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3章16話 ヘレナ・エヴァルミラ・ルルイエの手記6

 深夜、ルルイエの北西部の森は静まり返っていた。

 ドレスの上にフードつきのローブをまとっては来たものの、私は思わず寒さに身を震わせる。

 折れそうなほどに細すぎるから、寒さに弱いのではないかとアーサーに余計なことを言われた記憶が蘇る。どうせ私は小柄で貧層だ。

 白い婚姻を行ってから一年が過ぎ、もうじき十九歳になろうというのに、この体が女性らしさを増すことはなかった。

 自分の心もそうだ。どんなに知識を蓄えようと、王妃として強く振舞おうと、私はいつまでも、闇の中にぽつんと立ち尽くした少女のままであるような気がする。

 こうして城を抜け出してしまうのも、目的のためとはいえ、自分の子どものような部分を抑えきれないからかもしれない。

 すべては魔脳マグダラを神として信仰する『脳光福音団』と亡神の再来による救済を教義とする『ルルイエ純血教団』の対立の火種となるであろう、ある目論見を潰すためだ。

 信頼できる部下でもいれば、誰かに頼めただろうが、誰にも頼めない以上、仕方ない。

 息を殺しながら進むと、小さな小屋のようなものに辿り着いた。

 最近、魔脳の水晶碑の周辺に爆弾をしかける事件がいくつか起こった。

 王都のなかでは死者が一名出てしまい、人々が安易に魔脳に近づくことができなくなっている。

 そして驚くことに犯人を突き止めようにも、証拠もなく、そして神の遺した叡智、全知全能であるはずの魔脳マグダラがなぜか、その犯人について真実を答えることがなかったのだ。

 魔脳マグダラがエラーを出したことなどなかったのに。

 魔脳の構造が解析されていないこともあり、その原因究明は不可能だった。

 そして他の問題に関しては正しい解答を返すことによって、人々はその違和感を一旦封印した。

 しかし、魔脳マグダラがこのような緊急事態について正しい答えを返さなかったことは、国中、そして世界に大きな波紋を呼んだ。

 さしあたって、この事態は『ルルイエ純血教団』を喜ばせ、『脳光福音団』を焦らせることとなった。

 初めて神が残した叡智にありえなかったはずの欠陥が見つかったからだ。

 そして物理的にも、魔脳マグダラのアクセスポイントが破壊されるかもしれない事態は国民に不安を与えた。アクセスポイントに遠隔通信を行える小型端末さえ持たない国民は、特に恐れおののいている。

