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外伝 2幕

ごま油を手に入れようとするなら油問屋に赴いて、分けてもらうのが最も手っ取り早い手段であったが、その値段はそれなりに値の張る代物である。最近は菜種油が多く出回ってきているので、灯用の油としてかなり安価にはなったものの、ほしいのは灯用ではなく、食用の油。貧乏藩故、あまりお金はかけられない事もあるので、試作の材料は自腹を切って作ってみようかとも思っていたが、はて、どうしたものか。


「たのもう。ごま油を分けてもらえぬだろうか。」


「ごま油?一升からだけども。」


万事休す。菜種油のおかげでごま油の需要が下がったためか、値段が安くなったかと思いきや、食用油としての需要が伸び始め、また、取扱量も大きくないことから、業務用の売り方が定着してしまっており、小分けで売ってくれなくなってしまっていた。しかも、値段がそこそこ高い。なんと200文もする。拙者の月の小遣いが概ね1千文だから、このごま油に二割も割いてしまうことになる。今度の休みに家内を連れて天ぷらでも食べに行こうなどと申していたが、天ぷらどころではなくなってしまう。そういえば、天ぷらを揚げる油もごま油、、、。いや、致し方がないので、買うとするが、天ぷら、逢引、、、ハイ毎度。

結局、入れ物代も含めて220文も持っていかれてしまった。


さて、ところ変わってこちらは舟橋から無理難題を持ち掛けられた鍛冶屋の作業場。旦那が一人、薄板を作るため、ひたすら鉄をたたいていたが、なかなか思うようにはまとまらなかった。いや、わんぐりとしたものは出来上がったのだ。ただ、このまま渡すのも芸がない。さて、どうしたものか。


「あんた、なに唸っているんだい?」


鍛冶屋の女将さんが頭をひねる職人の彼に声をかけた。奇妙な陣笠に向かって腕組み何やら悩んでいる姿を見て、仕事が終わったんなら、かな床を早く開けてほしいということだったが、話を聞くと何やら面白愉快な仕事を受けた様子。平べったい素肌がいやなら、外側に飾りでも付けたらいいんじゃないかと案を出されたから鍛冶職人はたまらない。勢いづいた鍛冶職人は、かくて全く不要な彫刻を鍋の外側に施すべく、炎をかたどった彫金細工をやり始めたのである。鍋の底には、火之迦具土神(ヒノカグツチ)にまつわる左三つ巴の紋を刻み、なにを茹でるかわからないが、火と水の象徴を刻みこんだら、さぞ旨いものが出来上がるに違いないとそれは丹精込めて刻みこむのである。五徳に当たって削れ落ちることも知らずに。


元に戻って舟橋某。夕方もすっかり日が落ちてしまった刻限。一升入りの油壷を抱え、手持ちの現金を搾り取られ、這う這うの体で屋敷に帰ると奥方が出迎えてくれた。一通り事情を話していたので、出かけた理由は知れていたが、こんなに遅くなるまでかかるのであれば、出かけに一言あってくれてもよかったのにと小言を言われてしまった。あいすまん、と奥方に詫びを入れる舟橋。遅いながらも夕餉を用意しますと荷物を預かる奥方。ただ、今日の荷物は刀だけではなかった。帰った旦那様が大きなツボを抱えて帰ってきてはたまらない。一体何を買ったのかを問われて舟橋、ごま油でござる。と馬鹿正直に答えられたからもっとたまらない。ごま油なら、屋敷の蔵に2升は保存があったのに。奥方の両脇には屈強な我が家の女中が控えていた。


自宅は座敷、一の間では、完全な下手人(現行犯)として捕縛された舟橋が座っていた。否、座らされていたが正しい。正しく正座で座らされていた舟橋は、屋敷の主人らしく一の間の上座、ではなく、一の間につながる二の間、しかも中央に座らされていた。御白州じゃなかっただけましで、来客があったときに使っている書院が付いた一の間に奥方が座り、二の間の脇を固めるのは、その日当番だった女中4 人である。そして、下手人の前には、膳の上にツボ。ごま油のたっぷり入ったツボである。どこかで見たことのある風景だが、気のせいではないし、文章の使いまわしでもない。


