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序4

 序4

 

 兄が巫女に連れ去られて数刻。いつまでたっても母親は帰ってこず、残された二匹は巣穴の中で激しい飢えに苦しんでいた。

 ――乳も飲めずに、このまま死んでしまうのだろうか。

 はかない命と嘆き、ふっと雄がつぶやいたとき、牝が急に気配を消した。

 ――えっ、どうして? いったい何のまね……。

 訳が分からず惑う雄に、姉である牝のイイズナが言葉を投げかけた。

「あなたも気配を消しなさい。じきに邪な男がやってきます。彼に捕まれば催眠術によって操られ、悲惨な一生を過ごすことになりますよ」

 しかし末弟のイイズナには、どうやって気配を消していいのかわからなかった。目を瞑ってみたり、じっと動かずにしてみたものの、鼓動はとまらず逆に高鳴って、しまいには震えが起きはじめた。

 そうこうしているうちに雪を踏みしめる足音が近づいてきた。

 ――どうすればいいの。

 あまりの恐怖に狼狽え姉に縋りつくが、姉は気配を消して応答しない。


 雄はあきらめた。なるようにしかならなくならないのだと、観念した。

 生きるってことは、つくづく上手くいかないものだ。優しい匂いを感じて指を甘噛みし、巫女の手のひらに乗ろうとしたら、兄に押しのけられ、そして今……姉から見すてられた。

 心が壊れそうだった。

 これが血を分けた兄弟の姿なのだとしたら、もう兄弟なんていらない。末弟は冷たい兄弟を恨んだ。運命を呪い、いつか復讐してやると誓った。

  

 巣穴に手を入れてきた男は、熊殺しの異名を持つ漁師だった。粗暴で卑しく、残忍な心の持ち主だった。

 三匹いる猟犬を催眠術で操り、情け容赦なく支配していた。雄のイイズナもすぐに術をかけられ、猟師に逆らえないよう洗脳させられた。

 食事は日に一度。獲物をしとめたときには熊の肉をふるまわれるが、しとめられないと鞭で叩かれ水すら飲ませてもらえなかった。

 喉が渇き、心が渇く。

 猟犬もイイズナも、しだいに心が荒んでいった。具のない雑炊を出されただけで、意地汚くむしゃぶりついた。そのときにはイイズナの心から情けは消え、兄弟に対する恨みだけが増殖していた。

  

 そんな日々が続いた、ある日の夜。

 三日前に捕獲した子熊の母親が、突然小屋を襲撃してきた。三匹の猟犬は母熊の憤怒の一撃で倒され、唸り声を上げながら飛びかかったイイズナも、鋭い爪で斬り刻まれるように払われた。

 皮膚深く爪が食い込んだのだろう。白い体毛は血に赤く染まり、息も絶え絶えだった。三匹の猟犬も同様で瀕死の状態だった。

 母熊は、猟犬とイイズナに見向きもせずに小屋へ向かった。

 猟師が常の状態であれば、催眠術をかけて場を凌ぐのであろうが、泥酔していた。気がついたときには母熊が、怒りの形相で腕を振り下ろしていた。

 肉片が飛びちる。

 だが母熊の怒りはそれでも収まらないのかもしれなかった。続けざまに二発、三発と爪拳を薙ぎ払った。

 やがて猟師が人の姿をとどめていないのを知ると、母熊は天井を仰いで咆哮した。悠然と小屋を出、倒れながら睨みつけるイイズナを一瞥して山へ消えた。

  

 底冷えのする静寂が続く。

 夜が明け、朝日が山すそに昇りはじめた頃。瀕死のはずだった猟犬が、イイズナの元に集まり健気に傷口を舐めていた。

 イイズナが目を開ける。

 だが、その目はもはやイイズナの目ではなかった。内奥に激憤をひそませた半妖だった。

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