 魔脳が真実を暴けないのだとしたら、誰かが暴くしかない。

 しかしそれは亡神信仰派でも魔脳信仰派のどちらかであってはいけない。

 確実に私刑を招いてしまい、陣営の力関係と世の中への影響力がまたもや変動し、対立の余波が広がってしまうからだ。

 回収した爆弾の破片から、ネクロノミコンを解読して最近ようやく身に着けた追跡魔術で関与した犯罪組織の居場所を辿った。

 私は足音を立てぬよう、小屋を窓の外からうかがう。

 そのとき、ひやりと冷たいものが首に当たった。

「おや、王妃ヘレナ様自ら、ここに出向くとは……これは楽しい夜になりそうですな」

 刃物だ。首筋に近づいてくるそれを恐れる暇もなく、私は瞬時に詠唱を行い、背後の男めがけて炎の魔法を撃った。

「ぐはっ!」

 男の腕が軽く焼けて後ろに吹き飛ぶ。私は強気で言い放つ。

「軽いやけどだから心配する必要はないわ。薄汚い下手人と言えど、民を傷つけはしない。ただし……お前たちが自分の罪を素直に自供するならばね?」

 私はそう言いながら、邪魔になっていたローブを脱ぎ捨てる。

 組織の構成員が周辺の森に身を隠していたのか、ぞろぞろと現れ始めた。

 多勢。だが、魔術さえ使えれば問題はないだろう。

 そうは思いながらも、ふと体が震える。

 ああ……そうか。

 私は結局、男が怖いらしい。教会で起きたクーデターのときも、こうも多勢の男を相手取って戦ったことは一度もなかった。

 だが、怯えている暇などない。誰にも頼らず、自分で解決すると決めたのだから。

 これも、私の英雄アーサーを国内の問題から守り続けるためだ。

 憧れの彼をこんなくだらないことに巻き込んで、時間や心を浪費させたくない。

 彼が、私だけの英雄になってくることがないとはわかっている。

 だからこそ、永遠に献身を尽くすしかないのだ。

「余所者の王妃様が馬鹿げたことを。探偵ごっこで命を落としたなんて笑えるなぁ!」

「生意気だが、女としちゃ、上玉じゃねえか!」

「殺す前に、俺達でかわいがってやるよ。もし生きてたらな!」

 怒りと恐怖に内心震えながらも、私は表面上、平静さを維持して詠唱を始める。

 威力の強い魔術を放つのは簡単だ。

 だが、敵を殺さずに生け捕りにするならば、手段を選ぶ必要がある。

「元気がよろしいこと。では見せてあげるわ、魔女の本懐をね!」

風の魔術で、武器を落とさせるための詠唱を行おうとしたが、カチリ、とどこかで音がする。

それと同時に小型爆弾が飛んできて、目の前で爆ぜ……。

「……!」

 声にならない叫びをあげた瞬間――煙が私の周りを覆った。 

 いや、これは煙の龍だ……。

「炎龍!?」

 煙がゆっくりと晴れていくと当時に、煙管を携えた長身の男が現れ、こちらをわずかに振り返って言った。

「ご名答。……って、もう何度目やねん。毎回人に来させといて、いい加減驚くなや」

 そして瞬時に炎龍の操る煙の龍は小型爆弾に噛みついた。壊れた爆弾は爆ぜることなく、瞬時に周囲に灰となって霧散した。

「なっ……なんだ!? 爆弾が灰に!? 一体、コイツは何者だ!」

 構成員が明らかに焦った声を出す。

 炎龍はにやにやと人を喰ったような顔で私を見ている。私は肩をすくめ、途切れた会話を続ける。

「呼びもしないのに毎回来るんだもの。驚いて当然でしょう?」

 軽口を叩きながら、私は安心感に胸をなでおろす。

 自分以外の人間に、決して期待などしてはいけない。

 でも私はいつも、この男のことだけは……心のどこかで待ってしまう。

 何も頼まずとも、一言も助けてと言わなくても、自分を助けに来てくれる相手は、国内での利害が発生しないこの男だけだった。

 そして互いに背中合わせになる。

「それで妃殿下。どうなさるおつもりや?」

「全員、逃がさず生け捕りにする。あくまで『丁重』にね」

「ほう? それは、わが国における『丁重』と解釈してええんか?」

「構わないわ。感覚は人それぞれだもの。誰かと共有するのは不可能よ。忌み嫌われし魔女と、東方の龍を操る皇帝とあらば、尚更ね?」

 ふん、と鼻を鳴らして、炎龍は構えた。

