不審な蜃気楼
サンクトリウムの神殿部は丘陵のてっぺんに位置している。
この丘は一見なだらかだが、ふもとからは距離があるため頂上ともなればかなりの高さだ。
それは裏側の海側から崖を見れば一目瞭然である。
オスヴァルト水平線を眺めるのが好きだ。
彼は外神殿から海を見渡すのが毎朝の日課になっていた。
このアードラスヘルム国で海といえばここか南西の領になる。
南西の海岸沿いには四つほどの領が並んでいるが、その中でもっとも力を持つのが言わずと知れたフランケン男爵家だ。
南西の盟主と言ってもいい。
爵位こそ男爵であるフランケン家だが、もともと漁師だった先代当主が海賊を退治し叙爵した、という経緯がある。
それを誇りに思う現当主もまた、先祖の名誉を汚さぬようにと、己を律し自分を磨き、海原の向こうに大いなる夢を求めながら、漁師たちの安全を常に考えている。
それだけに代替わりした今も尚、自領の民ならず周辺領全ての海の男から尊敬を集めているのだ。
南西の海岸は横に長く広がりどこまでも続く開けた海岸を有している。
そのため船の出入りが容易であり、当然漁業が南西の要となっている。
その南西を襲ったのがあの地震だ。
目も当て得られない甚大な被害。
それでもフランケン男爵の手引きにより、海岸沿いの交易路、中型船、それらはほぼ復旧しているらしい。
それに比べ、このサンクトリウムが有する海岸は小さな入り江。
小型の船しか出入りできない崖と岩場の海岸である。
海と山に囲まれた侵入者を拒む立地。それが西辺境でありこの神殿都市だ。
「ウーリ、そこに居るか」
「ん?いるよ。どうしたの?」
その日も執務棟へと向かうオズヴァルトは足を止め海を眺めていた。
そして少しすると眉を顰めながら僕を呼び寄せた。
「あれが見えるか?」
「あれ?蜃気楼?」
「いいや。形あるものだ。何だと思う?」
「ちょっと待ってて!」
僕は調薬棟に向かうとガラスの遠見筒を持ち出してきた。
あれはまだエミルとして王城神殿に居たときの事だ…
僕は薬学修道士が使用していた病気を調べるための観察鏡、それを二枚組み合わせると遠くの物がよく見える、という事実を発見していた。
元は小さな対象物の近くにレンズを置いて拡大する、それだけのものだが、僕はそれを一本の筒に嵌め込み使いやすくした。
あ、『遠見筒』は僕の命名ね。
この筒だが、なにも間近で見るのと同じほど鮮明ではない。それでも肉眼に比べれば遠くの対象物がかなりはっきり確認できる。
ここだけの話…僕はそれを使ってあらゆる王城内の秘密を握っていた。
と言っても、ほとんどはアルトゥールとエマニエルの逢瀬だけど。
「オジーこれ使って。よく見えるよ」
「こんな物を隠し持っていたのか…」
ナイショにしてたのは悪用するつもりだったからじゃないよ!
「あれは船…?」
「あんな沖に?」
「ああ。だが漁船ではない。それは確かだ」
「まさか…海賊…?」
「わからぬ。だが不穏な気配を感じる…」
「もう一回待って!」
僕は調薬棟に向かうと今度はウル様を連れ出してきた。
「な、なに?」
「エミル、この筒を覗いてあの船をスケッチして。得意でしょ?」
「い、いいけど…」
僕とオズヴァルトのただならぬ様子に、ウル様は何も言わず木炭を動かし始めた。
そうして、オズヴァルトは執務室に駆け込むと、大急ぎで南西へ伝令を出した。
本来あの地にも海上を警戒するため遠見の塔は建てられていた。が、あの地震によって倒壊している。
アードラスヘルムはこの大陸において一二を争う豊かな大国である。
そのため北に南にこの国を狙う敵は多い。
それでも海岸からの襲撃はそれほど多くない。
何故ならアードラスヘルムと海向こうの他国間には相当の距離があるからである。
この国の海岸に接岸できるだけの、長い航海を安全におこなえる船を有する国など多くは無い。
けれど、南西には海賊が現れたという歴史が存在する。
因みにその時手に入れた海賊船を参考にして、叙爵したフランケン男爵領では造船技術が格段に飛躍したという話だ。
要はもしあの船が海賊なら、狙うのはここではなく南西の海岸。警戒が必要なのも南西ってことだ。
「カーステン!ホーフェンへも伝令を送っておけ!有事の際にはすぐに出兵できるよう整えておけと!」
「はっ!」
それから十日ほどたっただろうか。
いつの間には海上から不審な船は消え失せている。
「あれ…なんだったと思う?」
「姿を消したのであればあれは斥候の船かもしれない」
斥候…つまり事前調査だ。
「じゃあ背後にもっと大きな船が控えてるってこと?」
「その想定は必要だろう」
「…ね、ねえ…大丈夫なの…?」
「分らないな…。ただ備えはしておいてくれ」
「備え…?」
「ウーリの力が必要になるかもしれない…」
ドキッ!
それって危ないことが起きるかもしれないってことじゃん…やだなぁ…
「兄上!」
「ジュスト!」
「ユストゥス!」
そこへ駈け込んで来たのは叙勲式以来のユストゥス。彼は騎士ローマンからの指令で早馬を飛ばしてきたようだ。
「どうしたのだ一体」
「ローマン団長から早急にと伝令を頼まれました。これを」
オズヴァルトはホーフェン領に伝令を送る際、念のため、とウル様が描いた船のスケッチを持たせていた。
土地の者であるホーフェン、またはグレーデンなら、あの船を知るかもしれない、そう考えてのことだ。
返事が来たと言うなら何らかの情報があったのだろう。果たして何が書いてあるか…ドキドキ…
「なんて書いてあるのオジー…」
「こ、これは…!」
そこには例の不審船が、『北の皇国レスプブリカ』のものではないかとの見解が記されていた…




