2
2
耳を欹てると、数間先の茂みから啜り泣く女人の声が聞こえた。
伝八も察知した。すぐに声の方向へ走った。灌木を掻き分け奥に入り込んでいった。四郎も続く。
町娘が、尻を丸出しにした官軍兵士に組み伏せられていた。傍らには血だらけの商人風の男と一分銀が無残に転がっている。
兵士が気づき娘から離れようとするが、伝八の動きは素早かった。近づくや否や信じ難いほどの早業で兵士の顔へ錫杖を突き刺していた。
四郎は、気を失った兵士の襟を掴むと腹這いにさせた。褌を抜き取り後ろ手に縛った。軍服は右袖に白線、長州藩士だ。伝八が一分銀を拾い集め、嗚咽のとまらぬ町娘に手渡した。
「泣くな。忘れよ」
娘が涙を拭って走り去る。四郎は男の襟首をもう一度掴み、腕を捩じ上げると立たせた。一物を剥き出しにさせたまま通りに出た。
「やめい、どこへ連れていくつもりなら」
兵士が叫ぶ。四郎は反対の手で城門を指さした。
「城じゃと、おんしは馬鹿か。わしは城門を警護する長州兵士じゃぞ。今なら赦しちゃるけん手をほどけ」
「ばかはどっちだ。この恥知らずめ」
伝八が、拳固で男の頭を小突く。
商家の手代と娘が城内へ献上品を持ち寄るのを見て、邪な企みを思いついたのだろう。一分銀は仲間への手土産だったに違いない。案の定、同じ軍服を着た兵士が四郎らを見て取り囲んだ。
「何のつもりだ、山伏!」
「見てわからぬか、西賊ども」
四郎は、騒ぎを目にした薩摩、土佐らの兵士にも聞こえるよう声を張り上げた。
「この者は罪もない商人を殺め、娘を奸淫した。これを西賊と呼ばずに何と呼ぶ」
伝八も続いて叫んだ。敵の真っただ中で怯まないのは覚悟を決めている証だ。四郎を見て、また例の苦笑いをした。それもそのはずで長州兵士らが一斉に銃を構えだしている。
一人が上ずった声を放った。
「黙らんか。直ちに兵を解放して去ね。さもなきゃ蜂の巣にしたる」
「そうはいかぬ。我らは城内へ入り参謀を懲らしめる所存」
四郎の言葉に長州兵のみならず、情勢を見つめる薩摩、土佐兵士からも驚きの声を上がった。
その遠巻きの兵士の中に一人異様な殺気を放つ者がいた。まともに受けると凍りついてしまいそうな殺気だ。もしかしたら猟師小屋以来、姿を伏せていた半妖の兄弟なのか。だとすればこの殺気は、ただの殺気ではない。妖術だ。たぶん鹿狩りでイズミが見せた金縛りだと思われる。
かろうじて四郎は躱したが、伝八とイズミがまともに受けとめてしまっていた。伝八の目はここにあらずで、まったく動く気配がしない。イズミは目だけを敵の兄弟に当てているが、やはり身体を動かせずにいる。
間違いなく金縛りだ。
唯一の幻術で対抗しようと思っても敵は想定し、身構えていた。まだ未熟、不意を突かなければまだ相手に術をかけられない。それなのに、もしここで究極の鎌鼬をかけられたら防ぎようがない。
そうこうするうちに四郎の手足もしだいに麻痺しはじめだした。
万事休すだ。きっと鎌鼬で全身を斬り刻まれる。
観念しかけたとき、城下から馬を飛ばしてやってくる者らがいた。途端に敵が呪縛を解いて気配を消した。
身体の痺れが解けた。伝八が我を取り戻し官軍兵士を睨みつける。だがイズミを見るとよほど歯痒かったのか、奥歯を噛みしめ兄弟のいなくなった敵陣を睨みつけていた。
四郎は消えた兄弟の気配を捜しつつ、馬群に振り返る。