「心外やな。妃殿下とは気が合うと思うんやけどなぁ? ほな、自分なりの解釈とさせてもらおか」

 そう言って彼が煙管を再び吸った瞬間、煙の龍が咆哮と共に現れ、辺りを席巻した。

 私は魔術の詠唱を始める。

この龍が息巻く限り、邪魔が入ることはないだろうから。


 犯罪組織の構成員たちを『丁重』に扱って拘束したあと、魔脳端末で王宮に連絡を取って護送隊が来るのを待った。

 疲れを感じて、近くに腰を下ろす。

 炎龍は私を見てあきれたように言った。

「何度言えば、勝手な潜入捜査をやめるんや? 一体どこの国の王妃が一人で捕物するねん」

「まだ五回目。いい加減、わかっているでしょう? 私はこの世界で唯一の魔術……ネクロノミコンの使い手よ。それをする能力と義務があるの」

「まるで他人事やな。自分の身を危険に晒しといて気楽なもんや」

「炎龍……その……」

「ん?」

 そういえば舞踏会以来、何度も私を助けに来たこの男に、まともな礼を言えていない。

 あのときは煙の龍に乗って竜玉公国の上空まで来たが、結局私を連れ去ることなく返してくれた。

 だが、この男はそれからも、何らかの方法で私の目の前に煙と共に現れる。

 礼を素直に言えば、代償に何を要求されるかわかったものではない。相手は竜玉公国の皇帝。下手をすると、国防に関わる大問題になってしまう。

 だからつい、『勝手に来たから』『別に頼んでない』。それを理由にして甘えている。

 でも、彼は恩着せがましいことを言うでもなく、気づけば助けに来てくれた。

 言いたい言葉を飲みこんで、迷った挙句に私の声は問いかけを発した。

「どうして、私をいつも助けに来るの? 何が狙い?」

「積み重ねれば、いつかは気が変わるかもしれんやろ」

「あなたに心を許して、私を救った英雄アーサーを裏切って、竜玉公国の后に……?」

 炎龍はうなずくこともなく、ただ私を見つめた。

 その目には少しだけ憂いがあった。私は肩を竦めて言う。

「まだそんなことを言っているのね。そういうあなたのほうが、先に気が変わるに決まってる」

「お前に興味をなくすと? ありえへんな。一度目を付けた霊廟は暴くまであきらめへん」

「さすがは名だたる墓荒らし。悪いけど、この『霊廟』にろくな宝は眠っていないわ」

「それは暴いてみるまでわからんやろ」

 炎龍は少しだけ私に近づいたが、そのまま静止した。

 この男はダンスの時以来、必要以上に私へ近づくことはない。必ず、一定の距離を保つ。

 煙の芳香に頭がしびれそうになる。どうしてかこの香りは懐かしく、私を癒す。

少しだけ頭がぼうっとして、呂律が甘くなった。

「なら……あなたが教えて下さる? 私の中に一体、どんな宝が眠っていると思うのか」

 炎龍は一瞬目を大きく見開いて、なぜか気まずそうに私から目をそらして耳の後ろを掻いた。

「はぁ……そういうとこやで」

「何のこと?」

 降ってきた声は少しだけ苛立ちがにじんでいた。

「無垢な顔で、人を誘うようなことを言う。触れさせる気も、応える気もないくせに。どこまで無自覚や?」

 青天の霹靂のような言葉に、私は思わず声を少し荒げて反論する。

「そんなことしてないわ。あなたは頭がいいから、それに見合った言葉選びをしただけ。女が全員、自分に言い寄るとでもお思い? だったら今すぐにその浅はかな考えを改めたほうがいいわよ」

 確かにとてつもなくいい香りの煙を嗅いで、少しばかりふわふわした気持ちになってしまったのは事実だが、それならば炎龍のせいだ。

「無意識なんがタチわるいな。『魔女』もあながち嘘やないか……英雄殿も大変や」

「バカなこと言わないで! 立派なアーサーはそんな妙な誤解をしないわ。あの人はルルドを愛しているし、私の英雄だから」

 呆れたように炎龍は肩をすくめた。

 その意味がわからず、私はさらに問いかけようとしたら、炎龍は煙管を再び軽くくわえ、煙を吐き出す。その煙の色から、去る合図だと悟った。

「ほな、再見……我が薔薇よ」

 煙に包まれ、また消える。

 ほどなくして、護送隊がやってきた。

 