「いや、新鮮なものが必要でござった。」


今思いついたいいわけだが、食品衛生を考えれば道理も道理、食材は新鮮なものに限ったもので、ましてや殿の口に入るかもしれないとあれば、当然のことともいえる。


「一昨日贖ったものでございます。」


「・・・・・・あいすまん。」


「旦那様が一所懸命に作ろうとしていることは理解しました。なので、食材については私たちも協力しますから、どうぞ、お声掛けください。」


女中頭の力強い言葉に、舟橋、感激も一入であったが、ここは侍。乱れるなどもってのほかで、静かに謝意を述べるにとどまる。


夜、床に就こうとする舟橋に、寝間着を整えた奥方が寄り添う。日中はさぞ心配をかけたと改めて詫びる舟橋に、奥方は及ばずながら力添えをさせてほしいと願い出た。あの出会いと別れをよく語る舟橋をみた奥方は、共に体験したわけでもないが、そういった体験をしたのであれば、旦那様にはその思いを大切にしてほしい、でも、わたしも同じようにしてほしいと。いかん、うちの嫁さん超かわいい。上目遣いのうるんだ瞳。行燈から漏れる淡い光(蔵から出したごま油)。桃のような香りを放つ妙齢の彼女を抱きしめて、そのまま寝るにはもったいなさすぎる。千葉殿も言っていたではないか。うん、数打てばいづれ当たるのだ。そういうことだから、失敬、これ以上は語るに不忍。


翌週、鍋ができたというので、鍛冶職人のところに取りに参った舟橋だが、その出来に驚愕した。ただの調理用具に施された彫金のすばらしさ。職人も、なかなかいい出来だと胸を張って引き渡してくれたが、鍋を振るにあたって、この炎の彫り物はいずれ消えてなくなっていくだろう。五徳もそうだが、筒状のそれに鍋を当て込めば、こすれるなんて、わかりきったこと。しかし、受け取らないというのもあまりに酷、ということで受け取ったはいいが、はて、この鍋をどうしたものか。と思って、当て込んでみたら、五徳と鍋に掘られた炎が見事に合致するつくりではないか。なべ底には炎の神を彩ったとされる左三つ巴の紋が彫られている。ついでに小さいお玉も作ってもらった。やや、これはこれは、、、、かっくいい。


ということで、後生大事に懐に抱え、屋敷に戻ろうと踵を返した舟橋だったが、鍋を使うにあたり、これ用のかまどをこしらえなければならないことをすっぽし忘れていたことを思い出した。ひとまず、藩邸に寄って、無理やり開けてもらっていた小屋の一角に水桶、作業台、かまどをこしらえる算段を整えようと、つま先を藩邸に向け、足早に江戸の町を駆け抜ける。善は急げと慌てたところで躓いた。が、大切な荷物を持っていたため、それを守ろうとおかしな格好で倒れこみ、手をついた。概ねのパターンであれば、ついた手を怪我してしまい鍋が振れないといった事態を想像するが、そこは舟橋。手をつき、虚を突かれ、当たってはいけないところを突かれた。鉄製のお玉が当たったところ。彼の大事な股間であった。


這う這うの体で屋敷に帰った舟橋は、道中、大事なところをぶつけたなどと口に出せず、荒い息と共に、目を見開き、脂汗を浮かべ、大事なものを抱えつつ(物理)、大事なものをそっとした(自身)。彼を迎えた奥方は当然心配するわけだが、頑としてことを明かさない舟橋に、話せるようになったら告げてくださいと、気遣いを見せ夕餉の支度へ戻った。


夕餉を終え、一息済んだころ、ようやく自身の大事なところも落ち着いてきた。帰り着くなり心配をかけた手前、弁解の一つも必要と奥方を呼び止めた舟橋だが、どこで話そうか少々悩み、結果、私室に連れ込むことにした。


「旦那様、いったいどうされたのですか。」


実はかくかくしかじか、事情を説明すると、奥方の顔が明らかに赤くなってきている。いや、事実であるし、心配をかけた手前、説明せねばと思ってのことだったが、迂闊にも生々しい男の事情を妙齢の女性にするなど、ちと配慮が足りなかったと後悔しきり。ただ、大切なものであることは確かだし、最近、相当活躍をしているので、説明しないわけにもいかずどうしたものやらと舟橋は悶々とし始める。すると奥方が反応を見せた。


