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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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雨天行軍Ⅲ

 キャンプ場に千景と朱燈が到着したのは午前11時前だった。雨に打たれながら、キャンプ場の名前が書かれた大きな看板の横を通り、二人はその敷地に足を踏み入れた。


 「へー。これがキャンプ場。なんかだだっ広い訓練場って感じしない?」


 フードの縁を摘み、朱燈は霧が立ち込めるキャンプ場に目を向けた。


 彼女の前に広がるのは広い広い芝生の平野だ。時折その平野には木が一本、二本と立っていて、それは山の斜面まで延々と続いていた。


 御殿場市よりも高い場所にあるからかはわからないが、霧が濃く立ち込めていてその全貌を掴むことはできない。かろうじて山側に向き直れば雑木林があることはわかるが。


 閑散としている、という言葉が似合う何もない場所で、ふと脳裏で東京サンクチュアリにあるセントラルパークが重なったのはきっと二つの場所が似たような光景だったからだろう。


 何度か嘉鈴(かりん)やクーミンとセントラルパークに行った経験がある朱燈にはこのキャンプ場という場所が酷似しているように思えた。思えば、あのセントラルパークはサンクチュアリに引きこもった人類の外界への憧れが形になったものだったのかもしれない。


 ——くだらな。


 偽物の外界を崇めてなんになるっていうのだろう。希望を抱くのでもなく、2度と踏めない山野を想って絶望の肥やしにするだなんて馬鹿げている。どれだけ想ったところで、手に入れようと思わなければ結局は嘘っぱちのまどろみの中で溺死するのだから。


 「なぁに、黄昏てんだよ」


 パン、と不意に左手が朱燈の肩に乗った。振り返ると、空いている方の手で霧の奥に見える木造建築を指差している千景がいた。地面に膝をついていたのか、膝株のあたりに泥がついていた。


 「ずーっと雨に打たれたまんまだと風引くぞ。ただでさえお前は免疫機能が低下して、体調崩しやすいんだから」

 「わかってる。ただ」


 「セントラルパークに似てて気持ち悪いって?いいだろ、別に。外の世界に関心を持っているってことなんだし」


 千景に心のうちを見透かされ、朱燈は瞠目する。そんなにわかりやすく顔にでていただろうか、と自分の顔に触り、訝しむような目で彼を見た。


 当の本人は何事もなかったかのように振る舞いながら、ライフル片手に管理人小屋への道を進んでいる。心の中を見透かされるというのはする方はともかく、された方の気分はいいものではない。渋面を浮かべながら朱燈は千景の後を追う。心なしか、


 数歩歩くとモヤに隠れていた管理人小屋が姿を現した。千景はドアノブに手を伸ばしひねると、それは何の抵抗もなく開いた。


 「鍵、かかってない?」

 「錆びてんのかも?まぁ、なんでもいいけど」


 千景は苦笑しながらドアノブを引っ張り、中へと足を踏み入れる。やや、不用心にも見えたが、それも中を覗けば当然の行動だった。なにせ、中は無人で獣の鼻をつく匂いすらしなかったからだ。


 管理人小屋の内装は非常にシンプルで、待合用の椅子が並べられた部屋と受けつのためのカウンター、奥に休憩室がある作りだ。待合室にはキャンプ場周辺の見どころや自然を紹介したパンフレットがずらりとならんでいたが、それらは一つの例外もなく湿気で濡れ、取り上げようとしたらビリっという音もなくまるでパンを千切るような手軽さで破れてしまった。


 「ま、乾かせば読めるか」

 「え、読むの?なんで?」


 「そりゃ読むだろ。だってここの地域の情報が書いてんだぞ。どんなフォールンがいるかー、とかの情報も集めやすいだろ?」


 千景の言葉に朱燈は頷きながら背後へ振り向いた。入り口周りに目線をやると、自分達の足跡以外で芝生を踏んだ痕跡はなく、本当に何者もこの管理人小屋に近づかなかったことがわかる。