 爆弾の実行犯たちを捉え、問い詰めた結果、指示を出していたのは『ルルイエ純血教団』の幹部に属する貴族だと発覚した。

 私は王宮議会で、目の前の情けない顔をした男を見下して、宣告する。

「ここに正式な処分を言い渡します。魔脳マグダラのアクセスポイントの損壊と爆破を行おうとしたあなたに爵位の剥奪、そして領地の没収を求めますわ」

「わ、私は悪しき叡智に人が頼ることをよしとしなきだけです! それに、何代もルルイエ王家に仕えてきた一族の私がなぜ余所者の王妃に……!」

「国民が魔脳マグダラにどれだけ救われているかご存知? 十分な資産や教育知識があるあなたがたと違って、彼らは魔脳に頼るしかないのです」

 そのとき、どこからか野次が飛んできた。

「石女の女狐王妃が!  王の寵愛を得られず、ヒステリックになるのもいい加減にしろ!」

 思わず下卑たその言葉には口を噤んだが、あえてニヒルな笑みを浮かべていなす。

「あら、そうかもしれませんわね……。ですが心配はご無用。ちょうどいい憂さ晴らしができましたわ」


 自室に戻ってから、大きな息を吐いた。

 政治で中庸を取ることは、あまりに難しい。

 必ず右か左、どちらかへの偏りが発生するのが世の常だ。

 完全なる中庸を目指すのは無謀であると、事ある毎に痛感させられる。

 だが、私以外にそれをする人間も、できる立場にある者もいない。

 ならばやる他にない。戦乱を再現しない為にも、傲慢な王族が弱者をほしいままに蹂躙しない世界を作るためにも……。

 魔脳信仰派と亡神信仰派の対立は深まるばかりだ。

 今回の騒動で、彼を追放したのはギリギリの中庸。 ある程度の処罰を与えなくては国民からの不満が生まれ、だが厳しすぎれば亡神信仰派から槍玉を食らってしまう。

 中庸思想の、宗教に依存しない議会を作るための協力者は少しずつ増やしていっている。

 宗教闘争を嫌う貴族たちや若手の政治家。

 とはいえ、まだまだ彼らの力も、私の発言力も弱い。

 一方で私を妃に祭り上げた亡神信仰派は早く世継ぎ……死した神々を復活させる力を持つという『救世の神子』を産むことを要求してくる。

 だが、形だけの白い婚姻で子供など生まれるはずがない。

 アーサーが寵姫ルルドを愛していることを言い訳に出来るので、亡神信仰派にはそのようにのらりくらりとかわし続けている。

 それでも、嫁いできたのに子作りもせず、政治にばかりかまけているのはアーサーとの不仲のせいかと心配されたり、ルルドに比べて少女のように華奢で豊満さに欠けた体型のせいにされたりと、無礼で面倒な言葉ばかりかけられる。

 どんなに国をよくしようと、国政を整えたところで、結局は子供を産むことのほかに、私は周りに何も期待されていない。

 誰も彼も、本当に放っておいて欲しい……。

 ここでも全く自分は自由に生きられない。

 人の目が常に張り付き、どちらの陣営にもつかないことによって、両方から好奇心や気まぐれな悪意を受け続ける。

 でも、ルルドというアーサーに愛されない理由があるのは、本当に都合がよかった。

「好都合……そうね。好都合だわ」

 ルルドの懐妊を知ったとき、感情が静まり返った。

 ただ、事実を事実として聞いただけで、アーサーとは本当の夫婦でもなんでもなく、政治で繋がっているだけの私には一切関係の無い話だ。

 たとえ過去、夢で私を救ってくれた英雄が誰を愛していようと。

 だが、ふと考えることはある。

 愛する人の子供を産むことがない私は、一体世界に何が残せるのだろう、と――。

 努力して、宗教対立を止められれば、それは功績となる。

 白い婚姻を解消して祖国エーデルヒに帰ったあともそれなりに功績を語り継がれ、女王として不足のない存在だとみなが認めてくれるはずだ。

 そうしてようやく、私を脅かす環境はなくなる。喉から手が出るほどにほしい安全が手に入るだろう。

 でも、そのときには同時に味方も、愛する人もいない。きっといつかは虚しくなる。

 そのとき、アーサーは隣におらず、完全な他人になっている。

 先まで見えるのは、ろくなことではない。

 政治的才能はあるかもしれないが、人としての幸福からは確実に遠ざかる。

 私は先日、うたた寝をしたさいに、アーサーに白い手袋越しに握られた手をそっとなぞる。

 突然の事で驚いたが、正しく対応できたはずだ。アーサーの博愛的な優しさからだろうが、あまりに強い力だったから、今もなお感覚が残っている気がする。

「寂しい? 勝手なことを言わないで……」

 寂しいのは私の方だ。いつでも……。

 チェス盤の前に座り、空の椅子に向かって声をかける。

「ねえ、空気が読めないの? そろそろ勝手に来てくれるかと思ったのに……炎龍」

すると、香り高い煙が椅子の周りにふきすさび、気づくと一人の美しい男になっていた。 「おっと、妃殿下。悪いけど、そこまで都合のいい男やないんや」

結局、寂しい時に会いに来てくれるくせに。

わずかに口角がゆるむ。

「この前は、ちょうどいい時に来てくれたじゃない。一体、どうやっているの?」

「それは秘密や。なんでも聞こうとするのは野暮やで」

 ふと思う。もし私が一人きりで祖国に帰ったあとも、この男は今のように優しく笑って、そばにいてくれるだろうかと。

 いや……さすがにそれは身勝手だ。

 私は夢の中で自分を救ってくれたアーサー以外を愛することは決してないのだから。

 早く、こんなずるい私を見限ってほしい。

 でも……私の乾ききった心からは、決して離れないでいてほしい。

「ねえ、チェスの相手をして」

「ええで? 今日は負けへん」

「あら、いい意気込みね。楽しみにしておくわ」

 これからも、私の心の奥を言葉にすることはないだろう。

 だが、この甘えきった矛盾を――目の前の男は初めから知っている気がした。


久しぶりの更新で申し訳ありません。閲覧いただき、まことにありがとうございます。

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