「どうなっているか、見せていただけますか。」


いや、見せるって、そりゃあ見せるどころかもっと激しいところまで使っているものの、いや改めてみせるとなると良いんだか悪いんだか。布団の上でお互い見合っている状態だったが、ゆっくりと押し倒され、着物の裾をめくられると、確認したいといった奥方の気持ちを慮るにいや、恥ずかしいなぁ、これ。


「こんなに大きくなってしまって、さぞたいへんだったのではないでしょうか。」


いや違う、それはぶつけた影響ではなく違う影響でその、大きく、、、、、。


あまりこれ以上を語ることはなろう的にも憚られるので真の意味で割愛させていただくが、舟橋の名誉のために一言申し添えを許されるのであれば、とにかく性能については、正常に動作することが奥方によって確認された次第である。良いこのみなは、あまり深く考えずにそのままでいるとよい。いるとよいぞ。


米沢藩江戸藩邸の一角では、かつて物置小屋だった場所を工夫し、藩の未来を担う実験場として、賑わいを見せていた。とはいえ、まだかまどを設えたばかりであり、実際の役目を追うにはもう少し時間がかかると担当する侍、舟橋源太左衛門は言ってのける。このものが考案した強火力かまどは、石組みに三和土を塗り付け形成をしたもので、五徳も鉄の筒を使うといった特殊仕様となっている。安定した火力を導くため、燃料の投入はかまどの上面から三方に設けられた穴によって行われるため、バランスの良い火力が維持できるようになっている。この後、すでに出来ている水場、洗い場、加工場、ゆで場に、小さいながら食堂を備える予定だが、食堂部分の築造が全く手を付けられておらず、台所のみの奇妙な姿をとっていた。が、せっかくできたかまどの試験と称して、先日舟橋が作り、奥方共にしばかれた中華がゆ失敗作の再現を行うことになった。手伝いに、舟橋家の奥方と、女中が2人来ていたが、いずれの者たちも汗みどろにかまどに立つ舟橋を支えるべく、きびきびと動いていた。


土間に簡単な机を設けた食堂(予定)では、殿と香坂、蓼沼とほか侍一行が香ばしいにおいの漂う小屋のなか、失敗中華がゆの完成を今か今かと待ち構えている。昼時ということも重なって、腹の減った侍がこぞって待ち構えていたが、中でも上機嫌なのは殿こと上杉勝興その人であった。


「中華がゆではないにしろ、それに似たようなものが食せるとは楽しみで仕方がない。」


源田オリジナルを食い損ねてしまった勝興は当然であるが、香坂と蓼沼も先ほど来、そわそわと、否、ちゃっかり酒を用意しているではないか。


「香ばしいあのかゆが元なれば、朝餉ではなく、酒のあてにピッタリではないかと思い立ちましてな。」「然り、然り。」


「ご両名。某は元服したばかりで酒のたしなみ方をよく知らぬ。ご教授願いたく。」


勝手に盛り上がっているが、焼き中華がゆ(仮)はすぐできる故、おとなしく待たれい。と、ほれ、できた。


前回はどんぶりだったが、今回は、木の平皿に盛られて皆に提供がなされた。湯気と香の立つ焼き中華がゆ(仮)の完成である。まずは出来上がった3人前。勝興、香坂、蓼沼の前に並べられた皿には、出来立ての焼き中華がゆ(仮)が盛られていた。


今回は、試作第一号の製法をもとにだいぶ各方面を整理して完成品としたものを殿に出している。具材は、濃口醤油、みりん、酒、ネギ、生姜を合わせた汁に猪肉を落とし、ゆっくり煮込んだものを細かく切ったもの、江戸よりいくばくか離れた深谷でとれた長ネギ、そして、舟橋の屋敷でとれた鶏卵を使い、味を猪肉煮で使った汁に山椒を加え、ごま油と猪肉を加工する際に出てきた猪油で火を入れた。コメは、仙台藩から賜ったコメを使っているが、これがなかなかの味で、うまいこと油を吸い取りつつ、ギトギトにならない上品さを持っていた。


