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27……こんにちは。畜生。

 白い日差しの中、由紀は花束を抱えながら腕時計を見た。時刻はお昼を回ったところ。今頃、健太が姉に食事をさせているところだろうと想像する。一人でやろうとして苦労している図が浮かび、彼女は笑った。

 病院の前では珍しい病気にかかったらしき子供が医者とカメラマンに囲まれて、硬い笑みを零していた。募金活動を駅前でしていたのを思い出す。渡米費用と治療費と入院費を募金でどうにかしようとするという胡散臭さがどうにも彼女には耐えられなかった。

 由紀は邪魔にならないように横を通りすぎて、病室に向かう。騒がしさが失われていくのと同時に、うるさいほどの静寂が彼女を包んだ。

「救う会、ね」

 何から救うというのか。生きる苦しみから救うというのか。いつか治るかもしれないという希望を抱くことから救うというのか

 人生を楽しき生きるコツは一秒後に心臓発作で死んでも、受け入れることができるような覚悟を持つこと。そう思う。どんな絶望であれ、狂気であれ、避ける事ができないと分かっていれば、人生に恐れることは数えられる程度のことしかない。

「こんにちは」

 ナースセンターの看護師に会釈して微笑む。顔見知りの看護師は不思議そうな顔で由紀を見た。どうしたのかと彼女が聞くと、看護師は面会謝絶の札があったからもう由紀がいるものだと思っていたと答えた。

 健太との関係をいつものようにからかわれながら、異変に由紀は考える。面会謝絶の札など今まで一度もなかった。健太の心に何かあったのか。

「あと一時間後に花瓶、持っていって上げるから、それまでにはイチャイチャするなら終わらせといてね?」

「もう興梠さん、そういってサボるつもりでしょ。早く持ってきてくださいね」

 病室に向かいながら最近、健太と何かあっただろうかと記憶を反芻(はんすう)する。先日、新居を選びに行った時は普通だった。ありきたりな平屋を買うことには防犯等の理由でずいぶんと反対してたが、それが原因だったのだろうかと悩む。健太の家から歩いてすぐの距離だったからという理由が一番の決めてだったが、考え直す必要があるかもしれない。そう思い、由紀は札を無視して病室の扉を開いた。

「こんにちは」

「あ、由紀が来たよ」

 カーテン越しに健太と車椅子に座った人の形が見える。彼女は白乳色のカーテンを引いた。

「あれ、不器用な健くんが一人でお姉さんを車椅子に座らせれたの? どんな魔法を使ったの?」

「こんにちは」

 茨木理子だった。車椅子に座っていたのは茨木理子だった。

「今日はオフなんですよ。私、けが人ですからね」

 そういって彼女は袖口を縛った片方の手を見せた。先がないことに由紀は困惑する。

 手首を切った上で脱出したというのか。直通のエレベーターは機能を停止させて放置してあった。となると方法は扉をこじ開け、自力で降りていくしかない。片腕で少しづつ、止血をしながら。

 ありえないと唇が動く。

「何が、ありえないんですか?」

「先生、事故に遭ったんだって、それで……由紀、どうしたの? 調子悪そうだけど」

「生理じゃないですか? あ、お花ありがとうございます。いい香りですね。健太くん、あとで花瓶を借りましょう」

 お前のために持ってきたわけじゃない。そう言いたかったが動けなかった。

 由紀は健太の姉の顔を見た。彼女の姉も今日は酷く大人しい。どこか緊張している気配すらあった。

 その場で理子を異物だと理解できていないのは、健太だけ。そう思う。

「健くん、席、外してくれる?」

「どうし……ああ、そっか。話し合いだっけ? 調子悪そうだけど大丈夫?」

「大丈夫だよ、大丈夫だから」

 満面の笑みだった。由紀の満面の作り笑い、それを見透かしたように健太は一瞬だけ、顔を曇らせた。

「分かったよ。ちょっとタバコでも吸ってくる。そうだね、三十分くらいしたら来るから」

「健太さん、タバコはほどほどに。肺に入れてなくても、害がないわけじゃないんですから」

 まるでお前のことだなと由紀は失笑したくなる。害虫の癖にと。

 健太がいなくなり、沈黙が病室を支配した。最初に口火を切ったのは理子だった。

「私もね、悪魔、見ましたよ。悪魔というよりも死神ですね」

「たわ言はいい加減にして。この部屋から生きて帰れると思ってるの?」

「思ってますよ。私と連絡が取れなくなったら弁護士が、あなたから受けた仕打ちを書かれた文章を彼に読み上げる算段になってますから」

「そんな脅しに私は屈しないよ。あなたは異常だし、危険だ」

「あっはははははははは!!」

 膝を叩きながら理子は大きく笑った。腹を押さえて笑った。

「じゃあ、じゃあ、じゃあ、どうするんですかあ? 私を殺すんですかあ? 殺せない、あなたには私は殺せない。分かるんですよね、あなたは人を殺せない人間なんだっていうのが。あなたは死が恐ろしい。だから私をあんな風にしかできなかった。あんな甘っちょろい方法しか取れなかった。自分の責任を限りなくゼロに近づけるにはあの方法しか。死が過去を囁くあなたは、だから私を殺せない。あなたは私が彼を犯しても、拷問を加えても、それを目の前で見ていても私を殺すことなんてできない」

「お、お前なんて、すぐに殺せるよ。私が本気を出したら、すぐだよ」

「ふうん。なら証明してあげましょうか?」

 カタカタと健太の姉の体が揺れる。発情期の猫のように低く、短く悲鳴を上げる。

 理子は椅子の隙間に挟んで隠していたナイフを出して、健太の姉に近づけた。頬をナイフの面で撫でる。彼女は由紀の表情を観察しながら、ナイフを振り上げた。

「やめなさいよ! やめ……あ、やめっ」

 手が力強く落ちるのと同時に、由紀は短く叫んで耳を押さえ、背を丸める。

 理子は枕に刺さったナイフを持ち上げて、笑った。

「冗談ですよ。殺すわけないじゃないですか。でもこれで証明されましたね。あなたは人を殺せない。何も示せない」

 車椅子が由紀の側を通り過ぎる。

「あなたが声をかけなければ、運転していた父はまっすぐ前を見て運転できていた。だから、あなたは自分が関わる死が恐ろしい。ですよね? まあ、安心してください、私はあなたとは仲良くやっていきたいって思ってるんですよ。殺し合いとかそういう不毛なことはやめましょう。お互い消耗するだけです。私も生きることの喜びとか、死ぬことの辛さを知って、彼のこと、真剣にどうにかしてあげたいって思えるようになったんですよ。だからですね、だから、私が彼に告白するの、黙って見ててもらえます?」

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