やってきたのは両肩に合印のある土佐迅衝隊士だった。しかも白河口の手前で鹿肉を振る舞った一団。鬢から顎にかけて髭を生やした男を先頭に、参謀、板垣退助の姿も見えた。
「何を騒いちょる」
馬上から髭面の男が一喝する。
「こいつらは賊ですけん」
長州兵が熱り立つが、髭面の男は相手にしない。四郎に会釈した。おっとり板垣もやってきた。
「会いたくない御仁に、また会われましたな」
「某も会うつもりはなかったが、緩んだ官軍の箍を、今一度締め直してもらおうと見参したしだい」
板垣が一物を剥き出しにした男を見る。実状を把握したのか、銃を構える長州兵を叱り飛ばした。
「いつまで銃を構えずに、この者を捕縛して連行なさい」
長州兵が弾かれたように銃を下す。四郎らを警戒しつつ捕縛した。
「狼藉者を斬り捨てるかと思いましたが、甘いですな」
四郎は言葉に特別な意味を込めて非難した。
「他家の者の処罰は、難しいものがあるゆえ赦してくだされ」
「簡単には赦せませんな。官軍の蛮行に民が泣いている。もはや大将首を掻っ切らねば釣り合いが取れませんぞ」
「何じゃと!」
兵士が馬の蹄を鳴らして、四郎と伝八を取り囲む。
「およしなさい。また手首が離れますよ」
思いだしたのか土佐兵士が顔を見合わせ浮足立つ。長州兵もどうしていいのかわからず、忙然としている。四郎は板垣に向き直った。
「今一度、約束してくだされ。姦淫はせぬと、町民は殺さぬと」
「迅衝隊士は、白河でも棚倉でも狼藉を働いておりませんよ。会津でもするつもりはありません。だが他の隊には、今後も関知するつもりはない」
確かに、これまで土佐兵は懲らしめなかった。板垣は約束を守っている。だからといって、こうも頻繁に蛮行が繰り返されては腹の虫が収まらない。
「今までは裸で放り出すこともしたが、今後は殺す。それでもよいか」
「その行為は……まさか、きみらが白装束の義士と噂される者たちなのですか」
「おそらく」
伝八が笑う。その伝八を板垣が覗き込むように目を当てる。
「おや、きみは京で見た覚えがある。勝沼と宇都宮にも参陣しておりましたな」
「わしは知っちゅう、こん男は新選組の三番隊長の斎藤一じゃき」
隊士が言うと髭面の男が熱り立った。板垣を差し置いて抜刀した。
「新選組じゃと! なら仇、話が別ぜよ。叩っ斬っちゃる」
「ほざくな。我らを斬るだとー」
伝八が眉を吊り上げ、錫杖を構えた。四郎も錫杖を突きだし、じりじり左へ廻り込む。
板垣を含めて土佐兵士が七人、再び銃を構える長州兵士が六人。さらに遠巻きに取り囲む官軍兵士が十人以上いる。そのうえイズミは、先ほどの長州兵士の影響を引きずっているのか醒めたままだ。
でも勝算はこちらにある。四郎は板垣を射すくめた。策略に気づいた伝八も窘めた。
「板垣さん、配置を考えるんだな。いくら銃の狙いを定めても、あんたが盾となっている限り銃は撃てませんぞ。しかも土佐の側近は拙者が一撃で薙ぎ倒す。さて、どうされる」
「斎藤君。京の意趣をここで返そうと思いましたが、命拾いをしましたな。それと水間殿、これで鹿肉の借りは返しましたよ。戦場で会いましょう。次は容赦せぬ」
板垣が目を凄ませ、きっぱり言い放つ。だが表情は哀れみに近い。いくら剣の腕が立とうが戦局に影響しないと言いたいのだろう。悔しいが、それは伝八にもわかっているはずだ。
辺りが闇につつまれていく。天敵の存在も相まり四郎らの前途は暗かった。