握りしめた匙に力がこもる。一口分を掬い取り、熱いエネルギーを放つ一盛りを口腔に放り込むと、そこには楽園が広がった。3人のうち、一口目を放り込んだ香坂の弁である。


かゆと思って食すと度肝を抜かれるが、こういった料理と思って口にすればほれ、今までの日乃本にはない香ばしさと滋味にあふれるうまさに襲われる。酒は何が合うだろう。大七だろうか。それとも最近蔵出しがかなった綾杉?とにかく、手が止まらん。あぁ、うまい。


目からビームが飛び出る某漫画のようにはならなかったが、初手香坂が見事に呑まれたのを皮切りに、勝興も蓼沼も手を付け始める。ほかの者共も、我にも一皿いただきたいとせがんできたので、かまど周りは大忙しとなった。男舟橋、武芸のほかにこういった才に恵まれていたらしいことを自覚した瞬間である。戦働きもない今となっては(江戸中期)、こういったことで功を揚げるのも悪くはない。武士としてはいかがなものかと思うところもないではないが、藩の、民の、ひいては日乃本の文化と、健康を考えれば、素晴らしい行いだろう。こみあげてくる何かをぐっとこらえ舟橋、立ち焦がれている者の為にも、鮮やかな彫金が施された鍋を振り回し続けた。


舟橋が御膳方と呼ばれるようになってしばし、さすがに焼き中華がゆ(仮)一品だけでは、研究を続けるに不足と思うようになってきた。何か使えぬかとひとしきり考えてみたが、今はとにかく猪肉の醬油煮(チャーシュー)が人気で、単独でも食いたいという希望を受け、仕込んでいる真っ最中であり、これをとにかくどうにかせねばなるまい。ということで、結構な量を煮詰めていたのだが、量が量になってしまったので、使い終わった汁を持て余すようになってしまった。肉のうまみもしみ込んでいて、醤油とはまた違った風味もあり、とにかくうまいのだが、とにかく余る。そのまま捨てるのも忍びなく、魚料理やら漬物にも試してもらったが、使いきるには至っておらず、なにか妙案がないだろうかと試行錯誤を繰り返していた。


ふと、飲んだらどうなんだろうと思い立ち、小皿から直に飲んでみたものの、しょっぱすぎて飲めたものではない。では、薄めてはどうか。手近にあった湯を掬い、椀に大匙の煮汁、適度なお湯、香味付けに刻みネギを少々、と。焼き中華がゆ(仮)に合わせて出したらうまいんじゃないかという思いも胸に一口すすってうまい。ちょっとまで、とんでもないものを拙者作り出してしまったかもしれん。これにうどん入れたらもっとうまいんじゃないだろうか。あぁ、膳は急げだ。早速小麦を練ろうではないか。


おかしい。うどんを練っていたら、白い麺ではなく黄色い麺が出来上がったのだが。


完成したうどん(黄)を目の前にしてひたすら首をひねる舟橋。普通に練っただけなのに、なぜに黄色いうどんが出来上がったのかさっぱりわからない。なにも、古いものを使ったわけでなく、この台所にあったものを使っただけ。とりあえず口にしていいものか判断がつかなかったので、いきなり食すことは避けてみたものの、この失敗作を如何にするかは、どのみち決めなくてはならない。ひとまず、練り水が余っているので、これでも飲んで落ち着き苦っ。


舟橋は、うどんを練る水に猪肉の醬油煮(チャーシュー)のあく抜きで使った水をそのまま使ってしまったのである。とりあえず、謎は解けたが、この苦水であれば、おそらく食えるものが出来上がったはずで、捨てるという最悪の行為はひとまず回避ができると胸をなでおろした。幸い、できたうどん(黄)は照りや弾力は申し分なく、なんとなく香ってくるものもかなりいいものになっている。直感で食えると感じた舟橋は、おもむろに麵切り包丁を持ち出すと、程よい太さに切りはじめ、やがて茹で始めたのである。まともなうどんにはありつけなかったが、まぁ、食えるのであればよかろう。概ね茹であがってから、水で絞めて、もう一度茹で汁で温め直し、さっき作った汁に入れて、あぁ、どうせなら猪肉の薄切りを乗せて、臭み消しにネギを少々。うん、立派なうどんの出来上がり、と。


