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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
92/97

惨禍

 雨音しかないキャンプ場にヴァッフの遠吠えがこだます。たった一つの咆哮に呼応してキャンプ場の背後に控える雑木林からも似たような遠吠えが立ち上がった。


 「クソ、最悪だ。すぐに出るぞ、朱燈!」

 「はいはーい、でもなんで!?」


 走りながら説明する、と千景は言いながらドアノブに手をかけ走り出した。それに朱燈が追随しようとした矢先、朱燈の目の前で千景はライフルの先端に付いていた防音装置を外し、天高くそれを掲げた。なにを、と朱燈が言うよりも早く千景は引き金を引いた。


 雨天に銃声が鳴り響いた。それは弾雨さながらに降り注ぐ毒の雨粒を引き裂き、轟く咆哮をかき消した。遠吠えは霧消し、再び訪れた静寂の中で千景は朱燈に向かって振り返る。


 「いいか、今からヴァッフの群れがここに集まってくる。朱燈は管理人小屋の屋根の上に隠れてろ。俺が死にそうでも絶対に飛び出すなよ」


 「はぁ?何言ってんの、あんた」


 「聞くな、聞き返すな、黙って従え。俺かお前かで言えば俺の方がお似合いなんだよ、こういうの!」


 言うが早いか千景は朱燈の足を一回りするように掴み上げ、抵抗する隙すら与えずに彼女を管理人小屋の屋根の上に投げ飛ばした。その直後、雨音に紛れて近づいてくる足音に気がつき、千景は振り向きもせず、その方向へ向かって銃口を回転させ、右手で銃把(グリップ)を握り、引き金を左手の親指で押し込んだ。


 ズドン、という音と共にこれまでとはまるで違う轟音を鳴り響かせ、鉄の筒から赤熱した弾丸が射出された。その音が鳴って間もなく、グシャっという音が背後から聞こえた。ようやく千景が振り返ると、そこには頭部が弾けたヴァッフの遺骸が転がっていた。


 よし、と一息をつく間もなく、次がくる。今度は一匹どころではない、もっと大勢の足音が雨音の中でくっきり、はっきりと聞こえ、踵を返して千景はキャンプ場の方へと走り出した。


 千景が走り出すと同時に彼に向かっていた足音も進行方向を変える。自分を追随しているとわかり、ひそかに千景はほくそ笑んだ。


 作戦は単純明快、ヴァッフをおびき寄せる餌に千景がなる、ただそれだけだ。すべてはヘリにヴァッフを集めないようにするため、朱燈からヴァッフを遠ざけるためで、それ以上の思惑はなにもない。そう、なにも。


 キャンプ場の中央、見晴らしのよい平地とポツンと立っている高さ4メートルもない低木が立っている場所に千景は陣取り、頼りない木を背にして霧の中のヴァッフが現れるのを待ちかまえる。弾丸は残り6発、その使い所が重要だ。ただ殺すだけではない、もっと効果的な使い方が望ましい。


 なにせ殺すだけなら影槍で十分なのだから。


 意気込み、再び千景は雨天に向かってライフルの引き金を引く。ダーン、と甲高い音が響き、科学薬品が爆ぜた香りが真下にいた千景の鼻腔をくすぐった。


 「さぁ、こいよ」


 霧の向こう側にヴァッフの影が浮かび上がる。おおよそ10体。思っていたよりも少ないな、と千景は訝しむが、すぐに後背から迫る足音を聞き取り、千景は影槍を展開し、背後の低木をの幹目掛けて刃を振った。


 未踏破領域の樹木ゆえに、その中身は非常に脆い。抵抗もなく、木が倒れ、その中身がほとばしる。クリーム状の液体、あふれたそれは背後から迫っていたヴァッフの顔面目掛けて思いっきりかかり、その視界を白濁に染めた。


 「おら、死ね」


 続けて千景は影槍を振り下ろす。断頭。スポーンと空のゴミ箱のように宙を舞うヴァッフの首をキャッチし、それを千景は霧の中から出ようとしている影の一つ目掛けて蹴り飛ばした。


 蹴り飛ばしたヴァッフの首は影の足元へ打ち付けられた。それを挑発と受け取ったのか、ヴァッフ達は喉をぐるぐると鳴らして威嚇してくる。それを嘲笑いながら、首のないヴァッフの遺体を影槍で持ち上げ、千景は再び投げ飛ばした。