 千景が言うことは理解できる。フォールンが既存の動物がF因子によって化け物になった存在ならば、周辺の地理や環境について知ることは決して無駄ではない。


 それなら、と朱燈は扉を閉めながら、千景に問う。その手の動物はキャンプ場に降りてこないのか、と。


 「ああ、それか。うん、ちょうどそれを話そうと思ってた」


 朱燈に向き直った千景はそのまま彼女の前を通り過ぎ、窓の近くに寄って霧が立ち込めているキャンプ場を睨め付けた。窓際に寄ると同時に千景は弾丸を薬室へ納め、すぐに発砲ができるように準備をする。


 驚きを他所に反射的に朱燈も拳銃を取り出し、そのセーフティを解除した。フォールン相手には自殺目的でしか使えない拳銃ではあるが、牽制くらいはできる。千景に倣って窓枠で構える朱燈は視線をゆっくりと外へ向けた。


 霧の向こう、雨粒が弾ける向こう側を朱燈は睨みつける。うっすらとキャンプ場の輪郭が浮かび上がり、そしてその向こう側で何かが動いているのを彼女は見逃さなかった。


 それは千景も同じで、すぐに体を隠し、はぁ、と盛大に大きなため息を吐いた。


 「なにあれ?」

 「多分、犬型のフォールン。足跡の大きさ的にヴァッフかな」


 「ヴァッフ。それって」

 「ああ。初めて確認されたフォールンだな」


 スコープ越しに覗きながら千景は舌打ちをこぼした。朱燈も目を凝らし、霧の間際にウロウロと動く犬型のシルエットを視留めた時、同じように舌打ちをこぼした。


 ヴァッフは一般的な畜犬がフォールン化したフォールンだ。その種類は地域によって様々で日本だけでも八種が確認されている。複数匹の群れで行動し、場合によって数十匹の大所帯になることもある。元が犬だけあって嗅覚が優れており、雨の中でも遺憾無くその能力は発揮される。


 外観は種類によって様々で、今外をうろついているヴァッフは耳が左右に垂れ、尻尾を臀部に乗せているように見える。頭部が大きく左右に潰れた柴犬という表現が正しいかもしれない。


 「——J1型。標準的なヴァッフだな」


 その犬種の数から、ヴァッフは発見された土地と発見順の番号で呼ばれることが多いJ1型とは日本で最初に発見された個体という意味だ。能力的に他のヴァッフに優れている面があるわけではないが、極端に劣っている部分もない。日本産のヴァッフのスタンダードとも言える犬種だ。


 大きさは大体50センチ前後、全長は1メートル前後と一体一体の体躯はそれほどでもないし、銃床で顔面を殴りつけても、9mm拳銃で撃っても殺せそうだ。しかし、安易な手出しを二人はしない。なぜなら、たった一匹でヴァッフが行動しているなんてありえないからだ。


 「千景はそういえば、いつから気づいてたの?あいつがキャンプ場にいるって」

 「キャンプ場に到着してすぐ。芝生を見てみたら、足跡があった」


 あああの時か、と朱燈は膝株からすねにかけて付着した泥の跡を思い起こす。あの泥はそういうことだったのか、と理解を新たにする朱燈は不意に聞き慣れた回転音を耳にした。


 はっとなって彼女は頭上を見上げる。見えるのは管理人小屋の茶色い天井、しかし彼女の意識ははるか上空へと向けられていた。目を閉じ、耳を澄ませると確かに聞こえてくるそれは間違いようがなく、ヘリのブレードが回転する音だった。


 閉じていた目を開き、朱燈は千景にそのことを告げる。訝しむ千景だったが、朱燈に促されるがまま、目を閉じて同じように聴覚を研ぎ澄ませてすぐ、朱燈の言葉に同意し、ガバッと勢いよく立ち上がった。


 その直後のことだった。


 ——ヴァッフの遠吠えが雨天に響いた。


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