後世の人は、この舟橋が間違えてうどん生地に投入した水をかんすいと呼び、中華料理の金字塔とも言って過言ではない料理に現在でも使い続けている。このかんすいを使って練られた麺を使った麺料理のことを現代人はこう呼ぶ。ラーメンと。


大失敗のうどん(黄)は、失敗から生まれたにしては大がつくほどの発明をしてしまったと感動に打ち震えた舟橋であったが、かんすいは舟橋が初めに発見したものではない。実はこの時代にも探せばあったのである。舟橋は知らなかった。ただ、美味いものができたのは事実で、独りよりも二人、この感動を分け与えようと余った麺を使って奥方にも食してもらったところ、あまりに黙々と食し続けるので、舟橋は思わず、いかがされた?と質問してしまった。


「おいしいれふ。」


うちのよめさんかわょ。もとい、この麵料理は絶対いけると確信をもった舟橋は、急ぎ筆をもち、作り方の記録をしたためた。再現できなければ、吟味役の面目が立たない。それは必死にしたためた。おかげで、裏で煮詰めていた猪の骨が溶けてしまったことに気づかなかった。


せっかくの骨も何か出汁が取れるのではないかと思い立ち、大鍋に砕いた骨を放り込んだまではよかった。わざわざ血の成分である髄を取り除いたのだから、結構な手間もかかっていたのだが、それを煮詰めている最中に、天変地異が起こってしまったことで、外で煮ていたことをすっぱし忘れてしまっていた。せっかく放り込んだ生姜、ネギ、ニンニクはもはやドロドロに溶け、骨も細かくなって湯に溶け込んでいる。漉して使おうかと思ったが、ちょっと待ってほしい。独特の香りは何だろう。臭いことは確かだけど、臭い中にも芳醇というか、脳に来るものがある。ちょっと味見しうぱ。


もう皆さんお気づきであろう、舟橋が図らずも完成させたものは、豚骨スープそのものである。のちに舟橋、このスープと猪肉の醬油煮(チャーシュー)汁を組み合わせたうどん(黄)を完成させた。皆考えることは同じというか、日本人の悪食さなのか、行きつくところは同じとなった。いわゆる醤油豚骨太麺ラーメン、家系の爆誕である。


誠天晴。舟橋は見事、某の命に従い、新しい文化を食によって切り開いた勲功は抜群である。食を考える御膳方吟味役は、藩にとっても要職として設けつづけるべき役職であることは、自明の理。此度の作品完成を尊び、褒美を取らす。また、研究用の小屋を御膳亭と名づけ、看板を許す。


まじめに取り組んでいたら、なんか結果が出てしまった舟橋であるが、そもそもの目的を忘れてはならない。拙者、中華がゆを再現しようとしていたのでござる。久しぶりに奥方の作った夕餉をともに食していると、ここ最近のいろいろなことが走馬灯のように頭の中を駆け巡ってきた。はじめは奥方にもしばかれて、でも、力を貸してくれて、思わぬ失敗からうどん(黄)が出来上がり、さらに味も広がった。だいぶ遠回りもしたが、今なら源田のかゆが再現できるような気がしてならない。のう、明日の夕餉なんだが、拙者が、、、ん、どうした?


奥方が突然青い顔をし始め、ごめんなさいと夕餉の席を外すと外に飛び出し吐き出したではないか。すわ、毒でも盛られたか?と思ったが、自ら作ったものに毒など仕込んでなんとするか。で、あるなら拙者がまず倒れて然るべき、いや、そんなことをしている場合ではない。大丈夫か?