 仲間への侮辱。もしヴァッフに人間的な感情があれば、千景の行為はそう捉えたかもしれない。事実、走り出したヴァッフ達からはそれと似た激情を千景は感じ取っていた。


 「はっ。獣風情がいっちょまえに」


 ——人間様の真似事してんじゃねぇよ。


 飛びかかってくるヴァッフの一頭目掛けて千景は影槍を突き出す。中空での回避は不可能。喉奥まで深々と突き刺さった影槍を振るい、それをモーニングスターのごとく千景は振り回す。


 グシャ、という肉が弾ける音に呼応して周囲のヴァッフ達が吹き飛んでいく。致命傷ではないが、手痛い一撃であることに変わりはなく、憎々しげに自分を睨む彼らを千景はさらに挑発した。


 影槍に突き刺さったままのヴァッフを宙へ投げ、それを器用に三等分し、落ちてきたそれらをこれ見よがしに踏みつける。そしてヴァッフの中から一体を次はお前だ、と言わんばかりにあからさまに指差した。


 ヴァッフ達の怒りは頂点に達し、集団の中の一体が遠吠えをする。呼応するようにして周りにいたヴァッフ達も遠吠えを始めた。直後、別々の方向からヴァッフのものと思われる咆哮が響いた。それは時間を置くごとに声が増していき、ダッダッダという地面の芝生を蹴る音が聞こえ始めた。


 「つ。多すぎだろ」


 周囲を見渡しながら、千景は悪態をつく。瞬く間にキャンプ場の芝生を踏み鳴らして現れたヴァッフの数は彼の予想をはるかに超えていた。


 いずれもJ1型のヴァッフ、中には北海道犬や秋田県を彷彿とさせる三角耳のJ3型も混じっているが、それは全体数で比べれば誤差でしかない。全体を占めるのは灰色や土色のJ1型で、それが軽く数えただけでも20は超える圧倒的な数で、グルグルと喉を鳴らし、よだれを垂らし、瞳をたぎらせながら集結した。


 余裕綽々と円陣を組み、ヴァッフ達は千景を取り囲んだ。今か今かと舌なめずりをして、数の有利があることを自覚し、どう料理してやろうか、と悪辣な企みをしていることがその下品な顔ぶれから嫌でもわかった。


 「おいおい、アンフェアじゃないの」


 そう文句を垂れながら千景は影槍を用いて奇襲をかける。取り囲んだ矢先、伸びてきた影槍の一撃は並んで立っていた二体のヴァッフを串刺しにし、地面に叩きつけた。余裕があったヴァッフ達にしてみれば、それは唐突で予想外の一撃だった。


 窮鼠猫を噛む、などという慣用句を矮狗(わいく)風情が知るかはわからないが、千景の行動はまさにそれだ。その事実にヴァッフ達は立ちすくみ、生じた間隙を縫い、千景は動いた。動けば死ぬ、と理解しているから。


 強撃がヴァッフの頭蓋を切り裂く。溢れ出した脳髄に血潮と泥が混じり、ストロベリーソースがかかったヨーグルトのようなクリームへと変わり果てた。


 引き金を引くと、銃口の延長線上にいたヴァッフの首が弾け飛んだ。脊髄が顕になり、芋虫のようにウネウネと動き、吹き飛んだ頭部は仲間の上に落ちてきた。犬の頭部でもそこそこ重い。それが空中から落ちてくれば砲丸と変わらない凶器となって、その背骨をへし折った。


 瞬く間に味方が三匹、四匹と減ったことにヴァッフ達は戦慄する。眼前のたった一人の「人間」に彼らは恐怖する。鳴らしてた喉の音が変わり、首を深く鎮めて戦闘体制を取った。


 窮鼠猫を噛む。所詮は噛むことしかできないのだから。


 暴れる千景目掛けてヴァッフ達は走り出す。一斉に、息を合わせて、雪崩のように襲いかかる。


 影槍を用いて千景は跳ぶ。いつだったかそうしたように地面を突き、その反作用で飛びあがろうとした。しかし勢いをつけて突き出した影槍は地面に沈んだ。


 「つ、柔らかぁ!」


 キャンプ場の土壌を考えればそれは当然の帰結だ。芝生なんて生えているんだから、その下が硬い岩盤であるわけがない。


 しゃーなし、と悪態づきながら千景は影槍に付着した泥をすくい、周りへ向かってそれを飛ばす。飛び散った泥のいくつかはヴァッフの目を潰したが、大半は止まらずにひた走る。


