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29……許してゆるしてyurushiteYURUSHITE

忘れてたので手については28にちょっと書きました。

 全く理解ができなくて、健太は何かの冗談だと思った。窺うように理子の目を見て、何かを察した。どこかでその目を見たことがあったのだ。その狂人の目を。

 その既視感が自分自身の姿だと気づいて、健太から笑みが消えた。どうにもならない類の狂気だと知っているからだ。理屈が通じない狂気だと知っているから。

 不意に強い痛みが顔を突く。真っ白に光る視界に呆然として、健太は状況を確認する。鼻が何かに濡れていた。血だと分かり、自分が殴られたことを知った。

 ビートルズの名曲がどこからともなく聞こえてくる。

「くひ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 手が痛い! 痛いよ、お兄ちゃん! 痛いねえ、痛いね、健太くん! でも、生きてる! 生きてる生きてる生きてる! 生きてることを感じる! 感じるね?! ロマンチックだね! ドラスティックだね! 凄いね、凄いよ凄すぎる楽しいね! さあ、お歌を謡いましょう! 楽しい楽しいお歌の時間だよ。お、う、た、の、じ、か、んんんんっ」

 耳元に唸るモータの音が届く。低いような、高いような音だった。由紀の暖かみのある車椅子の音とは違う、耳の穴をつんざくような、無機質で工業的な音。健太は戻った視界でそれを見た。電動ドリルだった。緑色の電動ドリル。

 理子はアルコール消毒液でドリルの先を濡らす。それが自分に使うためだからだと分かり、ぞっと彼は青ざめた。

 全裸の理子の足元には旅行かばんがあった。小さく口を開けたカバンの中身が瞳に映り、健太は圧倒的な現実に息をするのも忘れた。あらゆる感覚が冷めていく。

 鈍く光るのは凶器の数々。尖ったものをとにかく詰めたような、重たそうなものをとにかく詰めたような、殺意を詰めたような狂気。

「愛してるよ、健太くうん」

 ゲラゲラと笑う声に、ドリルのギュルリという回転音が重なった。

 健太は砕けた腰で、地面に手をつきながら、距離を取る。外に出ようと思い、理子の余裕ぶった足取りに思い出す。扉は後払いで、外に出られない。

「なんだよ、どうして」

 最初からそういうつもりだったのか。何が彼女を変えたのか。疑問は溢れて止まらない。白いカーペットを汚す自分の血のように止まらない。顔の痛みは引いたが、恐怖に、絶望に頭が痛む。顔がゆがむ。汗が止まらない。

 健太は風呂場に逃げた。扉に鍵をかけて、ユニットバスのトイレにしがみついて、吐き出す。柔らかくなったスナック菓子が酸っぱい胃液とともに、便器を汚した。

「入ってますかあ? 入ってますよねえ? 扉開けちゃいまーす。開けちゃうぞおおおおおおお、ひゃっひゃっひゃ!」

 モザイク調の半透明な扉の鍵の部分が狂ったように、穴だらけになっていく。白いプラスチックの粉を吹きながら、金属の破片を飛び散らせながら、腹の底から笑うような声を届けながら、狂気の空間へと近づけていく。

 理子は音程を無視した声色でビートルズの名曲を唄った。他人を思いやる心こそが全てなんだ。そう唄いながら時折、獣のような声で笑う。

「生きてるって感じるでしょお? 今を生きてることを鮮烈に、鮮明に、扇情的に無理やり、強制的に、強烈に感じるでしょ? 恐怖とストレスが、今を、一秒を、百万分のいちの速度に感じさせるでしょ? それがね、それが生きてるってことなんですよ? 楽しいでしょ? 嬉しいでしょ? もっともっと命のありがたみを感じさせてあげるからね! だからね、だから、だからあああああああああ、開けろよクソがあ! オラオラ出てこいよ戸賀健太っ! いつもみたいに強がって見ろよ、金玉ついてんだろ? その顔でさああ!」

 折れた鍵が詰まったのか、苛立つように理子が何度も扉を蹴る。その度に健太は丸くなった体を何度もびくつかせた。

 あまりの恐怖に健太は耳に手を当てて、瞼をきつく閉じる。自分の鼓動の音に意識を傾けて、現実から逃避する。数秒ほどの無音が彼を包み、健太はゆっくりと目を開けた。扉を開けるために理子が別の道具を取りに行っているのかもしれない。そう思い、目の前に伸びた白い足に、声を失う。

 見上げた彼女の顔は冷静だった。理知的ですらあった。普段と変わらず、表情は薄く微笑んでいる。手に先の折れたドリルさえ握られていなければ、健太も普段の彼女と、悪い夢を見ていたのだと、錯覚したかもしれない。

「どうして泣いてるんですか? こんなに素敵な日なのに。私、健太くんにも、早くアレを見せてあげたいんですよ。生きていること、命のありがたさ、今という一瞬の大切さを知ることのできるアレを。黒い黒いアレを。それには生贄が必要なんですね。死に近づかなければ、アレは来ない。だからね、だから、一緒に逝きましょう」

 恋人が繋ぐように、ピアノの鍵盤を踊らせるように、由紀は健太の指を絡めとる。そして、ドリルを近づけて、笑った。

「二人だけのおそろいのリングを作りましょう。いっぱい、いっぱい、いろんなところに。だから、たくさんたくさん歌ってください。そうすれば、降りてくる。……降りてくる降りてくる降りてくる降りてくる降りてくるう! 空の彼方の星々から、私達の引力に吸い寄せられて、祝福をするために降りてくるっ」

 言い切らないうちに、つんざくような音がした。つんざくような音が出た。一つは壁を貫き、肉を糸くずのようにまき散らしながら、皮膚を破いて、骨を砕いて血しぶきを上げる無機質な機械から。もうひとつは痛みに、苦痛に、恐怖から、生を世界に知らしめるかのように、涙とともに出る。

 顔に飛び散った血を、肉片を、理子は泣きながら舐めた。叫びながら舐めた。健太の意思などお構いなしに愛を囁き、生死を囁き、歌を唄う。

 愛が必要なんだ。思いやる心が全てなんだ。呪詛のように、呪文のように健太の心と記憶に刻みつけた。

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