外に飛び出た奥方を介抱しようと近づいてみると、女中がすでに面倒を見てくれていた。突然、青い顔でと女中共に告げようとすると、旦那様は黙ってお戻りくださいと無碍もない。素直に戻ってみるものの、一人の膳は何とも寂しいもので、黙々と夕餉を平らげた。食後の一服、茶をたしなんでいると、女中が一人拙者のもとに。つづいて奥方が帰ってまいったが、さっきの青い顔から一転、今は素敵な笑顔が浮かんでいる。何事だろうか。


「旦那様、ご懐妊でございます。」


うれしさから叫びすぎて、鼻から小松菜が飛び出た。鼻は痛いわ恥ずかしいわでもう。


かくて、舟橋家存続は叶い、この後、舟橋と奥方の間には、3男2女をもうけるに至る。それぞれの子供たちは、舟橋の、料理の恩恵からかとても頑丈に育つことができ、長男はそのまま舟橋家を守ったが、次男は養子に出されるに至った。養子に出した次男の姓は舟橋から変わったものの、生家である舟橋家との縁は切れることなく続き、舟橋が殿から賜った御膳方吟味役を引き継ぐに至った。舟橋次男がこの役目を引き継いだ頃には、米沢藩は財政改革を行っている真っ最中で、かなりの倹約をしたと記録にあるが、一菜一汁の中身は、富に考えられた内容となっていた。おかげで脚気はおろか、栄養からくる病気も壊滅、風邪や流行病なども受け付けない頑強な体を持つ民がその辺にごろごろ存在する藩となる。そして、中華鍋もそのまま引き継がれるに至るのだが、時がたつにつれ、中華鍋の取っ手と、本体をつないでいた鋲がもげ、鍋としての使命を終えるのである。また、米沢藩江戸藩邸も、緊縮財政の折、一部を人手に渡さなければならなくなり、舟橋の拠点であった御膳亭も更地となってしまった。残ったのは、取っ手の取れた中華鍋。それ自体は、歴史と共に忘れ去られ、米沢の地で眠りにつく。


時は流れ、現代。TVでは、とある古い邸宅の蔵から江戸時代中期の変わった兜が発見されたと騒ぎになっていた。TVに出てくる考古学の教授曰く、陣笠のような形に彫り物を施した当該発掘品は、頭頂部に左三つ巴の紋が彫られていて、周りにも何かの彫刻があったと思われるが、稽古か合戦か、こすれて消えてしまっているので、はっきりとした用途はわからない。ただ、ふちに穴が開いており、これにひもを通して固定していたのではないだろうか。さびていないのは、おそらく油をしみこませた事によって・・・。


「これなんだが、うちの母方の爺様んとこから出てきた代物でな。表書きのある白木の箱に入っていたんだが、なんと、舟橋の署名と源田の名前があるんだわ。」


流れてくる映像を指さし、語る男。なんてことない源田その人である。千葉、高津、大場の三人は、赤ら顔でおぉ、などと関心を寄せているが、酒が相当入っていることもあって、へべれけそのものである。狐之巣の厨房からほどなくチャーハンを持ってきた源田は、つまみが足りないと喚き散らした3人に皿を出しつつ、そう答えた。


「なんでぇ、勝興はあんなもんを舟橋にかぶせて何をさせていたんだ?」


千葉は、素直な感想を述べていたが、渋い顔を浮かべているのは源田本人。


「いやな、それで気になって、色々調べたんだが、どうも舟橋、俺のご先祖様だったらしい。ただな、」

「はぁ?」


舟橋家から養子に出された次男坊、後に御膳方吟味役を舟橋から引き継ぎ、米沢藩の改革を裏で支えた立役者になったのだが、その養子先の氏が源田であった。大事な次男坊を養子に出した舟橋も、源田という氏に思うところがあったのだろうか。こうして、後世まで残った舟橋の血筋は、現代まで続くことになったのである。そして、源田は指摘する。TVを指さして。


「ありゃ、兜じゃなくて中華鍋なんじゃないかと思うんだよなぁ。」



これにて江戸前ライブ!!完結となります。お付き合いいただきありがとうございました。

初投稿作品ともあって、まともに終わるか心配もありましたが、どうにか外伝まで書き上げることができました。プロット作っている最中はまさか、外伝まで書けるものになるとは思ってもみませんでしたが、それ無いrに楽しんで書けたのではないでしょうか。

次は、何書こう。

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