 「——クソ、この野郎」


 ライフルを構えず、無造作に千景は発砲する。それは直線上を走るヴァッフを縦一列に貫通し、土砂に沈めるが、他のヴァッフはそれを恐れるそぶりを見せない。


 舌打ちが自然とこぼれた。田舎の犬ならばこそ、彼らは銃を知らない。それが持つ恐怖、それを持つ人間の恐怖を知らない。仲間が死んでもせいぜい「ああ可哀想に、でも俺じゃなくてよかった」としか思わない。銃に対して無知である彼らが銃を警戒して距離をとってくれるわけもないのだ。


 ほどなくして、千景めがけて飛びかかってくるヴァッフがいた。牙と爪を立てて飛びかかってくるそのヴァッフめがけて千景は左手を伸ばす。その首を掴み、地面に叩きつけ、首を足蹴にして、千景は続くヴァッフめがけて拳を振るった。ジャブでもストレートでもなく、アッパーだったが。


 強化兵のアッパー、重機関銃を二丁まとめて振り回したり、高度1万メートル以上の高高度で風に吹き飛ばされずに戦える膂力のある非人間の一撃はヴァッフの顎を容易く砕き、その体は垂直方向に跳ね上がった。しかしそこで千景の動きは止まらない。まだ生きている顎の砕けたヴァッフの下顎を掴み、勢い任せに向かってくるヴァッフ達めがけてぶん投げた。


 「おら、まだ行くぞ!」


 それまでずっと足蹴にしていたヴァッフに影槍を突き刺し、千景はそれを近づいてくるヴァッフへ打ち付ける。ただ打ち付けるのではなく、頭から、つまり体の一番硬い部分を槌に代えて打ちすえた。


 常人であれば恐怖を感じるひどい戦法だ。おおよそ流麗でもなければ、アーツでもない。ただただ陰惨な恐怖を振り撒く行動だ。


 常人であれば、あるいは人であれば有効だったかもしれない。


 一撃が背後から入る。左肩にヴァッフが喰らいついた。顎に力が入ると感じた千景はすぐさまヴァッフの眼球に指を突っ込み、その中をかき混ぜる。ヴァッフが痛みから食いついた歯を外すとすぐさま、その首を掴みグルンと回転させてねじ切った。


 「——つ。いたぁああ」


 喰らいついていた時間が短いとはいえ、防寒ジャケットで防御していても痛いは痛い。なにより、この防寒ジャケットは背中に穴が空いている。防御力は銅の鎧以下だ。


 一度噛みつかれれば、続いて噛みつかれるわけで、最初に噛み付いてきたヴァッフを始末して間もなく、別のヴァッフが今度は右腕に噛み付いた。咬合力はさほどではないが、何度も噛みつかれれば繊維がほどけ、いよいよ肉が、骨が噛みちぎられる。


 「ほんと、さぁ」


 手早く噛み付いてきたヴァッフの下顎目がけて千景は膝蹴りを喰らわす。パンチで下顎を砕けるのだ。より強力な膝蹴りであれば、上下含めて粉砕される。顎を砕かれたヴァッフの始末をつける間、影槍を使い、背後から迫るヴァッフを遠ざけるが、それも躱されれば隙をさらすだけだ。


 苦難苦闘。殺したヴァッフの数は10を超えるが、それで他のヴァッフは止まらない。それどころか、勢いは増し千景の体に噛み付いた回数は増していった。


 「——クソ、いいかげんにうぜぇな」


 手の甲を汗ではなく、赤い血液が伝う。よく見れば噛みつかれたのは上半身だけではなく、下半身もだ。食い破られて、血が流れ、ガクンと腰が崩れて膝をついた千景はただ影槍とライフルだけを頼りに戦闘を続けようと再び立ち上がる。


 ——その直後だった。


 ——黒色の怪物が頭上に現れたヘリのロータオンをバックミュージックにして、降り立った。


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