三者三様 エドヴィン
王城からギーレン伯爵領までひと月の道中、私がウルリッヒ様だと思っていたのはあのエミルだった…
そしてギーレン領から連れ出したエミルこそが兄様…
神の奇跡とはこれ程なのか。
私は感動に震えていた。
ウルリッヒ様の遊び相手として幼いころから、それこそ生まれた時から側にいたエミル。彼は献身的な世話係だ。
母様曰く、彼と彼の両親は亡き前妻であるリンデン夫人を恩人だと今も慕っているのだそう。
けれどエミルのあの献身はそれだけではないだろう、彼は主人が好きなのだ、そう私は感じていた。
幼い私と両親が庭で過ごす休日の朝、必ずと言っていいほどその日の午後、本邸にはちょっとした異変があった。
時に虫が部屋中を飛び回っていたり、時に砂糖壺と塩壺が入れ替わっていたり…書庫や納戸の鍵穴に綿が固く詰められていた時には、執事のヨハンもさすがに頭を抱えていた。
それでもヨハンがエミルを咎めないのは彼がウルリッヒ様の世話係で、父様から「放っておけ」そう指示されていたからだ。
彼らが王城の神殿へと上がった後、厨房の老婆はこう言っていた。
「エミルは旦那様に養育棟の扉を開けて「使用人の躾がなっておらん」そう怒鳴り込んでほしかったんですよ。そうすればウルリッヒ様と言葉を交わされると思って」
頑なにウルリッヒ様を受け入れない父様…
父様がナンナーの一族を〝得体のしれない何か”と感じるのは本能的なもので、それ自体は責められることではない。
けれど自分の血を引く息子まで、まるで〝忌むべきもの”のように接するのは間違っている。
この二年の神殿替えに同行を決めた際、父様は私に思い直すよう何度も説得を試みていた。
「馬鹿な真似はよすのだエドヴィン。西の神殿…あそこがどのような場所かお前は知らないのだ!」
「存じております父様。学校の資料で調べております故」
人々は己の住む土地にある神殿にしか興味を持たないものだ。この東で西神殿の背景を知る者は、聖職者…王家とその周辺貴族…、そして私のように自ら知ろうとした者だけだ。
「では何故だ!何故このリンデン家嫡男であるお前が神子に同行を願い出る!」
「…父様は早世が知れている息子を憐れとは思わないのですか?そのような方だったのですか?」
「だからだ。だからだよエドヴィン」
「父様…」
「情を移せば心が痛む。ナンナーの当主は仰ったのだ。神子の命は神からの預かりもの。神子を息子と思ってはならぬと」
「詭弁です!父様のお振る舞いは以前からだったではありませんか!」
「いいや。私には一目見た時に分かった。これは《《人の子ではない》》と」
「父様…」
「わかるかエドヴィン。家同士の契約で決められた妻は社交すら満足に行えぬのに社交界では私より敬われる。屋敷に戻っても腫れ物に触るかのように気を使わねばならぬ。人々は私を妻の威光にぶら下がる夫と陰であざ笑う…それらがウルリッヒにかわっただけだ。私はうんざりしているのだよ…もう疲れた…」
ああ…初めて知る父様の闇。
父様はナンナーの血に対し、言葉に出来ない想いをかかえて生きてこられたのだ…
「あ、あの方は母様を助けてくださったのですよ!己の命を分け与えて!」
「そうだな…」
「もう結構です父様。ウルリッヒ様のものだったリンデン伯爵家を継ぐことなど私にはできません。どうか嫡男の届けは破棄なさってください」
「何を言うか!」
「後継はジークハルトに。私は二年が過ぎてもここへは戻らないでしょう」
「エドヴィン!」
こうして出てきた私に帰るところはない。
二人の神子が西の地で神の都市を再興なさるというのであれば私はそれをお支えするまで。
自分と入れ替わり神子となったエミルを案じ泣きじゃくる兄様。その姿が例えエミルであろうと、リンデンの屋敷で時折盗み見たあの面影がそこにはある。
何も変わらない…色素の薄い切ない目で父様の後ろ姿を追い続けていたあの頃の兄様と何一つ…
ここにいるのは紛れもない、私の胸を締め付ける儚いあの人。
今も思い出すのは馬車に乗り込む消え入りそうなあの背中。その背中に私は今こうして触れているのだ。
ああ…やはり神はおられた!
神バルデルスは兄様を救い、それどころか機会をお与えくださったのだ!
この私に、やり直しの機会を!
夜が明け部屋へ戻る前に私はもう一度彼の手を取った。
「兄様。これからは私が居ます。いつでもあなたを見ています。エミルのように器用ではありませんが…それでもあなたのこの背は私が温めたい」
とまどう兄様。彼はそれでも小さく頷いた。




