
「!」
「再生の力…それって神子の…」
「だがそんなことは現実にはあり得ぬ話。一族は正しい対処を知り人々に徹底させていた。それだけだ」
「え?じゃあ当時はこの力を誰も持っていなかったってこと?」
「そうだ。言ったはずだウルリッヒ。これは神への贖罪だと」
「つまりナンナーの始祖が何かをしたからナンナーは〝癒しの神子”になったってこと?ですか?」
「…それこそがこの神殿都市を崩壊へと導いたのだよ…」
あるとき古の神殿都市で君主の世話をする神子の一人が身体に異変を感じたという。
「言わずとも分かるだろう…それがナンナーの始祖だ」
「異変って熱帯病?つ、つまり病に罹った初めの人だから罰が当たったってこと?」
「そうではない。そうではないのだよ…」
その神子は神の力を強く信じていた。信じすぎていた。だからこそ言いつけを破ってしまったのだ。
「罹患した際の決め事、ここを守るためのそれらを我が始祖はあえて黙殺した。それが悪夢の始まりだ」
「ど、どうして…」
ナンナーの始祖は、再生の力を持つ神バルデルスに祈りを捧げさえすれば必ず病は治る、治らねばおかしい、もし治らねば神などこの世にはいないという事だ、そう考え自身をその証明にせんと、誰にも身体の不調を知らせなかったという。
「それは…」
思わず絶句。狂信とは時に方向性を見誤るととんでもない事態を引き起こすものだが…これは最たるものだ。
「そんなことをすれば病を広めてしまいます!」
ウル様が声をあげる。だってウル様は直接的な被害者。文句の一つも言いたいだろう。
「その通りだ。…初動の遅れは雨期の大感染を引き起こした。気が付けば病は神殿都市中に広まり、あとは伝承に残る通りだ。恐怖に慄く混乱の中、身寄りのない者は埋葬されることなく放置され…それは新たな病を呼び…収拾のつかない状況下で人々は我先にとここから逃げ出したのだ」
「ナンナーの始祖は命を落としたのですか?」
「その君主はよく無事でしたね?」
疑問を投げかけたのは僕とウル様、ほぼ同時だ。
「王家の始祖、ナンナーの始祖、二人が命を落としかけたのは同時だったという」
ゴクリ…無事じゃなかったか…
「その時だ。神殿のバルデルス神が神子に奇跡を与えたのは」
「まさか…」
「うそ…」
「…その通りだ、ナンナーの始祖は額に紋様を浮かび上がらせ瞬時に病を克服したという」
「…自己再生…」
「そして隣に横たわる君主、死にかけている己の主に驚き思わず身体にしがみついたところ…」
「君主の病が治った、そうなのですね」
「そう伝えられている」
その力に気付いた君主はそれを神の慈悲であると喜び、ナンナーの始祖に神殿に居る罹患者の治癒を命じたそうだ。
そして神殿部に住まう一族や神子たちを治し終えた時…彼女の鼓動は動きを止めたという。
すると今度は共に暮らしていた彼女の妹、その頬に紋様が浮かび上がったのだとか…
「そのとき君主は気付いたのだよ。神子に浮かんだ紋様、これは人々を救うために神が与えたもうた慈悲などではない。神を試そうとした愚か者に対する非情にして残酷な罰なのだと…」
彼女が信じた再生の力、神はそれを己の身をもって証明せよと与えたのか…
ナンナーの業…ウル様はまるで氷の彫像のように固まっている。
「だからこそ君主一族はこの神殿都市を捨てたのだ。この地は神の怒りに触れし禁忌の地、災厄を恐れるならば近寄るな、と」
禁忌の地!
そうか…その言葉は病の温床を意味していたわけじゃなかったのか…
「ウルリッヒ。お前はここでオズヴァルト殿下と都市を再現すると言っておったな」
「え、あ、はい」
「だからこそ神は我らナンナーをお許しくださったのだろう」
ナンナーの血を引く者と君主の血を引く者、その二人が神殿都市を再現すれば…そうか、それは古の復活。
クス…「…」
「どうしたのエミル」
「ううん。どちらの末裔も外れ者だなって思って」
だって外れ者だから禁忌の地に来たんだもん。
ここにしか居場所を見いだせず…
「力になろうウルリッヒ。我らに出来ることあらば何でも言うがいい」
「本当ですか!? 」
ナンナー家は奇跡の神子を輩出する一族として社交界の聖域とされる家門。
そのナンナー家が口をきいてくれればどれほど心強いか!
「じ、じゃあ東の社交界との折衝をお願いしたいです!」
「構わぬよ。王城にはいまだ王族が残っておる。考えの浅いものはまだまだ居るだろうからな」
やったね!急いでオズヴァルトに報告しなくっちゃ!




